優しい人


ルーシー・ポッターと行動を共にするようになってから二週間。最初こそ自分以外の誰かがいる事に違和感を覚えていたスネイプだが、一週間も経てばこの生活が自分にとって有意義なものであると気付いた。何しろ、ルーシー・ポッターという女子生徒は優秀なのだ。”ポッター”へ反感を抱くスネイプとしても認めざるを得ない。三年連続で学年一位の成績を修める彼女を優秀ではないなど、成績で劣るスネイプには言えるはずもなかった。

スネイプとルーシーは放課後の空いた時間のほぼ全てを図書室と魔法薬学教室で過ごした。
彼女と共に宿題をするようになって気づいたのだが、どうやら彼女はスネイプよりも遥かに早く宿題を終わらせる事が出来るらしい。スネイプ自身、有用な本さえ見つかってくれれば然程時間がかからず終わらせる事が出来るが、その本を見つけるのに時間がかかるのだ。
それなのに、スネイプがどの本が良いだろうかと選別している横で、ルーシーがあっさり目当ての本を見つけてしまうのだから不思議だ。

「どうして分かるんだ?」

思わずそう尋ねた時、ルーシーは驚いた顔をしてから困ったように視線を泳がせた。そして小さな声で返ってきたのは「ずっと図書室にいたから」と納得出来るような出来ないような微妙なものだった。自分だって彼女に負けず劣らず図書室に入り浸っている自信がある。どうせ嘘をつくならもっとマシなものにすれば良いのにと思ったが、スネイプは追求する事はせず「そうか」と返した。
宿題に費やす時間はこれまでよりずっと短くなった。代わりに魔法薬学や他の教科の勉強に充てる時間が増えたのは喜ばしい事だろう。悔しいが彼女がスネイプより優秀で多くを知っている事は明白で、スネイプは彼女からいくつかの呪文を教わったりもした。

「スネイプはすごいね」
「嫌味か」

いくら二時間で呼び寄せ呪文をマスターしてみせたからって、とっくにこの呪文をマスターしているルーシーに「すごい」と言われた所で嬉しくなどない。嫌な奴だと顔を顰めながら言葉を返したスネイプの目に飛び込んだのは、心からそう思っているように見えるルーシーの姿。何だこいつは。

「……調子が狂う」
「何か言った?」

首を傾げるルーシーに首を振り、スネイプは悔し紛れに武装解除の呪文を放った。スネイプのそれよりも小さな手からするりと抜け出た杖が宙に放物線を描いて手の中に収まると、スネイプは満足気に口端を上げた。

「あっ! つ、杖かえして……」
「そんなんじゃ、今度また上級生達に囲まれた時に逃げられないぞ」

奪い取った杖をプラプラさせながら少しばかり意地悪な言葉を吐いてやれば、情けなく眉を下げたルーシーが恨めしげにこちらを見上げて手を差し出してくる。杖を返してやれば唇を尖らせたルーシーが呼び寄せたクッションを全て箱の中に戻した。

「いじわる」

子どもじみた呟きを漏らして扉へ向かう背中を見つめながら、スネイプは難しい顔で頭を掻いた。たった二週間でルーシー・ポッターという人間の印象がガラリと変わってしまったように思える。
口数が少なくて表情も殆ど変わらない彼女はスリザリンだけでなく他寮の者からも「不気味」だと言われていた。兄のジェームズが口達者で笑顔の絶えない人間だから余計にそう感じるのだろう。
けれど、実際に話してみると彼女は別に口数が少ないわけではなかったし、表情だってころころ変わっているように見える。ただ単にそれを向ける相手がいなかっただけなのだと、スネイプを呼ぶルーシーを眺めながらスネイプは思った。

「行かないの?」

首を傾げるルーシーに首を振って足を進めながら、スネイプはどうしたものかと思案する。
彼女と行動を共にするに至った経緯を思い出せばこれで良かったのだろうと思う。宿題は早く終わるし、彼女のおかげでいくつかの呪文だって覚えた。
自分ばかりがいい思いをしている――スネイプは小さく溜息を漏らした。ルーシーの方だって上級生から絡まれずに済むのだから良いではないかと自分に言い聞かせているのだが、やはり嫌だと思う。
何しろ、自分ばかりがいい思いをしているという事は、彼女よりスネイプが遥かに劣っているという事だからだ。どうせなら、こちらも新しい呪文などを教えてやれればまだ良かったのに。彼女に教えてやれる事が何もないという事実がまた悔しい。

不意にスネイプは足を止めた。気づいたルーシーもすぐに足を止めてスネイプを見る。僅かに首を傾げてこちらを見るルーシーに、スネイプはたった今頭に浮かんだそれに緩みそうになる口元を隠した。

