歴史は正された。
彼女が歴史修正主義者になり逮捕された事実はどこにもない。彼女が団子屋で働いていた歴史も消え去ってしまったことだろう。
彼女の一家が狙われた理由だが、担当役人によると歴史修正主義者達が仲間を増やす為の手段の一つなのだと言っていた。
「幸せを知っている人ほど、それを喪った時に付け込まれやすいんですよ」
あの大太刀のレベルが低かったことも、それが理由だったのだろう。彼女の一家だけを狙ったわけではなかった。きっと彼女達の他にも沢山の人々が似たような手口で大切な者を奪われて唆されるのだ。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる――つまりはそういうことだったのだろう。
彼女の写真を持ってきたあの男はまだ万屋のどこかに潜伏しているのだろうか。彼女が仕向けた遡行軍を倒して彼女が死ぬという歴史の改変を防ぐことだけを望んでいただろうに、予想に反して鶴丸達はあの男の仕掛けた改変自体を正してしまった。彼女の一家が利用できなくなった代わりに別の誰かを唆して駒としたのだろうか。
あれ以来、鶴丸は団子屋に行くことは出来なかった。それどころか万屋にすら行っていない。
日の出と共に起き出して『驚き』の仕込みを済ませる為に寝静まった屋敷からそっと外に出て穴掘りをする――今日も誰かが『驚き』の声を上げてくれることだろう。
万屋に通う前の生活に戻っただけだ。ただそれだけ。体の胸の辺りにぽっかりと穴が空いてしまったような感覚があるが、実害はない。出陣は問題なくこなしているし、内番だってきちんとやっている。何の問題もないのだ。
「本当にそう思ってるなら、あんたは大馬鹿だ」
「きみは日に日に俺への対応がぞんざいになってくなぁ」
「敬われたいならもっとそれらしくしてみせろ。さっさと用意してくれ」
「用意? 俺は今日は出陣の予定はないぞ」
「万屋に出かける用事がある。付き合ってくれ」
動揺は一瞬。鶴丸は作り笑いで頷いた。
ゲートの傍には主と大倶利伽羅、燭台切、乱の姿もある。「気遣いが過ぎるぜ」と零した声は誰にも拾われることはなかった。
久方ぶりに訪れた万屋。どの店へ行くのかと尋ねても「行けば分かる」の一点張りだったが、歩き続けていれば目的地は明白だった。彼らはあの団子屋へ行こうとしているのだ。鶴丸の顔が曇っていくことも、足取りが重くなっていくこともお構いなしに前を歩き続ける主達。気遣いはどこへ行った。気を遣われたいわけではないが、これはさすがに無神経ではないだろうか――微かな苛立ちさえ覚え始めた頃、団子屋の幟が見えてきた。
「いらっしゃいませー、お団子いかがですかー」
ひゅっと喉が鳴った。まさか。違う、そんなはずはない。聞き間違い――それこそ有り得ない。彼女の声を聞き間違えるなんてことは絶対にない。
思わず足を止めた鶴丸を主達が振り返る。誰もが満足げに笑っている。あの大倶利伽羅でさえも穏やかな表情をしている。
「驚いた? 買い物してたら偶然見つけたの!」
「何で……だって歴史は――」
「間違いなく正されたよ。でも――って、もう!」
話の途中なのにと怒る主の声を背中に聞きながら、鶴丸は息を切らして走る。ちょうど客に団子を運び終えた彼女の元に駆けていくと、驚いて目を大きくさせた彼女が「おやまぁ」声を上げた。
「どうしたんです? そんなに血相変えて」
「どうして」
「え?」
「どうしてここで働いてるんだ?」
ぱちり。目を瞬く彼女の腕を掴むと、鶴丸は彼女をひょいと肩に担ぎ上げた。彼女の口から奇妙な声が漏れたが構っていられない。
「店主! すまないがちょっと彼女借りるぞ!」
「ちょ、ちょ!? 鶴丸さん!?」
「舌を噛まないように閉じていてくれ」
「意味が分からな――いだっ!」
彼女を肩に担いで走り出す。人並みをすり抜けていつぞやの河原までやって来て彼女を下ろしてやると、口を押さえたまま彼女がじとりと鶴丸を見上げてきた。
「あー……すまん、噛んだか」
「痛いです」
「すまない」
「もういいです、忠告を無視して喋ってたのは私ですから。でもどうしたんです? また主さんを泣かせちゃったんですか?」
「いや……」
「休憩中ならいくらでも聞きますけど、仕事中は駄目ですよ」
「その……すまない、連れ去ってしまって。聞きたいことがあって」
「何です?」
腰を下ろした彼女が隣を叩きながら首を傾げる。隣に腰を下ろした鶴丸は今更になって無鉄砲なことをしたことを後悔していた。
一体何と尋ねたら良いのだろうか。
「きみは歴史修正主義者になったのか?」
聞けるはずがない。下手をすれば通報案件である。
「俺はきみに主への横恋慕の相談をしていたのか?」
頭がおかしくなってしまったのかと思われてしまうではないか。
