01
期末試験を終え夏休みをおよそ四週間後に控えたある金曜日の夜、爆豪勝己は自室で課題に取り組んでいた。
夏休み前と言えど、週末に向けて出された課題の量は決して少なくない。期末試験も終わり、もう何日かすれば夏休みなんだから課題なんて出さないでくれと勉強が苦手な何人かのクラスメイト達が嘆いていたが、少なくないと言えど平日の課題を三日分出されただけなのだ、こんなもの毎日同じ量だけやっていれば終わる。羽目を外してすべて日曜日にやろうとするから悲鳴を上げる羽目になるのであって、平日と同じように金曜も土曜も課題に取り組んでいれば問題なく終わるのである。
言葉遣いも態度も悪く時に敵(ヴィラン)のようだとさえ言われる爆豪勝己は、けれど几帳面なA型であり、真面目でもあった。自らに課したルールは必ず守るのが信条である。
日課のトレーニングを終え、夜のランニングから帰ってシャワーを終えた今、時計は短針が9を指している。課題は集中して行えば一時間もあれば終わるだろう。
シャワーを終えて火照った体は、ひっそりと音を立てずに忍び寄ってくる睡魔に気付いているが、まだまだ警戒するほど近寄られてはいない。この課題を一時間で終わらせて、軽くストレッチができるくらいには余裕がある。
そう、眠くなどなかったのだ。ほんのひと欠片も。頭は冴えていた。
「…………は?」
それなのに勝己は知らない場所にいた。見慣れた自室で、机に向かい課題をしていたはずなのに。
まさか、この俺があっさり寝落ちしたのか? ――いや、そんなはずはない。睡魔などなかった。自信を持って違うと断言できる。それならば――?
最初に浮かんだのは敵(ヴィラン)。もしかしたら勝己の家のある付近一帯に作用する個性を仕掛けたのかもしれない。
「……クソが」
怒りに呼応して手のひらで小さな爆発が起こる。個性は使える。
周囲の気配に気を配りながらキョロと視線を巡らしていく。
薄暗い室内だ。人の気配はない。ところどころ塗装が剥がれた天井からは年季の入った蛍光灯が垂れ下がっていて、白塗りの壁もあちこちで塗装が剥げている。室内に物はなく、飾り気のない一切ない生活感の存在しないここは廃墟となったビルの一室だろうか。
ぐるりと部屋を見回していると、勝己はおかしなことに気付いた。
扉がないのだ。
警戒しながら部屋の中央へ移動し室内をぐるりと見回すが、やはりどこにも扉が存在しない。いよいよ敵の仕業か。少しでも死角を減らすために部屋の片隅の方へ移動し、壁の一メートルほど手前で振り返る。壁を背にしたこの状態であれば、どこから何が来ても対応できる。
勝己が腰を落として警戒を更に強めたその時だ。
「――っ、!?」
不意に感じた気配は、驚くことに背後からだった。
おかしい、そんなはずはない。だって今、自分はそこに何もないことを確認してから体の向きを変えたのだ。壁との隙間はたった一メートルほどしかない。誰かがそこに来ることができるはずがない――瞬間移動の個性でもない限り。
咄嗟に振り返った勝己の右手では個性を発動し始めている。このまま振り向きざまに敵に向けて爆発を食らわせてやる。
そう思いながら振り向いた勝己の目に映ったのは、おそらく自分とそう変わらない年齢の女だった。高校生――いや、中学生か?