「スネイプ?」
「あー……ごほん」

そうだ、そうだった。あるではないか。自分が彼女に教えてあげられる魔法。おそらく彼女が知らないであろう魔法。

「どうしたの?」
「闇の魔術に興味はあるか?」

問いかけたスネイプはルーシーが頷くと思っていた。兄があんなのでも彼女はスリザリン。つまりスネイプと同じ人種だという事だ。闇の魔術に興味がないはずがない。公的に禁じられてはいるが、素晴らしい魔法だってたくさんある。
けれど、ルーシーはすぐに言った。

「ないよ」

それはスネイプの思惑から丸っきり外れた答えで、一瞬何を言われたのか分からなかったスネイプはすぐに顔を顰めてルーシーを睨む。目の前に立つ彼女はただこちらを見つめているだけだというのに、相手を見下し嘲る兄の目と重なって見えた。

「どうして」
「スネイプこそ、いきなりどうしたの?」
「お前が知らないだけで、素晴らしい魔法だってたくさんある」
「それでも、私はいい」

首を振ったルーシーが困ったように見てくるが、スネイプはもうルーシーを見ようとはしなかった。同じ寮のくせに。スリザリンのくせに。あの兄とは違うと思ったのに、”ポッター”である事に変わりはないという事か。鼻を鳴らして、腕を組んで。
スネイプは脳裏に浮かんだ幼馴染の顰め面を思い出して苦い気持ちになった。リリーはスネイプが闇の魔術を使う事を喜ばない。どうしてと聞いても「いけない魔法なのよ!」としか言わない。スネイプがそれを好いているのだから、少しくらい理解してくれたって良いではないか。

「お前もそっち側か」
「そっち?」
「僕に”止めろ”って言うのか?」
「言わないよ」
「はっ、どうだか」

嘲笑って、吐き捨てて。スネイプは寮に向けて歩き出した。慌てて後を追ってくるルーシーが鬱陶しく思えてならない。

「ついて来るな」

ルーシーが足を止めたのが気配で分かったけれど、スネイプは振り返らずに談話室へ戻っていった。
ここ最近、素通りするばかりになっていた談話室に留まりソファに腰を下ろす。図書室で借りてきた本をいささか乱暴にテーブルに置くと、近くにいた下級生がびくびくしながらこちらを見た。

「ご機嫌ななめだな、スネイプ」
「マルシベール」

向かいのソファに座ったマルシベールの愉しげな顔に舌打ちをして、スネイプは本を開いた。ちらりと出口の方を見たけれど彼女はまだ戻って来ない。

「今日は一緒じゃないのか」
「いつも一緒にいるわけじゃない」
「いつも一緒にいるじゃないか。トイレの時はどうしてるんだ?」

軽口を叩くマルシベールを睨みつけて本に視線を落としたけれど、苛立ちの所為か内容が頭に入ってこない。それもこれも全部ルーシーの所為だ。せっかくスネイプが自分の知っている魔法を教えてやろうとしたのに。対等になれると思ったのに、自分ばかりが優位に立っているのが嬉しいのか、彼女はスネイプに教えを請おうとはしなかった。

「さっき兄の方を見かけたんだが、お前の言う通りだったよ」
「何がだ」
「兄貴の方も随分とご機嫌ななめだった。自分と同じ顔がお前の隣にいるのが気に入らないらしい」
「あぁ……まぁ、そうだろうな」

この二週間ジェームズ・ポッターからの険しい視線が送られている事にはもちろん気づいていた。ルーシーも気づいているらしく、視線から逃げ切った後に微かに安堵の息を漏らしていたのを知っている。そろそろ痺れを切らして突っかかってくるのではないかと考えていたが、今のところは無事だ。

「もし俺が双子で、片割れがグリフィンドールでポッター達と仲良くしてたら……考えただけでぞっとするよ」

くつくつ笑うマルシベールをちらりと盗み見て、スネイプは再び談話室の入り口へと視線を向ける。まだ帰ってこない彼女は、もしかしたら双子の兄に絡まれているのではないだろうか。攻撃こそされるとは思えないけれど、それでも鉢合わせれば文句の一つや二つは言われるに決まっている。

未だに寮に戻って来ないのはもしかして、双子の兄に出会してしまったからではないだろうか。それとも、まさかまたあの時のように上級生に絡まれてしまったのかもしれない――スネイプの中に小さな罪悪感と焦燥が生まれ始めた。
違う、僕の所為じゃない。自分に言い聞かせてみても、もう無視できない所まできてしまっている。

「あぁ、くそっ」

吐き捨てながら立ち上がったスネイプは足早に出口へと向かう。

「放っておけばいいのに」

損な奴。マルシベールの独り言かも分からない声を背中に受けながら、スネイプは寮の外へと出た。念の為にと空き教室を見て回ったけれど、何組かの上級生の逢瀬に出会してしまっただけで目的の彼女の姿は見つけられない。図書室と医務室を覗き、最後にやって来た魔法薬学の教室でスネイプは漸くルーシーを見つけた。

