風紀委員ヒロイン 02


中学校に入学して二日目で学校に行きたくないと思うなんて。
欠伸をしながら制服に着替えてリビングに向かうと、朝食の支度をしていた母親が驚いた顔で迎えてくれる。「さすが中学生!」なんて褒められても嬉しくはない。小学校に戻りたいとさえ思っているのだ。

「行ってきます」
「え、もう?」

七時を過ぎたばかりの時計を見てリサの母親が目を丸くする。あぁ、そういえば言っていなかったのだと思い出してリサはうんざりしたように口を開いた。

「風紀委員になったの。服装チェックがあるから七時半登校」
「あー……あそこ凄いもんねぇ」
「知ってるの!?」
「並盛に住んでれば誰だって知ってるでしょ」

知らなかったの?と逆に聞き返されてリサは頭を抱える。知らないままでいたかった。出来る事なら、一生。そう呟いたリサへの母からの答えは「怪我しないようにね」と恐怖心を煽るだけの言葉だ。

「学校辞めたい……」

それが叶う日が来ることは無いと分かっているけれど。少しばかり心配してくれているのだろう、玄関まで見送ってくれた母に頭を撫でられたのはいつぶりだろうか。重い足を引き摺って家を出たリサは、バッグの中から取り出した腕章を左腕に付けると心の内で何度も何度も「帰りたい」を繰り返しながら学校へと向かった。

学校まであと数十メートル。校門に学ランを着たリーゼントのシルエットを見つけたリサは慌てて駆け出した。息を切らしながら門を潜ると、やはり上級生たちはもう集まっている。どうしよう、どうしよう。血の気が引いていくのを感じながら上級生たちに挨拶をし、謝罪の言葉を後に続けるとリサの考えを察してくれたらしい一人の上級生が「大丈夫だ」といくらか穏やかな声を返してくれた。

「まだ時間じゃない」
「、ぁ、よ、良かった……ありがとう、ございます……」
「今日はまだ昇降口が開いていないらしい。あっちの木の下に荷物を置いて並べ」
「は、はい!」

指示された木の根本には風紀委員たちの荷物が置いてあった。年季の入ったスクールバッグの中にいくつか真新しいものもあり、そのすぐ傍に自分の荷物を置くとリサは大急ぎで門へと戻った。

学ランの中にブレザーが一人。厳つい顔をした男子の中に女子が一人。おそろしく気まずい。居た堪れない。左腕の腕章がいやに重く感じる。分不相応に思えてならないのに、出て行く事も出来ないのだ。

「名簿だ」

隣に立つ上級生から回ってきたバインダーには全クラスの名簿がファイルされていた。
遅刻者や風紀を乱す者を見つけたらチェックするようにと指示されてリサは一つ頷く。昨日の委員会で配られたプリントは三回読み返したから、内容は頭に入っている。大丈夫だ。心臓の音が煩い。過度の緊張に息が切れる。

生徒たちが登校し始めたのは、リサが学校にやって来てから十分ほど経った頃からだった。門を潜るとずらりと立ち並ぶ、厳つい顔をした風紀委員たち。怯えるなという方が無理な話だが、どうやら上級生であるらしい彼らはさして恐怖心を抱く事なく校舎へと向かっていく。慣れると自分のこの緊張も消えてくれるのだろうかと考えてリサは気付く。そもそも自分は恐れられる側の人間だ。

学ランの中にブレザーが一人。
男子の中に女子が一人。

リサが人目を引くのは当然の事と言えた。目の前を通りすぎていく生徒たちの好奇の視線が痛い。
上級生から向けられる視線の中に時折混じる憐れみの色がリサの恐怖心を煽る。違反者のチェックをしなければならないのに、リサの目は自然と下を向いてしまった。

「おはよ」

不意に聞こえた声に顔を上げると、登校してきた小夜子がリサに笑いかけてくれていた。ホッと息をついて挨拶を返そうとすると、隣に立つ上級生の風紀委員が「止めろ」と小さな声で制止する。

「委員長が見てる」

その一言でリサと小夜子の顔が凍りついた。
トンファーの餌食にはなりたくない。そそくさと校舎へ向かう小夜子を視線で見送りリサは隣を見上げた。

「あの、ありがとうございます……」
「気を付ける事だ。昨日の一年のようになりたくないのなら」
「き、気を付けます……」

容赦なくトンファーを振り下ろした雲雀の姿を思い返してぶるりと肩を震わせる。
定められた登校時間を過ぎると、副委員長の指示でリサたちは荷物を取りに行った。上級生と同じように学ランを身に纏い、おそらくカツラであろう立派なリーゼントを作る同級生と目が合う。

