優秀の理由


入学してから一週間が経った。
緑色のネクタイには未だ慣れる事がなく、ベッドに取り付けられた緑色のカーテンには溜息しか出ない。談話室のソファは新緑のカバーがかけられていて、グリフィンドールの談話室に比べて遥かに寒々しかった。

同室の子とは一度も話をしていない。入学式の翌朝、思い切って話しかけてみようとしたけれど、あからさまに目を逸らされてしまえば出来るはずもなかった。初日にルシウス・マルフォイに失礼な態度を取った所為だろうか、それともポッターという名前の所為だろうか――もしかしたら、そのどちらもかもしれない。

友人作りに失敗してしまってからは、大人しく一人で過ごしている。
幸い教室の場所はルーシーの記憶に残るそれと大して変わっていなかったから問題ない。

いつものように独りぼっちで廊下を歩いていると、曲がり角の向こうから赤いネクタイの集団がやって来るのが見えた。くしゃくしゃの黒髪は見間違えようもない。思わず足を止めると、こちらに気付いたジェームズも足を止めた。

「あ、ジェームズの……何だっけ、名前?」
「ルーシーだよ」

隣に立つシリウスの問いかけに素っ気なく返したジェームズがやって来る。眉間に寄る皺もひん曲がった口も、こちらを睨む榛の目も、何もかもがジェームズの不機嫌さを表していた。

「似合わない」

ジェームズの第一声はそれだった。胸元を指す人差し指を見て、ジェームズを見て。ルーシーは何も言い返せず顔を俯かせる。

「信じられないよ。ポッター家からスリザリンが出るなんて」
「で、でも……パパもママも、昔はポッター家からもスリザリン生が出たって言ってたわ」
「闇の魔法使いになったとも言ってただろ。まさかルーシーもなりたいの?」
「まさか!」

思わず声を上げて、榛色の目とかち合う。ルーシーはすぐにまた顔を俯かせた。
裏切り者。ジェームズの目がそう言っている。双子のくせに、ポッターのくせにと訴えている。

「……わ、たしは……闇の魔法使いには、ならないよ」

あんなもの、なりたくない。なりたいはずがない。
前世で彼らがどれだけ非道な奴らだったのかを知っている。知っているからこそ、自分はそうならないと知っている。けれどジェームズはそれを知らない。ルーシーが何を言ったって信じてはもらえないのだ。

「知らない。ルーシーなんか、もう知らない」
「、ジェームズ!」

吐き捨てて背を向けたジェームズに思わず叫んで。けれどジェームズは振り返らずに行ってしまった。「いいのか?」なんて軽い調子で問いかけるシリウスの声は、台詞ほど心配してはいない。

「いいんだよ。スリザリンなんか、大嫌いだ」

悪夢だよ。わざと聞こえるように吐き捨てるジェームズの背中が遠ざかっていくのを、ルーシーは呆然と見送る事しか出来なかった。

血を分けた兄からも拒絶されてしまった。ルーシーは毎日泣きたくなるのを必死に堪えながら過ごした。
グリフィンドールの合同授業ではジェームズの方を見ないようにしたし、余計な事を考えなくて済むからと勉強に没頭した。図書室で好きでもない勉強をして、好きでもない本を読んで。前世で得た経験もあり、授業では優秀だと褒められている。自分が加点をもらうたびに不機嫌になっていくジェームズに気付いたけれど、出来てしまうのだから仕方がない。どんなに息を潜めていようとも、クラス中を見回る先生には気付かれてしまうのだ。

寮監にもなったスラグホーンは、ルーシー・ポッターという優等生をとても気に入ってくれた。
優秀な生徒なら寮を問わず歓迎する彼は、それでもやはり自分が監督する寮生をより可愛がる傾向があるらしい。
前世の頃よりも複雑で面倒な工程を含む薬達に苦労しながら、それでもルーシーの作る薬はクラスで一番だった。前に作った事があるのだから当然だ。既に生徒としての過程を修了しているルーシーにとって、一年生の授業など簡単に決まっている。

「優秀だと聞いている。頑張っているようじゃないか」

部屋に戻る為に足を踏み入れた談話室。いつものように素通りしようとしたルーシーの前に現れたのは、初日以来ずっと関わりを持っていなかったルシウスだ。このままずっと放っておいてくれたら良かったのにと、些かうんざりしながら向き合ったが、どうやら褒められたらしい。

「この間の非礼を詫びよう。君はポッターだが……どうやら、あの家の連中とは違うらしい」

満足気な笑みを浮かべるルシウスは、ここ最近のスリザリンの加点がルーシーによるものだと知ったのだろう。差し出された手を見て、ルシウスを見て。ルーシーはきゅっと唇を引き結んだ。

「――考えた事がありませんでした。ケンタウルスや巨人とは違うと思っていましたが」

差し出された大きな手を握って挑戦的に見上げると、ルシウスの眉がぴくりと上がる。次の瞬間、声を上げて笑い出したルシウスの目はほんの少しも笑ってはいなかった。

「ルーシー・ポッター」

ルシウスがその低い声でルーシーの名を口にする。決して大きくないその声は、けれどあっという間に談話室中の視線を集めた。誰もがルシウスの声につられてこちらを見て、正面に立つ生意気な新入生の噂を始める。ひそひそ、ひそひそと囁き合う彼らの声は少しも聞こえてはこないが、それでも彼らに向けられる視線が良いものでないことくらい分かる。

「君はどうやら、自分の立場が分かっていないらしい」
「……不手際がありましたら申し訳ありません。何分、若輩者でして」

殊勝に頭を下げるルーシーにマルフォイ家の次期当主は何を思っただろうか。
こんな謝罪など形だけのものだ。けれど、それで良い。純血も混血もマグルも関係ない。そんなものに拘る奴らに媚び諂う事などしたくない。今この場を穏便に済ませられればそれで良い。

偏見はなくならない。差別もなくならない。
何年、何十年経っても何も変わらなかった。グリフィンドールとスリザリンの仲の悪さは相変わらずだったし、きっとルーシーが死んだ後もずっと変わらずに続いていったのだろう。

何故この時代に生まれ変わってしまったのだろうか?
ここは自分が知っているあの未来に繋がっているのだろうか?

疑問は尽きなくて、けれどどれ一つとして答えを得られない。頭が爆発してしまいそうだと思った。
もしあの未来に続いているのだとすれば、ルーシーが動けば未来を変えることが出来るのだろう。けれど、何をどうすれば良い? 変えて良いものはどれで、変えてはならないものはどれなのか。ルーシーには判断がつかない。

もしスネイプに予言を聞かれる事がなければ、そうすればハリーは両親と共に生きる事が出来るのだろうか?
けれど、そうしたら誰がヴォルデモートを止める? 誰にも止められずに全員が殺されてしまうかもしれない。

スネイプを死喰い人にさせないようにすれば良いのだろうか。リリー・エヴァンズと仲違いさせなければ、そうすれば――もし、スネイプとリリーが互いを想うようになってしまったら、ハリーは生まれない。ジェームズはどうなる? 未来はどうなる?

分からない。何をどう変えても、その後がどうなるか分からない。分からないことは恐ろしくて堪らない。
何をしたら良いのか分からず、ルーシーはただ誰とも関わらない日々を過ごすしかない。

「…………ハリー、ロン、ハーマイオニー」

この先の未来で会ったとしても、彼らはもうルーシーを親友とは思ってくれない。共に学校生活を送る事も出来ない。
溢れ出る涙を枕に染み込ませながら、ルーシーは漏れそうになる嗚咽を必死に堪えた。

03.レポート