「どうしたの?」

勢いよく戸を開けてしまったからだろう、目を丸くしながら尋ねられて苛立ちが募る。

「誰の所為だと思ってる」

吐き捨てると困惑の視線が返ってきた。じとりと汗ばむ背中に舌打ちをして彼女に歩み寄れば、ぐつぐつ煮立つ鍋から何とも言えない臭いが漂ってきた。思わず鼻と口を押さえると「失敗しちゃった」と彼女が苦く笑った。

「さっきの話だけど、やっぱり教えてくれる?」
「興味ないんじゃなかったのか」
「使いたいとは思わないよ。けど、知っていれば対処の仕方も分かるんじゃないかと思って……あの人達はたくさん知ってるから」

ぽそりと小さく落とされた台詞に顔を歪めて、スネイプはルーシーから顔を背けた。
だから”ポッター”は嫌いなんだ。ただ一言口にすれば良いだけではないか。

”助けて”

そう言えばいい。自分ではどうしようも出来ないから助けて欲しいと、彼らが怖いから助けて欲しいと、そう言って縋ってくればいい。何の為にスネイプがここにいると思っているのだ。確かにさっきは苛立って彼女を放って行ってしまったけれど、それだって彼女が「行かないで」と言えば良かっただけの話だ。突き放したのはスネイプだけど、引き止めなかったのは彼女だ。

スネイプの不満気な顔に気付いたらしいルーシーが、眉と共に肩を落とす。ごめんなさい。小さく放たれた謝罪の言葉が何に対してのものなのかも分からないのに、受け取れるはずもない。

「何で嫌なんだ? ”邪悪だから”か?」

ここ最近の赤毛の幼馴染の口癖を言えば、それを知ってか知らずかルーシーが苦く笑い首を振る。

「闇の魔術だからってわけじゃないよ。例えば、箒も魔法生物もなしに空を飛べるのなら覚えたいと思うし……」
「そういう魔法は知らないが……確実に敵を仕留める呪文ならある。まだ実践段階じゃないが、魔法薬を受け付けない呪文を考えてるんだ」
「そういうのは、いらない」

ルーシーが即座に首を振った。スネイプが先程よりも遥かにそれと分かるように顔を顰めると、再び眉を下げたルーシーが小さく謝罪を口にしてから鍋に向けて杖を振る。一度目で鍋の中身が消え去り、二度目で強烈な臭いがたちまち消えていった。

「便利な呪文は覚えたいと思うよ。でも、誰かを傷つける呪文はいらないの」
「やらなきゃ、こっちがやられるだけだ」

そんなのは耐えられない。ポッターやブラックにやられっ放しなんて冗談じゃない。スネイプの気持ちが伝わったのか、ルーシーがこちらを見た。

「分かってるよ。スネイプは間違ってない……でも、正しくもないと思う」

答えられないスネイプから顔を背け、片付けをしながらルーシーは言った。

「こんな時代だから、そういう魔法も必要なんだろうなとも思う。でも……私は弱いから、教わってもきっと間違った使い方しか出来ないと思うの」
「戦いに使うだけだろ。間違うことなんかないじゃないか」

何を言っているんだ。続けたスネイプは、再び振り向いたルーシーの表情を見て息を呑んだ。今にも泣きそうな顔で微笑んでいたのだ。

「私を助けてくれたでしょう?」
「いきなり何なんだ?」
「スネイプは優しいんだよ、とっても」

思いも寄らないことを言われて絶句するスネイプに、ルーシーは言った。

「だから、後になって自分が間違ってたって後悔する」
「…………そんなの、分からないだろ」
「分かるよ」
「どうして」

断言するルーシーに詰め寄れば、ルーシーはくしゃりと情けない顔で笑った。

「だって、貴方はとても優しい人だから」

優しくなんかない。そう言い返してやりたかったのに、喉の奥に張り付いて出てこない。
何を言っているんだと思った。上級生から助けたのは、自分にも利があると思ったからだ。ルーシーの身だけを案じたからではない。万が一、公になってしまった時の事も考えたら止めた方が良いと考えたからでもある。自分は決して彼女が考えるような人間ではないという事をスネイプは知っていた。
それなのに、ルーシーは疑いもせずに笑っている。ありがとうと礼を紡ぐ。

「探してくれてありがとう」

やっぱりスネイプは優しいねと無邪気に笑うルーシーの顔は、眩しくて見ることが出来なかった。
そんな風に笑うルーシーの方が、自分なんかよりよっぽど優しい人間じゃないかとスネイプは思った。

10.リリー・エヴァンズ