鶴丸国永は追い駆ける 弐


 年が明けたばかりの万屋は今日も幾人もの審神者や刀剣男士で賑わっている。誰もが新年の始まりを祝い、束の間の休息を楽しんでいる。
 彼女は団子屋にはいなかった。一身上の都合で退職したと店主が言っていた。

「誰にだって知られたくないことの一つや二つあるもんだ」

 どこまで察しているのか、言葉少なな店主の顔はどこか寂しげだった。
 彼女は一体どこにいるのだろう。歴史の改変を阻止された今、どこで何をし、何を思っているだろう。また別の手段を講じているのだろうか。
 行く宛も分からないまま鶴丸を先頭に通りを歩いていく。店が建ち並ぶ通りを抜けて向かう先は川だ。途中何度か乱が鶴丸に声をかけようとしたが、そのたびに山姥切が制止した。腕を捕まれ無言のまま首を振る山姥切に、乱は気遣わしげに鶴丸を見たものの何も言うことはしなかった。
 やがて訪れた河原は人が疎らで、だからこそ鶴丸は思いがけず目的の人物を発見することが出来た。かつて鶴丸と共に並んで座ったあの場所に彼女が一人でいる。その背中は途方に暮れているようにも見えた。

「自分を殺したかったのか」

 隣に腰を下ろしながら向けた問いかけに彼女は静かに微笑んだ。こちらを見ることはしない。どこか遠くを見つめるかのように川を眺めている。

「人生って上手くいかないものですねぇ」
「……あそこできみが死ねば何か変わったのか?」

 ずっと考えていた。彼女が幼い日の自分を殺そうとした理由を。それでもどうしても分からなかった。

「そうですねぇ……そうしたら、両親は私の誕生日プレゼントを買いに行く途中で事故に遭うこともなかった。きっと今も生きていたと思います」
「、」
「そうしたら姉も学校を辞めて私を育てるなんて苦労をしなかったでしょうね」
「……家族の為に?」

 彼女は答えず、いつもと同じ笑い方で川をじっと見つめていた。まるでそこに遠い幸せの記憶を見ているかのように。

「だが、それならきみを殺す必要なんてないだろう。きみの両親が事故に遭ったという事実を改変するだけで良かったはずだ。きみが自分を殺すことなんて――」
「姉は殺されたんです。あの男に」

 今度こそ息が止まった。驚きと混乱が鶴丸の頭をぐるぐる渦巻いている。いくつもの「何故?」が鶴丸の頭に溢れていた。

「だが……きみは、あの男と――」
「ほんと、嫌な奴。人の姉を嬲り殺しておいて、そうして私にこう言ったんです。”姉が死んだ過去を変えたくはないか”って」

 彼女の笑みが歪んだのを鶴丸は見た。

「ふざけてますよね。何度殺してやろうと思ったか。でも……それでも、あんな奴に縋るしかなかったんですよねぇ」

 いつもと同じ笑い方。けれど声は微かに震えていたし、吐息も湿っていた。今にも泣き出してしまうのではないかと彼女に手を伸ばしかけたが、彼女は微笑み首を振る。行き場をなくした手を戻すことも出来ず、伸ばすことも出来ず。鶴丸は諦めたように笑う彼女を見つめた。
 彼女が初めて鶴丸を見た。そうしてまたいつものように笑った。

「おやまぁ、酷い顔ですねぇ」

 彼女はずっと笑っていた。まるで、そうすることしか出来ないかのように。
 どれだけそこにいただろう。暫しの沈黙の間、彼女はずっと川を見つめていたが、大きく息を吸い込むと手を叩いて立ち上がった。服についた汚れを叩き落としながら「さぁ」鶴丸に声をかけてくる。

「行きましょうか」
「…………俺は、」
「貴方が気にすることなんてありませんよ。悪いのは、私なんですから」

 またいつものように笑う彼女に、鶴丸は何も言うことが出来なかった。




 あれから数日が経った。万屋通いをすっかりやめた鶴丸は、日がな一日部屋に篭りごろごろと寝転がっている。何もする気が起きないのだ。頭を占めるのは彼女のことで、あれからずっと考え続けている。