「お、おはよう」
「はよ。……ないよな、これ」

視線でリーゼントを指した同級生が小さな溜息を漏らして去っていくのを、リサは曖昧な笑みを浮かべて見送った。見慣れてしまえば平気なのかもしれないが、あどけなさの残る顔の少年がリーゼントにしているという歪さが何とも笑いを誘う。平時であれば堪え切れず噴き出していた事だろう。
荷物を持って校門前に集まると、副委員長から朝の仕事はこれで終わりだと告げられた。

「風紀委員の自覚を持って行動するように」

委員たちの返事が揃った。

リサが教室に着いた頃には朝のホームルームが始まっていた。クラス中の視線を受けながら教室に入り、委員会の仕事で遅れたと担任に報告すれば、どこか必死な形相をした担任から「これからも頑張ってください」と懇願された。何故そんなに必死なのだろうかと首を傾げながらも返事をして席に戻ると、椅子を後ろまで引いて座っていた小夜子が小さな声で理由を教えてくれた。

「四組の担任、休職だって」
「え? まだ二日目なのに?」
「よく分かんないけど、風紀委員長にやられたらしいよ」

ひくり。頬が引き攣った。その理由を、リサは知っている。悲しい事に知っている。
雲雀が「いらない」と言って咬み殺した女子生徒は四組の生徒だった。

”委員は男で集めるようにって言ったよね”
”各担任にもそのように通達したはずですが……”

雲雀と副委員長のやり取りを思い出してぶるりと身体を震わせる。担任の懇願の理由が今、分かった。
風紀委員からの通達を無視して女子生徒を――しかも初日に咬み殺されて委員から追い出された――風紀委員に据えた責任を負わされたのだ。

「……も、やだ……」

そんな事、雲雀の前では口が裂けても言えないけれど。




それは二時間目の授業が終わった後の事だった。小夜子に誘われてトイレに行くと、そこには数人の女子が集まっていたて何かを隠すかのように囲んでいる。リサたちに気付いた女子たちが一斉に振り返る様子はあからさまに怪しい。リサの腕章に気付いた誰かが「あっ」と焦った声を上げた。

「い、行こっ!」
「でも、まだ……」
「ばか! あの子風紀委員だよ!」

囁き声にしては大きすぎるそれは鮮明にリサの耳に入ってくる。あぁ、嫌だ。まるで鉛を飲み込んだかのように胃の辺りが重く感じる。

どうしよう。仕事をしなければ。でも。
風紀委員の仕事は嫌われるという事くらい、リサにだって分かる。
学年でただ一人の女子である桜井リサという一年生が風紀委員になった事は、今朝の服装チェックで学校中に知れ渡っているのだ。

このまま見逃してしまおうか。リサとしてはそうしたい。
けれど、もしそれが雲雀の知る事となったら――末路は四組の女子と同じだ。

「――あのっ!」

慌てた様子で横を通りすぎて行こうとする彼女たちを呼び止めると、トイレの出口で女子生徒たちが足を止める。

「何を、持ってるんですか」
「リサ……止めなって……」

小夜子の控えめな制止に心を揺らがされながらも、リサは彼女たちに向かって一歩踏み出した。そしてもうひと押し。

「見せてください」

次の瞬間、女子生徒たちが一斉に走り出した。あっという間にいなくなってしまった彼女たちに呆然と立ち尽くしていると、小夜子がリサの手を引いて自分の方へと向けさせる。

「いいじゃん、誰も見てないよ」
「でも……仕事、しないと」
「委員長にバレたら、あの子たちもやられちゃうかもしれないじゃん」

それを言うなら、委員長にバレたらリサだって咬み殺されるのだ。
左腕の腕章を見下ろして、大きく息を吸い込む。

「仕事だから」

本当は自分が咬み殺されたくないだけなのだけれど。
風紀委員が正しいのかどうかなんてリサには分からない。雲雀恭弥の素晴らしさがリサには分からない。それなら今は自分の身を守る為に頑張るしかないではないか。

「先に戻ってるね」

教室に一度戻り、机から名簿を取り出して一組へと向かう。真新しい制服を着ていた彼女たちはリサと同じ一年生だ。何を持っていたのかは分からないけれど、風紀委員であるリサを見て逃げ出した事を考えると違反物を持っていた可能性は十分にある。

自分は一体何をしているのだろうか――名簿を手にして一組に向かいながらリサは頻りにそんな事を考えていた。
一組の風紀委員はすぐに見つかった。カツラが痒いのか、頻りに頭を触っている。リサに気付いてこちらにやって来た彼は、リサから事情を聞くと何とも嫌そうな顔をした。

