魔法薬学教室


相変わらず独りぼっちの生活が続いていた。
同じ部屋の女子はルーシーなんて存在していないかのように振る舞っているし、談話室を通った時も誰かが声をかけてくれる事はない。絡まれるくらいならその方が良いと自分に言い聞かせているけれど、それでも寂しい、つまらないと思ってしまうのを止める事は出来なかった。

談話室にも部屋にも居場所を見つけられないルーシーは、自然と図書室に入り浸るようになった。一人でいても不自然ではない場所で、周りの楽しげな会話に傷つく事もないここはとても素敵な場所だと思った。
これまで興味のなかった魔法薬学の本を読んだり、薬草学や変身術の本を読んだり――独りぼっちだったルーシーは、少しでも寂しさを紛らわせようと暇な時間を勉強に費やした。

スラグホーンのお気に入り贔屓は相変わらずで、優秀さを買われて”お気に入り”入りを果たしたルーシーは、休み時間に魔法薬学の教室の使用を許可された。時間を潰す場所が増えた事に喜んだルーシーは、本を開いてはたくさんの薬を調合した。前の時には授業だけで精一杯だったけれど、こうして改めて作っているとあの時には気付かなかった発見があって少しだけ嬉しくなる。スネイプの話はルーシーにとって違う国の言語のようにすら思えていたのに、あぁこういう事だったのかと今になって理解出来たりもする。その事に楽しさを見出してからは、ルーシーは毎日のように教室に入り浸るようになった。

ある日、いつものように教室で調合をしているとスラグホーンがやって来た。彼の後ろには緊張気味のリリーと本をたくさん抱えたスネイプの姿がある。

「やぁ、ポッターさん。実はこの二人にも教室を貸し出す事にしたんだよ」

ルーシーがいた事に驚くリリーとスネイプなどお構いなしに、スラグホーンが朗らかに話しかけてくる。優秀な生徒が多いのが嬉しいのだろう、にこにこと笑みを絶やさないままこちらにやって来た彼は「どれどれ」と鍋を覗いた。それから喜びを驚きに変えて声を上げる。

「何と! もうその薬を作っているのかね? いやぁ、感心だ! 論理は理解できたのかね?」
「はい。あの、先生……一つお聞きしたい事があって……」
「あぁ、もちろんだ! 何でも聞いておくれ――あぁ、ちょっと待っていてくれ」

スラグホーンは所在なさげに立ち尽くしたままのスネイプとリリーを振り返った。隣の机を使うようにと指示を出すと、スネイプとリリーは二人がかりで鍋を用意して調合の準備に取りかかる。ハリーから聞いてはいたけれど、実際に二人が仲の良い場面を見ると、どうして仲違いしてしまったのかと思ってしまう。この城で過ごす内に変わっていってしまうのだろうか。

人の心が変わる事は知っている。それでも変わらないものがある事も知っている。
ジェームズは変わるのだと知識として知っている。彼は七年生になった頃には心を入れ替えてリリーと付き合うようになるのだ。それならば、その頃にはルーシーへの考えも変わるだろうか? ルーシーをスリザリンではなく妹として見てくれるようになるのだろうか?

そんな事を考えながらルーシーは自分のテーブルを見た。一人分の鍋、材料――これまで考えないようにしていたのに、今になってこんなにも孤独を感じてしまうなんて。慣れていたはずだったのに。
この教室も、談話室や部屋のように居心地が悪くなっていくのだろうか。

「待たせたね。さぁルーシー、聞きたい事は何だね?」

朗らかに問いかけてくるスラグホーンを見上げて、ルーシーは深く息を吸い込んだ。うっかりすると泣いてしまいそうだった。

「あの……ここに催眠豆一つ分の汁とあるのですが、一つ分を刻んでも汁の量が少ないんです」

声は震えていないだろうか。目は潤んでいないだろうか。鼻は赤くなっていないだろうか。

「この場合、二つ目を用意するべきなのでしょうか? それとも、他に適切なやり方が?」

手元の催眠豆を見下ろしてルーシーはホッと息をついた。大丈夫だ、いつも通りだ。
萎びた催眠豆をつんとつついて転がすと、思ったよりも勢いがついてコロコロと転がっていく。あ。思わず声を上げたルーシーの視線の先で、催眠豆を取ったスラグホーンがにっこり笑った。

「ほっほう! いい所に目をつけた。よろしい、教えてしんぜよう。今まではどんな方法を使ったのかな?」
「一度目は普通に刻みました。でも全然足りなくて……」

前の時もそうだった。刻んでも上手く汁が出せなくて、あのハーマイオニーでさえ完璧とはいえない仕上がりになったのだ。スネイプの教科書を使ったハリーは完璧に作っていたから、スネイプは知っていたのだろう。何か方法が載っていたに違いない。残念ながらルーシーは教科書を読んではいないから分からない。

「では、二度目は?」
「二度目はガーゼの上で細かく刻み、絞るように……一度目よりは多く採れましたが、やはり本の通りの澄んだ色にはなりませんでした」
「ふむ……だが、いい線だ」

満足気に頷いたスラグホーンが催眠豆をルーシーの前に置く。それからナイフを指して言った。

「三度目は押し潰してみるといい」
「押し潰して? 切らずに、ですか?」
「いやいや、切り込みを入れるんだ。豆の表面に軽く切り込みを入れ、その面を下にしてナイフの面で押し潰す――そうだ、先ほどのガーゼを下に敷くといい」

