校長室にて


スネイプが医務室を訪れたのは、マダム・ポンフリーが漸く翌日の退院を許可してくれた夜のことだった。
夕食を終えたスネイプが姿を現したのはルーシーはちょうど食後に与えられた苦い薬と戦っているところで、顰め面で薬を睨みつけるルーシーを見たスネイプは呆れたように「何をやってるんだ」と零した。

「苦いんだよ、これ」
「そうだろうな」

ぞんざいな返事と共にスツールに腰を下ろすスネイプがさっさと飲んでしまえと訴えてくる。ルーシーは観念してゴブレットを呷った。まずい。苦い。まずい。そんな幼稚な感想を述べれば「そうだろうな」とまた投げ遣りな返事が寄越された。それでも新しいコップに水を注いでくれるのはスネイプの優しさだろう。受け取った水を一気に飲み干しても口の中に残る苦味に顔を顰めたが、さすがに口直しのお菓子までは出て来なかった。

「明日退院していいって」
「そうか」
「うん」

ルーシーが黙ると沈黙が落ちる。スネイプは難しい顔でルーシーの手元のゴブレットをじっと見ていた。何を考えているのか何となく想像出来て笑みを漏らすと、そこで漸くスネイプがルーシーを見た。

「もっと早く反対呪文に取りかかれば良かったね」
「いい気味だ」
「でも、残るんでしょう?」

スネイプの顔が歪んだのをルーシーは見た。再び逸らされ彷徨った視線がルーシーの左肩をちらりと見たことに気付いて自分の失態を悟る。きっとスネイプもルーシーのことを聞いたのだろう――優しすぎる彼が気にしないはずがなかったのだ。
気にしてないよ。大丈夫だよ――そんな気休めを言ったところでスネイプの気が晴れるとは到底思えず黙り込んでいると、スネイプの方が重い口を開いた。

「…………どうして僕を庇ったりしたんだ」
「どうしてって言われても……」
「僕を庇わなければこんなことにはならなかった」
「だって……友達だから」

友達――そう、友達なのだ。スネイプは決して認めてはくれないだろうけれど。ルーシーだって認めていなかった。この学校で友人なんて作れないと思っていた。スネイプはただの勉強仲間だと思っていた。だがジェームズにスネイプのことを友人だと告げた時、自分でも驚くほどするりとその言葉が出たのだ。

「友達……? 僕とお前が?」
「わ、私が勝手に思ってるだけだけど……嫌かもしれないけど……でも、スネイプしかいないから……」

卑怯だと思った。そんなことを言えばスネイプがどう思うかなんて分かりきっているのに。だって彼は優しい人間だ。命がけで自分を庇った相手にそう言われれば拒絶なんか出来るはずがない。分かっていて、こんなことを言うなんて。

「…………何で泣くんだ」

戸惑いを含んだ声がぽつりと零す。ルーシーは首を振った。ごめんなさい。謝ったって何の意味もないことも分かっているのに。鼻をすすって涙を拭って。吐き出した息は酷く湿っていた。

「――、」
「完成させようよ」

躊躇いがちに口を開きかけたスネイプに言えば、虚を衝かれたスネイプが数拍遅れで「え?」と聞き返してくる。ルーシーは口早に先を続けた。

「やっぱりこのままじゃ使えないもん。反対呪文を完成させないと」
「あ、あぁ……そうだな」
「あと鈍感薬も作らなきゃ。三日前くらいから飲み始めた方が良いんだってさ。スネイプがいてくれて良かったよ、私一人じゃあんな複雑な薬作れないもん」
「……よく言う。僕の助けなんか必要ないじゃないか」
「でも助けてくれるんでしょう?」

