12月24日、クリスマス・イブ。それは私にとっての特別な日。
大好きな両親から望まれて生まれ、毎年家族からおめでとうの言葉を貰った。
そしてあの人とのお付き合いが始まり、自分にとって二つ目の大切な家族を持てた。
私に、人生の豊かさと転機を与えてくれた大切な日。
その日が近づくに連れ、幸せな気持ちが勝手に湧いてきてしまう事に私の顔はここの所緩みっぱなしだ。
例年の如く、今年もサッチさんの手によって綺麗にクリスマスカラーに染められたこの家は、丁度一年前のあの日からマルコさんの家であると同時に私の家にもなった。
一年前のクリスマス・イブ。マルコさんから告げられた「家族になってくれ」と言う言葉に、私は直ぐに返事をした。もとより、心のどこかで欲していたその言葉にもったいぶるつもりなんて無かった。嬉しくて嬉しくて、それだけだった。
見えない未来への不安なんて一切無く、ただただ温かな光と幸せだけが溢れていた。
マルコさんは、優しげで、けれどどこか難しそうに強張らせていた顔を途端、満面の笑みに変えて、私を力いっぱい抱き締めてくれた。
初めてのクリスマス・イブの時のようにヤドリギの下でキスをして、お姫様抱っこで運ばれた先で、次の日の朝まで抱き締め合って眠った。そして、目を覚ました後、二人で役所へと行き、晴れて私達は家族になった。
役所の外で、そう言えば両親に報告していないことを思い出し携帯電話で急いで連絡すれば、事後承諾だったことに不満を言われたけれど、でも散々嫌味を言われた後で涙が滲んだ声でおめでとうと言われて、私もつられて泣いた。マルコさんはそんな私の肩を抱いて、優しく笑ってくれた。この人が私の旦那さんなんだと思ったら幸せすぎてどうにかなってしまいそうだった。
帰りに通りかかった商店街で偶々、お店の買い出し中だったサッチさんに結婚したことを告げれば、盛大に吃驚した後にこちらも何故か泣いておめでとうと言われ、それを見た商店街の人たちにもあれやこれやと盛大に祝福されて、色んなものをご祝儀だと頂き、嬉しくも恥ずかしかったのも、散々オマケされて荷物で一杯になった手を何とか繋いで冬なのに汗だくで家まで帰った事も、今となってはいい思い出だ。
その後、マルコさんがブログに書いた小説が実写化された映画が公開されたり、長年描き続けてきた絵本シリーズが完結を迎えたりと、忙しくなってしまった二人の生活は色々と変わってしまったけれど、それでも私達の間にある感情は一切変わることなく、優しく繋がる絆は日々育まれている。
「それにしても、大きくなったよねぇ」
ニコニコと私を見つめて話すのは、タミさんという女性。彼女は半年ほど前からサッチさんとお付き合いしていて、サッチさんのお店で顔を合わせたり商店街ですれ違ったりと何かと会う機会も多く、自然と互いの家を行き来するくらい仲良くなっていた。
彼女はまぁるく膨らんだ私のお腹をまるでふわふわの綿菓子に触るように優しく触れて、子供のような無邪気な顔で、斜め向かいのソファで私達の様子を見つめながら幸せそうにコーヒーをすするサッチさんを振り返った。途端さっきまで見守るように見つめていた顔が笑み崩れて酷いことになる。私達がまだ世間から『新婚ほやほや』と称される中、彼らはさながら『熱々カップル』だろうか。
誰から見ても仲良しの二人の出会いは、なかなかに衝撃的なものである。
その話を聞いたのは、私のお腹がちょっと目立って張り出してきた頃のこと。この頃になると本格的に安定期に入って過保護に過保護を重ねたようなマルコさんがちょっとだけ元の落ち着きを取り戻し、私が出かけることにもあまり難色を示さないようになった。その日も、サッチさんのお店に二人で気晴らしに出かけ、そこでカウンターに座るタミさんが私達が座ったボックス席にわざわざ席を移して話しかけに来てくれた時のことだ。すっかりマルコさんそっちのけで久しぶりのガールズトークで盛り上がって、話が最近の芸能人の恋愛事情なんてものに発展した時、サッチさんが新しいコーヒーと酸味の優しいオレンジジュースを乗せたトレーを手に会話に加わった。
