”出来るだけ早く帰ってくるから”
そう言ってホグワーツ特急に乗り込んだルーシーが帰ってこない。もう明日は新学期だ。結局最後まで家を出られなかったのかと僅かばかり同情の念を覚えながらスネイプは鍋と向かい合っていた。
静かな教室に鍋の煮立つ音だけがある。自分しかいないというのはいい気分だとスネイプは思った。クリスマス休暇にシリウスが学校に残ったことは業腹だが、授業がなければ関わり合うこともない。食事と睡眠以外の時間はこうして篭ってしまえば他の誰に会うこともないのだ。
そんなスネイプの幸せな時間は唐突に終わった。蝶番が大きな悲鳴を上げるほどの勢いで戸を開けて駆け込んできたのはルーシー・ポッターその人だった。騒々しいと文句を言えばそれどころではないと悲壮感たっぷりな様子で駆け寄ってくる。スネイプ、スネイプとまるで幼子が母親を求めるように呼んでくる彼女に、スネイプは思わず仰け反りながらも返事をした。こんな状態になっている理由はすぐに分かった。大方、双子の兄のことだろう。ブラックが学校に残ったということはジェームズと二人きりだったということなのだから。
「災難だったな」
「うん……うん、でも……うん……」
歯切れの悪いルーシーに首を傾げながら鍋を掻き混ぜていれば、覗き込んだルーシーが「鈍感薬だ」と呟く。
「大丈夫だったのか?」
「薬、飲んだから……ご飯は辛かったけど……でも、ブラックはいなかったし割りと静かだったよ」
「みたいだな。食事の時間に見かけて最悪の気分だった」
顔を顰めるとルーシーも少しだけ笑う。やはり何だかおかしい。薬が出来上がったのを確認して火を止めると、スネイプはルーシーの顔を覗き込んだ。
「一体どうしたっていうんだ?」
「…………ジェームズが……」
「あいつが腹立たしい奴だっていうのは分かりきっていた事だろう。また何か言われたのか?」
「そうじゃなくて……いや、うん…………」
言葉を濁すルーシーに顔を顰めて。スネイプは苛立ちを逃がす為に息を吐き出して図書室で借りた薬学の本を広げた。言いたくなったらそのうち言うだろうと読書を始めること数分。スネイプの予想通りルーシーが静かに口を開いた。
「病気だって言われたの」
「お前が?」
「父さんと母さん。もう長くないんだって……だからちゃんと顔を見たかったんだって……そう言ってた」
口を開いて、閉じて。スネイプは難しい顔で本を睨んだ。これは想定していなかった。こういう場合は何と言うべきなのだろうか。考えても思いつかず、結局「そうか」と相槌を打つことしか出来ない。
「私とジェームズが仲悪いのも知ってた……そのうち仲直りすると思ってたんだって」
「随分と楽観的だ」
「ね……でも、もう最期だからって……仲直りして欲しかったんだと思う」
「したのか?」
「出来ると思う?」
即座に返ってきた問いかけにスネイプも「思わない」と即答する。それに頷いたルーシーが大きな溜息をついて、そして仲直りをしたのだと言った。
「ごめん、だって」
「へぇ……」
「”ずっとごめん、僕が悪かった。許してくれる?”――だって」
「調子のいい」
吐き捨てるとルーシーがまた頷く。それでも両親の為に頷いたのだと聞いてスネイプからも溜息が漏れた。
家ではずっとジェームズが傍にいて、これまで離れていた時間を埋めるかのようにたくさん話しかけられたのだと聞いた時には心の底から同情した。同時に、彼女の元気がないのはそのせいだと気付く。
「向こうも演技なのは分かってるけど……やっぱり、何か嫌だなって思って……父さんと母さんは喜んでたけど……騙してるみたいで……」
「みたいじゃなくて騙してるんだろ」
「だって……あぁ、もう」
ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟ってルーシーが机に突っ伏した。疲れきったその背中を撫でてやったのは心底同情したからだ。顔を上げたルーシーの表情は何とも酷いもので、思わず笑みを零すと「笑わないで」と怒られる。
「さっさと切り替えろ。もう学校に戻ってきたんだから離れられるだろ」
「それはそうだけど……すごく疲れちゃって……」
「同情はしてやる」
「何度もスネイプに手紙を送ろうと思ったんだよ。でもスネイプもブラックのことで嫌な思いしてるんだろうなって思って我慢したの」
「それは良かった。そんな手紙をもらったって暖炉に焚べることしか出来ないからな」
呻くルーシーにまた少しだけ笑って。スネイプは僅かに首を傾げた。
一人でいる静かな時間を楽しんでいたというのに、今こうしてルーシーと一緒にいても苦に思わない自分がいる。静かな時間はなくなってしまったし、読書の邪魔だってされているのに何故だろうか。
「スネイプ? どうしたの?」
「いや……何でもない」
まぁ良いか。考えることを止めてスネイプは本を閉じた。