スネイプは顰め面でふいとそっぽを向いた。けれどその後に紡がれるのは「借りを作ったままなのは嫌だからな」と承諾の言葉。ルーシーはへらりと笑った。

「何笑ってるんだ?」
「無事で良かったなと思って」

目を見開いて、また顔を顰めて。そんなスネイプに声を上げて笑うと途端に痛みを訴える肩に悲鳴を上げる。スネイプが呆れたようにルーシーを見た。

「前から思ってたが、お前は勉強は出来るが馬鹿だな」
「そ、そんなことないよ。馬鹿、じゃ……」

紡ぐ言葉が尻すぼみなっていく。こちらを見るスネイプの視線の所為だ。目は口ほどにものを言う。逃げるようにスネイプから顔を背けて、そうして何とか「馬鹿じゃない」と繰り返した声は酷くか細く頼りなかった。

翌日、漸く医務室を退院したルーシーはスネイプと共に魔法薬学の教室に来ていた。事情を報されていた寮監のスラグホーンはルーシーへの哀れみを隠しもしなかった。余命宣告を受けた病人を前にしたような態度に少しばかり胸が痛んだが、スネイプの手前それを表に出すことはしなかった。鈍感薬を作りたいのだと言えばスラグホーンはあっさり承諾してくれた。

「そういえば大丈夫だったの?」

準備をしながら尋ねるとスネイプが何がと聞き返してくる。

「スリザリンの点数。やっぱりたくさん減点されちゃった?」
「そうだな、結構言われた」
「そっか……ごめんね、スネイプ一人に嫌な思いさせちゃって」

自分も共に責められるべきだったと言えば、スネイプは呆れ顔でこちらを見た。けれど開きかけた口から言葉が出てくることはなく、代わりに溜息を一つ落とした彼は鍋に視線を落としながら「別に」素っ気なく言った。

「それに、グリフィンドールほどじゃない」
「あぁ……優勝杯は絶望的なんだってね」
「聞いたのか?」
「一回だけ来たから。いっぱい文句言われちゃった」
「だろうな」

気味の悪い材料たちを机に並べながらスネイプが相槌を打つ。ルーシーは肩を竦めて鍋に火をかけた。ジェームズと喧嘩をしたことを言うつもりはなかった。そんな話をされたところでスネイプも困るだろうし、顰め面になったスネイプを見ればこれ以上ジェームズの話題を出さない方が良いということはすぐに分かった。それに、ルーシー自身も今はジェームズのことを考えたくはなかった。




退院してから三日後、ルーシーはスネイプと共に校長室へ呼び出された。
初めての呼び出しに憂鬱な気持ちになりながら行くと、校長室の入り口を守るガーゴイル像の前にはマクゴナガルとスラグホーンが立っていた。その傍らにはルーシー達と同じく呼び出されたらしいジェームズ、シリウス、ルーピンの姿がある。ルーシーの溜息とスネイプの舌打ちが同時に零れて、二人は思わず互いを見た。何とも言えない顔のスネイプを見て思わず笑みを溢せば「笑うな」と怒られた。

「さっさと終わらせて戻るぞ。まだ途中だ」
「だから手順通りにやろうって言ったのに」
「自分だって最終的には僕の案に賛成したじゃないか」
「スネイプが頑固だから折れてあげたんだよ」
「なら最後まで折れてることだ。さっさと行くぞ」

足早に進むスネイプを慌てて追い駆けて。ほんと頑固。ぽつりと零したルーシーにはスネイプからの鋭い視線が飛んできた。
ジェームズもシリウスもルーシーとスネイプを見なかった。顰め面が二人の不機嫌さを如実に表していたが、ルーピンだけは俯いていてどんな顔をしているのかは分からなかった。

「校長がお待ちです。さぁ、行きますよ」

全員が揃ったことを確認したマクゴナガルがガーゴイル像に向けて合言葉を発する。レモン・キャンディーなんて合言葉にするのは魔法界を探してもダンブルドアだけだろうとルーシーは思った。
ガーゴイル像の背後に現れた螺旋階段を上って辿り着いた校長室にダンブルドアはいた。ルーシーの記憶通り校長室の壁には歴代の校長の肖像画がかけてあったが、今はみんな眠っているようだった。