曰く、そんな芸能人の話なんかよりも俺達の出会いの方がよっぽど運命的で刺激的だったのだ、と。自信満々に語られ始める二人の出会いに私も少なからず興味を擽られて聞く体制で居住まいを正せば、サッチさんはわざとらしくごほん、と一度咳払いをしてからその日の出来事を語り始めた。
何でも、その日、店前で開店前の掃除をしていたサッチさんに自転車に乗ったタミさんがそのまま突っ込んできたのだと言う。ブレーキを踏むようなアクションは一切なかったらしい。タミさんに視線で聞けば「覚えてない」の一言だった。マルコさんはそれはただの人身事故と言うんだ、とトレーの上から取ったコーヒーカップに口をつけたまま突っ込んでいた。
サッチさんはマルコさんの突込みなど何のその。出会った瞬間強い衝撃が彼を襲って、そして二人の周りにはこの出会いを祝福するかのように一瞬にして花が舞ったのだと、そう夢見る乙女のような顔をしてその出会いを振り返った。実際、タミさんは花屋からの帰り道だったらしく、物理的にも花は舞っていたらしい。タミさんがこそっと私の耳元に注訳を入れる。
しかし、その衝撃とやらは恋によるものではなく、間違いなく自転車とぶつかった事故による衝撃だろうと推測できた。それを私は突っ込みたくて仕方なかったけれど、幸せそうに思い出を語るサッチさんに水を差すようなことはしたくなくて只管黙っていた。そんな私の隣でマルコさんが逐一丁寧に水を差して居た訳だが、やっぱりサッチさんの耳には入っていない。
タミさんは優しい顔でサッチさんを見つめながら、「マジで良かったよ。慰謝料請求されなくて」と私に対して微笑んだが、その笑顔がちょっと小悪魔チックに見えたのは間違いじゃないだろう。
結局サッチさんは全治二週間の大怪我だったらしいのだけれど、まぁ、結果がよければいいのだろう。
口には出さないけれど、サッチさんの親友であるマルコさんにはこの二人には最初色々と思うところがあるようだった。それでも二人は確かに一緒に居て楽しいみたいだし、そんな二人と一緒に居ると私も楽しくて、いつも笑いが止まらなくて。
それを見てマルコさんがつられたように笑うのが何時しか当たり前になっていた。
子供の頃には友達なんて直ぐに作れたけれど、大人になってからのそれは存外難しい。私にとっても、マルコさんにとっても、このちょっと変わった切欠で生まれた出会いはとても素敵なものになって数ヶ月経った今も確りと持続していた。
そして、迎える今年のクリスマス・イブである。
出会ってから二年、マルコさんと二人で過ごしてきたクリスマス・イブを今回みんなで祝おうという事になったのには理由がある。それが、この大きく張り出したお腹。出産予定日が年が明けて直ぐということで、その存在感は並々ならぬものがあった。
最初、お腹が大きいと色々と準備も大変だろうから、みんなでお店でパーティーしようと誘ってくれたのはサッチさんだった。そしたらタミさんが後片付けは任せて! とそれを後押しするような言葉をくれた。いつもそういったイベント時にはお店を一身上の都合で休業にするサッチさんにマルコさんは最初は突っぱねていたけれど、これから子供が生まれたら一緒にお祝いできない寂しい! と、憎からず思っているサチ子に懇願されたらマルコさんでも無碍に出来なかったのだろう。目に見えてひるんだその瞬間を見逃すサッチさんではない。
次々と投げかけられる言葉を必死に返すマルコさんが、料理はどうするのだ、と言うサッチさんに「出来合いのオードブルでも取るからいい」と返した瞬間、「身重のリサちゃんにそんな食品添加物ばっか入った料理食わせんのか、お前は鬼か!!」と本当に鬼の首を取ったような喜びを見せた。勝利を確信して喜色ばむ顔とは裏腹に散々口汚く貶されて、結局折れた形となったマルコさんに、サッチさんはWinner!! とわざとらしく両腕を掲げ、ウキウキと腰を捻らせる。タミさんはそんな姿を見てケラケラと笑っていた。
そんなこんなで、今年のクリスマス・イブ兼、私の誕生日はサッチさんのお店で、来られる常連さん達も交えて大勢でお祝いすることになった。
