エゴイスト


「次はこれだ」

押し潰したネズミの脾臓に嫌そうな顔をしたルーシーは、それでも何も言わずに鍋へと入れた。途端に変化する様子を具に書き込みながら、スネイプはちらりと隣のルーシーを盗み見る。強烈な臭いに対してか、それともこれまでに入れた材料に対してかは分からないが、何とも言えない顔で鍋をじっと見つめていた。

「これ、飲みたくない……」
「そうだな」

肯定すると隣でルーシーが小さく笑った。おたまで鍋をかき混ぜるルーシーに「右に三回、左に六回だ」と回数を指定すると了承の返事が寄越される。鍋の中の液体はスネイプの家があるスピナーズ・エンドの工場から排出される汚水とよく似た色をしているとスネイプは思った。

一通りの作業を終えたスネイプとルーシーは必要の部屋へ移動し、先ほどの調合についてああでもないこうでもないと議論を重ねていた。次はあれを入れてみよう、ここを変えてみよう――案はいくつでも出るが、如何せん時間が足りない。途方もないと先に匙を投げたのはルーシーの方で、ソファに身を沈めた彼女はクッションを抱きしめると呻き声を上げた。

「つかれた……」

彼女曰く「勉強しすぎると頭が痛くなる」らしいが、喜ばしいことにスネイプにはその感覚が分からない。ただ単に勉強が嫌いなだけではないのかと指摘するとまた呻き声が返ってきたので、おそらくそれで間違いないだろう。

あの日から二週間、スネイプは再びルーシー・ポッターと行動を共にしている。再び行動を共にするようになったのを知った上級生たちはつまらなさそうな顔をしていたし、マルシベールは「お人好しだな、スネイプは」と呆れたように笑っていた。

”自己防衛とはいえ、中々どうして。あれも立派にスリザリンじゃないか”

そう思わないかとの問いかけに肯定も否定もしなかったスネイプだが、マルシベールの意見には概ね同意している。あの時ルーシーが泣きながら訴えたのは自分の身を守るためだ。あのように言えばスネイプが断れないことを彼女は知っていたのだろうとスネイプは思う。分かっていてまんまと乗せられている自分も大概だが、それでも彼女は紛れもなくスリザリン気質であることをスネイプは知っていた。

ふざけるなと怒鳴ってやれば良かったのかもしれない。ルーシーの事情なんてスネイプには何の関係もないことだ。どうしたってこの顔は大嫌いだし、一緒にいれば憎い男を嫌でも思い出してしまう。あの時のことはきっと一生忘れることなど出来ないだろう――あの時失ってしまったものは、スネイプにとって大きすぎたのだ。

それでもスネイプはルーシー・ポッターと共にいる。中途半端に手を差し伸べてしまった責任感や、その所為で彼女がより大きな傷を負ってしまったことも勿論理由の一つではあるが、最大の理由はとてもシンプルだ。役に立つのだ、ルーシー・ポッターという人間は。勉強も実技も優れていて得るものは多かったし、闇の魔術を共に学ぶのも悪くはなかった。ルーシー・ポッターがスネイプにとって有用な存在であったからこそ、再びこうして共にいる。
友人などではない。ただ互いの利益の為に一緒にいるだけだ――そう思わなければやってられるかと心の内で呟いてスネイプはびっしり書き込んだ羊皮紙をテーブルに放った。

再び行動を共にするようになってからひと月ほど経ったある朝、いつものように談話室でルーシーを待っていたスネイプは数分もせずにやって来たルーシーを見て眉を顰めた。

「……風邪でも引いたのか?」

鼻の上まで覆い隠す白い布は紛れもなくマスクで、はて、ここ最近体調が悪い素振りを見せていただろうかと思いを馳せるが心当たりは特にない。足早に談話室を後にして広間へ向かいながら、スネイプはここ最近のルーシーの様子を思い出していた。昨日もいつも通り元気だったし、やはり特に変わった様子は見当たらなかった。それならば何故こんなものを――訝しげに見た先で、ルーシーは唯一見える榛の目を輝かせた。

