意外と呆気なかったな――冷たい石畳に座り込んだルーシーはそんなことを思った。
ホグワーツを卒業してからもうすぐ一年が経とうとしている。新たな門出を祝ったあの日がもう遠い昔のようだ。明るい未来に思いを馳せて目を輝かせる者、明るい未来を思い描けずに表情を曇らせる者、身近な者を喪って意気消沈する者――ホグワーツ特急を待つ卒業生達は実に様々な表情を浮かべていた。自分はどんな顔をしているのだろうかと頬に触れてみたけれどよく分からなくて、隣りにいたスネイプに「何をしてるんだ」と呆れられてしまったことを思い出す。
記憶の中のスネイプはいつもと変わらない、何を考えているのか分からない顔をしていた。
離れた所にジェームズ達の姿を見つけ、最後くらいはスネイプに嫌な思いをさせたくないと思い最後尾に移動した。向こうはルーシー達に気付いていたのだろうか。あれがジェームズを見た最後だったのでルーシーに問いかける術はない。
列車に乗り込むふりをしてスネイプと共に姿くらましをし、人目のない場所で制服から着替えて荷物をカートごとバッグに押し込んだ。検知不可能拡大呪文――ハーマイオニーから教わった呪文だ。
ルーシー・ポッターとして生まれ変わって十数年。色々なことがあった。記憶の中の教師たちは皆若くなっていたし、年を経るごとに記憶の中の友人達の姿が朧気になっていった。考えてみれば当然の話だった。ホグワーツを卒業してから何十年という時間を生きていたのだ。学生だった友人達もルーシーと同じように年老いていったので、当然ながら一番覚えているのは皺だらけの友人達だ。二度目の生でもう一度ホグワーツに通い始めてからは遠い昔の友人達の姿を思い出せはしたが、年月には勝てない。徐々に輪郭が不鮮明になっていった彼らの姿は、もう何となくでしか思い描くことが出来なくなってしまった。それに気付いた時はとても恐ろしく取り乱してしまったが、仕方のないことなのだと自分に言い聞かせ続けると気持ちを落ち着かせることが出来た。ずっと隣にいてくれたスネイプの存在もあったのだろうと思う。
”家で待ってる”
卒業式の直前に話したジェームズはそう言っていた。
ルーシーは微笑んで頷くことしか出来なかった。”帰る”とも”また後でね”とも言えなかったのだ。ジェームズはそれに気付いただろうか。もしかしたら気付いているのかもしれないと思ったが、ルーシーは逃げるようにその場を立ち去ってしまった。
真っ黒のローブを身に纏い、フードを目深に被って死喰い人の仮面を装着すると、まるで自分が自分でなくなってしまったような感覚にたびたび襲われた。それが堪らないほど恐ろしく思えて、ルーシーは極力声を出さないことに決めた。死喰い人達からも口数の少ない不気味な魔女だと思われていたようだが構わない。元々スネイプ以外とは殆ど話したことなどなかったのだ。学校の時の延長であるかのように、何か用がある時はスネイプがルーシーに伝えてくれていた。
それでも恐れていた日は訪れる。死喰い人としてヴォルデモートの部下になった時から分かっていたことだ。マグル生まれの魔法使いや魔女、マグルを殺せと命令されたのはもうずっと前のことで、そのたびに失神させて忘却呪文をかけてきた。死体を処理するふりをして遠方に逃していたのだが、上手く隠せていたのは最初の頃だけだったようで、ひと月前とうとうヴォルデモートの耳に入ることとなってしまった。ご丁寧にルーシーが逃したマグル生まれの魔女を証人として拐ってきて眼前に突きつけたのは、ルーシーの大嫌いなベラトリックス・ブラックだった。
「ご主人様! こいつはご主人様の命に背いたのです!」
「申し開きを聞こう、ルーシー」
「私は最初に言いました。癒者になりたい……助ける人になりたかった。だから命を奪うことは出来ません」
今こうして思い返してみても笑えてくる。きっとあの時の自分はどこかおかしかったのだろう。躊躇なく人を傷つけ、命を奪い、そうして笑う死喰い人達が恐ろしくて堪らなかった。自分もその一員なのだと思うと吐き気がした。恐怖に支配されてヴォルデモートの部下になったというのに、いざそうなると「自分はこいつらとは違う!」と逃げたくて仕方がなかった。
身も心も疲弊しきっていたのだろう。楽になりたかったのかもしれない。自棄になって逆らう言葉を口にしたルーシーは、もう二度と味わいたくないと思った磔の呪いを、よりにもよってベラトリックスにかけられて拷問された上で牢に閉じ込められている。
あれからひと月、数日おきに人目を盗むようにして食糧を持ってきてくれるのはスネイプだった。
スネイプはルーシーの顔を見るたびに「お前は馬鹿だ」と言う。
「見ず知らずの他人と自分と、どっちが大事なんだ」
「本当にね。でも……でもさ、きっと変わらなかったと思うんだ」
もし命じられるまま誰かの命を奪っていたら、きっと自分は死んでしまっていたのではないかとルーシーは思う。罪の意識に耐えきれずに自ら命を断つか、逆らって拷問され壊れて野垂れ死ぬか――きっと命令に従っていてもどちらかの未来しかなかったように思えるのだ。
「どうせ死ぬなら……自分の気持ちに従いたいって思ったの」
「…………馬鹿だ、お前は」
それきりスネイプは何も言わずに去って行った。
牢に閉じ込められてから、ルーシーは驚くほどに心が穏やかであることに気付いていた。ベラトリックスは気紛れに牢を訪れては「まだ生きてたのかい、しぶといねぇ」と嘲笑いルーシーに磔の呪いをかけた。彼女の哄笑は石造りの牢に反響し、それだけでガリガリと精神を削られたものの、奇跡的にルーシーはまだ自我を保っていた。
「今日はめでたいニュースを持ってきてやったよ。アンタの双子のお兄ちゃんが結婚したよ――穢れた血の女とね!」
純血でありながらマグル生まれと結婚したジェームズへの憎しみを全てぶつけるかのように、ベラトリックスはルーシーを嬲った。
ジェームズが結婚した。おそらく相手はリリーなのだろう。今がいつなのかは分からないが、きっとそう遠くない日にハリー・ポッターが生まれ、そしてあの日がやって来る。ヴォルデモートが凋落し、ジェームズとリリーが死に、ハリーが『生き残った男の子』になる日が。
スネイプが愛した女性を喪う日が。