堕ちゆく


閉ざされた部屋から悲鳴が聞こえてくる。

「まだ耐えてるのか」
「懲りない奴だな」

嘲る死喰い人達の輪の中で、スネイプは仮面の下で唇を噛みしめた。




ルーシー・ポッターがヴォルデモートの命令に背いている――ベラトリックス・ブラックが生きた証人を連れてきて糾弾したのはもう三ヶ月も前のことだ。殺せと命じられたのにそうしなかった。忘却呪文で記憶を奪うだけに留めたルーシーをベラトリックスは酷く糾弾した。元々気に入らなかったのか、嗜虐心を唆られただけなのか。青褪めるルーシーを甚振るベラトリックスの目には狂気の色がありありと浮かんでいた。

牢に閉じ込められたルーシーに、スネイプは何度となく食糧を届け続けた。そのうち改心するだろう、諦めて忠誠を誓うだろう――他の死喰い人達にはそんな言葉を嘯いて彼女の命を繋いでいた。
だがルーシーは諦めなかった。どちらを選んでも死ぬのなら変えたくないとそう言った。
だから嫌だったのだ。臆病なくせにどこか頑固な彼女が死喰い人になどなれるはずがなかったのだ。スネイプはあの日ルーシーを連れて来いと言ったルシウスを心底恨んだ。まるで恋人に会いに行くかのように目を輝かせて足取り軽く牢へ向かうベラトリックスを止めることも出来ず、そのたびに地下から聞こえてくる悲鳴から逃げるように目を瞑り手を強く握りしめた。まるで自分が拷問されているようだと考えたのはいつだっただろうか。間接的にスネイプまで拷問するなんてベラトリックスは拷問の天才だとまで思った。

ルーシーを処刑するべきだとベラトリックスが申し出たのは、彼女が牢に入れられて三月が経とうとしていたある日のことだった。あれほど執心しているように見えたのに、彼女はもうルーシー・ポッターに飽きたらしい。つい最近、レストレンジと結婚したと噂で聞いたが、それが理由だろうか?
どれだけ諭しても改心しないのだから、彼女に改心の余地はない。そう言ってベラトリックス・レストレンジはご主人様にルーシーの処刑を望んだ。

「そうか、残念だ」

欠片も残念さを見せずにそう言ったヴォルデモートがルーシーを連れて来いと命じる。彼の傍らに常にいる大柄の成人男性ほど大きな蛇が長い舌をチロチロと出すのを見て、スネイプは強い焦燥感に駆られた。このままルーシーが殺されたら、その遺体はあの蛇の餌とされてしまうのではないだろうか。

「お、お待ちください……!」

気付けばスネイプは前に進み出て声を上げていた。このままではルーシーが殺されてしまう。ナギニに食べられてしまう――そう考えたら居ても立ってもいられなかった。ヴォルデモートの前に跪くと上から声が降ってくる。

「何だ、スネイプ」
「ポ、ポッターはまだ使いみちがあります」
「ほう?」

言ってみろとヴォルデモートが促す。スネイプはまるで自分だけ何倍もの重力がかけられているように思えてならなかった。口が乾く。喘ぐように大きく口を開けると乾ききった口の端が切れて血が滲んだ。舌に感じた鉄の味に少しばかり冷静さを取り戻したスネイプは、深呼吸を繰り返してヴォルデモートを見上げた。

「あ、あの女は、未来を視ることが出来ます」

後ろでひそひそと囁く声がぴたりと止んだ。ヴォルデモートが片眉をぴくりと上げてスネイプを見下ろしている。興味を引くことに成功したのだと感じたスネイプは悟られぬよう口内に溜まった唾液を飲み下して続けた。

「学生時代、ポッターに閉心術の練習に付き合わされたことがあります。その時、私は確かに見たのです。ポッターはずっと未来の私の姿を知っておりました」

スネイプはひたすら話を続けた。口を閉じたら駄目だと思った。ルーシーを問い詰めたこと、それでも何も教えてもらえなかったこと。

「あれだけ頑なに拒んでいたのです。きっともっと重要な何かを知っているはずです」

口からでまかせだった。少しでもルーシーの寿命が伸びればと思って言っただけだった。 そんなスネイプの必死さに心を動かされたのか、ヴォルデモートはベラトリックスに引きずられるようにして連れて来られたルーシーに言った。
「お前は未来が視えるそうだな?」