大人になってからこんなに盛大に自分の誕生日をお祝いして貰う事も少ないから、マルコさんと最後の二人きりの誕生日パーティーもちょっと惜しかったけれど、こっちのお祝いもやっぱりいいな、と思って私も笑みが零れた。それはマルコさんも一緒だったみたいで、後日二人きりでお祝いしようと言われて素直に頷けば、まるで「自分のことを忘れるな」とばかりにぽこり、と強く蹴られたお腹に二人揃ってごめんね、と謝った。
素敵なクリスマスパーティーを出来ることになって嬉しい気持ちと共に、何もかもおもてなしされる立場であるのも何だか心苦しかった私は、自分が作れるお菓子の中でみんなに好評を得ているシフォンケーキをクリスマスケーキとして持参したいと申し出たのは、パーティーをすることに決まった日のことだった。タミさんはやったー! と両手を上げて子供みたいにはしゃいで、逆に腕を振るうつもりだったらしいサッチさんにしょんぼりされていた。
そして今日がその当日。
夕方から始まるパーティーに合わせてケーキを作るためにタミさんが昼から手伝いに来てくれていて、それについてサッチさんが一人は寂しいとマルコさんに構われにきていた。
いい年をしたおっさんが二人でギャーギャーしているのを楽しそうに見つめながら、タミさんが「そういえば、出産の時は実家に帰るの?」などと思い出したように訊ねる。
今はすでにケーキを作り終え、焼き上がりを待つばかりだった。
「ちょっと迷ったんだけどね、家の両親数年前にそれまで住んでいた自宅売り払って田舎に引っ込んじゃってて、向こうに大きな病院もないし、母親もこっちで産んだ方がいいって」
「まぁ確かに。設備とか整ってないと初めては尚更怖いかもねぇ」
「うん、それに年末年始ってどこも込むから移動とか無理するなって言われたしね。年明け直ぐに向こうがこっちに来てくれるみたい」
「なら安心だね」
また自分のことのようにニコニコするタミさんの影で、サッチさんがマルコさんに何やら言っている。何となくいやらしい顔をしてるからあまりいい内容ではないだろうと思って見ていれば、やっぱりそうだったのかマルコさんの長い足で横腹を蹴られていた。
「サッチさん、そういう下ネタは駄目だよ」
「え、聞こえたの?」
「うん。お母さんが居たら流石に手ぇ出せないねー、って」
「ああああああああ!! タミちゃんんん??!!」
思わず胡乱な目でサッチさんを見てしまう。流石にない。マルコさんが怒るのも当然だ。
「胎教に悪いからほっとこーね」
「タミちゃんんんんんん!!!」
「そうだよい、あんなかびたパンの存在なんて忘れろ」
「マルコぉぉぉおおおお!!!」
マルコさんとタミちゃんがニコニコとサッチさんの存在を空気にし出したことでサッチさんが哀れに泣き崩れるが、私も「え、二人以外に何か居ましたっけ?」と乗っかってみたら、面白いことになった。
本格的に無視してお喋りをすることにした私達に、不意にサッチさんが二人がけのソファの上にちょこんと置かれてあった物体を手にした。それは、今年もサッチさんによってお店のディスプレイさながらに完璧にクリスマスムードになったいた部屋の中で唯一毛色の違う浮いた存在だった一体のゴム人形。タミさんがマルコさんに似ていると言って買ってきたそれは、握ると苦しげな怪奇音を出す不機嫌そうな顔をした七面鳥の人形で、マルコさんはそれを見るたびに忌々しそうな顔をするのだけれど、私は存外気に入っていて、そのまま置いておいたものだった。思わず気にしてしまうその先で、サッチさんが徐に七面鳥の首と胴をぎゅっと握る。何をするのだろうと横目でチラチラ見ていればぱっと放した手の中で、七面鳥が変な音を鳴らしてぶるんと膨らんでもとの形に戻った。
その光景にバッと思わず口と鼻を手で押さえれば、瞬間、ブホッと隣から盛大に噴出す音が聞こえた。見てみればタミさんが必死に顔を背けてぷるぷる震えている。あぁ、ヤバイ。口を押さえたままもう一度サッチさんを見る。また、七面鳥が無残にもその両手に絞められていた。開放されてまたあの鳴き声。今度こそ耐え切れなくなって、体制を保っていられなくなって崩れ落ちるタミさんに縋るように寄りかかって私もお腹を抱えて笑い出した。視線の先でしてやったりな顔をしてまた七面鳥を握るサッチさんは、口をへの字にしてどうにか笑うことを我慢したマルコさんによって再び蹴りを入れられるところだった。
