時が経つのは早いものだ。目の前で担架に乗せられて救急車へ運ばれていく不良たちを眺めながらリサは思う。ちらりと視線をずらせば、救急車を呼ぶ理由を作った張本人――雲雀恭弥が眠そうに欠伸をしていた。
サイレンを鳴らして遠ざかっていく数台の白い車を見送って、溜息を一つ。
「委員長、やり過ぎです」
眠たげな雲雀にそう注意すると「知らない」と投げやりな返事。
「一日に何度救急車を呼ぶんですか……せめて保健室で済ませられる程度にしてくださいよ」
「弱いのが悪いんだよ。それにあの保険医は男は診ないって追い出すだろ」
病院送りにしてやるのは親切だなどと言ってのける風紀委員長にリサは頭を抱えた。この男、滅茶苦茶である。知っていたけれど。知りたくないのに知っていたけれど。
「そもそも君に言う権利ないよ。また手を抜いただろ」
「だって……」
「中途半端に取り締まるからつけ上がるんだよ。徹底的にやらないと」
「ち、ちゃんと倒しましたよ……!」
「すぐに動けるようになるのを”ちゃんと”とは言わないよ。何の為に特訓してるのか分からないだろう」
咎めるような言葉にリサは視線を落とした。返す言葉がない。雲雀の言い分はごもっともだ。
俯き黙り込むリサをつまらなさそうに見た雲雀が学ランを翻して去っていく。
「放課後のメニュー、倍ね」
「……はい」
いつもなら即座に反論する理不尽な命令に、けれどこの時ばかりは何も言えずにただ了承の返事をすることしか出来なかった。
風紀委員になってからニ年。桜井リサは最高学年になっていた。おかしなことに一つ上の学年であるはずの雲雀は今年も並盛中に在籍している。今年度の新学期当日、当たり前のように登校していた雲雀に「貴方何で卒業していないんですか」と問いかけたが、返ってきたのは「僕はいつでも好きな学年だよ」というわけの分からない答えだった。
風紀委員の証である旧制服をもらってからニ年。思い出したくもないようなことがたくさんあった。
あの銀色の凶器の餌食になりたくなくて必死に委員会活動に勤しんだものの、現実はそう甘くはなかった。何しろただ一人の女子風紀委員は目立つのだ。雲雀に反感を持つ者たちからすれば格好の餌食だったであろう。校内では在校生たちの注目の的となり、校外の見周りに出れば雲雀に反感を持つ不良たちから狙われる――思い出しても嫌なことしかない。
絡まれるたびに一緒に見回りをしていた風紀委員が助けてくれた。主に草壁だ。彼はとても優秀な風紀委員だったが、友人としてもとても優秀であった。リサが困っていればいつだって助けてくれた。一緒に見回りをすることが多く、不良たちに絡まれたリサを助けてくれるのもいつも草壁だった。
だが、それを知った雲雀が言った。
”弱いままなんて許さないよ。強くなるまで鍛えてあげる”
中学最初の夏休みを目前に控えたある蒸し暑い日。リサはこの日初めてあの恐ろしい銀色の武器の餌食となった。目が覚めたら数時間も経過していて、心配そうに覗き込む草壁から、雲雀からの恐ろしい伝言を聞いた。毎朝トレーニングをしろというもので、ご丁寧にメニューまで作ってくれたらしい。翌朝からは地獄だった。朝早くに起きて並盛り神社へ行き、長い長い階段を何度も往復した。筋力トレーニングなんて一度もしたことがなかったおかげで、朝四時から始めたものの、終わったのは九時過ぎだった。当然ながら遅刻だった。間に合わなくてすみませんと土下座をする勢いで謝罪したのが懐かしい。
”へぇ、サボらなかったんだ”
驚いたことに雲雀からお叱りの言葉はなかった。適当にこなして学校へやって来たら咬み殺してやるつもりだったと聞かされて、何度も心が折れそうになりながらも最後までやり遂げた数時間前の自分に全力で感謝した。
