マルコ→←ヒロイン


乾いた音が部屋に響く。左頬が熱を帯びていくのを感じながら、私は目の前に立つ人を睨み続けていた。
たった今、私の頬をその大きな手で叩いたマルコ隊長は、私なんかとは比べ物にならないくらい鋭い目で私を睨み付けて食堂を出て行った。私達を心配そうに見ていたクルー達が自然と左右に割れて隊長が進む道を作っていく。隊長が無言で食堂を後にすると、クルー達の視線は私に集中した。

「………痛い」

小さな声で呟いたのとサッチ隊長が私の所にやって来たのは同時だった。その顔は何処か悲しそうで、けど怒っているようにも見えて、呆れているようにも見えた。

「何であんな事言ったんだ?」

左頬を押さえたまま立ち尽くす私を見下ろしながらサッチ隊長が溜息を零す。いつも笑っている隊長がこんな顔をするのも無理はない。私はつい先程、マルコ隊長に対して酷い事を言ったのだから。

「あんな事言ったら怒るって分かってただろ?」
「……そうですね」

俯いたまま返事をした私にもう一度溜息を零して、隊長が私の顎に手をかけた。強すぎない力で上を向かされて、左頬を押さえる手を下ろさせると、露になった私の顔を見て眉を寄せた。

「こりゃまた、酷くやられちまったな」

私の頬はきっと酷く腫れているんだろう。口の中がピリピリするから多分切れてるんだと思う。

「自業自得ですから」
「お前なぁ……」

呆れたように眉を下げたサッチ隊長は近くにいたクルーに「タオル冷やして持って来い」って告げると、私を椅子に座らせて自分も隣に腰を下ろした。

「何であんな事言ったんだよ?」
「………」

答えない私にサッチ隊長は困ったような顔で頭を掻く。そんな事をしたらリーゼントが崩れちゃうのに、隊長は気にも止めていないようだった。

「マルコに謝って来いよ」
「……嫌です」
「リサ」

咎めるようにサッチ隊長が私の名を呼ぶ。まるで戦闘の時のような隊長の威圧感に、私は唇を噛み締めた。
分かってる。怒ってるのはマルコ隊長だけじゃない。サッチ隊長も、他のクルー達も怒ってるんだ。それくらい、私は酷い事を口にした。分かってる。全部分かってる。

「私は、思った事を口にしただけです」

そのまま立ち上がって食堂を出ようとすると、丁度タオルを冷やして持って来てくれたクルーに鉢合わせた。

「ほらよ」
「……ありがとう」

お礼を言って食堂を後にした私は宛もなく船内を歩いた。マルコ隊長に会ったら、なんて考えなかった。隊長はきっと、今頃部屋にいるはずだ。誰にも会いたくないんだと思う。私だったらそう思うから。
左頬をタオルで押さえてる私に、すれ違うクルー達がどうしたんだって声をかけてくれたけど、何でもないとしか言えなかった。
宛もなく歩いていたはずなのに、私の足はまるで最初から行き先が決まっていたかのように扉の前に立っていた。ノックをすると中から返事が聞こえて、私はゆっくりと扉を開けて部屋の中へと足を踏み入れた。

「グラララ、珍しいじゃねぇか。お前がここに来るなんてな」
「迷惑だった?」
「アホンダラ。娘の訪問を喜ばねぇ親はいねぇよ」

その言葉にほんの少しだけ微笑んで近付く。私の頬が腫れている事に、オヤジは何も言わなかった。
オヤジの足元に座り込んで膝を抱えても、オヤジは何も言わずにお酒を飲んでいた。

「………酷い事、言ったの」

マルコ隊長に、と続けると、オヤジは「そうか」とだけ呟いてまたお酒を呷った。

「『マルコ隊長の能力が嫌い』って言った。『その能力に頼る隊長も嫌いだ』とも」
「………」
「『そんな能力に頼らなきゃ戦えないんなら、戦わないでください』って言って……ビンタされた」
「グラララ!」

