レポート


その日、夕食を終えたルーシーは図書室へ向かっていた。
魔法薬学の担当教授がスネイプからスラグホーンへ変わった時も思った事だが、どうやらスラグホーンは随分と優しい教授であるらしい。ルーシー達が一年生だからか、スネイプが厳しすぎたからのどちらかは分からないが、とにかく、スネイプが出す宿題に比べたら格段に易しいものである事は確かだ。

魔法薬学に関する書物が並ぶ棚へ向かうと、棚の前に立ち本の背表紙を睨みつける生徒が一人。背丈はルーシーと同じくらいだ。肩まで伸びた黒髪を鬱陶しげにばさりと払った生徒が立ち尽くすルーシーに気付いて、すぐに顔を顰める。
セブルス・スネイプ――色々あったけれど、ルーシーやハリー達にとって恩師である事は間違いない。結果として彼に生命を救われたのだから。彼がいなければハリーはヴォルデモートを倒す事は出来なかっただろう。

そんな彼も今では同級生。同い年だなんて笑えない。
すぐにこちらから目を逸らしたスネイプは、本を手に取ってぱらぱらとページを捲ってはこれではないとばかりに棚に戻している。それを繰り返すスネイプの邪魔にならないようにと気を付けながら横に立ち、目当ての本を探す。棚の上の方に見つけたそれを魔法を使って呼び寄せると、驚いた顔をしたスネイプが振り返った。

しまった。呼び寄せ呪文はまだ習ってない呪文だ。視線を彷徨わせながら早足でその場を去り、棚の奥に隠れるように置いてあるテーブルへと向かった。一度目の学生時代に見つけたそこは、幸運にも上級生達の姿はない。テーブルには一人分の教科書と筆記具が置いてあった。ルーシーと同じ一年生のものだ。持ち主はすぐに分かった。本を抱えたスネイプがやって来たのだ。
スネイプはテーブルにルーシーがいるのを見てまた顔を顰めた。こんなに幼い頃から顰め面ばかりしていては、眉間に皺が刻まれるのも頷ける。三十代という若さだったにも拘らず、彼の眉間はいつだって皺が刻まれていたのだ。

「……ここ、使ってもいい?」

あのスネイプ相手に敬語を使わないというのは違和感しかなくて、言葉遣いが悪いと減点されてしまうのではないかという恐怖すら覚えた。嫌味の一つでも言われるかもしれないと思ってしまうのは、スネイプに教わった生徒なら誰でも思う事だろう。

「勝手にしろ」

席に着いたスネイプがこちらを見ないままに素っ気なく返した。ホッと胸を撫で下ろしてテーブルの端に座り、本を開く。スラグホーンの宿題は易しい。難度は増していくだろうが、それでもスネイプの出す宿題よりはずっとマシなものになるのだろう。魔法薬学という教科が少しは好きになれるかもしれない。

目当てのページを開いてレポートを書き進めていると、不意に耳に届いた小さな小さな唸り声。顔を上げるとスネイプが難しい顔で本を睨んでいた。無意識のそれは、未だ魔法薬学を得意科目としていないスネイプだから出てしまったものなのだろう。”魔法薬学教授”という肩書きを持つことになる彼にもこんな時代があったのかと、ほんの僅か頬が緩んだその時、視線に気付いたスネイプが顔を上げた。

「……何だ」

危なかった。笑っているのを見られていたらどんな嫌味を言われていたか。シリウス曰く「入学時には七年生よりも遥かに多くの闇魔術を知っていた」スネイプに呪いをかけられていたかもしれない。

「あ、えと……それ、この間の授業のレポートだよね?」
「だったら何だ」

苛々したような声が返ってくる。
態度が悪い。怯みながらもルーシーは自分の使っていた本を差し出した。

「多分こっちの方がやりやすいと思う」

もう必要な部分の記述は終わったから、残りは他の本で代用出来る。だからこそスネイプに貸してあげようと思ったのだが、どうやらそれはスネイプのプライドを甚く傷付けてしまったらしい。

「そんな事、聞いてない」
「……ごめんなさい、もう邪魔しないわ」

何だこいつ態度悪い。最悪だ。もう二度と関わるものか。さすがスネイプ、子どもの頃から性格が悪い。
心の中で思う存分吐き散らしてルーシーはレポートを再開した。二度と貸してやるものか。

