『あからさまなのは好きじゃねェんだよい』
決死の覚悟で告白して、それを受け入れてくれたマルコが続けた言葉がそれだった。
あからさまにベタベタするのは嫌だ。色宿の女みたいになるのも勘弁してくれ。別に付き合うったって、四六時中傍にいる必要なんかねぇだろい。今まで通りで良いじゃねぇか。
マルコに嫌われたくない一心でそれを承諾した私は、それから一年間、必死に頑張ってきたつもりだ。必要以上にくっつかず、必要以上に部屋に行かない。たまに部屋で一緒にお酒飲んで、たまにキスして。キスより先なんて数える程しかしていない。最近では全く何もない。そう言えば、手を繋いだ事もない。
だから、これは自然な事だったのかもしれない。
「終わりにしよう」
あくまでも、マルコの中『だけ』の話だけど。
「お、リサ! なーにやってんだ?」
ぼんやりと海を眺めてる私の背にかけられたサッチの声は何処か揶揄の色を含んでいた。大方、私とマルコが別れたって事を聞いたんだろう。隣に並んだサッチは軽い調子で私の肩をポンポンと叩いた。
「何だお前、一丁前に落ち込んでんのか?」
「煩いな、放っとけバーカ」
「ンだよ、可愛くねェ奴だな。そんなだからフラれちまうんだろー」
ケラケラ笑うサッチに殺意が芽生えるのも仕方の無いことだと思う。そもそも、サッチ達からすれば何で私とマルコが付き合っていたのかすら疑問だったと言うのだから、この怒りは何処へ向けたら良いのかも分からない。この怒りはサッチ達の中では『有り得ない』ものだった。
「だってよ、お前ら付き合ってるっつったってなーんにも無かったろ?」
「キスだってエッチだってした事あるもん」
「そんなもん、付き合ってなくたって出来んじゃねぇか。つーかよ、お前とマルコのセックスの回数なんて、フランとの回数より少ねェだろうが」
痛い所を突かれた。
確かに、ナースのフランとマルコはしょっちゅう二人で部屋に篭ってる。マルコは隠そうとしてなかったみたいだから私も知ってる。二人は別に想い合ってる訳じゃないらしいし、一度その場を目撃してしまった私にフランが言ったのは「割り切った関係よ」という言葉だった。それはどうなのって思ったけど、マルコに嫌われたくない私は文句を言う事なんて出来るはずもなかった。私は、形だけの恋人でしかなかった。
「もっと女らしい格好すりゃ良かったじゃねェか。そうすりゃマルコだって『女として見れねェ』なんて言わなかったんじゃねぇの?」
つまりサッチが言いたいのは、悪いのは私の方だって事らしい。もっと頑張れば良かった。もっと好かれる努力をすれば良かった。その通りだと思う。
でもね、サッチ。
私、いつも頑張ってたんだよ。
泣きたいのを必死に堪えて、その腕に自分の腕を絡めたいのを必死に堪えて、キスしたいのを堪えて、好きって言いたいのを堪えて。ただ、マルコに嫌われたくなかった。好きになってもらいたかった。マルコの言う通りにすれば誰よりも近くにいれると信じてた。結局は、形だけで心は遠いままだったんだけど。
じゃあ私は、どうすれば良かったんだろう?
こみ上げる涙を飲み込んだ。悲しむ素振りなんて見せちゃダメだ。益々嫌われちゃう。女らしい私なんてマルコに受け入れてもらえない。私は今まで通りバカみたいに笑って、はしゃいで、女らしさの欠片もない私を続けなければならない。それがマルコの言う『今まで通り』の私だ。
手を繋ぎたいなんて思うな。キスしたいなんて思うな。独占したいなんて思うな。
色んなものを我慢すれば、たった一つ『好きになってもらいたい』っていう願いが叶うと信じてた。
黙り込んだ私の頭をぐしゃぐしゃと撫でて、サッチは「まぁ次は頑張れや!」なんて笑って去って行った。次って何だろう。次なんていらない。もういらない。何もいらないよ。だって、私はマルコが好きなんだもん。マルコ以外の男なんて欲しくない。
それは、何気ないマルコの一言だった。マルコ自身、悪気があった訳じゃ無いんだろうし、普段ならそれを聞き流す事だって出来たはずだ。
「お前、女らしさの欠片もねェんだよい」
敵船を沈めた夜、甲板では盛大な宴が開かれていた。マルコも皆も酔っ払ってたし、私だって悲しい気持ちを誤魔化すために大量に酒を飲んでいた。私達が別れた事を酒の肴にしようとするサッチ達――勿論、悪気が無いって事も分かってる――に煽られたマルコが私に言ったのがそれだった。皆が「違いねェ!」「もっと女らしいトコ見せろよ!」「そりゃ、女に見れる訳ねェよなァ!」なんて笑う。嗤う。嘲笑う。
