「俺は白ひげに挑むことにした!!」
突然そんな無謀なことを言って海に出ようとした兄(十六歳)。
航海術どころか自炊することも出来ないくせに何を言ってるんだと散々説き伏せようとしたが、頑なに耳を貸さない馬鹿兄貴を放っておくことが出来ず、何故か分からないが私も一緒に海に飛び出した。勢いって怖い。
海王類に襲われて船が破壊されたり、他の海賊に絡まれて売り飛ばされそうになったり、とにかく私と兄の航海は散々だった。
それなのに諦めようとしない兄は、何かに取り憑かれていたのかもしれない。災難に遭えば遭うほど「コンチクショー!!」と叫びながらそれに立ち向かっていった。
驚くことに、そんな兄についていこうと決めた馬鹿な男たちも現れた。船長というものになった兄はいつの間にか賞金首になって、前半の海で死にかけていた私たちはいつの間にか新世界にまで進出した。奇跡だと、これからもよろしくお願いしますと、いるかも分からない神様に祈り続けた。
海に出てから八年が経過した頃、億超えの賞金首となった兄はとうとう白ひげ海賊団に挑むことを決めた。
「ダメだよ! 殺されちゃうよ! 敵うわけない……!」
何十回も、何百回も繰り返したというのに、兄は聞き入れてはくれなかった。昔から、こうと決めたら突っ走る。とんでもなく頑固なんだ。
生命を無駄にしないで。お願いだから止めて。クルーたちにもそう懇願したけど、彼らはあの馬鹿兄貴について行くことを決めていた。
「悪ぃな、俺らはアイツと一緒に行く」
お前はここで下りても良いんだぞ。そう言われて下りるなんて出来るはずもなかった。
兄について海に飛び出て八年。何度も死にそうな目に遭った。死の恐怖なんて、もう友達みたいなもんだ。
「全部終わったら、一発ぶん殴らせてよね!」
だから死なないで。挑むなら絶対勝って。
飲み込んだ言葉を、あの馬鹿兄貴はきっと聞き取ってくれたんだろう。口にしない言葉にばかり耳を澄ますなんて反則だ。
結果は、当然ながら惨敗だった。
下っ端だと分かるクルー達にこてんぱんに叩きのめされた兄貴たちは、それでも諦めなかった。何度だって立ち上がり、力の入らない手で武器を握り締めて、立ち向かっては再び地に沈められた。
応援することも助けを乞うことも出来ないまま、私はただただ兄たちの生き様をこの目に焼き付けることしか出来なかった。
「グララララ! 威勢のいいハナタレ共が……来い、俺が相手をしてやる!!」
それは、既に事切れる直前だった兄貴たちへの餞のつもりだったのだろう。
薙刀を手にして目の前に立ちはだかる白ひげは、一切の容赦もなく、圧倒的な力でもって兄貴たちを薙ぎ払った。
血塗れで横たわる兄たちの顔は晴々としていて、一片の曇りも恐怖もなかった。
やりきった。満足だ。温度を失いつつある顔がそう告げていた。
「お前も俺に挑むか?」
「………うちの船長は、独りじゃ何も出来ないバカ野郎なの。航海術も持ってなくて、自炊も出来なくて、力だって無いくせに『白ひげに挑む!』なんて言って海に出ようとして……白ひげに辿り着く前に遭難するに決まってるから、仕方なく一緒に海に出たの」
兄の頬を撫でながらぽつり、ぽつりと語る私の言葉を、白ひげたちは静かに耳を傾けてくれた。
何て弱い奴らだ、それでも億超えか?と嘲笑うでもなく、ただただ、真摯に受け止めようとしてくれた。それが嬉しかった。
「何度も遭難しかけて、他の海賊に負けて、売り飛ばされそうになって……それでも、諦めないでずっと戦ってきた。それなのに、この馬鹿兄貴は一度だって私に『戦え』とは言わなかった。『お前は飯を作ってるし、洗濯も掃除してるし、航海術だって持ってんだから戦わなくていい』なんてさ……コックも航海士もちゃんといるのに……私は手伝いしかしてなかったのに……洗濯も掃除も当番制だってのに、私は頑張ってるから良いんだなんて兄馬鹿でしょ?」
お前はここにいてくれりゃ、それで良い。
勝手に突っ走る俺らを叱ってくれりゃ、それで良い。
そう言って笑った兄たちの笑顔が甦る。
「食い扶持、増えるだけで、何もできな、のにさ……武器を取ろうとしたら、すぐ止められて、いっぱい、怒られて」
思えば、兄に怒られたのはあの時だけだった。
お前は戦うな! 怪我をしたらどうするんだ!なんて。私だって、海賊船に乗ってるんだから海賊なのに。船長の妹なのに。
「私にできること、馬鹿兄貴たちを止める、だけ、だったのに……」
止めなきゃならない所で止めなかった。止められなかった。
その結果が、これだ。
あちこちで倒れている、沢山の兄たちはもう息をしていない。その口元に笑みを浮かべたまま事切れている。
「っ……、ほんと、バカ、ばっか………」
船長も、クルーたちも、私も。
「私が武器を取ったら、皆が怒るから……だから、武器は取らない。――ははっ、本当に白ひげに挑むなんてさ、バカすぎて笑える……」
溢れ出る涙が止まらない。
悲しい。兄たちが死んでしまったことが悲しい。
けど、それ以上に嬉しいと思った。
「っ、りがと……ゆめを、かなえさせてくれて……」
ありがとうございました。
深々と頭を下げた私に影がかかり、温かくて力強い何かが頭に乗せられた。白ひげの大きな手だった。
「よく見届けた。強い奴は嫌いじゃねぇ」
そして、白ひげは涙でぐちゃぐちゃの私の顔を見下ろして言った。
「俺の娘になれ」
断ることも出来た。兄たちの敵でもある男だ。けど、私は次の瞬間には頷いていた。
私が白ひげの娘になる。それは兄たちからしたら裏切りになるのかもしれない。でも、それでも良かった。
私は白ひげに会った。兄たちと共に。
彼らは白ひげに挑んだ。長年の夢を、確かに叶えた。その確かな証拠が欲しかったのだ。
私が白ひげの娘になればそれは証明される。あのバカな兄たちが、確かに白ひげに挑んだのだと。夢を叶えて海に還ったのだと。
「家族想いな奴も嫌いじゃねぇ。歓迎するぜ」
白ひげ海賊団へようこそ
差し伸べられた手を取った次の瞬間、大きな歓声が白鯨を象った船から沸き起こった。