咄嗟に爆破を思い留まり、けれど警戒を緩めないままバックステップで女から距離を取る。
「……ンだ、てめェは」
「あ、ぅ……ご、めんなさ」
爆破されそうだったことに怯えているのか、ビクビクと身を縮こまらせた女がその場にしゃがみ込む。潤んだ目が縋るように勝己を見上げた。
「ごめ、なさ……っ、わた、わたし、が」
「……」
「ひっぐ、ごめ、ごめ、なさ……」
「……てめェの仕業か、これは」
努めて静かに発した問いかけに、女はぐすぐすと鼻を啜りながらコクコクと頷いた。びきり。勝己のこめかみに怒筋が立つ。
「じゃあ今すぐ解けや!!」
「ひっ……! わ、わかんない、です……」
「はあああァ!!?」
「ごめっ、ごめんなさいっ、わが、わがんなくてっ!」
「どういうことだ!!」
ズンズンと歩み寄り女の胸倉を掴み上げて怒鳴りつける。苦しそうに喘ぐ女はひたすらに謝罪の言葉を繰り返すのみ。こんなのまるで壊れた人形だ。
特大の舌打ちと共に女を解放すると、深呼吸を一つ、二つ。こみ上げる怒りを吐き出す息に乗せて逃がそうとするが、全てを逃しきれるはずもなく。
「オイ……どういうことか、説明しろや……!」
ここまで冷静に言えたのだから褒め称えられてしかるべきだ。
たとえどんなに顔が怒りに歪みまくっていたとしても、怒りで声が震えていたとしても。
なんとか泣き止んだ女が――泣き止むまで何度怒鳴り付けそうになったことか――言うには、自分の個性で勝己を呼び寄せてしまった、だった。
ぼそぼそと小さな声、ひっくひっくとしゃくり上げていたせいで聞き取るのにかなりの努力と忍耐が必要だったが――怒鳴り付けなかったのは本当に奇跡だ――、要約するとこうだ。
雄英高校の体育祭をテレビで観た。戦っている姿を見て勝己に憧れを抱いた。録画した体育祭の映像を繰り返し見ながら、凄いなぁ、ヒーロー向きの個性でかっこいいなぁ、いいなぁ――そう思いながらうたた寝をしてしまった。
ここで女の個性が発動し、同時刻に課題をしていた勝己を呼び寄せてしまった――女の説明によると、つまりはそういうことらしい。
「……てめェの個性は何なんだ。ここがてめェの家だってか? あァ?」
「わた、しの、個性は……その……」
「さっさと言えや!」
「っ、ゆ、ゆめわたり、です……っ」
痺れを切らした勝己の怒声にびくりと身を竦ませた女が慌てて言う。言ってから膝を抱えて蹲る女は明らかに怯えている。仮にも勝己に憧れて呼び寄せたというのなら、もう少し会えたことに喜べば良いものを。くだらない言い訳をして本当のことを言っていないのでは――そう考えた時、ふと女の最初の言葉を思い出した。
「……分かんねえってのはどういう意味だ」
びくり。女の体が揺れる。おそるおそる顔を上げた女は案の定涙を溢れさせていて、よくもまぁこんなに泣くものだとうっかり感心してしまった。
「…………使ってなかったから、ずっと……だから、よく分かんないんです……」
返ってきたか細い声に勝己の頬がひくりと引きつる。
「どういう意味だ。テメー自身の個性が分かんねェってか?」
小さな小さな首肯。もうこれ女を爆破して良いだろうか。
「ざっけんな! 何でテメーの個性が分かんねぇんだよ! ンなことあるか!? ねぇだろ!!」
「だ、だって……っ、そ、そんな、貴方は良いですよ!」
「あァ!!?」
「貴方の個性は気持ち悪くないもの!!」
血を吐くような女の叫びに勝己はぐっと言葉に詰まった。ぐしゃりと顔を歪めた女はぼろぼろと大粒の涙を流しながら言う。
「は、はじめてっ、こせい、つかったとき! ともだちをよんだのっ……いっしょにあそんで……っ、次の日保育園でその子と話してた時、二人とも同じ夢を見てたって分かった。その子は別の個性を持ってて……っ、わた、私の個性が、それだって分かって……! き、きもち、わるいって……」
