狡い少女


夏休みの間、ルーシーは一日の大半を近所の図書館で過ごした。
夏休みが始まって一週間ほどでシリウスが家に転がり込んで来たので、家から離れざるを得なくなってしまったのだ。ブラックが自分の家を嫌っていたことは知っていたが、まさか家出してしまうとは。そう言えばずっと昔にそんなことを聞いたことがあるような無いような――どうでも良いが、年頃の女がいるのだから気軽に転がり込んで来るのはどうかと思う。両親も最初はあまりいい顔をしていなかったが、ジェームズの懇願とシリウスがどれだけブラック家を忌避しているのかを訴えたことでついには了承してしまった。その際、それでも構わないかと尋ねられたが、あの状況で断れるはずもない。分かってて訴えるジェームズとシリウスに対する評価は、OWL試験最終日からだだ下がりである。

ルーシーにとっては残念なことに、シリウスの方はジェームズと一緒に我が物顔で家の中を歩き回るのだ。こちらが遠慮しているのだから少しくらい遠慮したっていいものを、ルーシーより自分の方が上だと考えているのか、俺は好きにやるからお前が出て行けというスタンスを隠しもしない。さすがに両親の前ではそれをしないから――いっそしてくれと思った――ルーシーも嫌だという素振りを隠して彼らと共に食事を摂らなければなかった。

左腕の傷は魔法薬を用いても癒やすことは出来なかった。当然だ。反対呪文でのみ癒やすことの出来る呪文なのだから。ぱっくり裂けた傷は考案中の反対呪文で何とか傷を塞いだものの、完全に痕を消し去ることは出来なかった。スネイプと共に考案している真っ最中だったが、これではまだ完璧とは言いがたい。試行錯誤が必要だなと己の左腕に残った焦げたような傷跡を見ながら思った。
この傷痕を両親が見れば酷く心配するだろうからと肘まで隠れる服を着ているが、やはりというか真夏に袖の長いものを着る娘を訝しんだ両親からどうしたのかと尋ねられたこともある。腕の太さが気になるのだと誤魔化したが、これは意外にいい返し方だったと思っている。

朝から図書館に篭っていれば宿題などすぐに終わってしまう。夏休み開始から二週間経つ頃には宿題を終えてしまい、それからは図書館に置いてある本を適当に選んで読むだけの日々を過ごしている。様々なジャンルに手を伸ばしてみたが、物語が一番いいなとルーシーは思った。読めば読むほど物語の世界にのめり込んでいけるし、その間は他のことを考えることもない。昼食を食べ忘れて気付けば夕方になっていたというのも三日に一回はあったし、読み終わらなかった時には本をレンタルして部屋に閉じ篭って読み耽った。ジェームズにもシリウスにも会わずに済む理由が出来たことに安堵していた。
両親はそんなルーシーを心配していたが、本の続きが気になって仕方がないのだと言えば「誰に似たのだろうね」と苦笑して止めることはしなかった。良くも悪くも、彼らは自分たちの子どもに甘すぎたのだろう。彼らに叱られた記憶など殆どない。優しくて大好きな両親ではあるけれど、かつて子や孫を持った経験のある身としては複雑である。

OWL試験の結果がふくろう便で送られてきた夜、ポッター家ではささやかなパーティが催された。殆どの教科で『優:大いによろしい』の評価を得ることが出来たが、ルーン文字学だけは『可:まあまあ』だった。二度目ということで好成績を修めているルーシーだが、初めての教科ではこんなものである。ジェームズとシリウスも優秀な成績を修めていたらしく、両親が大喜びで褒めていた。

スネイプはどうだっただろうかと考えてルーシーは溜息を落とした。あの日以来スネイプとは口を利かないまま夏休みになってしまった。新学期になれば彼は何もなかったかのように接してくれるだろうか――そんなことあるわけないと知っていながらも、どうかそうであって欲しいと願ってしまうのは、彼と共に過ごした時間がルーシーにとって優しい時間だったからだ。

ぽんぽんと互いに軽口を言い合っていた時の、スネイプの微かに笑んだあの顔をもう一度見ることが出来たらどんなに良いだろうか。もう二度と見ることが叶わないと予感してルーシーは一人静かに頬を濡らした。




九月一日がやってきた。
キングズ・クロス駅でスネイプと会うことはなかった。遠目にリリーの赤毛を見つけたけれど、声をかける勇気はなかった。両親に別れを告げて列車に乗り込む頃には独りぼっちで、人気のないコンパートメントに滑り込むと早々に制服に着替えて眠ってしまうことにした。

大広間で見つけたスネイプの姿は記憶の中のそれと変わらなかった。ずっと見つめていたからか、不意にこちらを向いたスネイプと偶然目が合ったけれど、スネイプはルーシーのことなど気にも留めずに顔を背けてしまった。その瞬間、心臓が止まってしまったかと思った。いつの間にか指先はすっかり冷え切っていて、血を巡る感覚だけがはっきりしていて煩わしささえ覚えた。食事など喉を通るはずもなかった。

