「こんにちは」
にこにこと人懐こい笑みを浮かべた顔がひょこりと顔を出した。いかにも無害を装うその笑顔に、けれどスネイプは見るのも嫌だとばかりに歪めた顔を背ける。いくら愛した女性と同じ瞳を持っていようが、顔の造りはこの世で一番嫌いな男と瓜二つだ。歓迎出来るはずがない。だというのに、このハリー・ポッターという青年は意に介した様子もなく近寄ってくる。勧めてもいないのにベッド脇のスツールに腰を下ろす神経の図太さだけは賞賛してやろうではないか。
「お加減はいかがですか?」
「それを聞いてどうするのかね」
お前には関係ないとばかりに吐き捨ててやれば、苦笑を浮かべたハリーが「お見舞いです」と言って果物が入ったカゴをサイドテーブルに置いた。
「結構だ。持って帰りたまえ」
「花にしようか迷ったんですけど、花なんてもらっても嬉しくないだろうなと思って。食べられるものにしました」
「結構だ。今すぐ、持って帰りたまえ」
お前と話すことなど何もない――スネイプの想いは通じたらしい。分かりましたよと呟いて立ち上がったハリーがカゴを手に今潜ってきたばかりの戸へと向かう。
「今日は報告に来たんです。貴方の就職先について」
「何とも喜ばしい報告だ。さすが英雄殿ですな、まさか職の世話までしてくださるとは」
「僕じゃありませんよ」
振り返ったハリーが苦く笑う。その声に違和感を覚えて振り向けば、眼鏡の向こうの緑が悲しげに揺れたのが見えた。
「”全部あげる”――だそうです」
「何の話だ」
話が見えない。思わず聞き返すとハリーが泣きそうな顔で微笑んだ。
「既に所長の許可も取ってあります。彼女の使っていた研究室をそのまま貴方の研究室としました。途中だった彼女の研究は――元々は貴方の研究ですが――貴方が引き継いでください」
スネイプは息を呑んだ。まさか。心臓が煩い。
「………助からなかったのか?」
問いかける声は掠れていた。ハリーの耳に届いたのかも疑わしいが、ハリーは正しくスネイプの疑問を理解したらしい。
「生きてますよ。怪我もすっかり治って三日前に退院しました」
「ならば、何故……」
生きていて、怪我も治って、無事に退院をして――それなのに、何故。
ちっとも理解出来ない。あれほど長い期間ずっと傍にいたというのに、ルーシー・カトレットという人間の事をちっとも理解してしなかった事を思い知らされた。
苦い顔をするスネイプにハリーは何を思ったのだろうか。先生。呼びかける声に視線を向ければ、ハリーは嬉しそうな、けれど悲しそうな顔でこちらを見つめていた。
「ありがとうございました」
深く頭を下げる姿に唇をひん曲げる。そんなスネイプの顔を見て苦く微笑んだハリーは、もう一度「ありがとうございました」と繰り返して帰って行った。
病室が静かになるとスネイプは溜息を落としてベッドに身を沈めた。目を閉じれば長い間想い続けた赤髪の女性がこちらに微笑んでいる。
”ありがとうございました”
リリーに言われたわけではないのに。ハリーに言われたって嬉しくも何ともないのに。
何故だろうか、心がスッと軽くなったような気がする。あぁ、終わったのだと実感して。目を開けて、もう一度目を瞑って。もう彼女の姿は見えなかった。
不可解な彼女
ひと月後、漸く退院を許されたスネイプはホグワーツ城の前に立っていた。玄関ホールへと足を踏み入れれば人気のない城内にスネイプの靴音が響く。長期休暇中の城はいつ歩いても静かで落ち着く。いっそ生徒達が戻って来なければ良いのにと何度思ったことか。
予め聞いていた合言葉を使って校長室に入ると、部屋の主であるマクゴナガルは目を丸くしながらも笑顔で迎えてくれた。お帰りなさい。その言葉に軽く会釈をし、マクゴナガルの向かいに座る客人へと視線を向ける。マクゴナガル同様驚いた顔をしていた客人は、スネイプが視線を向けると嫌そうに顔を歪めてそっぽを向いた。
「今日はどうしたんですか?」
「おかしな噂を耳にしましてね」
マクゴナガルの問いかけにそう返す。
「おかしな噂?」
首を傾げるマクゴナガルから再び客人へ視線を向けると、客人がこっそり舌打ちしているのが見えた。
「つい先日、無様にも研究を失敗させ大爆発を起こした愚か者が、何をとち狂ったのかここで薬学教授の助手として働くとか」
先程よりも大きな舌打ちが聞こえた。はしたないですよ。マクゴナガルの窘める声にバツの悪い顔をした客人が紅茶のカップへと手を伸ばす。
「事故のことは聞いています。研究中に失敗してしまったとか……けれど、普通に調合するだけなら問題なく出来るでしょうとのスラグホーン教授の判断です」
「ミネルバ。我輩は善意で申し上げている。”それ”を城に呼び戻すべきではない」
「ちょっと。さっきから何なの? いいだろ私がどんな職に就いたって」
「失敗して大怪我を負ったからといって、あっさり他人に職を押し付けるような奴を『先生』にするべきではないと、そう申し上げている。君は黙っていろ」
「はぁ? 何で当事者の私が黙んなきゃなんないの? 馬鹿じゃないのお前が黙ってろよ」
「ルーシー!」
口が悪いですよと窘めるマクゴナガルにたじろぎ、小さな声で謝罪の言葉を紡ぐ。スネイプは嘲るように口元を歪めた。
「こんな調子では、生徒に悪影響を及ぼす――そうは思いませんか?」
「そりゃすみませんねぇ。何しろ、当時の教師が最悪だったもので。悪影響だったんでしょうね」
「カトレット。黙っていろと言ったはずだ」
吐き捨てればこめかみに青筋を浮かべたルーシーが勢いよく立ち上がる。
「いい加減にしてよ! さっきから何なの!? 私がどうしようが私の勝手でしょ!!」
「勝手な事ばかりしている貴様に教師など務まるはずがないだろう!」
怒りを露わに叫ぶルーシーに負けじと吐き捨て、スネイプはズカズカと歩み寄るとルーシーの腕を掴んだ。
ずっと触れる事の出来なかったスネイプに触れているという事実に驚いているのか、スネイプがルーシーに手を伸ばした事に驚いているのか――驚き硬直するルーシーに構うことなく歩き出す。
「セブルス!?」
「悪いが、ミネルバ。この話はなかった事に」
話についていけないままのマクゴナガルにそう告げて、スネイプはルーシーの腕を掴んだまま校長室を後にした。
廊下を抜け、階段を下り、玄関を潜って外に出る。ルーシーは何も言わなかった。
→ 15.幸せを掴んだ死にたがり