じりじりと身を焦がすような暑い日だった。
ルーシーとジェームズの両親はまるで示し合わせたかのように同時に息を引き取った。すっかり痩せ細った両親は最期まで何の病気なのか教えてくれなかったし、必要なことは全て終えたから、もうすべきことはないと言って病院へ行くことを拒んでいた。前世ではハリーの祖父母の死の理由なんて知らなかったし、彼らがいつ死んだのかさえも知らなかった。――知っていたら何か出来たのだろうか?
まるで世界がそうであるべきだと言っているかのように、彼らは唐突に死んだ。
今日も暑いねとアイスを片手に学校での楽しかった出来事を話していたジェームズの声がぴたりと止み、本から顔を上げたルーシーは両親が死んだことに気付いた。
「…………父さん、母さん?」
おそるおそる声をかけるジェームズの顔色は悪く、茹だるような暑さによって溶け始めたアイスがぽたぽたとテーブルにしみを作っていく。
動けずにいるジェームズを横目に、立ち上がったルーシーは両親の元へと歩み寄った。穏やかな笑みを浮かべて眠る父の痩せ細った手をそっと取り上げて脈を確認する。母にも同じことをしてからルーシーはそっと囁くように呟いた。
「……おやすみなさい」
ぼたっと何かが落ちた音はアイスだろう。振り返ると頭を抱えるジェームズがそこにいる。くしゃくしゃの髪を掻き毟り、食い縛った歯からは絶えず呻き声が漏れている。テーブルを濡らすのはアイスではない。
取り出した杖で両親の周囲だけ気温を下げてやる。前世で両親を看取った時もこうしたことをルーシーは思い出した。あの時は泣きじゃくりながら必死にそうしていた。今はどうして涙が出ないのだろうか。
「ふくろう便、送ってくるね……」
両親の死を報せなければならないのだ。遺体をこのままにしておくわけにはいかない。ジェームズからの返事はなかったが構わなかった。出来る者が動かなければ。
「…………お父さん、お母さん」
飛び立つふくろうを見送りながら、ルーシーは小さな小さな声で呟いた。
最高学年になった。振り返るとあっという間だったなと思いながらルーシーはホグワーツ特急に揺られていた。隣にはジェームズが座っていて、先程から俯いたまま微動だにしない。握られた手の温かさだけが彼が人形ではないことを教えてくれた。
向かいに座るシリウス、ルーピン、ピーターが何度もジェームズに話しかけているが、今の所ジェームズがそれに応えることはない。ただただ放すまいとルーシーの手を握る彼は本当にジェームズ・ポッターなのだろうか。
「ジェームズ」
ぴくり。ルーシーの呼びかけに僅かに反応を示したジェームズに驚きながら、化粧室に行きたいと告げる。のろのろと上がった顔にいつもの自信はどこにもなくて、迷子の子どもように揺れる榛がルーシーを見つめた。
「……戻ってくる?」
「ブラック達がいるよ」
掠れた声にそう返せば握る手に力が篭る。友人たちがいればルーシーなんていらないだろうに、この双子の兄はルーシーが傍にいることを願っている。同じ気持ちを返すことなど出来やしないのに。
「ジェームズ」
「いなくならないで」
「いなくならないよ」
「いかないで」
「トイレ行きたいんだって」
「戻ってくる?」
叱られた子犬のような顔とでも言うのだろうか。情けなく垂れ下がった眉と不安げな目を見ながら思うのは、まるで鏡を見てるみたいだということ。こんな顔をするのはいつだってルーシーだったはずなのに。ジェームズにはこんな顔は似合わないのに。
「私は生きてるよ」
「ルーシー」
「大丈夫だから。手を放して」
優しく声をかけながらジェームズの手をとんとんと叩けば、力なく頷いたジェームズがルーシーを解放する。痺れの残る手をさすりながらちらりとブラックを見ると、さっさと行けとでも言うような視線が投げかけられた。
「ルーシー、」
「またね、ジェームズ」
何か言いたげなジェームズを振り切ってコンパートメントの外に出て溜息を一つ。トイレに行きたいなんて嘘だ。ただジェームズの傍にいたくなかった。
廊下を進んで一つ一つコンパートメントを覗いていたルーシーは、後ろの方の車両で足を止めた。目的の人物を見つけたからだ。軽くノックをして戸を開けると運良く一人で座っていたスネイプがこちらを見る。
「久しぶり」
手を挙げて挨拶をして。そんなルーシーをスネイプは嫌そうな顔で見ていた。一緒に座っても良いかと尋ねると奥に移動したスネイプが隣を指す。
「いいの?」
「正面からその顔を見るよりマシだ」
スネイプらしい返答に自然と笑みが零れるのが分かった。隣に腰を下ろすと体調はどうかとスネイプが尋ねてくる。
「一週間前だっただろう」
「今はもう大丈夫。念の為に薬も飲んでるよ」
「嘘をつくな」
「本当だよ。どうして?」
「酷い顔だ」
きょとんと目を丸くしてスネイプを見た。本から顔を上げたスネイプがルーシーを見てまた顔を背ける。具合が悪いのなら寝ていろとまで言われるが、答えた通り元気なのだ。
「大丈夫だよ」
「バレる嘘をついてどうする」
「本当だって。体調は全然――」
あぁ、そうか。ルーシーは漸く気付いた。言葉を切ったルーシーを訝しげに見るスネイプに笑ってみせたが、やはり顔を顰められる。全然気付かなかった。ジェームズだけだと思っていたのだ。
「お父さんとお母さん、死んじゃったんだ」
息を呑むスネイプを見ることは出来なかった。夏休み中に息を引き取ったこと、家族だけの葬式を済ませたこと、ジェームズがずっと塞ぎ込んでいることを話してもスネイプは何も言わなかった。
「”いなくならないで”だって」
「泣いてた」
「私は全然泣けなくて」
「一緒にいたくなくて」
「薄情だよね」
こんな話をしたってスネイプは楽しくなどないのに。次から次へとルーシーの意思を無視して零れるのは泣き言だ。何て嫌な奴なんだろうと思うのに止まってくれないのはどうしてだろう。
「さっきだってずっと手握られてるのに――」
「ポッター」
遮る声に顔を上げると感情の読めないスネイプがこちらを見ていた。何か言わなくてはならないと思うのに言葉が出てこない。どうしてだろう、視界がぼやけていく。
「ここには奴はいない」
「、」
「泣くならさっさと泣け」
いつまでもそんな不細工な面をしているな、なんて言葉と共に寄越されたのはマント。それを頭から被るとスネイプの匂いがして、途端にぼろぼろと溢れてくる涙にルーシーは笑った。
「へ、へんなの」
「強情っ張りめ」
「ぜ、ぜんぜん……なけ、なくて」
「あんな奴に弱みを見せるなんて僕だって御免だ。……騒がしいのも御免だからな」
相変わらず優しいのか優しくないのか分からない。そのことに少しだけ笑ってルーシーは泣いた。声が漏れないように口を抑えて、マントに頭を隠して。そっと右手の指先をマントから出すと、やがて温かい何かが手に触れた。その熱に縋るように必死に握りしめて、そうしてまた気付く。ただ泣ける場所がなかった。それだけなのだと。
「ズ、ズネ、ブ……あり、ありが、どう」
「マントに鼻水つけるなよ」
「も、おぞい……」
舌打ちと溜息が聞こえてきて、ルーシーはまた泣きながら少しだけ笑った。