一時間後、レポートを終えたルーシーは、未だ難しい顔で新しい本を開いているスネイプを尻目に立ち上がった。本を貸すなんて親切はしてやらない。どうせまた「頼んでない」とか言われるに決まっているのだから。
棚の前にはまた誰かが立っていた。肩より少し下まで伸びた綺麗な赤毛に目を奪われていると、こちらに気付いたのか赤毛の少女が振り返る。列車の中で会った子だ。リリー・エヴァンズ。ハリーの母親だ。

かち合った目は記憶に新しい親友と同じ翡翠。思わず息を呑んだルーシーに首を傾げたリリーは、その手にある本を見てから再びちらりとこちらを見た。視線を泳がせながら、取り敢えず何かしなければと僅かに頭を下げる。列車の中で会っているのだから、別に変ではないだろう。さっさと本を戻してしまおうと思って脚立を持ってくると「あの……」控えめな声がかけられた。

「その本、どうだった?」
「……レポート?」

返事がきた事に驚いたのか、目を丸くしたリリーが安堵した様子で頷く。

「そう。いくつか本を見ていたんだけど、上手く纏められなくて……貴方はもう終わったの?」
「うん」

頷いて本を差し出すと、リリーがお礼を言ってページを捲りだす。

「カノコソウの根についての記述を探してるんだけど……」
「それなら――ここのページがいいよ。それから、もし良質な黄金虫の見分け方が必要なら……」

ページを捲りながら説明していたルーシーは、ぽかんとこちらを見るリリーに気付いてハッとした。そういえば自分はスリザリン生だった。もしこの場面をスリザリンの誰かに見られてしまったら、またルシウスから何か嫌味を言われるかもしれない。

「――それじゃあ、私はこれで」

素っ気なく言い残してルーシーはリリーに背を向けた。テーブルに戻り、荷物を纏めながら溜息を漏らすとスネイプから咎めるような視線が向けられる。「ごめんなさい」と急いで謝ったその時、本を抱えたリリーがやって来た。

「あ、セブ」
「リリー……」

よりによってこいつの前で会うなんて。ちらりとこちらを見たスネイプの視線がそう言っている。
邪魔者はさっさと消えますよ。心の中で吐き捨てて立ち去ろうとすると、何かに引き止められた。リリーの手だ。

「待って、あの……ありがとう。これ、本当に助かったわ」

驚くルーシーとスネイプに構うことなくリリーが本を掲げて笑う。

「カノコソウと黄金虫の見分け方も教えてくれてありがとう。私が探していたのと同じだったから驚いちゃった。私、リリー・エヴァンズっていうの。列車の中で一緒だったわよね? ポッターの双子の妹だって聞いたわ」

柔らかく微笑むリリーの目。緑の目。ハリーと同じ目。
顔は全然違うのに、まるでハリーに笑いかけられているようで。ルーシーは無意識に自分の名前を告げていた。

「ルーシーね。ありがとう、ルーシー。本当に助かったわ」
「……べつに」

それ以上見ている事が出来ずに、ルーシーは視線を逸らすと足早にその場を後にした。
危なかった。寮に向かいながら、ツンと痛む鼻に眉を寄せて歩き続ける。もう少しで泣いてしまうところだった。

夢を見た。前世のものだった。
一緒に宿題をしたり、冬の寒い日に凍った湖を滑ったり、中庭で笑い合ったり。目を覚ました時、自分が泣いている事に気付いてルーシーはまた悲しくなった。
どうして生まれ変わってしまったのだろう。どうして記憶を持って生まれてしまったのだろう。
幸せな人生を終えたはずなのに。辛い事も苦しい事もたくさんあったけれど、それでも幸せだと思えたのに。

この時代ではまだ誰も生まれていない。ルーシーが結婚した相手すらこの世に存在していない。
彼が生まれる頃には自分はおばさんだ。また結ばれる事など無いだろうし、愛しい子どもや孫に会うことも出来ない。

「あぁ、そんなの……そんなのいや」

遠い未来で彼らは笑い合うのだろう。そんな彼らの傍に自分はいない。
幸せになる彼の傍に自分はいない――それが堪らなく悲しくて辛い。

生まれ変わりたくなんてなかった。何も覚えていたくなかった。
枕に顔を埋めて泣くことしか出来なかった。

数日後、返却されたレポートの評価はクラスで一番だった。

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