毎朝のトレーニングは日を追うごとに増えていった。雲雀が気紛れに様子を見に来た日には傷が増え、湿布や包帯まみれになった。父は娘を案じて転校するかと何度となく尋ねたけれど、それにリサが是と答える日はなかった。自分でも何をしているのだろうかと何度も考えた。他の学校へ逃げてしまえば楽になれるはずなのにどうしても頷けなかった。日に日に体力をつけ、身を守る術を学んでいくリサに雲雀が満足げな顔をしていたからだろうか。言われた通りの動きを出来た時に見せる雲雀の満足げな顔。あれだけで全て報われたような気がしてしまうのだ。
リサの努力を雲雀恭弥は正しく評価してくれた。
二年に進級した時、今年は平和に過ごしたいなんて考えていたリサは風紀委員に立候補しなかった。喜ばしいことに立候補する生徒がいたから、地獄のじゃんけんをすることもなかった。よし、勝った。今年は超平和に過ごせるはずだ――既に友人を作ることは難しくなっていたが、それでも不良たちに狙われることがなくなるだけで超平和だと思っていた。思い込んでいた。
”やるの? やらないの?”
新学期が始まって三日目に雲雀に呼び出され、咬み殺されたクラスメイトの代わりに風紀委員になるようにと言われた。お前は一体何をしたんだと早々に病院送りにされたクラスメイトに心の内で問いかけながら、リサは条件反射で「やります」と答えていた。ぐっばい、平穏。はろー、地獄。
雲雀に咬み殺されたくない一心で風紀委員の仕事に尽力した。再び始まった早朝トレーニングや放課後トレーニングに悲鳴を上げながら、それでも生き抜いた。
そして三年生に進級した。この時には既に平穏な暮らしを諦めていて、今年は自分から立候補してやろうじゃないかとさえ考えていた。自暴自棄になっていたのかもしれない。
だが委員会決めが始まった時、黒板には既にリサの名前が書かれていた。状況についていけずにいるリサと決して目を合わせようとしないまま担任が「雲雀の要望でな」とぼそぼそ言った。同じメンバーで――雲雀がそう命じていたらしい。自棄を起こしていたものの、改めて雲雀から指名されると何とも言えない感情が渦巻いた。使えると思われていることは嬉しい。今年も平和は望めないと思えると悲しい。胸中は複雑だった。
毎日のように雲雀に修行をつけてもらっていたおかげか、この頃には雲雀への恐怖は殆ど感じなくなっていた。怖いだけの人間ではないと知ることが出来たからだろう。話してみれば意外と普通で、軽口を叩くようにもなった。雲雀の冗談は笑えないものが多かったし、トンファーが飛んでくることも格段に増えたが、それでもただ雲雀に怯えていた頃に比べればずっと良いと思った。感覚が麻痺していたのかもしれない。
春休み中もトレーニングを続けていたことを褒められた、一年の頃に比べたらうんと強くなった、ある程度の不良なら取り締まれるようにもなった――それでもリサはその力を使う気にはなれなかった。
殴られれば痛いということを知っている。嫌というほど刷り込まれている。そんな思いを、風紀を乱したからといって彼らに味わわせたいとは思えなかった。
雲雀はそれを「甘い」と言う。「徹底的にやれ」と言う。分かっていはいるけれど、どうしてもそれに頷くことは出来なかった。そんなリサに雲雀は呆れ顔で溜息をついていたけれど、それでも本気で改めさせようとはしていなかった。だから甘えていだのだ。
ゴールデン・ウィークが明けた頃、一人の女子生徒が並盛中に編入してきた。