膝を抱えながら懺悔するかのように呟いた私に、オヤジは声を上げて笑ってお酒を飲み干した。酒瓶を足元に置いて、そのまま大きな手で私の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。痛い。でも、温かかった。

「お前ェ、マルコに惚れてんのか」
「………そんなんじゃないもん」

そう呟いてみても、オヤジは全部分かってるとでも言うようにもう一回笑った。

「アイツは幸せモンだな」
「……部屋、戻る」

オヤジの部屋を出て扉を閉めようとしたら、オヤジの「素直になんな」って声が聞こえた。
そんなの無理だって分かってるくせに。

次の日、傘下の船がやって来た。そう言えば来るって言ってたなぁ、なんて思いながら甲板でクルー達と一緒に家族を迎えた。この船の船長のホワイティ・ベイは私が海賊になるきっかけをくれた人で、親友。ベイの船に乗ってすぐの頃、ベイの船からオヤジの船への異動命令が出て、私はモビーにやって来た。そう言えば、何で私だったんだろうか。
そんな事をぼんやりと考えていると、目の前にベイが現れた。

「ちょっと! 聞いてる?」
「え? あ……ごめん、聞いてなかった」
「ったく……『久しぶり』って言ってんの!」
「久しぶり、ベイ」

「元気だった?」って聞くと、「当たり前でしょ」って返ってくる。

「それより、アンタその顔どうしたのよ」
「顔?」
「腫れてんじゃない」

そう言ってベイのひんやりとした手が私の左頬に触れる。一晩じゃ腫れは治まらなかった。それだけ、マルコ隊長が私に怒っていたって事で。零れそうになる溜息を飲み込んで私はベイに苦笑した。

「何でもないの」
「へぇ?」

ベイの鋭い視線が向けられるけど、言い触らしたい話ではないから無言を通す。暫く私を睨んでいたベイは苛々したように溜息を吐いて私の頭をぐしゃぐしゃに掻き回した。

「アンタ、その内ハゲるわよ」
「それは困る」

顔を見合わせてぎこちなく笑う。
それから始まる宴会はいつもより騒がしかった。ベイは大好きなオヤジの所でお酒を飲んでいて、その近くには隊長達が勢揃いしていた。けど、マルコ隊長の姿だけが無かった。

「おーい、リサ! こっち来いよ! 飲もうぜ!」

手を振るクルーの誘いを丁重に断って船室に戻る。食堂でお酒をもらって部屋で一人で飲もうって考えて食堂に行った私は入口の所で思わず足を止めた。

薄暗い食堂で、マルコ隊長が一人お酒を飲んでいた。

入口で途切れた足音を訝しんだのか、隊長が振り向く。
隊長が私を見て、私も隊長を見る。まるで時が止まったかのようだった。

「……何してんだい?」

いつもと変わらない様子で隊長が声を発する。それが私への問いかけだという事に気付いて「お酒をもらおうと思いまして」と答えると、「そうかい」って呟いて私から顔を逸らした。
ゆっくりと食堂に足を踏み入れて隊長の傍を通り過ぎる。ふわりとお酒の匂いが鼻をつく。厨房の方にある棚から酒瓶を一つ取ると、ぎこちない足取りで再び隊長の傍を通り過ぎようとした。

「お前、ずっとそう思ってたのか」

聞こえた声にピタリと足を止める。すぐ近くに座っている隊長が結構強めのお酒を飲んでいる事には気付いていたけど、どうやら随分と飲んでいるようだった。

「答えろい」
「……思ってました」

静かな声でそう答えると「そうかい」って返ってくる。手の中の瓶を見下ろしたら、それも中々に強いお酒だった。適当に取ったから気が付かなかった。
栓を開けて徐に呷る。喉を通る液体の破壊力は抜群で、目の前が一瞬ぶれた。あぁ、私お酒そんなに強くないのにな、なんて考えながら、身体は勝手に動いてもう一度酒を呷っていた。

