小頭雑渡×部下 続き [Bad]


今日はやけに風の強い日だ。
頭巾の結び目から伸びた布地がバタバタとはためくのを感じながら、雑渡昆奈門は腕を組み空を仰いだ。闇夜に輝く月がその姿を完全に隠している。灰色の厚い雲に星たちが空に輝くことすら許されない今夜は、闇に潜む生き物にとってはこの上なく良い夜だ。

「組頭」
「何だ」

音もなく背後に現れた部下の呼びかけに返事をすれば、部下はいつもより僅かばかり暗い声音で用件を告げる。

「やはり、罠のようです」
「そうか」

不安の混じる声にただ一言返し、雑渡は自身の二の腕を掴む指に微かに力を篭めた。目敏い部下はきっと気付いただろう。気遣うような視線を背中に感じて雑渡は内心で溜息を漏らした。組頭ともあろう自分が、何とも情けない。

「あいつらなら無事だ」
「えぇ……分かっています」

ただ、尊奈門が心配で。続いた部下の声に雑渡は微笑する。見習いとして忍者隊に属してから五年、必死に腕を磨き続けてきた年若い部下――諸泉尊奈門。数年前、全身に大火傷を負い生死を彷徨い続けた雑渡を懸命に介護し続けてくれた子ども。「楽にしてやれ」と、当時の組頭にさえ見放された雑渡の生命を繋いでくれた子ども。自分の父を助けてこうなったのだ、自分が看病する、と懸命に訴えてくれた子ども。

歳を重ね、技術を身に付けた尊奈門はもう子どもではなくなった。幼少時代を知っている所為か皆から子ども扱いされてばかりの青年は、着々と実力を上げたというのに、その心だけは未だに幼さを残している。とは言え、切り替えは上手く出来ているのだから任務遂行の妨げになることもあるまい。だからこそ今夜の任務に同行させたのだから。

”任せたぞ”

数刻前その言葉を向けた部下は、闇夜の中でギラリと光るその目に確固たる意思を宿らせて頷いた。
桜井リサ。タソガレドキ忍者村の桜井家に生まれた長子。本来であれば後継者を産むという役割を授かるはずであった彼女は、けれどくの一として生きることを望んだ。他の誰でもない、雑渡昆奈門の為に。

雑渡の隣に立ち、雑渡の手足となって生きることを望んだ幼馴染。望めば夫婦となれる可能性だって十分あったというのに、彼女はそれを選ばなかった。子を成すことならば誰にでも出来る。子を成す為の道具で我慢など出来はしない。他の誰でもなく桜井リサが雑渡昆奈門の手足となる。この生命は雑渡昆奈門の為に。それは絶対的な慕情。絶対的な独占欲。

宣言通り彼女はタソガレドキ忍軍にとってなくてはならない存在となった。忍組頭である雑渡昆奈門の大切な手足となった。
今までも、そしてこれからもそうあり続けるのだと確信している。感情に左右されることなく、ただ雑渡の手足として動き続けるのだと。
そんな彼女だからこそ尊奈門を同行させたのだ。彼女と共にあることで尊奈門は大きく成長すると確信して。

「帰ってきたぞ!」

見張り台から振ってくる声に顔を上げれば、遠くから喧騒が聞こえてくる。口々に叫ぶ声が雑渡の焦燥感を煽り立てる中、控えていた山本陣内が雑渡の脇を走り抜けて喧騒の中へと飛び込んでいった。「行ってきます!」元気よく発した青年の姿が浮かび、雑渡は無意識に指先に力を篭めた。

「組頭……!!」

割れた人垣の中から、同行した高坂陣内左衛門に肩を借りた諸泉尊奈門がやって来る。足に傷を負っているようだが致命傷には至らない。あぁ、無事だったか。ほ、と安堵の息を漏らしかけた雑渡は、こちらにやって来る尊奈門と高坂の顔が憔悴しきっていることに気付いた。それほど大変だったのだろう。怪我が少なくて何よりだ、と考えて気付く。一人足りない。

