思い描く


ルーシーが教室へやって来たのはちょうどスネイプが調合の準備を終えた時だった。俯きがちに入ってきたルーシーが無言のまま隣に並ぶ。遅れてごめん。掠れた涙声が謝罪を紡いだ。
予想はしていたことだったが、やはり双子の兄との話し合いは上手くいかなかったのだろう。ジェームズとルーシーの望むものが違ったのだから当然といえば当然のことだが、こうして泣きながら戻って来られてもスネイプは困るだけだ。慰め方など分からないのだから。

「今日は少し大目に作りたいんだけど……」
「じゃあ鍋を増やすか」

頷いたルーシーが新たに鍋を持ってきて準備を始める。触れて欲しくないと思っているのなら好都合だ。材料を刻んで、鍋を火にかけて。二人の間に生まれる会話は殆どが薬に関することで、スネイプはホッとする反面何とも言えない感情が渦巻いていることに気付いていた。
泣き言を言えば良いのだ。これまでだってずっとそうしていたのだから今回だってそうすればいいのに。ジェームズの名前を聞いただけで不機嫌になり顰め面になることも間違いないが、それでもこれまでだってちゃんと話を聞いてやっていたではないか。

「それで、何て言われたんだ」

結局、話を切り出したのはスネイプの方だった。まったく自分は何をやっているのかと呆れながら隣に視線を送れば、ルーシーが間抜けな顔でこちらを見る。さっさと話してその情けない間抜け面を何とかしろと言えば、驚きに染まる顔がへにゃりと情けなく歪んだ。笑みを作ろうとして失敗したルーシーの目に涙が溜まっていくのを視界の端に見た。

「ごめんて、いわれたの」

いっぱい謝られて、きっとそれが嘘じゃないということも分かったのだとルーシーは言う。それでも仲直り出来なかったとも言った。

「し、しんじたく、ないの」

信じられないのではない。信じたいと思えないだけ。ジェームズは本気で申し訳ないと思って謝っているのだと分かったのに、それでも拒絶してしまったのだとルーシーは言った。信じたくないから。ジェームズ・ポッターを内側に入れたいと思えなかったから。

「リリーが、言ったの。ジェームズが本気で反省してるって」

思いがけず出た名前に動揺したのは一瞬で、スネイプは声が震えないように気を付けながら「そうか」と相槌を打つ。ルーシーが鼻を啜った。

「ジェームズは良いのに、何でスネイプは駄目なのって聞いたの……心を入れ替えてくれないからだって言ってた。私もそうだって……でも、でも私、無理だよ」

ぼろぼろと溢れては頬を濡らす涙は留まるところを知らないようで、鍋を掻き混ぜていた手はとうとうそれを放棄して顔を覆ってしまった。
スネイプのことなんて話さなくて良かったのに。自分のことだけ気にしてれば良いのに、どうして彼女はそうしなかったのだろうか。

「リリーは優しいから正しいことしか言わないの……わたし、わたしは優しくないから……きっと私が間違ってるの……でも、無理だよ……だって、だってそんなの嫌だ」

ごめんなさい。蹲るルーシーに何故謝るのかと問いかけると優しくないからだと返される。自分は優しくないから正しいことが出来ないのだと泣きじゃくる姿にスネイプは溜息を禁じ得ない。

「確かに、お前は優しくはないな」

自分の身の安全の為にスネイプと共に在ろうとする考えはまさにスリザリンらしいと言える。もし自分と他の誰かに危険が迫っていたとしたら、リリーだったなら迷わず自分ではない誰かを助けようとするのだろう。彼女は優しくて正しいから。そしてスネイプの足元で蹲り泣きじゃくっているこの少女は、きっと自分を助けようとするだろう。自分の身の安全を第一に考えて行動し、余裕があれば他の誰かを助けようとするのだろう。

けれど、とスネイプは思う。きっとこのルーシー・ポッターという人間はそんな自分を恥ずかしく思うのだろう。自分の身の安全を第一に考えて行動するくせに、見捨てた相手のことを一生忘れられずに自分を責め続けるのだろうと思う。だって彼女はどうしようもないほどお人好しだから。