「Miss ポッター、体の調子はどうかね?」

まさか一番最初に話しかけられるとは思わなかったルーシーは、数度目を瞬いてぎこちなく頷いた。

「は、はい、あの、元気です……」
「それは良かった。さぁ、君達もお座り」

促されるままにソファに座ろうとすると、隣のスネイプが呆れたような視線を向けてくる。勘弁してくれとルーシーは思った。幼稚な返答をしてしまったことに一番驚いているのは自分なのだ。

「さて、まずは今回のことについて確認をしよう。間違っている部分があれば訂正をしておくれ」

そう前置きをしてダンブルドアは今回のことについて順を追って話し出した。スネイプとルーシーがルーピンを疑い探っていたこと、それに気付いたシリウスがスネイプを唆したこと、スネイプとルーシーがルーピンの後を追ったこと、人狼に変身したルーピンを見つけたこと、逃げ切れずに追い駆けられたこと、ジェームズが助けに行ったこと、スネイプを庇ってルーシーが傷付けられたこと。
話し終えたダンブルドアは訂正する部分はあるかと問いかけたが、誰も何も言わなかった。テーブルの向こう側に座るジェームズとシリウスの顰め面とルーピンの青褪めた顔をちらりと見たルーシーは隣のスネイプへと視線を滑らせる。スネイプも不機嫌さを隠してはいなかった。

「よろしい。それならば、いくつか言わせて頂くことにしようかの。まず、Mr.ブラック」

シリウスが顔を歪めて唸った。

「既に自分がしたことの重大さを理解していることだろうが、敢えて同じことを言わせてもらおうかの。Mr.ブラック、君がしたことは到底許しがたいことじゃ。たとえ君にその気がなかったとしても、大切な友人の手を汚させようとした事実は変わらんよ」

何も言わないシリウスが拳を強く握りしめたのをルーシーは見た。ジェームズも難しい顔で膝の上で握りしめた拳に力を入れている。

「君への罰則は、友人達と話をすることじゃ。よーく話し合うといい。自分がしたこと、その結果がもたらしたこと……どうか、君が心から反省することを望む」

さて、次に。ダンブルドアはスネイプを見た。

「君がMr.ルーピンの秘密を探った理由は聞かずにおこう。だが、君を止めようと後を追ってくれたMiss ポッターの気持ちを蔑ろにした結果を重く受け止めるのじゃ」

ルーシーは驚いてスネイプを見たが、スネイプはルーシーを見なかった。ダンブルドアへ視線を戻せばダンブルドアは何も言わずに一度だけ瞬きをしてルーシーの名を呼んだ。

「君がしたことはとても勇敢で賞賛に値すべきことじゃ。だが、君は君自身をもっと大事にしなければならん。君が自分を犠牲にして庇ったことでMr.スネイプは怪我を負わずに済んだが、彼も、そしてMr.ルーピンも、この先ずっと君へ負い目を感じながら生きなければならないのだから」
「…………はい」

俯きスカートの裾をぎゅっと握りしめる。慰めるようにスラグホーンの太い手がルーシーの肩を優しく叩いた。

「Mr.ポッター、君は友人のしたことを聞いてすぐにわしに報せてくれた。おかげで被害は最小限に止められたと言えるじゃろう。Mr.スネイプとMiss ポッターを助けに行ったことも勇敢なことだった。今回、君は非常に正しい行動を取ったと言えるだろう」

だが。ダンブルドアの声が些か冷ややかになったことにルーシーは気付いた。

「君達は考えなければならん。何故、彼らがMr.ルーピンの秘密を暴こうとしたのか。優秀な彼らが何故このような愚かな行動を取ってしまったのか。何がそれほどまでに彼らを追い詰めたのか……君は、君達はよーく考えるべきじゃ」