「嫌いです」

一瞬の間。あぁ、私の口から零れたんだと気付くと同時に、タンという音が上がる。隊長が手にしていたグラスをちょっと強めにテーブルに置いた音だった。

「そんなに嫌われてるとは思ってなかったな」

隊長がどんな顔をしてるのかなんて分からない。けど、その声は何処か自嘲気味で、私が想像してた以上に傷付いていたんだって分かった。

けど、嫌いなんだから仕方ない。

嫌い。嫌い。
隊長の能力が嫌い。能力を使う隊長が嫌い。
不死鳥になって独りで偵察に行く隊長が嫌い。
手強い敵が襲って来た時、独りで突っ込んでいく隊長が嫌い。
敵の攻撃を避けない隊長が嫌い。誰かの盾になる隊長が嫌い。
家族を護れなかった時に、人一倍自分を責めてる隊長が嫌い。
自分が攻撃を受ければ良かったと嘆いてる隊長が嫌い。
何で自分が盾にならなかったんだと悔いてる隊長が嫌い。

大きく息を吐き出す。
何処から声に出していたのか分からない。初めからかもしれないし、途中からかもしれない。
マルコ隊長は驚いたように目を見開いていた。

「嫌いです……隊長の能力なんて嫌い。能力に頼る隊長も嫌い。自分を大切にしてくれない隊長なんか……っ、大嫌い……!」

俯いて唇を噛み締める。酒瓶が手の中をすり抜けて床に落ちて割れた。飛び散った破片が私のふくらはぎに赤い線を作る。不思議と、痛いと思わなかった。
頭の中はグチャグチャで、あぁ相当酔ってるな、なんて考えてたら隊長が私の所にやって来た。破片を拾い集める隊長を見下ろしながら、私は何故かぼろぼろと涙を流していた。
泣いている私に気付いてるだろう隊長は、無言で破片を片付けると私の腕を引いて歩き出した。泣きじゃくりながら隊長に手を引かれて歩く私は、まるで小さな子どもみたいだ。

何処かの部屋に入れられて、ベッドに座らされる。隊長はすぐに部屋を出て行って、数分後に戻って来た。
手に持っていた湿った布を私の足の傷に押し付けるのをぼんやりと眺めながら、私はまだ泣いていた。
涙の止め方なんて分からなくて、隊長が何かを言ってるのも聞こえなくて、ただ泣いていた。
私の前にしゃがみ込んでいた隊長が顔を上げる。海のように青い目の中に小さな私が見えた。

「すき」

ぽろりと零れ落ちた言葉に隊長は一瞬目を見開いてから、表情を緩めた。
優しい顔で笑う隊長に、何故か私は声を上げて泣き出した。まるで自分が自分じゃないみたいで、変な感覚だった。
私の隣に座った隊長の腕が私を抱き寄せる。温かなぬくもりに包まれた私は、更に大きな声で泣いて――それからの事は覚えていない。その後の事を隊長は教えてくれなかった。

けど、一つだけ変化があった。

隊長は相変わらず独りで突っ込んで行って、独りで戦っていた。誰かの盾になる事も止めない。
そんな隊長が、敵の攻撃を避けた。
今までは気にせず受けて再生させていた攻撃を避けていた。
戦闘が終わって、隊長が私の所にやって来る。

「これで良いか?」

少しだけ照れ臭そうに笑う隊長に、私はまた泣いた。
驚くクルー達の視線を感じる。泣きたくなんかないのに。簡単に泣く女だなんて思われたくないのに。
突然温かい何かに包まれた。耳元で聞こえたのは隊長の声。

「ありがとよい」

「俺も好きだ」って続いた隊長の声に思わず息を呑む。
顔を上げると隊長の少しだけ照れ臭そうな笑顔があって、咄嗟に口を開いたけど隊長の唇が降ってきて声は出なかった。

オヤジの笑い声と、家族達の歓声だけが耳に響いていた。