「鶴丸、主が呼んでいる」

 呼びに来た山姥切は畳に寝そべる鶴丸を見て僅かに眉を顰めたが、そのことについては何も言わず用件だけを口にした。

「あぁ、今行く」

 起き上がり伸びをした鶴丸が部屋の外へ向かう間も、廊下を歩く間も、背後の山姥切の視線は絶えず鶴丸に向けられている。

「きみは気遣いが過ぎるな」
「あんたのせいだ」
「ははっ、そうか、俺のせいか」

 そんなに酷い顔でもしているだろうか。自分ではよく分からないが、顔を合わせた主が悲しげに顔を歪めたのを見るに、きっと相当酷い顔をしているのだろう。

「呼び出してごめん。その……あの人の、ことで」
「…………刑が決まったのか?」

 問いかけに主は口篭った。視線を彷徨わせて言葉を探す姿に笑みを零すと、顔を上げた主が泣きそうな顔で微かに笑む。良い主を持ったと素直にそう思えた。嬉しいと同時に申し訳なくもある。自分は彼女に苦労をかけてばかりだ。

「頼みがあるんだが、聞いてもらえるか?」
「、まって」
「実は――」
「待って!! 駄目!!」

 あまりの剣幕に思わず口を噤むと、じわりと涙を浮かべた主が首を振る。震える唇を噛み締め、辛そうに顔を歪める主の尋常ではない様子に戸惑うしかない鶴丸の視線の先で、とうとうくしゃりと顔を歪めた主が声を上げて泣き出した。

「あ、ある――」
「だっ、だって! ひぐっ、勝手だって分かってるけど……っ」

 泣きじゃくりながら訴え出す主に、思わず身を乗り出していた鶴丸は手を伸ばしかけた状態のまま動きを止めた。

「でも! と、刀解なんか、できるはずないじゃん!」
「…………刀解?」

 思わず聞き返した鶴丸の視線の先でぴたりと主の時間が止まる。おそるおそるといった様子で顔を上げた主の顔は涙塗れだったが、その目は呆然と鶴丸を見つめている。

「…………ちがうの?」

 呆然と聞き返されたそれに頷きを一つ返す。再びくしゃりと顔を歪めた主が泣きながら鶴丸の腕に飛び込んできた。予想外の行動に驚いて尻もちをついた鶴丸の腹に腕を回してしがみついた主はわんわん泣いたまま。

「えぇと……」
「ばか! ばか! ばかああぁぁ!」
「す、すまない……というか、どうしてそんな誤解を」
「だって! だってずっと部屋から出てこないし! ご飯だって全然食べないし! 殆ど話もしないし! そんな顔してたら誰だってそう思うじゃんばかぁ!!」

 どうやらとんでもなく心配をかけてしまっていたのだと漸く気付いた鶴丸は、泣きじゃくる主の頭を撫でながら苦笑を浮かべた。もう一度謝罪の言葉を紡ぐ鶴丸の耳に沢山の足音が近づいてくるのが聞こえる。

「主!!」

 一番最初に飛び込んできたのは長谷部で、鶴丸の腹にしがみついて泣きじゃくる主と困ったように笑う鶴丸を見て何を勘違いしたのか、わなわなと唇だけでなく全身を震わせて「鶴丸、貴様」と地を這うような声を出す。

「まさか、とうとう血迷ったのか!」
「いや、俺は――」
「えぇい! 主を傷つける輩はこの俺が圧し切ってやる!! そこになおれ!!」
「山姥切! どうにかしてくれ!」

 腰に佩いた刀に手をかける長谷部を見て、入室時からずっと沈黙を守っている山姥切に助けを乞う。柱に背を預けて成り行きを見守っていた山姥切は、静かな声で一言こう答えた。

「反省したか?」
「……、えぇー……」
「部屋に篭り殆ど喋らない、落とし穴も掘らない、食事も残す――そんなことをしていれば誰だって誤解するに決まってるだろう」

 反論しようと口を開きかけたものの、出てくる言葉はない。山姥切の言う通りだと納得してしまったからだ。相変わらず鶴丸にしがみついて泣きじゃくる主と、刀に手をかけて怒りを露にする長谷部を順に見て。襖の影からいくつもの顔が心配そうにこちらを見ていることに気が付いた鶴丸はくしゃりと笑った。