沈黙。ルーシーはジェームズを見なかった。見たくなかった。視界に映るのは握りしめた自分の拳と、隣に座るスネイプの拳。強く握りしめられたスネイプの拳が微かに震えていることに気付いた時、何故だか無性に手を伸ばしたい衝動に駆られた。スネイプに寄り添って慰めの言葉でもかけてあげることが出来たら――そんなことをしたところでスネイプの傷が癒えないことは分かりきっているのに。リリーはスネイプの元へ戻ってきてはくれないのに。これから先、スネイプがリリーへの想いと強い後悔を抱えて生きていかなければならないのだと思うと堪らなかった。

「最後に、Mr.ルーピン。入学時、君はわしと一つの約束をした。満月の夜にはあの屋敷へ篭り、君の秘密を決して誰にも知られないようにすること――今回見事に破られてしまったわけじゃが」

視界の端に映るルーピンの体が大きく揺れた。顔を上げると青褪め震えるルーピンの姿がある。ルーシーは唇を噛みしめて再び俯いた。ごめんなさい、なんて言う資格があるわけがない。

「だが、今回のことは君一人では到底防ぎようのなかったことじゃ」
「ぼく、ぼくは……退学、ですか……?」
「いいや、君を退学にさせるつもりはない」
「でも! でも……っ」
「リーマス。Miss ポッターのことを言っているのなら、それは君が負うべきことではない」

きっぱりと言い放ったダンブルドアがジェームズ、シリウス、スネイプ、ルーシーを順に見た。それからまたルーピンへと視線を戻し、穏やかに微笑みかける。ルーピンの目に涙が溜まっていくのが見えた。

「わしが思うに、君達は互いをよく知るべきじゃ」

ダンブルドアのアイスブルーの目がジェームズとルーシーを捉えた。気まずさに顔を俯かせて体を揺らすと優しく微笑んだダンブルドアがシリウスとスネイプを呼ぶ。

「握手を交わすのじゃ」
「何ですって?」

思わずといった様子でスネイプが聞き返した。こっそり肘打ちをすれば隣から呻き声が上がる。ダンブルドアとマクゴナガルから視線で促された二人が渋々と歩み寄り握手を交わしたが、互いを見る目には嫌悪しか浮かんでいない。たとえ何度生まれ変わろうとこの二人が仲良くなることは絶対に有り得ないとさえ思った。
そんなことを考えていたからだろうか。にこやかに目を細めたダンブルドアが更に衝撃的な言葉を口にする。

「では、Mr.ポッターとMiss ポッター」

隣でスネイプが微かに笑ったのが分かった。ざまぁみろとでも言うかのようなそれに極々小さな舌打ちをしてルーシーはそっぽを向く。渋々と前に出たジェームズが顔を顰めたのが視界の端に映った。

「さぁ、ルーシー」

スラグホーンが促すがルーシーは動けない。だってジェームズと仲直りする気なんてないのだ。これまでのことを何一つ謝罪されていないのに水に流すなんて出来ないし、振りだろうと仲直りなんて出来やしない。

「どうしてもかね?」

ダンブルドアが優しく問いかけてきて、ルーシーは苦い気持ちでちらりとジェームズを見た。自分と同じ顔がまっすぐにこちらを見ている。視線を落とせばこちらに差し出された手。その瞬間、ルーシーの脳裏にあの時の出来事が蘇った。こちらに向けて伸ばされた腕と、その後のこと――ルーシーは咄嗟に顔を背けた。心臓の音が煩い。こみ上げる吐き気に蹲ると誰かが舌打ちをしたのが聞こえた。大方シリウスあたりだろう。

「すみませんが、具合が悪いようなので今日は帰らせてください」

口早に言ったスネイプがルーシーの腕を掴んで立ち上がらせてくれる。

「行くぞ」

促されるままルーシーはスネイプと共に校長室を後にした。

18.代償