風紀委員ヒロイン 01


じゃんけんは昔から弱かった。
おやつの取り分を決める為のじゃんけんではいつも負けていたし、チャンネル争いのじゃんけんは今でも負け続けている。小学校の頃の給食のみかんを取り合うじゃんけんでも負けたし、子ども会主催のじゃんけん大会なんかでは一発目で負けていた。

じゃんけんは昔から弱かった。
今でも弱い。

「風紀委員は桜井さん、と……」

濃緑色の黒板には各委員会の名称が記されている。ついさっき決まったばかりの学級委員の緊張気味な文字は黒板に対して全体的に右上がりだ。風紀委員と書かれた文字の下に自分の名前が書き足されていくのを見ながら、桜井リサは心の内で呟いた。めんどくさい。呟きだけは心の中に留めたものの溜息までは叶わず、吐き出した息と共に肩を落としながら机に突っ伏した。

「では、一年間よろしくお願いします」

中年の男性教師が頭を下げると、クラス中がつられるようにしてあちこちで頭を下げる。躊躇いがちな「お願いします」という声がいくつか上がったが、リサの口から出たのは声ではなくやはり溜息だった。

風紀委員会。
校内の風紀、及び治安を守る委員会である。名称も仕事内容も堅苦しい感じがしてリサは口をひん曲げた。
一時間ほど前に担任から配られたプリントには、委員会の主な活動内容が記されている。服装チェック、持ち物検査に遅刻者のチェック――どれも面倒臭そうな仕事だ。

「うわー……嫌なのに当たっちゃったね」

気の毒そうに声をかけてきたのは、席が近いからというベタな理由で仲良くなった高桐小夜子だ。椅子を前後に揺らしながら振り向いた小夜子は、リサと同じようにプリントを眺めながら暢気に笑っている。

「一番のハズレだよねー」

その一番のハズレを引いてしまったリサの表情には気付かないらしい。委員や係を決める為のじゃんけんで早々に勝ち抜けた小夜子は、クラス内の黒板係という一番の当たりを勝ち取った強者だ。そんな相手に馬鹿にされたような言い方をされれば腹も立つが、如何せん、自分のじゃんけんの弱さをずっと昔から思い知ってるリサはただただ溜息を漏らして項垂れた。

「クラスで一人なら、男子がやってくれれば良いのにね」

落ち込むリサに漸く気付いたらしい小夜子がそんな事を言う。確かに、なんて思ったけれど、男子も混じえたクラス全員のじゃんけんで負けたのだ。ぐうの音も出ない。

風紀委員。入学式の時に委員長の話があった。何故か分からないけど、あったのだ。
リサたちが通うこととなった並盛中学校――だけではなく、噂によれば並盛町全体の風紀を守っているという話だ。どういうことだ。疑問は解消されないまま、リサは昨日体育館で聞いたばかりの風紀委員長の言葉を思い出した。

”風紀を乱した者は咬み殺す”

簡潔だった。どうしようもなく簡潔だった。

”僕の前で群れないように”

今日は入学式だから、目を瞑ってあげるよ。そう続いた言葉はやはり簡潔で、けれど理解は出来なかった。

「群れるなってどういう事かな……?」
「あー……そう言えば聞いた事あるよ。雲雀恭弥は群れが嫌いだって」
「え? 誰?」
「風紀委員長だよ」
「ふぅん、よく知ってるね」
「小学校同じだったもん」

私はよく知らないけど。そう続けた小夜子が首を捻りながら教えてくれた。
雲雀恭弥。実年齢は不明。並盛町と並盛中学校に並ならぬ愛を注いでいて、不良の頂点に立つ者。風紀委員の連中も不良の集まりだと聞いてしまえば、リサはただただ青褪める事しか出来ない。

「わ、私、不良じゃないよ……」

何だその恐ろしい委員会は。どうして不良が風紀を正すんだ。雲雀恭弥を筆頭とした風紀委員会に支配されているだけではないか。風紀?どこが。

「まぁ私も噂で聞いただけだからさ、どこまで本当かは分からないけど……頑張ってね」

気持ちの篭もらない応援に、リサは笑い返そうとして頬を引き攣らせた。

始業式当日の帰宅時間は早い。
昨日配られたプリントにだって午前中に下校すると書いてあったのを読んだが、ホームルーム後に各委員会の集まりがあるとも書いてあったらしい。そこまで読んでいなかったリサは、帰り際に担任が言い放った「各委員は委員会に行くように」との言葉にその日一番の溜息と呻き声を上げた。

あぁ、面倒臭い。そして怖い。知り合いはいるだろうか。女子はいるだろうか。満面の笑みで「バイバイ!」と帰っていった小夜子が恨めしい。集合場所が生徒指導室という大凡自分とは縁の無かった場所だという事もリサの足が重い理由の一つだ。

配られたばかりの校内図を手に、リサは生徒指導室へと向かった。
職員室、校長室、応接室――そんな息苦しさを覚えるような部屋が並ぶ廊下に生徒指導室はあった。指導室の引き戸は閉まっていて、まるでリサの入室を拒んでいるようにも思える。深呼吸を一回。僅かに汗ばんだ手を握りしめてリサは戸をノックした。

「失礼します……」

小さな小さな声で断りを入れて戸を開けると、中にいた全員の顔がこちらを向いた。戸口に立つリサから見えるのは厳つい顔をした男子生徒たち。ブレザーの制服を纏うリサとは違い、室内にいる人間は全員学ランでリーゼントだ。いつの時代の不良だと問いたくなる。ひっ。思わず漏れ出た悲鳴に慌てて口を押さえ、リサはぺこりと頭を下げた。