悩みに悩んだ結果、鶴丸は別のことを尋ねることにした。
「きみは、家族は?」
「はい?」
「だからその……現世にいるんじゃないのか?」
「いますけど、それがどうかしました?」
あまりにもあっさりと返された答え。それを聞いて益々分からなくなる。
「じゃあどうしてここで働いてるんだ? きみがここで働く理由なんてないじゃないか」
家族が生きている――それなら彼女が歴史修正主義者になる理由なんてないはずだ。それとも何か別の理由があって歴史の改変を望んでいるのだろうか。
「どうしてそんなこと聞くんです?」
どこか不機嫌そうな声に顔を向けると、彼女はやはり不機嫌そうな顔をしていた。責めるようなその目は初めて向けられるもので、戸惑っていると彼女はふいと顔を逸らしてしまった。
「私が働いているのが嫌なんですか? これまで散々貴方の愚痴を聞いてあげたのに、薄情な神様ですねぇ」
「ちが、そうじゃなくて……それは感謝してるんだ。本当に……」
どうしたものか。頭をがりがり掻いていると彼女が笑った。
「変な方ですねぇ。知ってましたけど」
「…………まだここで働いているか?」
「えぇ、辞める予定はありませんよ」
「そうか。じゃあ……一緒に働いても良いか?」
「もちろん大歓迎ですよ。沢山お客を呼び寄せてくださいね、商売繁盛の神様」
笑った彼女の顔は記憶の中の彼女とはどこか違っていた。あの頃の笑顔が全て作り笑いだったとは思わないが、やはり思うところがあったのだろう。
「どうしたんですか? おーい?」
じっと見つめていると彼女が首を傾げる。目の前で手を振る彼女に微笑み首を振った鶴丸は、店に戻ろうと声をかけて立ち上がった。
「おやまぁ、もう良いんですか? 愚痴は?」
「もう良いんだ」
「そうなんですか? じゃあ戻りましょうか」
時折彼女からの視線を感じたが、気付かない振りをして店へと戻っていく。驚いたことに主と燭台切、乱が代わりに働いてくれていた。
「あ、戻ってきた! 主、鶴丸さん戻ってきたよ!」
「もう! お店があるのに連れ出したら悪いでしょう!?」
「す、すまない」
「代わりにありがとうございました。今からは鶴丸さんが手伝ってくれるそうなので、もう大丈夫ですよー」
「あ、はい。本当にすみませんでした」
ぺこぺこと頭を下げた主が鶴丸と彼女とを交互に見る。視線に気付いた鶴丸は苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「さて、それじゃ俺はここで働いていくが、きみらはどうする? 食べていくか?」
「うん、そうしようかな。いっぱいお団子運んでたら食べたくなっちゃった。大倶利伽羅とまんばはもう食べてるんだよ」
どうりで働く姿が見えなかったはずだ。ちゃっかり二人で席を取り団子を頬張っている。同じ席に主達が着くと、彼女が前掛けと襷を鶴丸に差し出してきた。
「よろしくお願いしますね」
「あぁ、驚きの結果をもたらそう」
「いえ、お客様をもたらしてください」
あぁ、久しぶりだ。頬が緩むのを止められずに鶴丸は主達の元へと向かう。礼を言うつもりだったのだが、口を開こうとすると「いいの」主が首を振った。
「その顔が見れただけで十分だから」
「顔?」
「鶴丸さん、すっごい嬉しそうだよ」
ニヤニヤ笑う乱と主。燭台切も嬉しそうに笑っているし、山姥切も満足げだ。主と鶴丸とを順に見た大倶利伽羅は、次に茶を運んでくる店員へと視線を向けて一言こう呟いた。
「次は逃がすな」
大倶利伽羅なりの精一杯の応援だったのだろう。自分の心の内を語らない大倶利伽羅だが、鶴丸が主への想いを断ち切ろうとしている間、もしかしたらずっと自分を責めていたのかもしれない。
「――あぁ、分かってる」
「お茶をどうぞー」
机に茶を並べた彼女に話しかけるとすぐに返事がきた。そんな些細なことに、こんなにも心が跳ねるなんて知らなかった。
「このあと会えるか?」
息を呑んだのは誰だったか。目の前できょとんとする彼女じゃないことは確かだ。
「もう会ってるじゃないですか」
「逢瀬に誘ってるんだ」
「は」
ぽかんと口を開けた彼女が鶴丸を凝視する。それから主を見て、隣の大倶利伽羅を見た。彼女の中でどんな結論が出たのかは想像に難くない。神妙な面持ちで大きく頷いた彼女が鶴丸へと視線を戻した。
「たまには自棄酒も必要ですよね」
「あぁ、そうだな。いま物凄く酒を飲みたい気分だぜ」
「おやまぁ、今は駄目ですよ。貴方の分のお茶を用意しますから待っててくださいね」
店内へ戻っていく彼女を見送って蹲る。肩に乗せられた手を辿れば、決してこちらを見ない山姥切がそこにいる。この場の誰もが鶴丸を見ようとしていない。主は大倶利伽羅の腕にしがみついて必死になにかに耐えているし、燭台切は何かを誤魔化すように咳払いを重ねているが、乱の肩は大きく震えている。