気持ち悪い。そう言ってその友達は女から離れた。自分の個性は気持ち悪い――言われた言葉と友達を失った現実は幼い女を酷く傷つけた。それ以来個性を使わずに生きてきた。誰かのことを考えると呼び寄せてしまうと聞いて、寝る前には誰のことも考えないようにした。そうやって個性を使わずに生きてきたから、実質これが二度目の発動なのだ。理解などしているはずもない。
泣きじゃくる女の話を聞いた勝己は「じゃあどうすんだよ!!」と怒鳴りたいのを必死に堪えて深呼吸を繰り返した。
「……俺は、寝てなかった」
それが何なのかと見上げてくる女に舌打ちをして――女がまたビクリと肩を震わせた――向かいに腰を下ろした勝己は現在の状況を冷静に分析する。
「俺は起きてた。眠くもなかった。それなのにてめェの個性に引っ張り込まれた……つまり、てめェのその個性は発動すれば対象者を強制的に眠りに就かせる」
「、」
「これがどういう意味か分かってんのか? 真っ昼間に発動すりゃ、外歩いてても何してても強制的に寝ちまうってワケだ」
勝己の言葉を反芻していたのだろう。呆然と勝己を見ていた女の顔がみるみる青褪めていく。自分の個性の恐ろしさに思い至ったのだろう。
もし、勝己が外を歩いていたら? ――倒れて頭を打っていたかもしれない。車に轢かれていたかもしれない。
「おまけに、この夢の終わり方も分かんねぇだと? 甘えてんじゃねぇよ。気持ち悪かろうが何だろうが、てめェはテメー自身の個性から逃げるべきじゃねぇんだよ」
「、ぁ……う……」
再び泣き出す女に溜息。なんだって金曜日の夜にこんな目に遭わなければならないのか。疲れてんだこっちは。泣きたいのもこっちだ。
「どうやって終わったんだよ、最初ン時は」
ふるふる首を振るのを見て、そりゃそうだろうなと心の内で独りごつ。保育園の頃のことだ。いくらトラウマを抱えるほどの出来事だったとしても、『遊んだ夢を共有した』ということくらいしか覚えていないに決まっている。
「てめェ、歳は」
「……じゅうご」
「高一か?」
こくと頷いた女は小さく縮こまって鼻を啜っている。ひくり。女の喉が鳴った。勝己には眼前の女が自分と同級生とは到底思えなかった。保育園の頃からおよそ十年の時をトラウマを抱えながら生きてきたという女。何なんだこれは。そこらのガキよりも貧弱じゃねぇか。
舌打ちをして、溜息をついて。そうして勝己は決意した。
「オイ」
「……、?」
顔を上げた女を見据えて勝己は言う。
「てめェの個性を調べるぞ」
「、ぇ……」
「分かんねぇってんなら検証を繰り返すしかねぇだろうが」
「ぇ、ぇ、……けんしょ、え……?」
「え、じゃねぇンだわ」
呆然とする女を無視して立ち上がった勝己は、再度室内を見回した。
「おい、ここはどこだ」
「わ、わかんない、です」
「はああ? てめェが連れてきたってんなら、てめェがこの場所を思い描いたってことだろうが」
「そ、そう、なの……?」
「知るか! 思い当たることはねぇのかって聞いてんだよ!」
おそるおそる立ち上がった女が、おっかなびっくりといった様子で勝己のもとへ歩いてくる。室内を見回して、扉がないことに気付いて泣きそうな顔で勝己を見上げる。
「わ、わかんない、です……」
「見覚えはねぇんだな?」
こくこくと頷く女を見下ろしながら勝己は考える。これがこの女の個性だというのなら、ある程度はこの女が制御できるはずだ。
「まず、場所を変えてみろ」
「……?」
「どこでも――いや、てめェの部屋だ。テメーの部屋を思い浮かべながら、変われって念じてみろや」
一番見慣れた風景が良いだろうと女の自室に場所を変えるようにと指示すれば、こくこくと頷いた女が目をぎゅっと瞑る。んむむむと奇妙な唸りを呆れたように聞きながら周りを見回すが、変わる気配はない。
「……もういい」
「ぷはっ」
「何で息止めてんだよ! しろや! 息!」
「ご、ごめんなさい……っ」
「次だ。オイ、何か思い浮かべてみろ」
「な、なにを……?」
「何でもいい。てめェが今欲しいと思うもの」
「い、いまほしいもの……」
またぎゅっと目を瞑ってんむむと唸る。オイ、毎回このブッサイクな面見んのか俺は――勝己がそんなことを考えていることなど知らない女は必死に念じている。