「僕はそれが間違っているとは思わない」

自分が助かりたいと思うのは当然のことだ。進んで損をしたがる人間などいるはずがない。進んで命を投げ出す人間などいるはずがない。ルーシー・ポッターは至って普通の人間だとスネイプは思う。
彼女が特別なのだ。リリー・エヴァンズという人間が特別なのであって、ルーシーがおかしいわけではない。こんな風に自分を責める必要なんてないし、ジェームズを受け入れようと思えない自分を恥ずかしく思う必要などないのだ。

「あんな奴と仲直りなんて、僕だってごめんだ」

吐き捨ててルーシーの頭を小突く。見上げた泣き顔にスネイプはポケットから取り出したハンカチを押し付けた。

「ぶっ」
「優しくない自分を嘆く暇があったら、その酷い面を嘆いたらどうだ? ついでにあいつと同じ顔だってことも嘆くといい。同情はしてやる」

涙を拭ったルーシーの大きな榛がスネイプをじっと見る。やがて「ふは」とろりと溶けるように目を細めた彼女が笑った。目は腫れて鼻も赤くて酷い状態だというのに、不思議とその表情は嫌いではないとスネイプは思った。そしてそんなことを考えた自分に首を傾げる。この世で最も嫌いな人間と同じ顔だというのに、何故そんなことを考えたのだろうか。

「スネイプは優しいね」
「まさか。どこをどうしたらそんなことを思うんだ?」
「いつも一緒にいて助けてくれる」
「僕にも利があるからだ。そうじゃなかったらその顔と一緒にいられるものか」

鼻を鳴らすスネイプにルーシーは何故か笑う。何が嬉しいのか、涙の残る顔で彼女は顔を綻ばせている。変な奴。呟くと「変じゃないよ」と抗議の声が上がったが無視した。

「さっさと立て。焦げるぞ」
「うあっ、やばい!」

慌てて立ち上がったルーシーが鍋を掻き混ぜて安堵の息を漏らすのを横目に見て、口元に微かに笑みを浮かべたスネイプも視線を己の鍋へと戻した。




六年生になると時間割は一気に変化する。前年度のOWL試験の結果によって受講出来る教科が変わるからだ。薬学の道を考えているスネイプは特に必要のない古代ルーン文字学と魔法生物学を落としている。ルーシーが進路をどう考えているのかは分からないが、スネイプと同じ教科を落としたのを見るとその二つが必要な進路ではないということだろう。

二人が進路について話し合ったことはない。いつからかそれが暗黙の了解のようになっていたからだ。
スリザリン生の進路は大まかに分けて二つだ。闇の魔法使いになるか、ならないか。優秀な生徒達には声がかかると聞いているが、今のところスネイプには何の連絡も来ていない。ルーシーも来ていないと踏んでいるが、実際はどうなのだろうか。談話室にいれば純血主義を隠しもしない上級生達が己の進路を誇らしげに語る声も聞こえてくる。

もし本当に優秀な生徒に声がかかるのだとしたら、純血の旧家に生まれた優秀なルーシー・ポッターにも間違いなく声がかかることだろう。その時彼女はどうするのだろうかと不意に考えた時から、スネイプは時折こうして彼女の進路について考えるようになった。
彼女は断るだろうか。それとも受けるだろうか。敵だろうと味方だろうと死ぬのは嫌だと零していた彼女が誘いを受けるとは考え難いが、断った時の危険性を考えると保身の為に受けるという選択肢も捨てきれない。

「どうしたの? ずーっとこんな顔してる」

眉間に深い皺を刻んだルーシーが、そんな自分を指しながら「こんな顔」と教えてくれる。嬉しくない。何でもないと顔を背けて皺を伸ばすように眉間を揉んでいると、躊躇いがちな声が「最近ずっとだね」と呟いた。

