海賊×白雪姫


世界で一番美しいと信じて疑わなかった。私は、世界で一番美しいと思っていた。そうありたいと願っていたし、努力は惜しまなかった。そうやって努力してきたからこそ、国王に見初められて後妻となることが出来た。

私は美しい。そう信じて疑っていなかった。


”世界で一番美しいのは、白雪姫です”


いつもと違う名前を挙げた魔法の鏡。白雪姫。私の義理の娘。

黒檀のような真っ黒な髪。
雪のように白い肌。
血のように真っ赤な唇。

まだ十二歳だというのに、その美貌は誰もが認めるほどだった。

私にはない黒髪。
私にはない白い肌。
私にはない赤い唇。

子供特有の丸みを帯びた姿は、とても愛らしくて、とても憎らしかった。

あの子を殺さなければ。
そうしなければ、私は美しいままでいられない。

内に巣食うドロドロした感情のままにあの子を殺そうと画策したけれど、何度命じてもあの子は死ななかった。

誰も彼もがあの子の味方をする。
誰も彼もがあの子を愛する。

どうして。
どうして。
どうして。

どうして私ではダメなの。どうして私は美しいままでいられないの。
どんどん老いていく身体――どんな魔法薬を煎じて飲んだって、あの子のように美しくなれない。

「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだぁれ?」
「世界で一番美しいのは、真っ黒な髪、真っ白な肌を持つ白雪姫です」

殺さなければと思った。一刻も早く殺して、この国の者達の記憶からあの子を消してしまわなければ。
丹精篭めて作った毒リンゴを食べた時は、上手くいったと思ったのに。これで私が世界一だと思ったのに。

「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだぁれ?」
「世界で一番美しいのは、真っ黒な髪、真っ白な肌を持つ白雪姫です」

どうして。
どうして。
どうして。
どうして。

あの子は死なない。
その美しさも衰えない。
まだ成長途中の彼女は、これから更に美しくなるのだろう。それこそ、私なんて霞んでしまうほどに。

嫌よ。
そんなの嫌。
そんなの耐えられない。

美しくありたい。誰よりも美しくありたい。
誰よりも美しくなれば、誰もが私を見てくれる。愛してくれる。私は、美しくなければならないのに。

「その女は魔女だ!! 国王、騙されてはいけません! 白雪姫を亡き者にしようと画策したのは、外ならぬ王妃です!!!」
「よくも白雪姫を……!! 今すぐ城を出て行け! 二度とこの国に足を踏み入れるな!!」

どうして。
どうして、どうして、どうして。

私はただ、愛して欲しかっただけなのに。
私はただ、美しくありたかっただけなのに。

何もかも失った。
綺麗な髪飾りも、綺麗な首飾りも、耳飾りも。
着ているものは何ともみすぼらしい継ぎ接ぎのワンピース。美しさの欠片もない。

城を追い出されて、怒りを露にする民達に石を投げられながら国を後にした。今歩いているここが何処なのかも分からない。誰もいない。食べるものも、寝る場所もない。

私は、独りだった。

あぁ、どうしてこうなってしまったの。
私はただ、ただ――。

不意に現れた大きな影が私の影を隠した。胡乱気に空を見上げれば、とても大きな、真っ青な炎を纏った鳥。

あぁ、なんて。なんて。

「……きれい、」

何て綺麗なのだろう。揺らめく炎は陽の光を浴びて更に輝いて見える。美しい。とても美しい。あぁ、何て美しい。

「――何してるんだい」
「はな、せるの?」
「あぁ、俺は人間だからよい」

それはそれは美しい青い鳥は、くるっと身を翻したかと思うと一人の人間に姿を変えた。

金色の髪。
眠たげな細い目。
厚い唇。
羽織るだけの紫色のシャツも、そこから覗く胸に刻まれた大きな大きな模様も品が無い。
腰に巻いた布も、そこから垂れる鎖も、庶民のような履き物も。

何もかもが美しくない。

それなのに、何故か目を逸らすことが出来なかった。美しさも品もないただの男の目は、今まで見たことがない不思議な光を湛えていた。

「あなたは、何者?」
「俺は海賊だ。アンタこそ、ここで何してるんだい」

海賊。それは野蛮で品の欠片もない人種。
私とは縁のない、汚くて臭くて、みすぼらしい人種。
そんな者に話しかけられるなんて。そんな者が、あんなに美しい姿になれるなんて。神様は何て残酷なのだろう。

「ここら辺にゃ民家も何も無ェよい。アンタ、何処に行こうとしてるんだい」
「わからないわ。私には、行く当てがないもの……」

もう何処にもない。私の居場所なんて。伏し目がちに自嘲の笑みを浮かべれば、何かに気付いたのか海賊が私の顔を覗き込む。節くれだった汚い手が、私の髪を掻き上げた。

「っ、無礼者!」
「――アンタ、あの国の王妃だろい」

海賊の手を叩き落とせば、海賊は私がやって来た方を指して問う。問いかけているくせに、その声には確信めいたものがあった。最初から知っていたんじゃない。

「義理の娘を殺そうとした悪逆非道な魔女だって聞いてたが……なんだ、ただの女じゃねぇか」
「私を嘲笑いにでも来たの? 穢らわしい海賊に見下されるなんて、私もお終いね」