ルーシー・ポッターがスネイプと行動を共にしていたことは誰もが知っていることだった。そして、スネイプがジェームズとシリウスと諍いを起こしたあの日の出来事も誰もが知っていた。だからルーシーがスネイプと行動を共にしなくなったことに噂をする者はいなかった。もしかしたらルーシーの知らない所でひそひそと話していたのかもしれないが、友人のいないルーシーの耳にそれが入ることはなかった。

一緒にいてくれる人がいた。これからも一緒にいたいと思っていた。リリーも、スネイプも。けれど今ルーシーは一人ぼっちだ。仲良くなりたかったのに。

屈託なく笑いかけてくれるリリーが好きだった。
ジェームズと同じ顔を嫌っているくせに、ルーシーと一緒にいてくれるスネイプが好きだった。

好きだったのだ。スリザリンだからと忌避せずに一緒にいてくれた。一人ぼっちだったルーシーに笑いかけてくれた。話しかけてくれた。上級生から助けてくれた。呪文を教え合い、新たな魔法を作り、共に魔法薬の研究をしてくれた。大切な勉強仲間だった。
リリー・エヴァンズとセブルス・スネイプは、ルーシー・ポッターにとってこの上なく大きな存在だった。

どうしてこうなってしまったのだろう。あの日からずっと考えているが分からなかった。
物語を読み耽って忘れようとしても、主人公の傍らに在る友人の存在に彼らを思い出さずにはいられなかった。悲しくて、悲しくて、それでもどうしようもないことを理解しているからこそ苦しかった。
こんなことなら、最初からずっと一人ぼっちでいれば――いいや、そんなのは耐えられない。あの優しい時間をなかったことになど出来やしない。苦しくて、悲しくて、辛くて、ルーシーは毎晩枕を濡らし続けた。

ルーシー・ポッターは独りぼっちだった。
兄でありスリザリンの敵でもあるジェームズ・ポッターの妹であることは周知の事実で、ジェームズによって害を被ったスリザリン生たちからすれば、無口で無愛想で孤立したルーシーなど「ジェームズの代わり」でしかない。それはルーシーが四年生だった頃に証明されている。

ルーシー・ポッターは独りぼっちだった。
これまで傍らで守り続けてくれていたスネイプはもういない。彼はルーシーを「勉強仲間のルーシー・ポッター」ではなく「大嫌いなジェームズ・ポッターの妹」と見なしたのだ。彼の中にもうルーシーはいない。
スネイプの守護がなくなった今、上級生たちが「ジェームズ・ポッターの妹」を放っておく理由もなくなってしまった。

「しょうがないだろう? だって、お前はポッターなんだから」

おおよそ同じ寮生に向けるべきではない眼差しで、彼らは兄を恨めと言った。
ジェームズは一体彼らに何をしたのだろう。妹は所詮他人だ。本人にはなりえない。それなのにルーシーがこんなにも酷い仕打ちを受けなければならないほどのことをジェームズは彼らにしたのだろうか。朦朧とする意識の中でルーシーはそんなことをぼんやりと思った。

「スネイプから離れるべきじゃなかったんだよ」

上級生たちがいなくなった教室でマルシベールが言った。最初から最後まで教室の隅でただ眺めていた彼は、自分とルーシーだけしかいなくなった時に初めて口を開いた。そうして紡がれるのはスネイプのことだ。

「どんな方法でもいいからご機嫌取りをするべきだった。そうすれば、こんな目に遭わずに済んだだろうに」

これでも同情しているのだとマルシベールは言った。

「ポッター家は気に食わないが、それでも同じ寮だからな。スリザリンに組み分けられる資質があったわけだし……それに、君はスリザリンに貢献してくれている。君のお陰で随分と点数を稼がせてもらってるんだ。だからスネイプの後ろに隠れてあの人達をやり過ごしてもらいたかった」

まぁ、無理だったんだろうな。マルシベールは続けた。

「だって、君はポッターだから」

ポッターだから。スネイプが心底嫌っているジェームズの妹だから。双子だから。同じ顔だから。これまでが奇跡だったのだとマルシベールは言う。無感動にルーシーを見下ろしながら、事実だけを淡々と。

「医務室に連れて行くのは都合が悪い。分かるだろう? スネイプから薬をもらってきた――あぁ、心配しなくてもあいつは何も知らないさ。闇の呪文を練習する時に怪我をするかもしれないから作ってくれと言ったらあっさりくれたよ」

傷を負った箇所に薬を塗り込みながらマルシベールは話を続けた。ルーシーの返事など求めてはいないようで、彼は最初から最後まで一人で話をしていた。傷を癒し、魔法であちこち破けた服を直し終えたところでマルシベールは初めて僅かに表情を変えた。

「その髪、割と気に入ってたんだけどな」

よりジェームズに似せる為だろう、肩より長かったルーシーの髪は兄と同じように短くなっていた。あちこちに散らばる黒髪を杖を一振りすることで消し去ると、マルシベールはルーシーに杖先を向けた。

