「どうした、もう終わりか」
それが息を切らして倒れる友人に向ける言葉か。
心の内で毒を吐きながら重い頭を上げる。こちらを見下ろすのは紛れもなくルーシーの友人であるはずなのだが、そういえばルーシーが勝手にそう言っていただけで、スネイプから「友人だ」と言われたことがないことを思い出して溜息が漏れた。
「…………鬼」
「鬼で結構。さっさと立て、ポッター。もう一度だ」
聞く耳を持たないスネイプに呻きつつ体を起こす。「酷い」だとか「いじわる」だとかぽろぽろと零れ落ちるが、それさえも黙殺してスネイプが杖を構えた。
閉心術とは己の心を閉ざして相手からの侵入、干渉を防ぐための魔法であり、頭を空っぽにすることが大事なのだと知識としては知っていた。けれどそれを実行することがどんなに大変かを思い知った。
「お前は考え過ぎだ」
「スネイプにだけは言われたくない」
「僕は心を閉ざせる」
返されるそれに呻き声を上げ、ルーシーは癖のある黒髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。言い返せないのが悔しい。何度も練習しているのに完成させられないことがもっと悔しい。
優位に立てることが嬉しいのか、苦戦するルーシーに口端を吊り上げるスネイプの何と憎たらしいことか。
「次こそ成功させてやる」
「是非ともそうしてくれ。見せられるこっちが苦痛だ」
いっそ、わざと見せてやろうか――そんなことを考えたのが伝わったのか、じとりと睨んでくるスネイプに慌てて首を振り、深呼吸を繰り返す。落ち着け、落ち着け。何度も自分に言い聞かせて杖を構えると、スネイプも静かに杖を構えた。
「今日中に出来たらご褒美に次のホグズミードでお菓子買ってね」
「そろそろ大鍋を新調したいと思ってたところだ」
「値段が違いすぎない!?」
「レジリメンス!」
不意をつくかのように放たれた魔法。こちらに向けられた杖の先が光ったと思った次の瞬間には何かが体の中を這い回るような奇妙な感覚に襲われた。心を閉ざさなければと思う間もなくそれはルーシーの記憶を遡っていく。蒸し暑いリビングで二人寄り添い眠る両親、満月に照らされ地面にくっきりと映る人狼の影、侮蔑と嘲りに満ちた笑みを浮かべる上級生達――嫌だ、駄目、やめて。拒絶は声となることはなく、更に更に遡っていく。
練習でわざと悪い思い出を掬い上げるのは、二度と思い出したくない、誰にも知られたくないという強い意思で抵抗出来るからだとスネイプは言っていた。それならば、今こうして抵抗出来ずに見られてしまうのはルーシーにとってそこまで悪い思い出ではないからなのだろうか。それとも、既に抗うことを諦めてしまっているだけなのだろうか。浮かんでは消える悪い記憶達に、ルーシーは「もうやめて」と叫んだ。声になっていたかは分からないけれど。
目の前に自分が立っていた。驚愕に目を見開き、やや青褪めた顔で立つのは間違いなく自分自身で、ルーシーはそれが鏡だということに遅れて気が付いた。幼い顔立ちは五、六歳くらいだろうか――あぁ、そうだ。七歳。七歳だった。あの瞬間に全てを思い出したのだ。濁流のように、決して誰にも話すことの出来ない古い記憶たちが走馬灯のように駆け巡ったのだ。
ぱちん。
小さく弾ける音が聞こえた気がした。気が付けばルーシーは息を切らして床に倒れ込んでいた。溢れ出る汗が床へ滴っていく。杖を握りしめる手は色をなくし震えていた。
「…………ポッター?」
降ってくる声はスネイプらしくないほどに動揺と困惑が浮かんでいた。ルーシーは首を振った。聞かないで。気持ちが通じたのか、スネイプはそれ以上何も言わずに用意していたゴブレットに水を注いで渡してくれた。受け取ったそれを一気に飲み干す間も感じる視線。それでもルーシーは何も言えず、ただおかわりを求めてゴブレットをスネイプに差し出した。
翌朝、談話室に下りてくるなりスネイプが言った。
「話がある」
話の内容が昨日の事だということはすぐに察しがついた。何も聞かないでくれという空気を目一杯醸し出して言葉少なに別れたから、今日もそんな感じでいこうと思っていたのに、そんなルーシーの考えを読んでいたかのようにスネイプに先手を打たれてしまった。
「…………お、」
「……」
「お断り、したいです……」
目や顔だけでなく体全体を逸らして拒絶を紡いでみたが「却下だ」の一言にばっさり切り捨てられてしまった。泣きたい。逃げられないように腕まで掴まれてはいよいよ逃げ場がない。
「あ、朝ごはんが……」
「一食くらい抜いても問題ない」
「おなかすいたなー、なんて……い、いきます……」
向けられる厳しい視線に観念し、項垂れながらスネイプに引きずられるように談話室を後にする。大広間ではなく大理石の階段を上っていくスリザリン生二人に向けられる好奇の視線が痛い。ジェームズ達に会わずに必要の部屋に辿り着くことが出来たのは僥倖だったが、おそらくそう遠くないうちに彼の耳にも噂が届くだろう。
「あれは何なんだ?」
必要の部屋に入るなりされた容赦のない問いかけにルーシーは呻いた。その問いかけが与えられることは分かっていて、昨日の夜から何度もそれに対する返答を考えていたというのに、結局いい案が一つも浮かばなかった。
「……言いたくない」
「ポッター」
語気を強めるスネイプに唇を噛みしめて俯く。分かってる。ルーシーだってスネイプの立場だったら何とかして聞き出そうとするはずだ。何せ、スネイプが見せられたのは今よりも明らかに年を取った自分が死んだ姿だったのだから。
「ごめん」
「どうして謝る」
「言えない」
「ポッター」
「ごめん、ごめんなさい……まだ言えない」
少なくとも、今は。まだ言えない。
ルーシーがここにいることで過去は少なからず変わっているはずだ。もしかしたら未来も変わるかもしれない。変えたいと願っている自分がいることにもルーシーは気付いている。
「…………いつかちゃんと話せ」
頷くことすら出来ないルーシーに、スネイプは何も言わなかった。