「ちゃんと学校に行かなきゃダメよ!!」
昼間だというのに殆ど人気の無い公園にリサはいた。腰に手を当てて僅かに前屈みになったリサは、目の前のベンチに座り胡乱気にこちらに視線を寄越すマルコに説教中だ。気だるげに足を組み、片腕を背凭れに引っ掛けながら何気ない仕草で煙草を取り出して火を点けようとするマルコの間近でホイッスルを鳴らせば、マルコはその煩さに思い切り顔を顰めながら煙草をしまった。
「何で普通にポケットに戻すの! 没収!!」
「おいおい、警官のくせにカツアゲは良くねェぞい」
「カツアゲじゃありません!! 未成年が煙草を吸って良いと思ってるの!?」
「未成年が吸っちゃなんねェってのは、身体が成長途中だからって事だろうが。俺ァこれ以上成長しなくたって困らねェよい」
マルコの言葉を受けてマルコを上から下まで見遣る。自分よりも遥かに高い身長、長い手足。リサは顔を顰めた。
「子どものくせに生意気」
「自分が成長しなかったからって俺に八つ当たりすんじゃねェよい」
「失礼な! 私だってちゃんと成長してますー! ちょーっと身長に回らなかっただけだもん!」
「その割には出てるようには見えねェけどな」
「それ」とマルコがリサの胸を指して笑う。慌てて胸を隠すように腕を交差したリサは「セクハラ!」と叫んでからもう一度ホイッスルを吹き鳴らした。
「それにね! 煙草吸ってるとガンになる可能性だって増えちゃうんだから! いくら図体がでかくたってまだ発育途中なんだから、煙草は良くないんです!!」
「へいへい」
「『へい』じゃなくて『はい』!」
「はいはい」
「『はい』は一回!!」
「ったく……お前ェも毎日毎日煩ェ奴だねい」
「誰がそうさせてるのよ、誰が!!」
「もう!」と言いながら僅かに唇を尖らせるリサに「ガキか」と呟けば、即座に「侮辱罪!」と返ってくる。面倒なことこの上ない。
「そう言えば、今日はサッチは?姿が見えないってことは真面目に学校行ってるのよね、見習わなきゃダメじゃない」
「アイツは女のトコだよい。旦那が出張でいねェんだと」
「十八歳未満の不純異性交遊は条例で禁止されてます!!」
盛大にホイッスルを鳴らしてリサが叫ぶ。
「しかも何!? 不倫!? ダメよ高校生は高校生らしく可愛らしい恋愛をしなきゃ!!」
「へぇ、例えば?」
ニヤリと口端を上げたマルコが身を乗り出した。咄嗟にリサは後ろに退がろうとしたが、既にマルコの手に手首を掴まれている。
「は、放しなさい!」
「教えてくれよい、オマワリさん。俺に高校生らしい可愛い恋愛ってのを」
「そういうのは自分で見つける事に意義があるのよ!」
「じゃあ、リサの体験談で構わねェからよい。可愛らしい恋愛、してきたんだろ?」
途端に顔を強ばらせたリサに、どうやら自分の考えは当たっているようだ、とマルコは喉を鳴らした。
「なぁ、教えてくれよい」
「べべべ、別に!? フツーーーの恋愛ですよ!」
「例えば?」
「た、例えば!? え、っと……あー……だから、そう! 制服デートとか! 学校帰りにお互い制服で手を繋いで帰ったり、ちょっぴり寄り道してクレープ食べに行ったり……」
うっとりとした表情で「青春よねぇ……」と呟くリサに思わず噴き出しそうになったマルコは、それを咳払いで誤魔化して立ち上がった。
「学校帰りに制服でクレープねぇ……まぁ、参考にはなったよい」
「じゃあ、とっとと学校戻る! 可愛い彼女作って一緒に制服デートしてなさい! 人妻と不倫なんて論外よ!!」
「俺ァ人妻にゃ興味ねェな」
「そういう事を言ってるんじゃ――ちょっと、何、この手は」
思わず一歩下がろうとしたリサだったが、腰にはマルコの手が添えられていて身動きすら出来なかった。マルコを見上げれば、マルコは妖しい光を宿した目でリサを見つめながら、そっとその耳に唇を寄せた。
「何も知らない女に一から教え込んで、俺好みに変える方が楽しそうだ」
吐息混じりの声が耳を刺激する。擽ったさに身を捩ったリサは、脳がマルコの言葉を認識した瞬間真っ青になって声を張り上げようとした。けれど、それは口を覆った大きな手によって叶うことはなかった。
「んむううぅぅ!!」
「つー事で、携帯の番号教えろよい」
「んーーー!! んーー!!」
イヤイヤと左右に首を振れば、マルコはパッと手を離してリサを解放し、その手をヒラヒラさせながら歩きだした。
「んじゃ、そういう事で」
「ちょっと待ったあぁぁ!! 今日という今日は逃がさないわよ! 学校に――」
「戻って欲しけりゃ、番号」
リサの言葉を遮って振り向いたマルコは相変わらずリサを小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。開いたままの口をパクパクさせたリサは俯いて黙り込み、やがて何か閃いたような顔でマルコを見上げた。