ルーシーとスネイプの考えが間違いだったということが証明されたのは、その翌朝のことだった。
いつものように談話室で待ち合わせをして広間へ向かった二人を玄関ホールで待っていたのは、ルーシーの双子の兄であるジェームズ・ポッターだ。二人が同時に顔を顰めてしまったのも無理のない話である。
「やぁ、おはようルーシー」
「…………おはよう」
探るようにジェームズを見ていれば、どうしたのかとジェームズが笑う。思わず一歩退いた時にスネイプの足を踏み付けてしまい怒られた。
「ご、ごめん――何でいるの?」
「僕が知るわけないだろう。さっさと追い払え、邪魔だ」
ひそひそと囁き合っていると、突然腕を引かれてスネイプから引き離される。ジェームズだ。驚いてジェームズを見上げれば、にこにこ笑いながらジェームズが言った。
「近い」
「え、あ……は、はい」
思わず返事をして我に返る。おそるおそる後退るとルーシーは再び探るようにジェームズを見た。
「あの……どうしたの?」
「何が?」
「だって……もう学校だし……」
「それが?」
「父さんも母さんもいないんだから……だから、えーと……」
もう関わらなくて良いよ――さすがに言い過ぎだろうか。言葉に詰まるルーシーにジェームズは数度瞬いて、そうしてまた笑った。
「関係ないよ」
「え」
「仲直り。するって決めたから、だから学校でもこうして話しかける。もっとルーシーのこと知りたいんだ」
ショックを受けるルーシーなどお構いなしに「またね」と手を振ったジェームズが友人たちの元へ戻って行く。シリウスは不満を隠しもしていなかったし、ルーピンとペティグリューは困惑を隠せていないようだった。けれど、一番戸惑っているのはルーシーで間違いないだろう。
「………………良かったじゃないか、仲直り出来て」
「怒るよ!? 助けてよ……!」
心の篭もらない声に振り返り縋り付けば、鬱陶しいと引き剥がされる。また近いと言われるぞ、なんてからかってくるスネイプの背に拳をお見舞いすると睨まれた。
「新手の嫌がらせだよ……! 私が上級生たちに酷いことされれば良いって思ってるんだよ……!」
呆れ顔のスネイプのローブを掴んで「どうしよう……!」と悲痛な声を上げる。きっと顔は青褪めているし、スネイプに縋る手も微かに震えていた。まさかこんな方法で嫌がらせをしてくるなんて夢にも思っていなかった。
「さっさと食べに行くぞ」
「待って! 離れないで……!」
「奴の言うことが事実なら、お前といると奴らが寄ってくるんだろう? 出来ることなら今すぐにでも離れたい」
「スネイプがいないと死んじゃう……!」
ぴたり。足を止めたスネイプの背後に隠れて必死に辺りを見回す。こんな朝っぱらから、しかも奥のテーブルには教師がずらりと並んでいるというのに、ルーシーは今この瞬間にも誰かが魔法をかけてくるのではないかと気が気ではなかった。それほどジェームズの言動に動揺していたのだ。
「いいか、ポッター」
振り返ったスネイプが無表情でルーシーを見下ろしてくる。昔はほとんど変わらなかったのに、今では見上げなければスネイプの顔が見えない。すっかり背が伸びてしまったスネイプを見上げていると、呆れと怒りを綯い交ぜたような声が降ってきた。
「お前は、少しは、頭を使え」
念を押すように強く言うスネイプに何度も頷いて。分かったからいなくならないで。放った言葉に対するスネイプからの返答は頭を鷲掴みながらの「何がどう分かったんだ?」という地を這うような声だった。
ルーシー・ポッターは疲れ切っていた。もう何度目か分からない溜息を漏らせば隣を歩くスネイプが舌打ちをする。ここ最近ずっと不機嫌な彼は、ルーシーが溜息をつくたびに舌打ちをしているような気がする。そうして言うのだ。
「さっさと何とかしろ」
「出来るのならとっくにしてるよ……」
「一体何がどうしてこんなことになってるんだ?」
「私が聞きたいよ……何でいきなり仲直りなんて……」
宣言した通りジェームズはルーシーの姿を見かければ声をかけるようになった。朝は「おはよう」と挨拶され、合同授業の時には「一緒に組もう」と誘ってくる。丁重にお断りすればジェームズは不満げにスネイプを見るけれど、それでも何も言わずにシリウス達の元へと戻って行く――スネイプは毎回顰め面で、そんなスネイプを見るルーシーの顔も情けないことこの上ない顔をしていることだろう。
「やっぱり嫌がらせとしか思えない……」
ただでさえ人狼という業を持つルーピンの心に大きな傷を残させたことに対する報復か、それともスネイプを孤立させる為の策略か――前者ならまだしも、後者が目的だとしたら相当タチが悪い。