と、キッチンの方でオーブンのお知らせ音が鳴るのを聞いて、私は重いお腹を支えて立ち上がる。その隙にタミさんも立ち上がって「お任せあれー」とミトンを手にはめた。「リサに重いものを持たせるな」と言うマルコさんの言葉を忠実に守ってくれている彼女に感謝しながら笑わされすぎて痛くなったお腹をそっと摩る。
「どうしたリサ、大丈夫かい?」
「うん。ちょっと笑いすぎて痛くなっただけ」
「ったく、あの馬鹿はロクなことしねぇよい」
「そんなこと言わないの」
思わず嗜めるように笑えば、マルコさんも諦めたように肩を竦めて笑って見せた。
「リサさん、これ、ちょっと生地付いてくるかもー」
「じゃあもうちょっと焼こうか」
「あーい」
持った竹串をフリフリと振って見せる姿に近づこうと一歩踏み出した時、ぷつりとどこかから音がした気がして、立ち止まる。「え、」と気の抜けた声を自分が出したと認識した途端。足の間から生ぬるい水が流れていくのと同時に激しい痛みがお腹を襲った。
「ぎゃあああ!!! マルコさんんん!!」
「っせぇな! 何だよい!!」
「リサさん!! リサさん一大事!!!」
一番先に気づいたのはケーキをオーブンに戻し終えて振り返ったタミさんだった。今までに見たことないくらい取り乱した顔をして私を指差す彼女に、隣から盛大な怒声が聞こえた。そして示されるままにこちらに気づいたマルコさんが今度は顔色を変えて立ち上がる。
「リサ、大丈夫か?!」
「うぉおお!! どうすればいいの! タクシー?! 救急車?!! アルソック?!!」
蹲る私の頭上で二人の声が聞こえる。どうでもいいから助けてくれ、と思っていれば、身体にかかる柔らかい感触に顔を上げた。
「大丈夫だリサちゃん。直ぐに可愛い子に会えるよ」
「サッチ、さん…」
「おいマルコ、リサちゃんが通ってる病院に連絡入れろ。あとこのマンションの位置的に救急車よりもタクシーの方が早いだろ、裏道も知ってるだろうし。多分今の時間だったらそんなに道も込んでねぇから、タミ電話して。産気づいてる妊婦居るって言えよ」
「アイアイサー!」
パタパタと進む状況に、私は包まれた毛布の端を掴んで落ち着かない様子で病院に電話をするマルコさんを縋るように見上げていた。
連絡を取り終わったのだろうマルコさんが揺れる瞳でこちらを見下ろしてくる。と、その後頭部が盛大に引っ叩かれた。
「しゃきっとしねぇかマルコ! お前の子供だろうが!!」
聞いた事もないような真剣な声に、自分の中での焦っていた部分がスッと冷静になった。そうだ。私だって母親になるんだから。こんなおどおどしてちゃ駄目だ。
「リサ」
同じことを思ったんだろう。今度は揺れていない真っ直ぐな瞳が私を射抜いて、伸びてきた大きな手のひらが安心を与えるように力強く私の肩に置かれた。
【 幸せを形にしたら 】
クリスマス・イブにやってきたサンタクロースは、イブの深夜、素敵なプレゼントを置いて帰って行った。
始発で駆けつけてくれた両親や、近くに住む友人達。まるでクリスマスの朝、クリスマスツリーの下に置かれたプレゼントの包装を開ける時のようなキラキラした顔で腕に抱かれた赤ちゃんの寝顔を覗き込む人々の顔はみんな笑顔で、この誕生を誰もがお祝いしてくれているのがわかった。
四人部屋の病室のベッドの上、サッチさんがわざわざ家に取りに行ってくれたシフォンケーキで一日遅れの私達二人の誕生日とクリスマスのお祝いをして、この素敵な日をみんなで喜んだ。
その時食べた少し焦げたケーキの味を、結局騒ぎすぎて看護師さんにいい歳をした大人達が揃って叱られたことを、私は幸せな記憶と共に一生忘れないんだ思う。
私の人生の転機は、12月24日にある。
そしてこの子自身、まるでその日がいいとばかりに日を跨ぐ前にこの世に生まれてきたのにはきっと、意味があるのだろう。
腕の中で眠る愛しい子に、あなたにとっても今日という日が大切な日になりますように、とそっと額に口付ければ、その顔にそっと天使のような笑みが浮かぶのだった。