「何か気がかりなこと、あった?」
「別に」

自分でも驚くほど早い返事。ルーシーが情けなく眉を下げた。明らかに嘘だと分かってしまう答え方をしてしまった自分に溜息が漏れる。じとりと責めるような視線から逃げるように体ごと顔を逸らして、けれど無視しきれずにちらりと横目に見て。スネイプは観念して口を開いた。

「どうするんだ?」
「へ?」

間抜けな顔で素っ頓狂な声を上げるルーシーに「進路、どうするんだ」と質問を重ねれば、ぱちぱちと瞬いた榛が探るようにスネイプを見てくる。その視線に耐えきれずにすぐそこにある額を持っていた教科書で叩いてやった。上がる悲鳴は聞き流して再度「どうするんだ」と問い詰めると、仄かに赤くなった額を押さえながらルーシーが恨めしげにスネイプを見た。

「いったぁ……意外と暴力的だよね、スネイプって」
「もう一発必要か?」
「いらないよ! いきなりどうしたの? …………何かあった?」

問いかけは不安げな色を少しも隠せていない。一体どんな心配をしていることやら。呆れ顔でルーシーを見たスネイプは「ただの興味本位だ」と嘯く。唸ったルーシーが傍にあったクッションを抱きしめた。

「………………誘われたの?」
「誘われたのか?」

問いかけに同じ質問を返すと顔を顰めたルーシーが睨んでくる。スネイプはルーシーも同じことを考えていたのだと気付いた。お人好しな彼女のことだから、スネイプの進路を馬鹿みたいにずっと悩んでいたのだろう。

「誘われてない」
「……本当に?」
「お前も来てないんだろう? それなら僕に来てないことくらい分かるじゃないか」
「だって私はポッターだし……ジェームズのこともあるから……だからスネイプにだけ声をかけたのかなって」
「ポッターだからってお前は純血だ。混血の僕より可能性は高いだろ」
「スネイプのが頭いいのに?」
「それは喧嘩を売られてるということで良いんだな?」

すぐそこにあるクッションを掴んで振りかぶる。毎年学年首席の座を掻っ攫っていくくせに何を言っているのだと目を眇めるスネイプに、両手のひらを突き出しつつ必死に後ろに下がろうとするルーシーが慌てた様子で首を振った。

「ちが……っ、だって! 成績と頭の良さって別じゃん!」
「そうだな、お前は間違いなく馬鹿だ」
「ほら! ほら!」

面と向かって貶されているにも関わらず不満を訴えない彼女は、だからそれを下ろしてと何度も懇願する。そんなルーシーをじとりと見やって。スネイプがクッションを下ろすと胸を撫で下ろしたルーシーが安心したように笑った。

「良かった。ずっと気になってたから……」
「……もし――」

言いかけてスネイプは首を振った。答えが知りたいのに聞いてはいけないような気がしたからだ。何でもないと呟くとルーシーは泣きそうな顔で笑った。

「癒者にね、なりたいんだ」
「お前が?」
「マダム・ポンフリーみたいに助けられる人になりたいな、って……やっぱり無謀かなぁ」

癒者。ルーシーが。想像してスネイプは笑った。
自分が優しい人間ではないことを嘆いていた彼女が、よりによって人を助ける職に就きたいだなんて。どこまでもお人好しな奴だという台詞はスネイプの心の中に留まった。
笑われた理由など知りもしないルーシーが、馬鹿にされたと誤解したのだろうか。不貞腐れた顔で唇を尖らせる。

「笑わなくたっていいのに……そういうスネイプは? やっぱり魔法薬学の道に進むの?」
「そう考えてる」
「新薬で稼いだら教えてね。ご馳走してもらいに行くから」

そんなことを言って笑うルーシーを呆れ顔で見てスネイプは未来に思いを馳せる。「お腹すいた」なんて笑うルーシーの姿と、そんな彼女に呆れながらも「さっさと行くぞ」と外出の準備をする自分の姿が容易に想像出来てしまうのは何故だろうか。

「卒業後もその顔と付き合わなきゃならないのか」

うんざりしたような台詞とは裏腹に、それを伝える声音は明るかった。

22.泣ける場所