「素直に笑ったらどうだ」
「ん゛んっ! ううん、そんなことしないよ」
「あぁ、そんなことはしない」
「大丈夫だよ! 次があるから! ……たぶん」
「こっちを見て言え」
思わず舌打ちをすると山姥切の咳払いの音が大きくなった。じろりと睨みつけてから立ち上がり、鶴丸のお茶を運んでくる彼女を見る。戻ってきた彼女に「おやまぁ、そんな悪人面をしてたらお客さんが逃げちゃいますよ」と言われようが、それを聞いた燭台切と乱が噴き出そうが、知ったことではない。
「上等だ。絶対逃さないからな」
もう二度と逃してなるものか。
「すみませーん! お団子二皿お願いしまーす!」
「はーい!」
「いい、俺が行く。はーいただいまー!」
足早に店内へ向かいながら鶴丸国永は笑う。絶対に逃してなるものか。彼女が気付いた時には逃げられないようしっかり囲い込んでやる。
悪人面と評された顔を何とか抑え込み、団子皿を手に客の元へと向かうのであった。
「ありがとうございます。鶴丸のこと、よろしくお願いしますね」
「いえいえ、こちらこそいつも助けて頂いてありがとうございます」
「それで、店員さんはどうしてここで働いてるの? 家族とか現世にいるんでしょう?」
「うーん、えーと……その、笑わないでくださいね」
どこか照れ臭そうな様子で彼女がそっと屈み込む。乱も審神者も燭台切も、店員の内緒話を聞くために身を乗り出した。
「実は、初恋の人を探してるんです」
「えっ!?」
一瞬で青褪めたのは審神者で、目を輝かせて口を抑えたのは乱だ。
「私が小さい頃、どういうわけか遡行軍に襲われまして……それで、とある神様が助けてくれたんです。その神様は私の両親のことも助けてくれたみたいで……事故に遭いそうだった時に確かに見たって母が言ってたんですよ。それで、政府の人達が家に来て、遡行軍についての口止めをされた時にこの戦いの話を聞いたんです。その方が神様だってことも……でも私は力がないから審神者にはなれないって言われて」
「だからここで働いてるの?」
「諦めが悪いですよねぇ。相手は神様だし、叶うわけないってのも分かってるんです。自分でも何やってるんだろうなって思うんですけど……もう一度だけでいいから、会ってちゃんとお礼が言いたくて」
頬を染めて照れ臭そうに笑う店員を審神者達が凝視する。まさかこんなことがあるなんて。
「その神様のこと、覚えてる?」
「えぇ。真っ白な神様でしたよ」
「それって――」
「でも、どの方なのか分からないんですよねぇ……同じ方がいっぱい来るでしょう? 私に気付いて声をかけてくれれば助かるんですが、きっと覚えてないでしょうし……とっても優しい声の、穏やかな笑い方をする方でした」
どの鶴丸国永の笑い方とも違っていたと店員は言った。穏やかで、優しくて、心底人間を大切に思っているのだと分かるような素敵な笑顔だったと。
「すみませーん」
「はーい! ……あの方には内緒にしててくださいね。同じ神様に恋をしてるなんて知られるのは恥ずかしいので」
そう言って客の元へ向かう店員の背を呆然と見送る審神者達。店員から視線をずらせば、少し離れたところで別の客の相手をしている鶴丸がいる。間違いなく店員の初恋の相手だ。
「…………優しい声で穏やかな笑い方だってさ」
「人間を心底大切に思ってる素敵な笑顔ねぇ」
「まぁ、初対面の相手から心底惚れられてるなんて普通は思わないよね」
どうしたものか。時折短いやり取りをして笑い合う二人を眺めながら、審神者は団子を頬張る。いくら考えても良い案は浮かばない。
「放っておけ」
「でも……」
「あいつに逃がす気がないんだ。勝手にどうにかなるだろ」
あっさり言い放った大倶利伽羅が審神者の口に新たな団子を突っ込む。もぎゅもぎゅと口を動かしながら、確かにと審神者は思った。諦めることをやめた鶴丸は間違いなくあの店員を口説き落とすことだろう。
「さっきの話、鶴丸に言う? やめとく?」
「言わない。そこまで面倒見切れるか」
もう十分見たと山姥切が肩を竦める。確かに今回は山姥切にも乱にも苦労をかけてしまった。
「じゃあ内緒にしておこうか。店員さんもそう言ってたしね」
自分達が手を貸すのはここまでだ。これから先は鶴丸一人で頑張っていただきたい。もちろん店員を傷つけるようなやり方をするようなら絶対に止めるつもりだが、おそらく無用な心配だろう。
「頑張れ、鶴丸」
「むしろ頑張りすぎないように祈るべきだと思うぞ」
「まんばったら……」
苦笑した審神者が、山姥切の言葉通りだったのだと知るのはそう遠くない未来の話である。
鶴丸国永は追い駆ける。