四つの物語 Type4-03


「さぁ、言ってみろ」

言えるものなら、と口元を歪めた男に、女は何も言わずただ頭を垂れた。

「俺様に言いたい事があるのではないか?」
「――いいえ」
「『いいえ』?」
「何もありません」

途端に襲いくる激痛に、女は歯を食いしばって堪えた。地べたに這い蹲り、泣きながら赦しを請えたらどれだけ楽かと思うが、それだけはしない。決してしないと自身に誓った。

「ルーシー」

杖を下ろし、ゆったりとした闇色のローブを纏った男がゆっくりと室内を歩き出す。壁に掛けられた燭台に灯る火が男の人間離れした造形の顔を照らし出した。

「ルーシー、お前は俺様に赦しを請いに来たのであろう? 何故、赦しを請わぬのだ? 自らの罪の重さに恐れを為したのではないのか?」
「――私、は、」

未だ身体に残る痛みに咳き込みながら、ルーシーと呼ばれた女は再び男の足元に跪き頭を垂れた。

「何も、言う事はありません」
「ならば、俺様の方から聞いてやろう。慈悲深い俺様が尋ねてやろう。何故俺様を助けに来なかった? 俺様に忠誠を誓ったのではなかったのか?」

答えよ、と、男はルーシーの前に身を屈めて顎を手に取った。強引に顔を上げさせ、真紅の双眸でもってルーシーの瞳を見つめた。全てを見透かすかのように。

「……では、お答えさせて頂きます」

顎を取られて辛い体制であるにも拘らず、ルーシーは無感動な目で男を見上げた。真紅の双眸を真っ直ぐに捉えて尚、その表情には恐れが見えない。

「私めがお仕えしていたのは、この世で何者にも負ける事が無いと信じていた御方。私めはそれが貴方様だと確信していたからこそ、忠誠を誓いました」
「ならば、何故助けに来なんだ?」
「貴方様が、敗れたからでございます」

真紅の瞳が剣呑な光を帯びても、ルーシーは言葉を紡ぎ続けた。

「貴方様はたった一歳の子どもによって力を失った。生きていようと死んでいようと、どちらでも構いません。私ごときの助けを必要とするような方に、私めは忠誠を誓ったりはしません」

言葉が途切れ、二人の間に静寂が落ちる。男は未だルーシーを見下ろし続け、ルーシーもまた、男を見上げ続けた。

「――ならば、何故貴様はここにいる? 貴様が見限った俺様の元に、何故戻って来た?」
「貴方様が蘇ったと聞いたからでございます。あの頃、私めが忠誠を誓わずにはいられなかった貴方様がよりお強くなって戻って来たのだと聞いたから、私めはこうして貴方様の前におります」
「俺様は、裏切り者は赦さん」
「先に裏切ったのは貴方様の方。裏切られたのは、私めでございます」

再び静寂が支配したが、それは一瞬の事だった。突然哄笑した男は、先程とは打って変わってその顔を愉快げに歪めながらルーシーを解放した。

「ならば、今度こそ誓わせてやろう。俺様が最強なのだと知らしめてやる。貴様が仕えるべきは俺様だけなのだと思い知らせてやろう」
「ありがとうございます――我が君」

男が去り、部屋に一人残されたルーシーはゆっくりと目を閉じて息を吐いた。瞼の裏に焼き付いて離れない存在は、今頃何処で何をしているのだろうか。彼の少年を護る為に動いているのだろうか。彼の老人の駒として動いているのだろう。全ては彼の女の――否、彼の女を愛する自分の為だけに。

ならば、自分は何の為にここにいるのだろうか、とルーシーは自嘲の笑みを浮かべた。ルーシーもまた、彼の男を想う自分の為にここにいる。不毛だと知りながらも、その足を止める事など出来やしないのだ。

一度動き出した歯車は、簡単には止まらない。どんな障害物を挟もうとも、それを砕いて廻り続けるのだ。簡単に動きを止めてしまう歯車もあるが、どうやら自分のそれはそう簡単に止まってはくれないみたいだとルーシーは自らを嘲り、ため息を零す。彼の男の歯車も、止まらない。

止める為には、生命を絶つしかないのであろう。けれど、ルーシーは知っている。死して尚、誰かを想う事が出来るのだという事を。彼の女が、自らの愛息に対してかけた魔法こそが、それを如実に表している。

結局、逃げ切る方法など誰にも分からない。





かがり火の向こう





いつの間にそこにいたのか。視線が絡み合い不意に鼓動が跳ね上がる。男は一切身動きせずにルーシーを見つめ続けていた。視線は合っているのに、その瞳の中に自分を見つける事が出来ずにルーシーは自嘲の笑みを浮かべた。

所詮、闇色の瞳が見つめているのは、彼の女以外に有り得ないのだ。


04.子供のように