「えー……それ、見つかんの?」
「顔は覚えてるから……」
「全クラス回って探しだすの?」
「……仕事、だし」

あからさまに嫌そうな顔をする彼の手伝いは期待出来そうにない。クラス中を見回してみたけれど、リサが見た女子生徒たちはいなかった。
二組に行き、同じように風紀委員に事情を話す。すると驚いた事に向こうから協力すると申し出てくれた。

「桜井、だっけ? 俺は草壁。草壁哲矢」
「うん、桜井リサです。よろしく。あの、ありがとう……手伝ってくれて」
「咬み殺されるのは勘弁だよな……」

苦く笑う草壁にリサも苦笑を返す。二組にもリサの目撃した女子たちの姿はなかった。
リサが見たことのない顔だったから、三組の生徒ではない。四組にも彼女たちはいなかった。

「あとは五組か……」
「いると良いんだけど……」

四組の教室を出た時、次の授業の開始を告げるチャイムが鳴り響く。リサと草壁は顔を見合わせた。
どうする?と問いかけられ、リサはバインダーから昨日配られたプリントを取り出す。

「『委員会活動時のみ、授業の免除を許可する』」
「これ、委員会活動、だよな……?」
「う、うん……だいじょうぶ、だよね」

大丈夫だと慰めの言葉を掛け合いながら五組の前に着くと、教室の戸は二人を拒むように閉ざされていた。顔を見合わせ、深呼吸を一つ。草壁が教室の戸を開けた。

「失礼します」
「失礼します……」
「ん? どうした」

五組の授業は始まっていた。教卓に立つ教師はリサと草壁とを見て首を傾げたが、二人の腕の腕章と草壁の頭を見ると察したのだろう、風紀委員の仕事かと問いかけてきた。草壁が頷いて教師に事情を説明している間、リサは教室中を見回す。好奇心いっぱいにこちらを見て笑っている生徒たちの中で、身を縮こまらせて顔を俯かせる女子が数名いることに気付いた。見つけた。リサの呟きを拾った草壁が「良かった」と呟いた。

「さっきトイレで持ってたもの、出してください」
「な、何も持ってない!」
「私を見て逃げました」
「風紀委員だからでしょ! 大体、私らが持ってたって証拠あんの!?」

物凄い剣幕で訴えてくる女子生徒にリサは言葉を失くした。実際に何を持っていたのかは分からない。見ていないのだ。ただ、彼女たちの挙動不審な様子に勝手にそうだと思い込んだだけ。
どうしよう。困り果てて草壁を振り返ると、草壁も難しい顔で彼女たちを見ていた。

「何やってるの」

不意に聞こえた声。驚いて振り返ると戸口に雲雀と副委員長が立っていた。教室のあちこちから小さな悲鳴や息を呑む音が上がり、雲雀の眉間に僅かに皺が寄る。

「一組の小高から連絡があった。見つかったのか?」

副委員長の問いにリサは目を丸くした。小高は一組の風紀委員だ。リサが去った後に副委員長に報告に行ってくれたらしい。それがリサの為なのか保身の為なのかは分からないけれど、そんな事は構わない。

「で、どれ?」
「あ、か、彼女たちです……」

草壁が慌てて答えると、指を差された女子生徒たちがびくりと身体を震わせた。すっかり青褪めていて今にも泣きそうになっている者までいる。ちくりと罪悪感がリサの胸を刺した。

「何を持ってたのか、正直に言えば手加減してあげるよ」

いつの間にか手にしたトンファーをくるくると弄びながら雲雀が笑う。笑いかけられた方は半泣き状態だ。
たとえリサや草壁には噛み付けても、雲雀にまでそう出来るはずもない。そんな強者がこの学校にいるとは到底思えない。ぼろぼろと泣きじゃくりながら謝罪の言葉を紡いだ女子生徒がバッグから何かを取り出して机に置いた。携帯電話だ。

「あ……」

リサはサッと顔を青くした。隣の草壁も同じく青くなっている事だろう。
携帯電話の所持は許可されている。授業中の使用は許可されていないが、彼女たちが使用していたのは休み時間。違反物として没収する事も、彼女たちを罰する事も出来ない。

リサの頭に「どうしよう」が渦巻く。咬み殺されるのは彼女たちではなくリサの方だ。草壁まで巻き込んでしまった。あぁ、どうしよう。口の中がカラカラに乾き、心臓が痛いほどにバクバクと動いている。

「貸して」

差し出された携帯電話を取り出し、雲雀は携帯を開いた。軽く操作をして「ワォ」と一言。楽しげな声にリサと草壁が身体を震わせた次の瞬間、鈍い音と共に女子生徒が椅子から落ちた。あちこちから悲鳴が上がる。