あぁ、もういや。
どうして。
どうして私がこんなことに。


「……私はただ、美しくなりたかっただけなのに」


堪えきれなくなった涙が頬を伝う。あぁ、だめよ。泣いてはだめ。涙は美しいけれど、泣いた後の顔は醜いもの。醜いのは嫌。美しくありたいのに。止まらない涙は私をどんどん醜くしてしまう。いやよ。そんなのいや。嫌なのに。涙は止まってくれない。せめて、こんな顔を見られまいと両手に顔を埋めた。

「穢らわしい海賊の俺にゃあアンタの美学は分からねぇが」

節くれだった手がまた私の髪を掻き上げた。さっきのように叩き落としたいのに、こんなに醜い顔を見られたくない。こんな醜い顔を晒け出すくらいなら、汚い手で触られた方がマシよ。
不意に海賊の手が無遠慮に私の手首を引いた。抗えないほどの力に呆気なく醜い顔を晒してしまった私は咄嗟に顔を背けた。けれど、それすら赦さないとでもいうように海賊が私の顎を捉えて正面を向かせようとする。
乱暴で、野蛮で、海賊なんて最低な人種だわ。

「俺にはアンタの美学は分からねぇ。アンタの言う『美しい』ってのがどんなものか知らねぇが、それでも――」

言葉を切った海賊が、真っ直ぐに私の目を見つめて微笑む。

「――俺は、アンタは美人だと思うよい」

すぐそこにある海賊の顔は、優しい顔で私を見つめていた。

野蛮で汚らわしい人種のくせに、何でそんな優しい目をするの?
こんなに醜い顔なのに、どうして私を美しいなんて言うの?

どうして。
どうして。
どうして。

あぁ、涙が止まらない。

「行く場所がねぇってんなら、俺と来りゃいい。アンタの言う通り汚くて臭ェ海賊船だ。乗ってる奴らも品なんてモンは欠片も持っちゃいねぇ。けど、アイツらは嘘はつかねぇよい。好きなモンは好きだって言うし、嫌いなモンは嫌いだって言う。アンタが望む答えはアイツらがくれるはずだ」

私の、望む答え――


”鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだぁれ?”


「それで……もし私が世界一美しいって言ってもらえなかったら、どうしてくれるの?」
「そん時ゃ、俺が世界一の美人にしてやるよい」
「あなたが? どうやって?」
「知らねぇのかい?」

何故か楽しそうに笑いながら、海賊の無骨な指が私の頬に残る涙の痕を拭う。当たり前のように近付いてくる顔に逃げるどころか、受け入れるかのようにそっと目を閉じた。

「俺といりゃ分かる」

キスは嫌い。
せっかく美しく紅を引いたのに、それが崩れてしまうから。気持ち悪くて、汚くて、いいことなんかない。
けど、今の私は紅を引いていない。気持ち悪くて汚いはずのキスを拒絶する理由がなかった。それに、何故か気持ち悪いとも思わなかった。



「俺と来い」



言い放った海賊は、有無を言わさず私の手を引いて歩き出した。





からまる指先





全てを失ったはずの私は、鯨を模した船の上で気付く。
私は、小さな小さな世界にいたのだと。小さな小さな世界で、小さな小さな価値観で、必死にもがいていただけなのだと。

「おーっす! 今日も別嬪だな!」
「お、今日は早起きじゃねぇか! ん? 何だお前、化粧してんのか?」
「バカだなお前、そんな事しなくたって十分美人じゃねぇか! 俺なんかこんなだぜ!」

汚くて野蛮で煩い海賊達は、いとも容易く私を受け入れてくれた。家族だなんて、そんなものに執着したことなんか一度もなかったのに。私は今、たくさんの家族に囲まれて生きている。
髪を結うこともせず、化粧の一つもせず、薄汚い布切れで作られた服を着た私を彼らは美人だと言ってくれる。

私の新しい世界はやっぱり汚くて、煩くて、野蛮で。
それでいて、とても優しくて温かい世界だった。

「何してんだい」
「海を見てるの。綺麗だなと思って」

隣に並ぶ海賊の問いに答えれば、海賊は「そうかい」と笑って私の髪を撫でた。

潮風に曝されてバサバサになった私の髪を、綺麗だと言ってくれる。
化粧をしなくなった私の素顔を、綺麗だと言ってくれる。
武器を取った私のマメだらけの手を、綺麗だと言ってくれる。

「お前は、綺麗だよい」
「当然よ。私は、世界で一番美しくなれたんだもの」

貴方のおかげでね。
心からの笑みを浮かべた私に、汚くて臭くて野蛮な海賊はあの時と同じように優しい笑みを浮かべてキスをしてくれた。