わけの分からない不安が全身を駆け巡ったのだ。
行きたくもないのにハリー・ポッターの家に連れて行かれて、二組の新婚カップルに砂を吐きそうになって。
さっさと帰れと思いながらルーシーを見れば、ルーシーはとても嬉しそうに友人達を見つめていた。
スネイプは、ルーシーにとって彼らがどれだけ大切な存在なのかを理解した。研究はここ数週間ずっと失敗続きだ。たまには息抜きも必要だろう、もう少しだけなら我慢してやろうではないかと考えを改めたその時だった。
”まだスネイプのこと……?”
余計な詮索をするハリーに思わず舌打ち。放っておいてくれれば良いのだ。
気が付けば晩年の父親よりも歳を重ねたハリー・ポッターがルーシーを見つめている。心配だと、悲しいという表情で。
無性に腹が立ったのを覚えている。
もしスネイプが本体のままこの場にいたとすれば――そんな事は絶対に有り得ないが――、貴様には関係ないと冷たく吐き捨てていたことだろう。
ハリーは半年に一度スネイプの病室を訪れている事を知っていたのだろう。何も事情を知らないからこそ、ルーシーがスネイプを見舞う理由を誤解したままでいる。自分の母親を愛していたことを知っているからだろう、ハリーはルーシーがスネイプを想う事を好ましく思っていない。諦めてくれれば良いのにと思っているだろうことは、その表情を見れば一目瞭然だ。
適当に返事をして流してしまえば良い――そう考えるスネイプの視線の先で、ルーシーが笑った。
”……困ったよね”
言いようもない不安がスネイプを襲った。
それの正体が分からなくて、ただ目の前のルーシーを見つめた。
何を考えているのかちっとも理解出来なくて。
困っているような、喜んでいるような、悲しんでいるような――どうとでも取れるその表情に、声音に、雰囲気に息が詰まったのを覚えている。
待ち続けるのかと、ハリーが尋ねた。
何を考えてそう言ったのか嫌というほど分かったというのに、答えず微笑んだルーシーの考えがちっとも分からない。
ただ、その優しい微笑みだけが瞼の裏に焼きついた。
同時にどうしようもなく不安になった。一刻も早く離れなければと、急がなければと――。
不可解な”???”
「………なに、それ」
つい今しがたスネイプが吐き捨てた台詞に、目を細めたルーシーが低い声を出す。
「言葉の通りだ。さっさと寝ろ」
背を向けて冷たい言葉を吐き捨てて。スネイプは自分が苦い顔をしている事を自覚していた。
分からない。ただ、これ以上は駄目だと警鐘が鳴り響いている。
「…………いみ分かんない。いきなり何なんだよ、私が何かした?」
スネイプは答えない。
「言えば良いじゃん、いつもみたいに。何でそうやって突き放そうとするの」
焦れた声にスネイプは答えない。
気付いていた。気付きたくなどなかった。
焦燥感に駆られて、これまでを思い返して――スネイプは気付いてしまった。
違う。違うではないか。
セブルス・スネイプとはそういう人間ではなかった。
他人と慣れ合う事を良しとしなかった。ずっとそうやって生きてきた。誰にも心を許さず、ただ、彼女の為だけに生きてきた。
それなのに。
これまでの日々を思い返して思う。お前は誰だ。
分からなくて。分かりたくなくて。けれど気付かないわけにはいかなくて。
これ以上は駄目だと煩いほどに警鐘が鳴り響いている。それ以上近付いてはいけないと、そう訴えている。
ただの生徒だ。
不幸にもこんな状況に陥ってしまったけれど、それでも生徒であることに変わりはない。しかもグリフィンドール生だ。
卒業していようが関係ない。スネイプにとっては大嫌いなグリフィンドール生のままであるべきなのだ。
決して軽口を叩き合う関係になど、なりはしない。
だからこれでいい。
このままでいい。変わらなくていい。ずっとそうして生きてきたのだ、これからだって変わらない。
――こんなの、まるで自分自身に言い聞かせているようではないか!
拳を握りしめて固く目を閉じたその時、スネイプの耳が微かな音を拾う。まさかと思って振り返ったスネイプは目を見開いた。
泣いている。
あのルーシーが、泣いている。
「なんで、そゆこと、ゆーの」
まさか泣き出すなんて夢にも思わなかったスネイプは動揺して動けない。声が出ない。泣いている。何故。どうして。分からない。どうすればいい? ――分からない。
「う、うんざり、とかっ……、そ、そんなこと、ゆーこと、ないじゃん」
「なんだよ、それ」
「ずっといっしょだったのに」
「なんでそんなこというの」
硬直したまま動けず声も出せないままのスネイプに気付いているのかいないのか、ぼろぼろと次々に涙を溢れさせるルーシーがひっぐえっぐとしゃくり上げながら必死に訴える。
「かわればいいじゃんか! こわがってないで、かわれよっ!」
前に進んだって良いじゃないか。何で自分で自分を縛り付けるんだ。
スネイプを選びもしなかった女の為に、どうしてスネイプが人生を捧げなければならないのか――涙を拭う事すらせず訴えるルーシーにスネイプは何も言えない。
「ス、スネイプ、なんかっ、きらいっ! もうしらない!」
「、」
「ばかっ!」
叫び布団に潜り込んでしまうルーシーに、スネイプは最後まで何も言うことが出来なかった。
→ 13.死にたがりの助けたがり