どうやら風紀委員の噂を聞きつけてわざわざ転校してきたらしい。その話を聞いた時に思わず「頭おかしいんですかね」と呟いて雲雀に消しゴムを投げつけられた。ひと月前のことだ。転入生は風紀委員に立候補した。彼女の入ったクラスに空きはなかったが委員長である雲雀が許可を出した。既に一年生の半分が雲雀によって委員を脱退させられていたからだろうが、それを聞いたリサはやはり「頭おかしい」としか思わなかった。
許可を出したくせに雲雀は転校生には興味がないようだった。それなりに腕が立つことは分かったようで、様子を見て使えそうならこのまま在籍させようと考えているらしいと草壁から聞いた。
困ったのはリサの方だ。何しろこの転校生、すぐに力に訴えるのだ。違反者を見れば言葉より先に手が出るし、放課後の見回り中に不良を見つければ即座に叩きのめす。違反を起こしたわけでもなければ喧嘩を売られたわけでもない――そんな状態でさえお構いなしだ。雲雀よりタチが悪い。
極めつけ、どうやらリサは彼女に嫌われているらしい。弱いくせに何故ここにいるのだとばかりに睨まれた回数は既に数え切れない。
転校生による度を過ぎた取り締まりは、結果として不良たちの風紀委員への反感を強めることとなった。見回りをしていれば絡まれ、時には曲がり角の先で待ち伏せられ突然殴りかかられたこともある。力を振るうことに躊躇いのあるリサは、他の風紀委員に比べて怪我をする回数が劇的に増えた。
「相変わらずだね、君。やり返しなよ」
前日の襲撃によって怪我をこさえたリサを呼び出して雲雀が言う。頬と手の甲にガーゼを貼り、足に湿布を貼り付けたリサを上から下まで見やり溜息を零す。呆れを隠しもしない雲雀にリサは視線を逸らしながらぼそぼそと言った。
「……暴力は、好きじゃないです」
「やられっ放しがいいなら良いけどね」
「最低限の反撃はしてます」
「足りてないからそうなってるんだろ」
紡げばすぐに反論されて。リサは顔を俯かせてスカートをきゅっと握った。
「……今までは十分でした」
「何が言いたいの」
分かっているくせに。心の中でぼやいてリサは言う。
「…………あの人が来てから、不良たちの凶暴さが増しました」
「結構派手にやってるみたいだね、あれ」
「本人は”取り締まり”だって言ってるけど……でも、風紀の乱れる原因になってます。良いんですか?」
責めるような口調になってしまうのは仕方がない。何しろ一番被害を受けているのは自分なのだ。不良たちも可哀想だと思うが、彼らの怒りの捌け口が自分となれば同情ばかりしていられない。転校生が風紀委員になることを許可したのは雲雀なのだから、雲雀が何とかしてくれと思ってしまうのも仕方がないではないか。
「自分でどうにかしようとは思わないの?」
素気無く返された言葉にリサは奥歯を噛みしめた。決して雲雀を見ようとしないリサにまた溜息をついて雲雀が立ち上がる。
「自分より強い者には逆らわない――君は変わらないね。一年の頃からずっと弱いままだ」
放たれる言葉に感情はない。呆れすらないその声音にリサは何も言い返せなかった。
どうして言い返せなかったのだろう。どうして雲雀はあんな言い方をしたのだろう。自分で認めておいて放っておくなんて雲雀らしくないではないか。あの転校生の所為で並盛の風紀が乱れていることは間違いないのに。
トボトボと重い足取りで町内を歩き回るリサの表情は暗かった。雲雀が助けてくれると思ったのだ。あんな自分勝手な大魔王が助けてくれるはずもなかったのに。どうして期待していたのだろう。吐き出した息の重さはリサの気持ちを十二分に表していた。
転校生の名前は並盛中だけではなく並盛町内に知れ渡っていた。