「え、」
「リサ……?」
呆然と呟いたのは誰だっただろう。私の名前を呼んだのはマルコだったと思う。
必死に笑顔を貼り付けていた私の目から涙が零れた。
「、ごめ……」
慌てて俯くけど遅い。近くにいる皆は驚いて固まってるし、マルコだって動揺してる気配が感じ取れた。あぁ、折角頑張ってたのに。嫌われたくなかったのに。こんな情けないトコなんて見せたくなかったのに。
一度溢れ出した涙は止まらなくて、次から次へと溢れ落ちては甲板にシミを作っていった。
立ち上がらなきゃ。この場から逃げ出さなきゃ。そう思うのに足に力が入らなくて立ち上がる事なんか出来そうもなかった。皆が困ってる。早く。どうにかしなきゃ。
「おい、リサ?」
「どうしたんだよ?」
「……もしかして、今のマルコの言った事か?」
「ははっ! リサがそんなタマかよ!」
笑い飛ばそうと誰かが揶揄うように笑い声を上げたけど、それはすぐに気まずそうな空気に溶けて消えた。どうにかしなきゃ。笑え。笑えよ。私しかこの場を取り繕える奴なんかいないじゃないか。言う事をきかない身体をどうにか動かして、袖で涙を拭って顔を上げる。
「ごめん、何かゴミが入っちゃってさ」
咄嗟に出た言葉はとんでもなくベタな台詞だった。今時、そんな言い訳口にする奴なんていないだろ。頭の片隅で冷静にツッコミを入れる私がいた。漸く感覚の戻って来た足に力を入れて立ち上がると、私はガシガシと頭を掻いて口を開いた。
「なーに変な顔してんの? ほら、もっと飲もうよ!」
何とかこの空気を払拭したくて笑ってみせるけど、皆は顔を見合わせたり困った顔で私を見たりするだけで酒に手は伸びない。
「いや、だってお前よ……」
サッチの気まずそうな声に息苦しさを覚えた私は、ジョッキの酒を一気に飲み干して笑ってみせた。
「だからゴミが入ったんだって。私が泣くわけないじゃん!」
私は。『リサ』という人間は。簡単に泣いたりしない。惚れてる男にさえ媚びたりない。束縛もしない。自分から擦り寄ったりもしない。
マルコが望んだのはそういう私じゃない。いつも通りの『リサ』だ。
だから、笑い続ける。悲しくたって苦しくたって、いつも通り笑い続けてやる。
気まずそうな顔をしていたサッチ達も少しずつ落ち着きを取り戻し始めて、また宴は始まった。皆で騒いで飲んで笑って。
マルコの顔なんて見れるはずもなかった。
数時間後、大量にお酒を飲んだ私は「もう寝る」と告げて立ち上がった。立ち眩みに少しだけ頭を振れば、酔いは益々回ったみたいで吐き気がした。深呼吸をして辺りを見回すと、マルコの姿は無かった。フラれたくせにまだマルコを求めてる自分に自嘲してその場を後にした私は、一人オヤジの部屋にやって来た。船医とナースにきつく叱られて渋々部屋に戻って来ていたオヤジは、部屋に入った私の顔を見るなり呆れたような顔をして、それから大きな手を差し出してくれた。
「とっとと来やがれ、バカ娘」
言われるがままにオヤジへと向かう。徐々に速くなる足は最終的に駆け出していて、オヤジの大きな手の中に飛び込んだ。それと同時に涙がまた溢れ出てオヤジの掌を濡らした。大きな手が私を優しく持ち上げて膝に乗せてくれる。
「こんなになるまで我慢しやがって」
呆れたような声とは裏腹に優しい指があやすように私の背中を撫でてくれる。
最初にここに来たのは、マルコとフランの関係を知った時だった。何も言わずにぐすぐすと泣きじゃくる私を、オヤジは嫌な顔一つせずに受け入れてくれた。オヤジの優しさに甘えた私は、悲しい事があるたびに何度も何度もここを訪れてはオヤジにしがみ付いて泣いた。オヤジは私を責める事はしなかった。
拙い言葉で必死にマルコの事を告げると、オヤジは「そうか、そらァ辛かったな」って少しだけ眉を下げて笑ってくれた。マルコに何も言わないでくれていたのは、必死に『私』を演じ続けた私を想っての事だったんだと思う。
「マルコ、に、っ……嫌われ、ちゃった」
ぐすぐすと鼻を啜りながら、しゃっくり混じりに伝える私の背中を撫でながら、オヤジはただ「そうか」って呟いた。
「ず、と、がんばっ、のに……、」
「あぁ、よく頑張ったな」
「いっぱ、い、わらっ……」
「あぁ、ちゃんと見てたぜ」