今回は変化があった。ぽとり。不意に女と勝己の間の宙空に現れた何かを咄嗟にキャッチした勝己は「あァ?」と手のひらにあるものを見て声を上げた。
「ンだこれ」
「あ、わ、わたし、ほしい……っ」
勝己の手から慌ててハンカチとボックスティッシュを取り上げた女は、勝己に背を向けるとチーンと鼻をかんだ。そりゃあ、あれだけぐすぐすと鼻を啜っていたのだ、ティッシュもハンカチも欲しいだろう。理解はできる。だが。
「脱出に必要なモン出せや……!!」
びくりと肩を震わせた女がおそるおそる勝己を振り返って小さな声で謝罪する。先ほどから泣いて真っ赤になっていた鼻は、鼻をかんだことで更に赤くなっている。ハンカチはそれほど濡れていないようだが、女の袖はびっしょりだった。もう手遅れじゃねぇか。ハンカチいらねぇだろうが。
「あの……脱出に必要なものって……?」
「俺が知るか!!」
思わず手のひらで小さな爆発を起こすと、びくりと身を震わせた女は慌てて勝己から距離を取った。部屋の隅っこで小さく震えている。これでは自分が虐めているみたいではないか。現在進行系で虐められているのは、勝手に連れてこられて帰ることもできずにいる勝己の方だというのに。
「…………ちょっと待て」
「……?」
「てめェ、最初の個性が発動したときはダチと遊んだっつってたな」
「は、はい……でも、それがなに――」
「この部屋で?」
女が部屋を見回して分からないと首を振る。
「覚えてねえのはいい。いや、良くはねぇが……そうじゃねえんだよ。いくらダチと二人だったからって、ガキがこんな薄暗い扉もねぇ部屋に連れてこられて呑気に遊んでられんのか?」
「、あ! む、むり! やだ!」
ぶんぶんと首を振る女。こんな気味の悪いところで呑気に遊べるはずがない。それならば当時はここではないどこかにいたはずだ。
「…………ほいくえん」
「あ?」
「保育園だった! ブランコした!」
保育園でブランコして、砂場で遊んで。次の日も同じようにブランコと砂遊びをしていたから、夢の話をしたのだと女は言う。夢でもこうやって遊んだんだよ、と。
「俺ァ保育園じゃなかったからよく知らねェが、確か昼寝の時間があるんじゃなかったか」
「あ、ありました! それで……それで、そうだ、遊んで、ご飯食べて、お昼寝を、した……気がするような……?」
さすがにそこまで思い出すことはできなかったのか、女の声が尻すぼみになっていく。だが昼寝をしたような気がすると言うのであれば試してみるしかない。
「じゃあ寝るしかねぇな」
「ど、どうやって……?」
「あァ? 死ぬ気で寝ろや」
「む、無理です! 布団だってないし――」
言い終わらないうちに部屋にベッドが現れる。うわ。声に出なくて良かったと勝己は思った。ガシガシと頭を掻いて、戸惑う女に顎で示す。そうして繰り返し言葉を発した。
「寝ろや」
「む、無理です……!」
ブンブンと首と手を振って拒否する女に苛立ちが募る。
「てめェが寝たら解けるかもしんねぇだろうが! はよ寝ろや!!」
「だ、だって! 無理だよ! 無理でしょう!? 寝れるの!?」
「俺は、さっさと帰って課題の続きやって、寝てェんだよ……!!」
「う……っ、ご、ごめ、でも……」
おろおろしながら勝己とベッドとを交互に見遣る女にじりじりと寄れば、女は勝己から距離を取ろうとじりじり後退していく。近付いたら殴られるかもしれないとでも考えているのだろう。好都合だ、このままベッドへ誘導して放り込んでやれ。
とうとうベッドに行き着いてしまった女にズンズン近寄り、情けない悲鳴と共に頭を抱えて蹲る女を俵のように抱えてベッドへ放り投げた。苦しげな呻き声は無視だ。
元いた場所へ戻り床に座る。物理的にしっかり距離を取った勝己に、ベッドの上でもぞもぞ蠢いていた女がおそるおそる顔を上げて状況を把握して、そうして安堵の息を漏らした。本当に一回殴ってやろうか――どうしても寝なかったら落としてやると心に決め、とりあえず「寝ろや」と促した。あくまでも、寝かせる(物理)のは最終手段だ。