「分かった」
ポケットから警察手帳を取り出して自分の番号を書くと、そのページを切り取ってマルコに差し出す。それを受け取りながらマルコは探るような目でリサを見つめた。そんなマルコに笑みを返すと、リサはマルコの背を叩いた。
「さ、学校に戻った戻った!」
「……本当にこの番号で合ってるんだろうな」
「勿論、私の携帯の番号ですよー」
吹っ切れたような顔で先を歩くリサを疑いの眼差しで見たマルコは、自らの携帯を取り出してメモに書いてある番号を押した。プルルルル、という無機質な音が聞こえ始めると、数秒遅れでリサから着信を知らせる音が鳴り出す。
「わわっ、ちょっと! いきなりかけてこないでよ!」
「念の為に確認」
「もう!」
携帯を取り出したリサがボタンを押すと、耳に当てたままの携帯から聞こえていた音はツー、ツーという音に切り替わった。
「これがマルコの番号ね。えーっと……」
何やら難しい顔で操作をしだすリサをじとりと見遣りながら、マルコはふと浮かんだ考えを口にした。
「お前、着信拒否にするつもりじゃねぇだろうな」
誤魔化せない程に大きく跳ねた肩に、自分の考えが当たっていたのだと確信したマルコは、「へぇ」と呟いて一歩、また一歩とリサに歩み寄る。対するリサは携帯を握り締めたまま固まっていた。
「悲しいねぇ、お巡りさんに着信拒否にされるなんて」
「ななな、何のこと? べべ、別に私はそんなこと……」
「相談しようと電話かけたら『この電話番号からの電話はお受けできません』なんて聞こえてくる訳かい。そんな事があった日にゃ、俺ァ絶望して死んじまうかもなァ」
「死……!? ダ、ダメ! 自殺、ダメ! 絶対!! 悩み事なら私が聞くから!!」
「けど、着信拒否されてちゃなァ……」
ふぅ、と儚げに溜息を零してみれば、リサは面白い程に真っ青になりながら「しない!!」と叫ぶ。
「しない! しないから! いつでも電話してきて良いから!!」
「……本当に?」
「本当!! 昼でも夜でも受け付けるから! だから独りで悩んじゃダメよ!!」
「そりゃ良かった」
にんまりと口端を上げたマルコは上機嫌に携帯をしまうと、リサの手にある携帯をひょいと取り上げてボタンを押した。
「ちょ、何してんの!?」
「ちゃんと俺だって分かりやすいように登録してやろうと思ってねい。お前がやるより俺がやった方が絶対早ェだろうからよい。お前もとっとと仕事に戻らなきゃまた怒られちまうだろい?」
「え? あ、ありがとう……?」
思いがけないマルコからの思いやりの言葉に動揺しつつも、リサは礼を口にした。ポチポチと上機嫌に携帯を弄っていたマルコは、やがて全ての動作を終えると携帯を閉じてリサに差し出した。
「はい」
「あ、ありがとう……」
「じゃあ、俺は学校に戻るからよい。仕事頑張ってな」
「………何か、怖い……」
「ハハッ、俺だって約束くらい守るさ」
爽やかに笑うマルコに違和感を覚えてしまうのは何故だろうか。けれど、そんな事を口にしてはマルコを傷付けかねないと、リサは必死にその違和感を振り払って笑顔を向けた。
「勉強頑張ってね!!」
「ヘイヘイ」
ヒラヒラと手を振って学校の方へ歩き出すマルコを見送ったリサは、久々に清々しい気持ちで派出所へと戻って行った。
続・婦人警官の災難
着信を告げる音が鳴り響く。
「………もしもし……」
『リサ? 俺だよい』
「……マルコ君、今……夜中の三時……」
『寝付けねェから話し相手になってくれよい』
「……明日も朝早いんだけど……」
『………俺と話すのは嫌? そうか……じゃあ……もう、いいよい……』
「だー! もう! 分かったわよ! いくらでも話し相手になってあげるわよ!」
ベッドから起き上がってガリガリと頭を掻く。マルコに番号を教えたその夜から、毎晩のようにこうして電話がかかってくるようになった。電話がくるのは構わないが、何故こんな夜中にかけてくるんだと叫ばずにはいられない。尤も、叫んだ所でマルコは先程のように自殺を仄めかすような沈んだ声で電話を切ろうとするのだから、リサには叫ぶことすら出来ないのだが。眠気を飛ばす為に何か飲み物が必要だと、リサはキッチンへと向かった。
「あー……電話代かかっちゃうでしょ。こっちからかけ直すから」
『別に構わねェよい』
「ダメよ! 私は社会人、貴方は学生なんだから」
マルコとの電話は朝の七時まで続き、リサは遅刻ギリギリで派出所へ向かうことになる。
「ひいいぃぃぃぃ!!!」
翌月、携帯料金の請求書を見て悲鳴を上げるリサの姿があった。