風紀を乱したら暴力、風紀を乱さなくても暴力――ならば一体どうすれば良いのだと訴えてきたのは一つ下の学年に在籍する問題児。イタリアからの帰国子女である彼は名を獄寺隼人といい、彼を見た十人の人間が口を揃えて「不良」と答えるであろう格好をしている。整った顔立ちは常に不機嫌を作っているが、常に隣に立つ友人にのみ表情を和らげているのを知っている。
「また絡まれたの……」
「テメェと同じ風紀委員だろうが! 何なんだよあいつは!」
「ご、獄寺君落ち着いて……あの、桜井さん。僕もそう思います……だって最近の風紀委員――というかあの人だけですけど――ちょっと無茶苦茶で……」
いや、前から無茶苦茶ですけどと付け足す獄寺隼人の友人、沢田綱吉が心配そうに訴えてくる。一年ほど前から雲雀と関わることが多くなった彼らにはもう一人山本武という友人がいるが、今この場にいないということは部活に行っているのだろう。並盛中野球部のエースだ。
「十代目! やっぱりあの女、果たしましょう!!」
「だ、駄目だって! ダイナマイト出さないで!」
どこからかダイナマイトを取り出した獄寺を沢田が慌てて止める。このやり取りはリサも何度も見ている。爆発物の所持は法律で禁じられているはずだが、やはり彼らも無茶苦茶である。
「歩いてただけで絡んできて、睨んだなんて理由で殴りかかってきやがったんだぞ!」
「お、落ち着いて……あの、桜井さん……あの人、どうにかならないんですか? 雲雀さんにもお願いしたんですが”興味ない”って言われちゃって……」
「あの人は……」
まさか生徒たちからの訴えまで無視するなんて、と溜息が漏れる。好き勝手し放題の転校生、放置する雲雀、不満を募らせる不良たち、巻き込まれる自分――どう考えたって一番可哀想なのは自分ではないかと溜息もつきたくなるものだ。
「……分かった、彼女とは私が話すから」
「あ、ありがとうございます!」
「ケッ、テメェみてーな弱い奴じゃあっさりやられて終わりだぜ絶対」
「獄寺君! あああすみませんすみません!」
「いいよ、別に。あっちのが強いのは事実だし」
だからずっと何も言わずにきたのだ。彼女よりも更に強い雲雀に頼んでみたものの素気無くされてしまった。現状を打破するには自分が動くしかないのだ。変えたいと一番に願うのは一番被害に遭っているリサなのだから。雲雀にはリサを助ける気がない――そのことに僅かならずショックを受けている自分に気が付いて自嘲する。あの大魔王が助けてくれるはずないではないか。
一体自分は何を期待していのだろうか。あの雲雀恭弥がリサの為に動いてくれるとでも思っていたのだろうか。もしそうだとすれば楽観的にも程がある。恐怖の風紀委員長、恐怖の大魔王がそんな些事に関心を示すはずがなかったというのに。
沢田達と別れて携帯を取り出す。草壁に転校生の現在地を確認してそちらへ行くと、やはりというか彼女の足元には傷だらけの不良達が呻きながら倒れていた。
「あははっ、ほんと弱い。馬鹿だね、私に刃向かうなんて」
「風紀の取り締まりにしてはやり過ぎだと思うよ」
リサが来ていたことに気付いていたのだろう、面倒臭そうに振り返った彼女が目を眇めてこちらを見る。邪魔をするなという声が聞こえたような気がした。
「言っておくけどこいつらが襲いかかってきたんだよ。私は応戦しただけ」
「そうなるように仕組んだんだよね? 理由もなく殴りまくってれば敵は増える一方だもん、戦いたくてここに来た貴方には願ったりな状況だよね」
「何だ、知ってたの」
「風紀を乱していない人は制裁対象じゃない。貴方がしてることは取り締まりじゃなくてただの暴力だよ。貴方の所為で風紀が乱れてる……見過ごすことは出来ない」
「ふふ、ほんと馬鹿」