「一年か?」
「は、はい……一年三組の桜井です」
「一年はあちらへ」

一際ガタイの良い男子生徒――到底中学生には見えなかったけれど――から指示を受ける。リサは早足で上級生が指した方へ足を向けた。途中、開け放った窓の外を眺めている男子生徒に気が付いた。学ランを着た生徒の中で唯一リーゼントではない生徒の顔には見覚えがある。昨日、体育館で見たばかりだ。教室で小夜子から恐ろしい噂話を聞かされたばかりでもある。

雲雀恭弥。

窓の外を眺めたままの雲雀から慌てて視線を逸らし、リサは真新しい制服の集団の元へと急いだ。緊張した面持ちの一年生たちの中に女子生徒は一人。リサとは違う小学校から来た子だった。女子生徒は目が合うと微かに笑ってくれたので、リサもホッとして笑みを返した。

「これより風紀委員会を始める」

全員が集まったのを確認して先ほどの上級生が口を開いた。静かになった部屋に上級生のすっかり声変わりした低い声が響く。

「風紀委員会の仕事内容は、朝の服装・遅刻者のチェックと、月に一度の持ち物検査。自分のクラスを担当し、不要な物を持って来ている生徒の名前をチェック、没収。没収品は検査後に応接室へ持って行くように」

上級生たちの気合の入った返事が揃った。映画などで見た軍隊を思い浮かべてしまったリサは、気圧されるように小さな声で返事を紡ぐ。他の一年生たちも同じように躊躇いがちな声を上げた。

「委員はこの腕章を付けてもらう。制服を着ている間は外さないこと」
「あ、あの……それって委員会の間だけじゃないって事ですか? 登下校中とかも、ずっと……?」

リサの斜め前に座っていた他クラスの男子生徒が躊躇いがちに尋ねた。上級生は「そうだ」とただ一言だけ返すと「次に」と説明を続けていく。誰かが小さな声で「うそ……」と呟いたのが聞こえた。

「風紀委員には旧制服を支給する。明日から着てくるように。何か質問は?」
「すみません。今着ているブレザーはどうすれば?」
「返品だ」

にべもない返事に一年生たちが顔を見合わせる。目が合った女子生徒が嫌そうな顔で微かに首を振った。

「あの、髪型は……僕らも同じにするんですか……?」
「そうだ」

うわ、可哀想。心の中で呟いてリサは配られた腕章をじっと見つめた。風紀の二文字が書かれた腕章。想像していたより遥かに大変そうだ。

「嫌なら辞めていいよ」

静かな声が室内に響いた。体育館で聞いたのと同じ、感情が読めない声。隣に座っていた男子生徒が息を呑んだのが分かった。

「従えない者、役に立たない者はいらない」

絶対的な支配者の言葉にリサは息をする事すら忘れてしまった。手の中の腕章がズンと重くなったように感じる。あぁ、どうしよう。怖い。

「ところで副委員長」
「へい」
「委員は男で集めるようにって言ったよね」

雲雀の視線がリサともう一人の女子生徒を捉えた。ぎくりと肩が跳ねたリサの耳は、女子生徒が上げた小さな悲鳴を拾う事は出来なかった。心臓が痛い。

「各担任にもそのように通達したはずですが……」
「ふぅん」
「旧制服の用意を?」
「いいよ。どうせすぐ消える」

当事者であるはずのリサには雲雀と副委員長と呼ばれた上級生のやり取りが理解出来なかった。ただ、自分ともう一人の女子生徒がここにいるのが正しくないのだという事だけは分かった。

”気に入らない人はみんなトンファーで殴られるんだって”

教室で聞いた小夜子の声が甦る。
どうしよう、殴られたら死ぬ。絶対に死ぬ。運良く生き延びても絶対痛い。痛いのは嫌だ。雲雀の視線が再び窓の外へと向くと、リサは詰めていた息を吐き出した。ぶわりと汗が噴き出てくるのが分かる。手の中の腕章は汗でベタベタだった。

「女子の旧制服は用意していない。腕章だけを付けて活動するように」
「、はい……」

喉の奥から絞り出した返事は掠れていた。副委員長の視線がリサへと向き、それからもう一人の女子生徒へと向く。沈黙が数秒続いたかと思うと、突然何かがリサの目の前をものすごい速さで通り過ぎていった。反応が遅れて身をのけ反らせたのと鈍い音が左側から上がったのは同時で、何かが椅子から落ちたような大きな音がしたのもその時だった。驚いて振り向けば、女子生徒が椅子から転がり落ちて額を押さえている。その傍らに転がっている銀色の棒に血の気が引いていく。トンファーだ。

「返事も出来ないの」

君、いらない。そんな声が右側から聞こえてくる。こちらにやって来た雲雀に身体を震わせ、固く目を瞑った。そんなリサなど見向きもせずに前を通り過ぎていった雲雀は、女子生徒の傍らに落ちたトンファーを拾うと、痛い痛いと泣き喚く女子生徒に「煩いよ」と吐き捨ててトンファーを振り下ろす。鈍い音と共に女子生徒は静かになった。

掠れてはいたけれど、返事をしたから助かった。その事実が恐ろしい。声が出ていなかったらリサも同じ目に遭っていたのだと思うと震えが止まらない。だというのに、青褪めるリサたち一年生とは違い、上級生たちは至って普通の様子だ。女子生徒から近かった数名が立ち上がり、慣れた動作で女子生徒を担ぎ上げるとそのまま指導室を出て行った。

「続けて」

雲雀の視線に頷きを返し、副委員長が再び説明を始めた。

じゃんけんは昔から弱かった。
もっと強ければ――今まで何度も思ってきたが、今日ほどそれを痛感した事はない。

絶対的な支配者の直属の部下となってしまったリサは、一言一句聞き漏らすまいと必死に耳を傾ける事に集中した。