目が覚めたら全て夢だった――そんな都合の良い展開はないらしい。
例えば、一日限りの背後霊だったならば、まぁそういう事もあるだろうで済ませる事が出来たのかもしれない。ちっとも嬉しくはないけれど。
「寝ても覚めてもスネイプ……地獄だ」
「独り言は人に聞かれないようにしたまえ」
朝から苛立っているらしいスネイプの吐き捨てた言葉に「傷ついちゃいました?」と尋ねれば、馬鹿にしたように鼻で嗤われる。死にかけていようが、ゴーストもどきになろうが、スネイプはスネイプだ。ある意味ものすごく元気だ。嬉しくない。
「どうせ憑くなら、ハリーに憑けば良かったのに」
「気色悪い事を言うな」
「同じ男だからトイレだって風呂だって抵抗なかっただろうし」
「そう思うかね?」
苛々。苛々。舌打ちまでするスネイプは、けれどルーシーの着替えが終わるまで振り返る事はしない。無視すれば良いだけの話だというのに、律儀に返事をするスネイプは苛々する理由を正しく理解しているのだろうか。
「変な人」
「君に言われたらおしまいだ」
さっさと朝食に向かいたまえ。壁に掛けられた時計を仰ぎ見ながらスネイプが言う。ルーシーが生徒だったからか、長年の教師根性が身に染みているからか――まるで姑のように悉くルーシーの行動に口出ししてくる。何度だって言う。嬉しくない。
「一つお願いがあります」
午前中の授業を終え、防衛術の教室を出て広間に向かう途中でルーシーは囁いた。きっかり一メートルの間隔を保ちながら背後を歩いてくるスネイプを振り返れば、片眉を上げたスネイプが無言のまま続きを促した。
「私の傍を離れられないのは分かりました。そこはまぁ、良いです。いや、全然良くないけど、そうじゃなくて――」
「さっさと続きを言いたまえ」
「――前にいてくれませんか」
「何?」
訝しげに眉根を寄せたスネイプがルーシーを見つめる。何を言っているんだこいつは。そんな心の声が聞こえてくるのは気の所為だろうか。スネイプの考えなど知りたくもないというのに。
「私の、視界にいてくださいと言っています」
「ルーシー? どうしたのさ」
前を歩いていたハリー達が立ち止まってルーシーを呼ぶ。先に行っててくれと答えれば、首を傾げながらも三人は広間へと歩いて行った。遠くなっていく背中を苦々しげに見送ったスネイプが嫌そうにルーシーを振り返る。
「怪しまれるような事はしないで頂きたいのだがね」
「重要なことなんです。先生は無自覚でしょうけど、背後から突然スネイプ先生に話しかけられるのは中々の恐怖です」
「失礼な奴だ」
舌打ちと共に吐き捨てながらも、スネイプが数歩前に進む。ルーシーの斜め前に立ったスネイプに、ルーシーはホッと安堵の息を漏らした。
心臓に悪いのだ。背後から突然「字が汚い」「欠伸をするな」と咎められるだけでも嫌だというのに、それがスネイプだとなると恐怖は倍増だ。
「しょうがないじゃん。そうさせたのはスネイプ先生なんだから」
そういう接し方をしてきたスネイプが悪い。驚く自分は悪くない。ルーシーの訴えにスネイプは鼻を鳴らすだけで否定はしなかった。少しくらいは自覚があるらしい。
「ありがとう、先生」
前を行くスネイプにお礼を言えば、何とも言えない顔をしたスネイプがちらりとルーシーを見てまた前を向いた。
広間へ向かい、席を取っておいてくれたハリー達と共に昼食を取る。何をしていたのかと聞かれたけれど、まさかスネイプと話をしていたなんて口が裂けても言えないルーシーは、曖昧に笑って誤魔化す事しか出来なかった。
「いいか。歩く時は、君が、前に、出たまえ」
怒りを滲ませながらスネイプがそう言ったのは、午後の授業が全て終わり談話室に戻ってきた時だ。
ルーシーの前を歩くスネイプからはルーシーが見えない。ルーシーから離れる事の出来る境界線ギリギリまで間を開けて進むスネイプは、ルーシーが一歩外側に踏み出すだけで引っ張られるのだ。ゴーストのように透過する身体だが、何故か歩かなければ進めない。城のゴースト達のように滑るように宙を漂う事が出来ないのだから、引っ張られれば当然よろめくし、倒れもする。それでもルーシーが先へ進めば、転んだ状態のまま引きずられるようにして進んでしまうというのは、たった今、嫌というほど思い知った。
「そうですね。酔っ払いみたいに歩く先生を見るのは面白かったけど、さすがに引きずられてる姿を見るのはちょっと……」
「誰の所為だと思ってる!」
怒鳴るスネイプが服を正して何事かをブツブツと呟いている。呪いの言葉でないことを祈るばかりだ。生きているか死んでいるかも分からない状態のスネイプに呪われるなんて恐ろしいことこの上ない。
「あ、そうだ。薬学の時間に考えてたんですけど」
「余計な事を考えていないで真面目に調合しろ!」
何ださっきの無様な薬は! 魔法薬学を何だと思っている!
ガミガミと説教を始めるスネイプに口をひん曲げてルーシーは女子棟の階段を上っていく。部屋に入っても尚続くスネイプの説教を何とか止めさせると、ルーシーは枕を抱きしめながらベッドに腰を下ろした。
「お見舞いに行こうかなって」
「見舞い?」
「そう。先生の見舞い」
「いらん。君に見舞われたくなどない」
吐き捨てるスネイプに枕を投げつける。枕はスネイプの身体をすり抜けてドアに激突した。
「私が行きたいわけないでしょう!? ゴーストもどきの先生と、病院で寝てる本体を近付けたらどうにかならないかなって言ってんの!」
枕を投げつけられて不機嫌なスネイプに説明すれば、考える余地があると判断したらしいスネイプが黙り込む。
たっぷり悩んだ後に了承したスネイプは、けれど昨夜のルーシーの発言をしっかり覚えていたらしい。
「決して、触れるな」
「誰が好んでスネイプなんかに」
目元をピクピクと痙攣させるスネイプを無視して立ち上がり、枕を手にしてまたベッドへと戻る。制服のままごろんと寝転がれば「だらしがない」と小言が飛んできた。
「行き方知らないから連れてってくださいね」
「それは良いが、いつ行くつもりだ? 生徒が学校の外に出れるのは――」
「クリスマス休暇。分かってますよ」
「まだ九月だ」
「クリスマス休暇までには離れられる事を祈ってます。心から」
大きな大きな溜息を落としたスネイプが手のひらで顔を覆う。つられるようにルーシーも溜息を吐き出した。
死にたがりなゴースト
「あのまま死んでいれば、このような地獄を味わうこともなかった」
「世の中そう甘くないですよね。先生には特に」
「喧しい。寝るならちゃんと着替えてからにしろ」
窘めたスネイプがくるりとルーシーに背を向ける。
「オカンか」
思わずそう呟いて。
真っ白のエプロンを身に付けたスネイプを想像してルーシーは声を上げて笑った。
→ 05.死にたがりなひねくれ者