地を蹴ってこちらへ向かってくる転校生の蹴りを既の所で避ける。間髪入れずに襲いかかる拳を何とか受け流すことに成功すると、今度は反対の拳がリサの頬を掠めていった。
「っ、」
「ずっと疑問だったんだけどさ、アンタは何で風紀委員なの?」
攻撃の手を休めずに転校生がリサに問う。次第に受け流せなくなってきた拳や蹴りを受けながら、それでもリサは歯を食いしばって転校生に向かっていった。
「こんなに弱いのにどうして? 委員長と付き合ってるのかと思ったけど、どうやらそうじゃないみたいだし」
そんなの知るか。心の中で吐き捨てて蹴りを繰り出すが、あっさり躱した転校生の猛烈な蹴りを腹に食らった。衝撃で息が止まる。呻くことも出来ずに蹲ると上で転校生が馬鹿にしたように嗤った。
「弱い奴が吠えたところで何か変わるとでも思った? ねぇ、私を取り締まれると思ったの? 馬鹿だね、弱いくせに」
「つよいとか、よわいとか、かんけいない……!」
息が苦しい。あちこちが痛くて泣きそうだ。こんな奴にあっさり負けている自分が悔しくて、何もしてくれない雲雀が恨めしくて、そんなことを考える自分がまた悔しい。奥歯を噛みしめて口元を乱雑に拭う。悔しさと怒りでまた泣きそうになってくる。
「納得できないことには、従わない……!」
「別にアンタがどう考えてたって良いけどね。委員長は動かない、他の風紀委員も動かない――それって私のやり方を認めてるってことでしょ? 分かんないの?」
「まさか」
吐き捨てる口元は無意識に笑みを作っていた。
「あの人は自分勝手で理不尽の塊だよ? 認めるわけない。興味ないだけだよ。貴方のこと、どうでも良いと思ってる――関心を持たれてないだけ」
それなのに認められてると勘違いするなんて。顔を歪めた転校生の蹴りが迫る。風を切る音の直後に与えられる衝撃に耐えきれずに体が地面を滑っていく。あちこちが痛くて、もうどこが痛いのか分からない。蹴られた頭がグラグラした。
「桜井さん……!」
飛び込んできた声に顔を上げると泣きそうな顔の沢田がそこにいた。獄寺が怒りを隠さずに転校生を睨んでいる。いつの間にか人がたくさん集まってきていたようだ。起き上がろうとする腕は震えていて、一瞬でも気を緩めたら倒れてしまいそうだった。
「桜井さん! すみません、俺があんなお願いしたから……!」
泣きそうな顔の沢田が起き上がるのを手伝ってくれる。ごめんなさいと何度も何度も謝る沢田の背後に立つ獄寺も苦い顔をしていた。
「かんけいないよ」
「え……?」
「ふうきをみだす人は、とりしまる」
だって、風紀委員だから。深く息を吸って、吐いて。もう一度吸って、リサは転校生を見据えた。嫌そうな顔をした転校生がどこからか銀色の棒を取り出して嗤う。
「ほら、良いでしょ」
私も用意したんだよと転校生が嗤う。素手の時だって敵わなかったのに、武器を持ち出してくるなんて。沢田が心配そうにリサを呼ぶ。獄寺が「汚ねぇぞ!」と転校生に怒鳴りつけた。
「いい、へいき」
「でも!」
止めようとする沢田の手を振り払って転校生の元へ向かう。トンファーを弄ぶ転校生が満面に笑みを浮かべた。
「大好きな委員長の武器で終わらせてあげるよ」
一気に距離を詰めた転校生がトンファーを振りかぶる。沢田の悲鳴じみた声が遠くに聞こえる。振り下ろされるトンファーをじっと見つめて、そうして――ガキン。金属音が響いた。
「、な」
目を見開いた転校生は、けれどすぐに第二撃を仕掛けてくる。横から迫りくるトンファーを腕で受け流しながら掴んで止める。驚愕する転校生の顔を間近に見ながら足払いをかけると、僅かに態勢を崩しながら後ろに飛び退いた転校生が信じられないという顔でこちらを見ていた。