「出会い系サイトの登録は許可してないよ」

副委員長。呼んだ雲雀が傍らに控えた副委員長に携帯を渡す。

「日時と場所を控えておいて」
「承知しました」
「さて、残りは誰かな」

振り返った雲雀がリサを見た。リサは息を呑んだ。言えというのか、リサに。たった今、目の前で違反者がトンファーに殴り付けられたのを見て、その犠牲者を増やす作業を手伝えと雲雀の目が言っている。嫌だ。そう思っても代わってくれる者はいない。違反者の顔を目撃したのはリサだけだ。
呼吸が荒くなっていくのを感じながら、リサは雲雀から目を逸らした。その先で視線がかち合った女子生徒が「ひっ」と悲鳴を上げる。

「わ、私はっ、してない! ただ、携帯を見せてもらってただけ――」

否定の声と共に女子生徒の意識が途切れて崩れ落ちた。トンファーで風を切りながら雲雀が再びリサを見る。

「次」
「、あ、あの人、と、そっちの髪の短い……あと、その人、です」

リサが指した先で女子生徒たちが泣き出す。泣きじゃくりながら許してくれと訴える声は悲痛で、けれど雲雀は一片の容赦も躊躇もなく殴り倒していく。教室が静かになるまで、そう時間はかからなかった。

「終わり?」

雲雀の問いかけにリサは固く目を瞑ったままぶんぶんと首を縦に振る。トンファーをくるくると弄びながら雲雀は何事もなかったかのように去っていった。雲雀を見送った副委員長が倒れた女子生徒たちの間を回り、怪我の具合を確認する。取り出した携帯で救急車を呼んでいるのが遠くに聞こえた。

「行くぞ」

手配を終えた副委員長に従い教室を後にする。授業に戻る気にはなれなかったけれど、戻らなければ。副委員長に頭を下げて教室に戻ろうとすると、

「桜井」

副委員長に呼び止められた。

「来い」
「、は、い……」

小さな声で返事をして副委員長の後を追う。草壁に礼を言い忘れたと気付いたのは応接室に着く間際で、後で礼を言わなければと思いながら副委員長に続いて応接室の扉を潜った。

「やぁ」
「、」

応接室には雲雀がいた。いるとは思っていなかった。自分と副委員長だけだと思っていた。
知らなかった。応接室は雲雀恭弥の居城だったのだ。職員室に並ぶデスクとは違う、まるで校長室から持って来たかのような重苦しい雰囲気を醸すデスクに座す雲雀恭弥は、紛うことなき支配者だと痛感した。

「すみませんでした……っ」

気が付いた頃には口が勝手に動いて謝罪の言葉を紡いでいた。
勝手な思い込みで違反者と決め付け、雲雀と副委員長の手を煩わせてしまった。咬み殺されてしまうかもしれない。ガタガタと震える身体を制御する術すら分からないまま、リサは襲い来るであろう痛みを思って強く目を瞑る。

「勘違いしているようだけど、別に殴るつもりで呼んだわけじゃないよ」

降ってきた声にリサはおそるおそる顔を上げた。

「そうして欲しいならしてあげるけど」

トンファーを出してみせる雲雀に慌てて首を振る。声は出なかった。雲雀はさして気にした風もなくトンファーを机に置くと、デスクに広げた書類を手に取り読み上げた。

「桜井リサ」
「、は、はい!」

慌てて返事をすれば、ちらりと視線をこちらに寄越した雲雀が「うん」と呟いて書類をデスクに放る。

「副委員長」
「へい」
「女子用の旧制服を一着、用意しといて」
「承知しました」

きびきびと返事をして副委員長が応接室を去っていく。予期せず雲雀と二人きりになってしまったリサは、心もとなさに身を捩りながら視線を泳がせた。頬杖をついた雲雀がそんなリサをじっと見ている。心臓が痛い。吐きそうだ。

「残念だったね」
「、え……」
「これで君は、風紀委員でいるしかなくなった」
「……?」

言っている意味が分からない。困惑を露わにするリサに「分かってないの」と雲雀が呆れたような顔。

「さっきの一件で君は孤立した」
「ぁ……」
「クラスでは腫れ物のように扱われるだろうね」

そうだ。だってついさっき、リサは同級生を雲雀に売ったのだ。彼女たちがどうなるかを分かっていて、その上で雲雀に売った。崩れ落ちた彼女たちの姿が今も網膜に焼き付いている。
教室に戻ったリサに小夜子はまた笑いかけてくれるだろうか。クラスメイトから向けられる視線を想像すると怖くて、じわりと涙が滲んだ。

「風紀委員の働きとしては悪くない」
「……」
「制服を用意してあげるよ」
「……、りがと、ございます……」

嬉しくはないけれど。涙を拭いながらぺこりと頭を下げてリサは雲雀を見た。もう用は無いらしい。行っていいよとの言葉にもう一度頭を下げて応接室を後にした。教室へ向かう足取りは重かった。