死を受け入れた様子のルーシーの顔が強張った。それが答えだった。興味を引かれたヴォルデモートが戯れに開心術をかけるのを、スネイプは固唾を飲んで見つめた。 言ってしまえばいいのだ。どんな未来なのかは分からないが、自分の身を守る為に話してしまえばいい。脳裏に浮かんだ己の最期を振り払うように頭を振り、スネイプは必死に抵抗するルーシーをじっと見つめた。

ルーシーは強情だった。生きることを諦めているように見えたのに、それでも頑なに抵抗を続けていた。スネイプの知らぬ間に閉心術の腕も上がっていたようで、舌打ちをしたヴォルデモートが磔の呪文を紡ぐ。
満月まであと二日という今この時の彼女の感度はどれほどのものなのだろうか。常人より遥かに五感は冴え渡り、学生時代は満月が近づくたびに苦しんでいた。スネイプと共に作った薬を飲んでも辛そうだったのを覚えている。そんな状態の時に受ける拷問はどれほどの苦痛かスネイプには想像もつかない。

悲鳴が掠れ、汗と涙で顔をぐしゃぐしゃにしたルーシーが床に倒れ込む。虫の息だ。そんなルーシーに再び開心術をかけたヴォルデモートの満足げな顔は、しかし長くはもたなかった。突如開心術を解いたヴォルデモートが慄くように後退ったのだ。信じられないという顔で、まるで化け物を見るかのようにルーシーを見下ろすのを死喰い人達が困惑と動揺を露に囲んでいる。

「ご、ご主人様……? どうなさったのですか?」

ベラトリックスの声も聞こえていない様子のヴォルデモートは、スネイプ達の視線の先で次第にその顔に怒りを滲ませ、ついには大股で歩み寄るとルーシーの髪を鷲掴みにして怒りを吐き出した。

「今のは何だ!! 言え!!」

こんなにも怒りと動揺を露にするヴォルデモートを見るのは初めてだった。彼は一体何を見たのだろうか。中年のスネイプが死んでいる場面を見ただけでこれほど動揺するとは思えない。ならば彼はスネイプとは違った光景をみたはずだ。

「――スネイプ!!」

突然呼ばれたスネイプは驚きながらも前に進み出た。そうして聞かれたのは、スネイプが何を見たかだ。正直に中年くらいの自分が血を流して死んでいる場面だと答えると、死喰い人達の間にざわめきとひそひそ囁く音が広がる。

「他には? 何も見ておらぬと?」
「私が見たのはそれだけでございます」

正直にそう答えたが、信じられなかったのかヴォルデモートの矛先はスネイプへと向いた。突如放たれた拷問の呪文は耐え難いほど苦しく、必死に声を押し殺して耐えるスネイプの全身から汗が吹き出た。歯を食い縛った口内には血の味が広がり、気を抜けば嘔吐してしまいそうだった。

「や、やめて……やめて!」

悲鳴混じりの声が聞こえたかと思うと、絶えず与えられていた磔の呪いが止んだ。全身の痛みに耐えながらそっと目を開けると、霞む視界にスネイプを庇うように間に入ったルーシーの背中がある。

「この人は何も知りません……! 私は誰にも何も言ってない……!」
「ならば言え。俺様だけに話すのだ」

吐き捨てたヴォルデモートがルーシーの腕を掴む。容赦のない力で引きずられたルーシーはヴォルデモートの部屋へと連れて行かれてしまった。待て。駄目だ、頼むから。伸ばそうとした腕はぴくりとも動かず、スネイプの意識はぷつりと途切れた。




あれからというもの、ヴォルデモートはアジトであるこの屋敷にいる間は殆ど部屋から出てこない。時折聞こえてくる悲鳴がルーシーがまだ生きていることを教えてくれるが、彼女がどんな仕打ちをされているのかと考えるだけで苦しくて堪らなかった。
こんなはずではなかった。どうにかして彼女を生かしたいとは思っていたが、それでもこんなことを望んだのではなかった。これではあのまま死んでいた方が良かったのではないか――彼女の悲鳴が聞こえてくるたびにそんなことを考えては後悔した。

あれからスネイプは己の地位を少しでも上げることに尽力した。
あの時ルーシーはスネイプを庇ってしまった。学生時代、人狼に変身したルーピンから守った時のように。ヴォルデモートがその手を使わないとは考え難い。スネイプが殺されるとなるとルーシーはまた守ってしまうかもしれない。
殺されるわけにはいかないのだ。容易に殺されるような地位のままではいけない。使える人間だと、殺してしまうのは惜しいとそう思わせるほどにならなければ。

「アバダ・ケダブラ」

どれだけこの手を汚そうとも。

30.