「アンタ、」
「同じ武器で終わらせてくれるんでしょう?」
怒りに顔を染めた転校生が再び飛びかかってくる。受け流して、受け流して、受け止めて。先程は全然対応出来なかったのに、武器を持った途端に彼女の動きがいとも簡単に読めるようになるなんて――その理由はすぐに分かったけれど、喜んで良いのか複雑だ。
「っ、いい加減、消えろ!」
渾身の力で振り下ろされたトンファーを手首に巻いたリストバンドで受け止める。ビリビリと痺れる左腕は暫く使い物にはならないだろうが、そんなことは構わなかった。受け止める為に低く落とした腰。勢いのままに襲ってきた転校生の懐に潜り込んでいるこの状況。同じ武器を扱う大魔王であれば決して訪れない状況だ。
握りしめた拳を、ただ真上へ。転校生の顎を強く打った拳もまた痛みを訴えたが、全身が痛い所為でそれほどではないようにも思える。ぐらぐらと頭を揺らした転校生の体が後ろへ傾いで倒れていく。支えてあげたかったけれどリサの体は言うことを聞かずその場に座り込んでしまった。
「桜井さん!!」
後ろへ倒れそうになる体を沢田が咄嗟に支えてくれる。指一本すら動かせないのではないかと思うほど、体から力が抜けてしまった。
「な、んで、こんな」
起き上がろうとして、起き上がれなくて。当然だ、暫くは起き上がれないとリサは知っている。かつて同じ攻撃を雲雀から食らい、身を以て知っているのだ。君は弱いから急所を確実に狙いなと銀をくるくる弄びながら笑っていた姿を思い出す。思い出さなければ良かった。
転校生が信じられないという声を上げた。リサは笑った。口の端が痛んだけれど笑いは抑えられなかった。
「おなじの、つかうからだよ」
「ど、どういうこと……?」
沢田が独り言のように呟く。深く息を吹き出して目を伏せると、その目を鋭くぎらつかせてトンファーを振りかぶる雲雀の姿が浮かんだ。浮かばなくて良いのに。
「これまで、なんどあのだいまおうにかみころされたとおもってるの」
「威張って言うことじゃないよね」
ぎくり。背後から聞こえた声に身を強張らせたのはリサだけではなかった。リサを支える沢田の体も確実に強張っていたし「ひ、雲雀さん!」と呼ぶ声も震えていた。
「ふぅん、大魔王って思ってたんだ?」
「……そ、らみみ、かと」
「苦しい言い訳だね。でも、まぁいいよ」
「、へ」
「今回は見逃してあげる。僕は今、機嫌が良いんだ」
脇を通り過ぎていった雲雀が転校生の元へ向かう。その手にはいつの間にかトンファーが握られていた。
「あれだけ好戦的なら、いつか僕のところへ来るかと思って待ってたけど……自分より弱い者を痛めつけることにしか興味がない人間に興味はないな。それに、僕以外の人間に武器の携帯は認めてないんだよ」
振りかぶったトンファーが容赦なく転校生を殴りつける。地に伏せた転校生はぴくりとも動かなかった。
「うわ……」
「さすが……ようしゃない、ですね」
思わずといった様子で声を漏らす沢田。笑うことしか出来ないリサを振り返った雲雀が何言ってるのという目でこちらを見ていた。
「寛大だと思うけど? ”自分勝手で理不尽の塊で大魔王”なんて言われて見逃してあげるんだから」
「…………いつから、いたんですか」
ぶわりと嫌な汗が噴き出してくるのを感じながら問いかけるが、雲雀は答えずに草壁を呼んだ。すぐさま返事をした草壁がリサの元へやって来る。
「もう間もなく救急車が来るはずだ。……頑張ったな」
喜んでいるような、悲しんでいるような、安堵しているような、残念がっているような――そんな草壁の顔を見ていると一つの考えがリサの中に浮かんできた。あぁ、そうか。だからか。