「歳の離れた妹がいてね。お転婆で自分の髪を切ってしまったことがある。おかげで髪を伸ばす呪文は心得ているんだ」

言い終わらない内に光が零れ、ルーシーの毛先がうねりだした。ゆっくりゆっくりと伸びていったそれは、元の長さまで伸びるとぴたり動きを止める。指先に触れる毛の感触にルーシーはそっと目を伏せた

「僕に出来るのはここまでだ。あの人達を訴えることも勿論出来るが……おすすめはしないよ」
「…………また、おなじことがおきる」
「驚いた。君、スネイプ以外の奴と話せたのか」

わざとらしく驚いてみせたマルシベールが薄く笑った。床に横たわったままのルーシーに背を向けた彼は、振り返ることもなく教室を出て行った。残されたルーシーはただぼんやりと虚空を見る。マルシベールは否定しなかった。このままだと同じことが何度となく繰り返されるのだろう。未だあちこち痛みを訴える体を起こすと呻き声が漏れた。表面の傷が治ったところで内側の傷は何も変わらないのだ。口の中に広がる鉄の味に顔を歪めたルーシーは、やっとの思いで立ち上がるとのろのろと教室を出た。

階段を上って、上って、また上って。痛む体に顔を歪めながら何とか八階まで辿り着くと、目的の場所へ向かって足を進めた。必要の部屋だ。あそこなら誰にも会わなくて済む。今は誰にも会いたくなかった。

神様は何て意地悪なのだろう――もう何度同じことを考えただろうか。
幸せな終わりを迎えたはずなのに、こんな地獄が待っているなんて。記憶を持って生まれ変わっただけでも酷いのに、ジェームズと寮を離され、嫌われ、スリザリン生からも嫌われて。スネイプはもういない。リリーもいない。ひとりぼっちで、ジェームズの代わりに傷付けられて――私が何をしたっていうの。震える声で呟いたルーシーは目の前に佇む人物を見てとうとう涙を溢れさせた。

「………………具合が悪いなら、医務室に行け」

一瞬かち合った目はもう合わない。決してこちらを見ないようにと顔を背けたスネイプは、けれど拒みきれずにルーシーにそう言った。それがどれだけルーシーを傷付けるかも知らずに。

「ほ、ほっといて……」

吐き出した声は震えていた。スネイプは何も言わなかった。ルーシーに背を向けて歩きだす背中が離れていく――遠く、遠くに。

「わ、わたしを……っ、ジェームズの妹としてしか見れないなら、どうして助けたの……っ!」

遠ざかるスネイプが立ち止まる。けれどこちらを向くことはない。あの時は助けてくれたくせに。一緒にいてくれたくせに。笑ってくれたくせに。少しくらいは楽しいと思っていてくれたくせに。

「こんなことなら助けてなんかほしくなかった……っ、どうせ同じことになるなら、あの時の方が良かった……っ!!」

どうせ傷付けられることになるのなら。人を人とも思わない仕打ちを受けることになるのなら、誰かの温かさを知らないままの頃が良かった。孤独だったあの頃なら、きっと今よりずっと苦しくなかったはずだ。
涙で滲んだ視界ではスネイプがどうしたのかルーシーには分からなかった。そこにいるのか、行ってしまったのか――ただ分かるのは、ルーシーがスネイプを傷付けたということだけだ。こんなこと言ってはならないのに。ジェームズの所為で苦しんでいるスネイプに追い打ちをかけるような真似をするなんて――分かっているのにルーシーの口は止まらなかった。
何て身勝手なのだろう。ジェームズだけではない。自分も同じだとルーシーは思った。ポッターはセブルス・スネイプを傷付ける最低な一族だとさえ思った。

「…………悪かった」

いつの間にか近くへ戻ってきていたスネイプが発したのは謝罪の言葉。ルーシーは更に泣いた。そうすればするほどスネイプを追い詰めるだけだと分かっているのに止まらなかった。腕を引かれて連れて行かれた必要の部屋で、促されるままソファに座るとブランケットに包まれた。「悪かった」「傍にいる」と拙い様子でスネイプがぽつぽつと言葉を寄越してくれる。悲しくて、苦しくて、申し訳なくて、それでも嬉しいと思ってしまう自分は最低だとルーシーは思った。

「マ、マルシベールが、てあて、してくれたの」
「……そうか」
「くすり、ぬってくれて……かみも伸ばしてくれた……それで、医務室は行かないほうがいい、って……」

震えが止まらない自分の体を抱きしめて紡ぐルーシーを、スネイプはどんな気持ちで見つめているのだろうか。相変わらず視界は最悪で、ただそれでもスネイプがどんな顔をしているのかだけは分かった。見なくても分かる。分かるほど近くにいたのだ。いっそ分からないままでいれば良かったと思ってやれない狡い自分が情けないほど惨めだった。

15.エゴイスト