異世界から来たかもしれないリサという怪しい女を家に置くことになってから十日が経ち、十一日目の朝が来た。
三人で朝餉を食べ終えるとリサは家の中で内職を、きり丸と半助は外で洗濯やら子守りやら猪の散歩やらをこなすというのが定着しつつある。
「いやぁ、リサさんが来てくれて良かったっすねぇ!」
その日も猪に散歩をさせられてボロボロになって帰ってきた半助に、洗濯物を干し終えたきり丸は輝かしい笑顔を向けた。お前はそうだろうな、と力なく返した半助の傍らで雇い主から賃金を頂戴したきり丸は声も足も弾ませながら次のアルバイトだと嬉しそうにしている。
彼女の面倒を見ることを決めたのは半助の意思だ。消去法でそれしか答えが無かったのだが、今になって考えてみてもやはりこれが最善だったのだろうと思う。
リサという女は妙な女だった。
彼女の世界の共通文字とやらはまるで子どもの落書きのようなものだ。この国の文字を見せた時に「あ、これ何となく知ってるかも」と言っていたからもしかしたらただの南蛮人なのかと期待したが、その他の話を聞く限りやはり違うらしい。あの時の落胆は大きかった。
南蛮のそれと似た衣服を纏っているからもしかしたらと思っていたが、意外にもリサは一人で着物を着ることが出来た。自分の世界ではこんな動きづらい服を着る人間は殆どいないと言っていたが、彼女の母親の趣味で彼女の弟が女物の着物を着せられていて、彼女自身も何度か奇襲されて着せられたことがあるらしい。色々とおかしな点があったが――と言うかおかしな点しかないが――、彼女の弟は見た目が完全に女だし、むしろ自分が弟だと思っているだけでもしかしたら妹かもしれないなんて投げやりなことを言っていた。彼女の家族関係が心配になった。
あちらでは、家にいる時は使用人が全てこなしてくれるから自炊をしなかったと言っていた。けれど数ヶ月前に家出をしてからは、森で猪を丸焼きにしたり魚を捕まえて食べたりしたこともあると言う。「極端過ぎるでしょう!」と思わず叫んだら「そうですか?」と首を傾げられた。
そんな彼女は当然ながら料理が出来なかった。それなのに何故か刃物の扱いには慣れているらしく――曰く「ハンターなら使えて当然」らしい――、大根を切ってくださいと包丁と大根を渡したら、彼女は徐に大根を宙に放り投げ、目にも止まらぬ速さで大根を切ってみせた。刃物の扱いもそうだが、その素早さが半助を不安にさせた。彼女はもしかしたら忍ではないのだろうか。南蛮人を装っているだけではないだろうか。全て空想で、自分たちを欺いているだけではないのだろうか、と。因みに彼女が切った大根は太さがまちまちだった。彼女には炊事を任せないと決めた。
掃除を任せた時には雑巾を絞る時に力を入れすぎてビリビリに破いてしまっていたので、恐ろしくて洗濯を頼むことは出来なかった。加減が難しいと難しい顔をした彼女は一体どれだけ怪力なのだろうか。怪しさ満点だ。
けれど彼女は与えられる仕事を嫌がることはしなかったし、少しでも役に立とうと頑張ってくれている。
”私みたいな怪しいのを置いてくれてありがとうございます”
自分でも怪しいと自覚していたらしい彼女は、それでも置いてくれていることが嬉しい、感謝していると笑う。力の加減も出来るようになったらしく、最初は散々だった内職も今では物凄い速さでこなしている。きり丸が「彼女がいてくれて良かった」と言う主な理由はこれだ。手馴れたきり丸や半助よりも更に早く終わらせてしまうのだ。箱一杯に持って帰ってきた内職は、通常なら一週間かかるものをリサは三日で終わらせてしまった。しかもきり丸と半助の手伝いを受けずに、だ。
驚異的な身体能力を有する彼女は、けれど頭の方はそこまででもなく。十歳のきり丸に心配されてしまうくらいには物知らずだった。使用人を雇うほどの金持ちだからだと思えば多少は納得も出来たが、彼女の将来が心配に思えてしまった半助は、教師魂というものを発揮してリサに日常生活を送るのに支障が出ない程度の知識を与えることにした。
「土井せんせー、ぼく、リサさん好きっすよ」
先を行くきり丸が振り返って半助に言う。あの人面白いし優しいじゃないっすか、と笑うきり丸だって最初は多少なりとも警戒をしていたはずだ。包丁を持たせた時や雑巾を破った時だって不安げに視線を寄越していたのを知っている。
「とんでもなく怪しいですけど、なーんかあの人を信じても良いような気がするんすよねぇ」
「……私だって、そう思わないわけじゃないさ」
「でしょー?」
「だが、だからと言って警戒しないわけにもいかない。分かるだろう?」
私たちは忍者なのだから。口に出さなかったそれはきり丸にちゃんと伝わったのだろう。眉を下げて頷くきり丸を見て半助は笑う。きっと、自分の眉も同じように垂れ下がっているのだろう。
「せんせー」
「何だ?」
午前中の仕事を全て終えた二人は、のんびりとした足取りで家へと向かっていた。半助の手には昼餉の材料がある。独り言のような呟きを拾って返事をすると、きり丸は半助を見ないまま抑揚のない声で言った。
「ぼくらが休み終わったら、リサさんどうなるんすかね」
「……そうだなぁ」
腕を組んで悩む半助をきり丸は見ない。きっと気付いているのだろう。まだ十歳と言えど、彼だって忍のたまごなのだから。物事を全て楽観的に考えられるほど幼くもないし、楽に生きてきたわけでもない。
きり丸は知っているのだろう。この休みが終わる頃にもリサが尻尾を出さなかったら、学園に連れて行かれるのだということを。そこでどんな処遇を受けるのかは半助にも分からない。全てはリサ次第だ。
「……ぼく、リサさん好きっすよ」
だから酷いことしないで。きり丸の心の声が聞こえたような気がした。
それからずっと黙り込んだまま、半助ときり丸は家に帰ってきた。玄関の戸を開ける手が重いのは何故だろうか。きり丸と重い話をしてしまったからか、それとも自分の気持ちが沈んでしまったからかもしれない。
警戒はするべきだ。自分は間違っていないと半助は胸を張って言える。けれど。
「あ、お帰りなさーい!」
お疲れ様です!内職の手を止めて立ち上がった彼女が、まるで主人の帰りを喜ぶ犬のように駆け寄ってくるのを見ていると、思ってしまう。
彼女が本当に異世界人で、自分たちにとって害のない人間であって欲しい、と。
「――ただいま、リサさん」
ここは彼女の家ではないのに。
素直にただいまと言ってしまえることが恐ろしくて悲しい。
どうか、と思う。
「手伝います!」
「じゃあ大根洗ってください」
「はーい!」
自分たちを信じさせてくれ、と。
夏休みを終えて学園に戻る頃までに、信頼を勝ち取って欲しい、と。
「切るのはきり丸よろしくな」
「うぃーっす」
「え!? ど、土井先生! 私も切りたいです!」
学園長や他の教師たちに、彼女は大丈夫ですと胸を張って言えるように。
「大丈夫ですかぁ? 困りますよ、まな板まで切られたら」
「大丈夫です! まな板使いませんから!」
「却下。ほら、きり丸」
「うぃーっす」
彼女が同僚や生徒たちに傷付けられる姿など、見たくもないのだから。