新学期が始まってから半月。もう十分我慢したはずだ。すっかり見慣れたジェームズの笑顔を苦い気持ちで見たルーシーは、顰め面のスネイプに先に魔法薬学教室へ行くように言った。眉間の皺が更に濃くなったスネイプは、それでも何も言わずに歩いていった。遠ざかる背中からジェームズへと視線を戻して顰め面。向けられた表情にジェームズが不満げに眉を寄せた。
「どういうつもり?」
「何が?」
「こんな嫌がらせしないで」
「嫌がらせなんかじゃないよ。父さん達だって言ってたじゃないか、仲良くしてくれって」
「それなら家の中でだけそうすれば良いじゃん。スネイプへの嫌がらせなんて止めて」
「スネイプなんか関係ない!」
「嘘だよ。ジェームズはただスネイプに嫌がらせをしたいだけでしょう? リリーを引き離したから今度は私を引き離したいんだ」
「エヴァンズのことはあいつが悪いんじゃないか! あんな言い方をするからだ!」
「言わせたのはジェームズでしょう!?」
ジェームズの顔を見ていたくなくて背を向ける。こみ上げる怒りを溜息と同時に吐き出してルーシーは奥歯を噛みしめた。
早く教室に行かなければ。スネイプは先に鈍感薬を作ってくれているはずだ。ルーシーの薬なのだからちゃんと自分で作らないと――こんな不毛なやり取りなんてしている場合ではないのだ。
「……私、もう行くね」
「スネイプといるの止めろよ」
「私の薬を作るの手伝ってくれてるんだよ」
「僕が手伝えば良いだろ」
「いらない。スネイプの方が上手に作れるし……それに、何を入れられるか分かんないもん」
言い終わると同時に強く腕を掴まれた。強引に振り向かされた先でジェームズが怒りを露にこちらを睨んでいる。
「君は、僕が君の薬に何か入れると思ってるのか?」
「そう思われるようなことをしてきたんでしょう?」
自分と同じ顔と睨み合いながら思うのは、やっぱりジェームズとは仲良く出来ないということだった。同じ顔のハリーとは仲良くなれたのに。命を懸けて共に戦えるほどの仲になれたのに。放して。突き放すように言えば、顔を歪めたジェームズはそれでも何も言わずにルーシーを解放した。
いつの間にか人集りが出来ている。ルーシーは苦い気持ちで顔を背けた。どこか教室にでも入れば良かったと後悔していると、不意に「ルーシー」かけられる声た。驚いて顔を上げればずっと疎遠だった赤毛の友人が気遣わしげにこちらに歩み寄ってくる。リリー。呟くとリリーはちらりとジェームズに視線を向けてからルーシーに言った。
「ポッターは本当に貴方と仲直りがしたいって思ってるのよ」
「……本当にそう思ってるのなら、私に友達と離れろなんて言わないよ」
「本当よ。貴方のこと、とっても心配してるわ」
信じられなかった。あのリリーがジェームズを庇うなんて――違う、知っている。ルーシーは知っていた。だって二人は互いを想い合うようになって結婚するのだ。そうしてハリーが生まれるということをルーシーは知っている。それはつまりリリーがジェームズを好きになるということだ。分かっているのに信じられなかった。だって、あのリリーが。あんなに毛嫌いしていたジェームズを好きになる日なんて絶対に来ないと思うほどだったのに。
脳裏にスネイプの背中が蘇る。暗い教室の中で独りぼっちで立っていたスネイプの、今にも壊れてしまいそうな頼りない背中が。
「……どうして」
「え?」
「どうしてジェームズは良くてスネイプは駄目なの」
どうして。何で。だってスネイプはリリーのことを本気で想っているのに。ジェームズがリリーに対してだけ紳士的だったからだろうか。彼女の友人であるスネイプにあんな酷いことをしたのに。どうしてジェームズだけ。どうしてスネイプだけ。
「……彼は心を入れ替えてはくれないわ」
ぽつりと零すリリーは決してこちらを見ようとはしない。彼女はまだスネイプのこともルーシーのことも赦してはいないのだ。ただジェームズの為に仲を取り持とうとしているだけ。どうしてジェームズなんかの為に。彼はスネイプにもルーシーにも酷いことしかしなかったのに。
「ルーシー、今までのことは謝るよ。本当に……僕が悪かった。嫌な思いをさせてごめん……僕、本当に君と仲直りしたいんだ」
申し訳なさそうな表情で、声音で。ジェームズが切に訴えてくる。それすら信じたいと思えない自分が悪いのだろうか。
「…………私、髪を切ったらジェームズと本当にそっくりになるんだよ」
ジェームズの顔が強張る。震える唇を噛みしめて、拳を握りしめて。そうしてルーシーはジェームズに背を向けた。
「理由なんかどうだっていいよ」
スネイプがどういうつもりで傍にいてくれるかなんて、そんなことどうだっていい。だって一緒にいれば身の安全が確保されるのだ。自分が可愛くて何が悪い。傍にいて守ってくれて、一緒に勉強も出来て、他愛ない話で笑い合えて――セブルス・スネイプはルーシー・ポッターにとって必要な存在なのだ。スネイプしか頼れる者がいないとさえ思っている。
ジェームズはもう何も言わなかった。