「あのね、凄く良いこと思いついたの」
「良いこと?」
「ほら、これなら顔見えないよ」

マスクに大半を隠された己の顔を指すルーシーは自慢げで、だからこそスネイプはすぐに二の句を告げることは出来なかった。こいつは何を言っているのかと考える間もルーシーは「もっと早くこうすれば良かった」と己の発案をべた褒めだ。

「…………食事の時はどうするんだ?」
「あ」

全く気付いていなかったとその声が言っている。スネイプは呆れ果てて大きな溜息をついた。こいつは確か学年で一番の秀才ではなかっただろうか。

「で、でも! その時だけだし! 普段は隠しとけば顔なんて分からないし! これなら私といても嫌じゃないかなーなんて……だから、その……」
「今すぐそれを取れ」

言いながら顔を覆い隠す真っ白な布を剥ぎ取ってやれば、当然だがこの世で最も嫌いな顔がそこにある。無意識に顔を顰めていたのか、情けない顔をしたルーシーが「ほら、やっぱり嫌なんじゃん」とぼやきながらスネイプの手からマスクを取り返した。

「条件反射だ」
「唯一の話し相手に条件反射で顔を顰められる私の身にもなってよ……」
「同情してやるが、それを言うなら僕だって四六時中一緒にいる奴が大嫌いな顔をしているんだぞ」
「それなら、やっぱり隠しとけば解決すると思わない?」
「逃げるみたいで嫌だ」

ぴしゃりと言ってやれば、きょとんと目を瞬いたルーシーが笑った。負けず嫌い。放たれた言葉にスネイプは鼻を鳴らすことで応えると、取り出した杖でルーシーの手の中のマスクを消し去ってやった。




セブルス・スネイプはグリフィンドールが大嫌いだ。とりわけ、ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックが大嫌いだ。彼らの姿が見えずとも声が聞こえてくれば苛々するし、名前を目にするだけでも憎しみがこみ上げてくる。どうにかして彼らをホグワーツから追い出せないか――初めてそう考えたのは一年の頃で、六年目の今でも考えは変わっていない。決定的な証拠さえ出してくれればすぐにでも退学へ追い込んでやると考えている。
ルーシーはそんなスネイプに「無茶はしないでね」と言いながらも止めはしなかった。止められたとしても聞くようなスネイプではないが、それでも自分の考えを否定されないというのは悪くない。

そして今、スネイプは一人の男子生徒に目をつけていた。

「ルーピン?」
「あぁ。よく姿を消しているだろう」

いつものように必要の部屋で宿題をしている時に話を切り出してみれば、ルーシーは僅かに眉根を寄せてスネイプを見た。戸惑っているようにも見えたが、スネイプは構わずに「何か理由があるはずだ」と続ける。

「でも……でも、確かそれはお母さんが病弱で家に帰ってるんじゃなかったっけ?」
「まさか信じてるのか?」
「だって、帰る時はマクゴナガルがいつも付き添ってるんでしょう?」
「上手く騙してるのかもしれない。考えてもみろ、先月も先々月も……一年の頃からずっとだ。そんなに具合が悪いならどうして入院しないんだ? それに、母親よりもルーピン自身が具合悪そうじゃないか」
「それは……そうだけど……」

歯切れ悪くも同意するルーシーにスネイプは意気込んで言った。

「絶対に何かある。突き止めてやるんだ」
「それも良いけどさ、反対呪文の方もちゃんと手伝ってよね。まだ完璧じゃないんだから……」
「分かってるさ」

返事をしながらもスネイプの頭の中はルーピンのことでいっぱいだった。
何か意味があるはずだ。寮監のマクゴナガルを巻き込んでまで隠したい何かがあるのなら、それはきっとスネイプの予想もつかないようなとてつもない秘密であるはずだ。

絶対に突き止めてみせる――躍起になって詮索したことを後悔することになるとも知らず、スネイプは昏く笑った。

16.狼人間