「――リサはどうした」

重傷でも負ったのだろうか。問いかけた声に尊奈門の身体が大きく震えたのが見えて、雑渡は呼吸を止めた。嫌な予感がする。けれど、聞かなければ。駄目だ。聞きたくない。駄目だ。けれど、聞かなければ。

「っ、敵の、罠に……っ、」
「あぁ、聞いている」

絞り出すように報告を始めた高坂に頷きを返せば、ぐっと耐えるように歯を食いしばった高坂の肩を借りていた尊奈門がその場に崩れ落ちた。すぐに駆け寄った山本が尊奈門を抱き止めるのを見ていると、重傷でもないのに浅く呼吸を繰り返し苦しげに喘ぐ尊奈門が小さな声で何事かを呟いた。

風が運んでくる。小さな小さな呟きを。

”ごめんなさい、ごめんなさい”

ひたすらに謝罪の言葉を繰り返す尊奈門。意味が分からないほど能天気ではない。
指先の感覚が無くなっている事にすら気付かないまま、雑渡は高坂の報告をじっと待った。深呼吸を繰り返した高坂が雑渡の前に跪き、懐から取り出した巻物を差し出してくる。

「密書は、手に入れました」
「ご苦労」
「、ですが……帰還する途中に囲まれ………尊奈門が足を負傷しました」

はぁ。湿った息を吐き出した高坂が声を絞り出す。

「敵の刃が迫り、咄嗟に尊奈門を庇ったリサさん、が……」
「はっきり言え」
「……っ、敵の刃にかかり、生命を落としました……!」

水を打ったように静かになった。嘘だろ。誰かの呟きが耳に届く。指先の感覚も、爪を立てた腕の感覚もない。

「――そうか」
「、も、じわげ、ありばぜん……っ!!」

尊奈門の悲痛な叫びが響く。ひたすらに叫び続ける謝罪は誰に向けたものなのだろうか。
頭を垂れたままの高坂の肩が震えている。俯き黙り込んだまま尊奈門の足の手当てをする山本がどんな表情をしているのかは分からない。
自分は、一体どんな顔をしているのだろうか。

「――尊奈門、陣左」

名を呼べば憔悴しきった顔の高坂と、ぐちゃぐちゃに顔を歪めた尊奈門が雑渡を見上げた。厳罰を望んでいるかのようなその目に映っているだろう自分の顔は、当然ながら見えない。

「よく帰ってきた」
「っ、」
「ゆっくり休め」

受け取った密書を手に背を向ける。殿の元へ行かなければ。これからの戦略を立てるのだ。
やらなければならないことは山程ある。立ち止まってる暇などありはしない。

”貴方は私が護ります”

そう宣言した幼馴染の顔が浮かぶ。

「………今度は、守ったな」

かつて雑渡の生命を救った尊奈門。尊奈門のおかげで雑渡は今こうして生きている。
かの青年は父を助けてくれたのだからお相子です、なんて笑っていたけれど、雑渡にとっては違う。リサにとっても違ったのだろう。
尊奈門がいなければ雑渡は死んでいた。それはつまり、諸泉尊奈門という存在は雑渡昆奈門にとってなくてはならない存在だということで。雑渡を護ると誓うリサの言葉はつまり、尊奈門を護るということで。

「次は私の番だ」

かつて言った言葉を撤回しよう。呟いて雑渡は雲に覆われた空を見上げた。

「お前は、死んでも私のものだ」

死が二人を分かつことになろうとも。空より高い何処かへ消えてしまったのだとしても。
桜井リサはタソガレドキ忍軍のくの一であり、組頭である雑渡昆奈門のものだ。

”本望です”

吹き抜けていった風がそう囁いたような気がした。




もっと聞かせて君の声を




もう二度と叶わぬ願いだと知っているけれど。