「すまなかった。心配してくれてありがとう」

 だからもう泣き止んでくれと、宥めるように主の肩を数度叩くと漸く主が鶴丸から離れて体を起こした。泣き腫らした目が鶴丸をじっと見ている。

「本当に?」
「本当に刀解は考えてなかったさ。でも確かに誤解するのも無理なかったな」
「……ううん、早とちりしてごめん」

 山姥切に差し出されたタオルに顔を埋めながらくぐもった声が謝罪を紡ぐ。すぐさま長谷部から「主が謝る必要ありません!」と声が飛んだ。

「話、何だったの?」

 漸く本題に入ったのは入室から十分程経ってからで、山姥切も長谷部も立ち去るつもりはないらしく部屋の隅に座っている。長谷部からの圧を感じながらも鶴丸は主に頭を下げた。

「彼女の姉が死んだ日に行かせてくれ」

 主の顔に困惑と動揺が浮かぶ。無理もない。誤解されても仕方のない頼みをしていることは十分自覚していた。

「どうすれば良かったのかずっと考えてたんだ。だが、俺が何をどうやっても彼女はきっと諦めなかったのも分かってる。だから……ちゃんと全部見たい。そうすればきっと……きっと、ちゃんと終われる」

 この気持ちを捨てることは出来ないかもしれないが、それでも納得は出来る。どうしたって彼女に受け入れられることはなかったのだと納得すれば、きっと自分は前に進める――ただの希望でしかないことも分かっていたが、それでもこの数日間ずっと考えていたことだ。
 
「念の為に聞いておくが、その”終われる”はあんたの気持ちで、あんた自身が終わるわけじゃないんだな?」

 突然割って入った山姥切の言葉に目を瞬き、そうして笑いながら鶴丸は頷いた。

「あぁ、刀解も自壊もないから安心してくれ」
「そうか」

 一つ頷いて再び黙り込む初期刀殿から隣の長谷部へと視線をずらせば、いつもと同じように背筋をぴんと伸ばす打刀と目が合う。

「行くならとっとと行ってこい。いつまでもウジウジと鬱陶しくて敵わん」
「は、長谷部!」
「手厳しいな、きみは。――主、すまないがよろしく頼む」
「わ、分かった。調べてみるね」

 礼を述べて執務室を後にした鶴丸は、少し遠回りして自室へ帰ることにした。今日はとても心地良い天気だ。縁側に差し込む陽射しの眩しさに目を細めていると、向こうの曲がり角から歌仙と鶯丸がやって来た。二人の手には湯呑と急須、それから和菓子が載ったお盆がある。

「おや、珍しい」
「引き篭もりとやらは終わったのか」
「あぁ、そろそろ終わりにするさ。じっとしてるのも性に合わないしな」
「そうか。いい天気だから茶でも楽しもうと思ってるんだが、一緒にどうだ?」

 鶯丸が誘ってくれたが、鶴丸は丁重にお断りして部屋へと戻った。戻った自室は薄暗く、ここにいては気分も沈んだままだろうなと苦笑が浮かぶ。戸を開け放ち、差し込む光で明るくなった室内で腰を下ろした鶴丸は、懐から写真を取り出した。入学式の後に撮影された彼女達の家族写真だ。

「俺はてっきり、こっちがきみだと思ってた」

 話しかけた先、母の腕に抱かれて笑う幼子は何も返さない。
 真新しい学生服を身に纏い照れ臭そうにはにかむ少女は彼女の面影がある。姉妹なのだから当然のことだ。それでも実際に会って「ありがとう」と鶴丸の袖を握った幼子を見た時に気付いた。見慣れた笑顔だったわけでもない。恐怖の抜けきらない、涙で濡れた幼子の顔に彼女の面影は見つからなかったし、声だって違いすぎた。
 それなのに何故か鶴丸にはその幼子こそが彼女だと気付いた。

「――」

 図らずも知ってしまった彼女の真名を口にしようとして思い留まる。それはしてはいけないことだと分かっていたからだ。主にも迷惑がかかるし、そもそも彼女はそれを望まないだろう。

 この気持ちは終わらせなければならない。全てを見て、納得して。そうして別れを告げるのだ。
 大丈夫。できるはずだ。だって主の時は出来たのだから。