さぁ、やってごらん。言われてルーシーはナイフを取った。萎びた豆の表面に格子状に切れ目を入れ、その面をガーゼに触れるようにしてナイフで押し潰す。驚く事に一気に汁が出てきた。

「わ、すごい!」
「ほっほう! どうだね? 上手くいったろう!」
「ありがとうございます!」

汁をたっぷり含んだガーゼを絞って鍋の中へ入れる。あとは本の通りに作るだけだ。黙々と作業を進めるルーシーの様子を満足気に見ているスラグホーンは、時折リリーとスネイプの元へ移動しては軽いアドバイスや注意をして戻ってくる。鍋をのぞき込んでは「うんうん」だの「よしよし」だのと満足気に頷くのが、少しばかり鬱陶しい。口に出せるはずもないけれど。
数十分後、ルーシーの鍋には水のように澄んだ薬が出来上がっていた。

「ほっほう! 何てこった! まさか! 一年生でこれを完璧に調合してみせる生徒がいるとは!」
「あ、ありがとうございます……」
「Mr.スネイプ、Miss グレンジャー。分からない事があればMiss ポッターに聞くと良い。彼女の知識は君達の勉強に大いに役立つだろう」

上機嫌に二人に言うと、スラグホーンは職員室に用があると言って行ってしまった。おそらく他の教師達に自慢をしにでも行くのだろう。もう既に何度もあった事だ。スラグホーンがいなくなると途端に静まり返る教室内。杞憂ではなかった。居心地が悪くて仕方がない。余計なことを言わないでくれれば良かったのに。

「あの……ルーシー?」

静寂を破ったのはリリーだった。ルーシーがスリザリン生だからか、控えめな呼びかけは、けれど静かな教室内ではっきりとルーシーの耳に届いてしまう。

「それって何年生で習う薬なの?」
「六年、だけど……」
「まぁ! 貴方って本当に凄いのね!」

丸く大きな翡翠を輝かせるリリーに、ルーシーは視線を泳がせた。熱心に材料を刻んでいるスネイプが顰め面をしているのが見えた。リリーがルーシーに話しかけているのが嫌なのか、先ほどのスラグホーンの言葉が癇に障ったのか、落ちてくる髪が鬱陶しいからなのかは分からない。

「あの、ありがとう……」

曖昧に微笑んだだけだというのに、リリーは嬉しそうだ。

「この間のレポートも、貴方のおかげで良い評価をもらえたのよ。ね、セブルス!」

顔を上げたスネイプがリリーを見て、ルーシーを見た。かち合った視線は明らかにルーシーを敵視している。聞かなくても分かる。スネイプはルーシーの事が嫌いだ。それでもリリーを無視する事は出来なかったらしく、視線を逸らしながらぼそぼそと呟いた。

「……まぁ……」
「ねぇ、良かったらこっちに来て一緒にやらない? 分からない所があったら教えて欲しいの」
「リリー!」

スネイプが焦ったような声を上げた。それからハッと息を呑んで、また目を逸らす。リリーが首を傾げた。

「ダメなの?」
「だって……だって、あいつはポッターだろ。君だって嫌いだって言ってたじゃないか」
「もちろん、兄の方は好きじゃないわ。いつも勝手な事ばかりして……でも、ルーシーはルーシーだもの。それに、貴方達は同じスリザリンなんだから、仲良くなれるかもしれないでしょう?」

仲良くなんてなりたくない。スネイプの顔がそう言っている。
リリーの子であるハリーにさえ、ジェームズと同じ顔だからと嫌悪していたスネイプだ。ジェームズと同じ顔のルーシーにどんな感情を抱いているのかなど、考えるまでもない。ジェームズと同じポッターで、同じ顔で――好きになってくれという方が無茶な話である。

「……嬉しい誘いだけど、ごめんなさい。まだやりたい事が残っているから……」

出来ればあまり近付きたくない。リリーが誘ってくれたのは素直に嬉しいと思ったけれど、それでもスネイプに睨まれるような事はしたくない。何せ、生徒であるハリーにあんな態度を取っていたのだ。同級生であるルーシーに呪いをかけないと、どうして言い切れる?
ルーシーのそんな考えなど知る由もないリリーは、ルーシーからの拒絶に顔を俯かせ肩を落とした。見るからに落ち込んでいる。しまったとルーシーは思った。スネイプが睨んでいるのだ。リリーを悲しませたルーシーに怒っている。

「で、でも! その……分からない所があれば、聞いてくれて構わないわ。私で分かることなら……」

もごもごと返して、ルーシーは薬を瓶に詰め始めた。
嬉しそうな声を上げるリリーがスネイプに「良かった! 安心して作れるわね!」なんて話しかけている。スネイプの呻き声にまた怯えてしまったけれど、これも駄目ならどう返したら良いのか分からないのだから、見逃して欲しい。

薬が零れてしまわないように気を付けながら瓶に詰めつつ、ルーシーはちらりと隣のテーブルを見た。材料を計るリリーの真剣な横顔が見える。目の前の鍋に視線を戻して、ルーシーは緩みそうになる唇を噛みしめた。
ルーシーはルーシー。そう言ってくれた事が嬉しかった。ポッターとして見ていない事が嬉しかった。

「あとで、先生が言っていた催眠豆の刻み方教えてくれる?」
「うん、いいよ」
「ありがとう!」

嬉しそうに笑うリリーにぎこちなく笑みを返し、ルーシーは次の調合を開始した。

06.臆病者