困り果てた様子でベッドに転がった女が勝己に背を向ける。
そこからはお互い何も声を発することなく静かにその時を待った。だが、元来気の短い勝己である。十分もすれば耐えきれなくなり、ゆらりと立ち上がった。
「オイ」
「っ、は、い……」
おそるおそる振り返った女が音もなくベッドに忍び寄った勝己に驚いて「ひっ」と声を漏らす。ギリギリまでベッドの反対側へ後退するのを見ると、自分がベッドに寝ていて近くに男が立っているという状況よりも、ただ単純に勝己に怯えているだけのように見える。こいつ危機管理どうなっとんだ。胸中で呆れ声を吐き捨てつつ口からは「こっちに来い」と声を発する。
「ぇ、あの、でも」
「とっとと来いっつっとんだ」
「う、うぅ……」
情けない声を漏らしながら――止まっていたはずの涙が滲んでいる――もぞもぞと体を起こして勝己の元へ近寄ってくる女。本当に、こいつの危機管理はどうなっているのか。いや、もうどうでも良い。勝己は女に手を伸ばし、戸惑い怯える女の細い首に手をかけた。
「ひっ」
「心配しなくても殺しゃしねェ。てめェの意識が落ちりゃ終いかもしれねェんだから、てめェが寝るのは決定事項なんだよ」
「あ、あぅ……」
「まだ力入れてねェだろうが。もし、これでてめェの個性が解除されたとしたら――オイ、聞いとんのか」
頷こうとして失敗した女が勝己を見上げる。
「もしこれでてめェの個性が解除されたら、明日の夜十時。もう一度俺を呼べ」
「、ぇ……」
「こんな危なっかしい個性、放っとく方が怖ェわ。検証するって言ったろうが」
「どー、して……」
「あァ?」
「だって、きもちわるい、のに……こんなの、関わりたくないって、思わないの」
涙を滲ませた女を見下ろして勝己は鼻で笑った。関わりたくないと思うだろうと問いかけてるくせに、勝己を見上げるその目は「思わないで」と勝己に縋っている。
「俺はな、ヒーローになんだよ。戦って勝って、大勢の人間助けて高額納税者になんだわ。てめェ一人くらいヨユーで助けたるわ」
決壊しぼろぼろと溢れ出た涙が頬を伝って勝己の手を濡らしていく。だから。勝己は細首を掴む手に徐々に力を篭めながら続けた。
「てめェも勝手に諦めてんじゃねぇよ。必ず、俺に助けを求めろ」
「か、っは……」
「心配しなくても、この俺がてめェを助け殺したるわ」
気道を塞がれた女の目が虚ろになっていく。掴んだ首で脈の確認をしながら緩やかに力を篭めていくと、とうとう女の体が完全に脱力した。手を放すと女の首に絞め痕がついてしまったことに気付いて「あ」と声を上げたが、崩れ落ちる女を支える間もなく勝己の意識もふっと途切れた。
勝己は目を開けた。
デスクに突っ伏すようにして眠っていたらしい。課題は半分も進んでおらず、時計の針は短針が11を指している。どうやらあちらに行っていた時間はおよそ一時間。どっと疲れが押し寄せてきて、勝己はほとんど空欄の課題を親の仇のような顔で睨みつけた。
仕方がない。自分のせいではない。スケジュールを狂わされたのは業腹だが、今日と明日の課題は明日の日中にやるしかない。あの女も目を覚ましただろうか。いや、割としっかり絞め落としたから、もしかしたらあのまま朝まで目を覚まさないかもしれない。まぁいい。あれは仕方がなかった。
全てを諦めた勝己はベッドへ向かおうと立ち上がり、そうしてもう一度椅子に座り直した。引っ張り出したメモ帳にペンを走らせていく。
『強制的に夢へ引きずり込む』
『意識を消失すると解ける』
あの強烈な出来事を忘れるとは思えないが、念の為だ。メモを課題の上に置き、消しゴムを重し代わりに乗せる。
そうして勝己は自身のベッドに潜り込んだ。大きな欠伸を一つして目を伏せる。睡魔はすぐにやって来て、うとうととしてくる。
「――あ、名前」
そういや聞いてねぇな。まぁ良いか、明日で。
勝己の意識は睡魔の波に攫われていった。