「ほんと、だいまおう」
呟いてリサの意識は闇に呑まれていった。
目を覚ました時にリサがいたのは並盛中の保健室で、少し前に入れ替わった保険医のシャマルがニヤニヤとだらしなく顔を緩めながらこちらを見ていた。完璧に手当てされている自身を見て、シャマルを見て。ぞっとするのは仕方のないことだった。セクハラ大好きなこの保険医に手当てをされたなんて最悪だ。
「病院に運んでくれれば良かったのに……」
「あれほどの怪我じゃ、暫く入院することになってたぜ。何せ病院ってのはベッドを埋めることしか頭にないからよ。あ、俺と一緒にベッド埋めてみる?」
「一人で埋まっててください」
わきわきと怪しげな動きをする手を叩き落としてベッドから下りる。まだあちこち痛んだが歩くことは出来る。シャマルからのセクハラを躱して躱して撃退して、そうしてリサは保健室を後にした。歩くだけで痛むのだ、放課後の見回りは回避させてもらえるだろうか。早朝トレーニングの方は回避させてもらえないだろうなと脳裏に浮かぶ大魔王の顔を思い浮かべた。
応接室には雲雀がいた。呼ばれてもいないのに来てしまったが、きっと間違いではないだろう。その証拠に雲雀はリサを一瞥するだけでトンファーを出すことも出て行くようにと指示することもしなかった。
「騒ぎを起こしたこと、申し訳ありませんでした。あの、彼女は……」
「さぁ、病院じゃない? 退院出来るかは分からないけど」
一体どれだけの力で殴ったのか。だが考えてみればこのリサの怪我は全て彼女の仕業だ。同情なんてしている場合ではない。「ざまぁみろ」とは思わないが、同情を覚えるには彼女はやり過ぎた。
「いいと思うよ」
「、え?」
何かの書類にペンを走らせながら雲雀が言う。反応に遅れたリサが慌てて何がと問うと、ちらりとこちらを見た雲雀が再び手元に視線を戻しながら何でもないように言った。
「一人くらい、君みたいなのがいても」
「……暴力は、好きじゃないんですよ」
「溺れるよりはマシだろ」
転校生のことを言っているのだろう。彼女よりリサの方が良いと言われれば、リサにはもう言うことはなかった。
「それに、何の使い途もなければ咬み殺して追い出す。――もう十分休んだだろう? あれの後始末が残ってる」
「行って来ます」
頭を下げた時にまた傷が痛んだけれど、声には出さずに顔を上げて応接室を後にした。歩くたびに痛む体がに顔を顰めて、けれどリサの足はまっすぐに草壁の元へと向かっていた。
「もう大丈夫なのか?」
「駄目だよ、痛くて動けない」
苦笑する草壁が動き回らずに済む仕事を与えてくれる。委員長からの指示だという言葉はなかったけれど、きっとそうなのだろうとリサは思った。
「あの転校生のことは、お前に一存すると委員長は言っていた」
「私は聞いてないけどね」
「言ったらお前は”命令だから”と言っただろう? 委員長の指示だと言えば転校生も多少なりとも抑えたかもしれんが、それは委員長の望むものじゃなかった」
草壁の言葉にリサは顔を歪めた。雲雀はリサに自分の意思で動かせたかったのだ。自分よりも確実に強いと分かっている相手へ立ち向かわせようとした。だからこそ風紀が乱れても動かなかった――全てリサに決意させるために。
”僕は今、機嫌が良いんだ”
それはきっと自分の思い通りになったからだろう。リサが自分の意思で転校生に立ち向かい、勝った。勝敗について雲雀がどう考えていたのかは分からないが、ずっと見ていたのなら転校生がトンファーを持った途端にリサの動きが良くなったことも知っているはずだ。それも含めて機嫌が良くなったというのならば。
「ほんと、大魔王」
呟いたリサの口元は微かに綻んでいた。