「でも……っ、ダメ、だっ……」
それ以上は言葉に出来なくて、ただただ泣いた。声を上げて泣きじゃくる私を、オヤジはただただ優しく撫でてくれた。「頑張ったな」って褒めてくれた。
「嫌われたくなかった」
「好きになってもらいたかった」
「私だけを見て欲しかった」
「デートがしたかった」
「キスだってもっといっぱいしたかった」
「抱きしめて欲しかった」
「他の女になんて触って欲しくない」
「恋人らしいことを、もっともっと沢山したかった」
今まで必死に抑えてきた願いを、しゃっくり混じりの泣き声で吐き出す私のはどうしようもなく情けない。こんな姿を見られたらまた嫌われちゃうと思ったらまた涙が溢れた。
この一年間、マルコに言いたくても必死に飲み込んできた言葉たちを吐き出し終えた私は、泣き疲れてそのままオヤジの膝の上で眠ってしまった。
「鼻タレが惚れた男の為に必死になりやがって……いい女じゃねェか。お前もそう思わねェか?」
「………」
オヤジの椅子の裏にしゃがみ込んで苦い顔をしていた人がいた事を、私は知らなかった。
翌朝、私は起きたら何故か自分のベッドに戻っていた。
オヤジが運んでくれたのだろうか?起き上がると枕元には濡れたタオルが落ちていて、多分、目が腫れる事を考慮して寝てる私の目に被せてくれたんだろうと察しがついた。鏡に映る自分はいつもよりほんの少しだけ目が腫れてるだけで、これならいくらでも誤魔化せるなとホッと安堵の息を吐いた。後でオヤジにお礼を言いに行かなきゃ。
「起きてるかい?」
ノックの音と共に聞こえたマルコの声に、大袈裟な程に身体が震えた。喉を押さえて声が震えそうになるのを堪えながら「起きてるよ」と答えると、一拍の間の後に扉が開いてマルコが入ってきた。
「おはよう」
「あぁ、」
何処か歯切れの悪い返事に首を傾げる。もしかしたら昨日の事を気にしてるのかもしれない。何でもないのだと言わなければ、と口を開こうとすると、扉の所に立ったままだったマルコが私のベッドに歩み寄ってきていきなり頭を下げた。
「すまん」
「、ぇ……は? 何?」
突然の事に目を丸くして呆然と聞き返すと、マルコがゆっくりと顔を上げて私に手を伸ばしてきた。眉を下げて泣きそうにも見えるマルコなんて初めて見た。躊躇いがちに頬に触れると一瞬だけ強ばった手が優しく私の頬を包む。
こんなマルコ、知らない。こんな優しい手、知らない。
「マル、コ……?」
「………すまねぇ」
また謝罪の言葉を繰り返したマルコに、私はどうしたら良いか分からずに眉を下げた。昨日の事を言ってるなら気にしなくて良いよって言わなきゃいけないのに、私の口は「マルコ」としか言えなかった。何度も謝るマルコに何度も「マルコ」と呼び続ける私。傍から見たら酷く滑稽だろうななんてまた頭の片隅で冷静な私が呟いた。
「もう一回、俺の恋人になってくれよい」
「、」
「今度は……ちゃんと見るから。どんなリサでも受け止めるから」
視界がぼやけていくのが分かった。もっとちゃんとマルコを見たいのに。泣く私なんて見せたくないのに。涙を拭おうとした手はマルコの手に阻まれた。
「我慢しなくて良い。もう、我慢しなくて良いんだ」
「、ルコ……」
「ずっと、ごめんな」
ぼろぼろと零れる涙をマルコの指が優しく拭う。初めて額と両瞼に落とされた温もりは優しくて、また涙が溢れた。
「 」
耳元で囁かれた言葉に、堪え切れず声を上げて泣きだした。
「リサ、こっち来いよい」
「リサ、次の島に着いたら一緒に降りるかい」
「リサ」
「リサ」
「リサ」
あれから一週間。甘い声で名前を呼んでくれるマルコに、私の頬は緩みっ放しだ。
「何つーか……人間ってあんなにも変われるモンなんだな」
隣に立つサッチが呆れ半分、恐怖半分の顔で呟く。そこにやって来たマルコはサッチと私の間に割り込んで私を抱き寄せた。
「近寄るんじゃねェよい、フランスパンがうつる」
「うつんねェよ!! 俺のこれはリーゼントだ!!!」
カッと目を見開いて叫ぶサッチに私とマルコは声を上げて笑う。
「マルコ、だいすき」
そっと耳元で囁けば、澄んだ青が優しく私を見下ろした。
額にちゅ、と音を立てて落とされた唇に顔を綻ばせると、サッチが呻き声を上げた。
「もう嫌! このバカップル!!」
ラブラブですけど、何か?
次にオヤジの部屋に行った時は、幸せいっぱいの顔で沢山笑おう。