鶴丸国永は自覚する 参


 手の中の懐中時計を見る。あと少し。もう少しだ。懐中時計を持つ手に力を篭めたその時、聞こえてくる複数の足音。路地の向こうから現れたのは予想外の人物だった。

「みやこ!!」

 人違いだったらどんなに良かったか。夜闇でもはっきりと分かる白を纏った神様が常になく真剣な顔で女の元に駆け寄ってくる。ここにいるということは、もう全て分かっているのだろう。

「おやまぁ、奇遇ですね。こんばんは」
「みやこ」
「せっかくの年越しをこんな所で迎えて良いんですか? 早く戻ってあげないとあの可愛らしい主さんが心配しますよ」
「みやこ」

 そんな話は無用だとばかりに鶴丸が繰り返し女の字を口にする。店で働く時の楽しげな顔も声も今はどこにもない。これが刀剣男士としての鶴丸国永なのかと、決して短くない付き合いだというのに初めて見る一面に驚いている自分に気が付いた。

「……きみが、そうだったのか」

 女は答えず微笑んだ。

「万屋に敵の間者が潜んでる可能性を聞いていた。実際、あの時遡行軍に狙われていた男はそうだった。…………きみも、そうだったんだな」
「おやまぁ、なんて顔をしてるんですか」

 苦しげに寄せられた眉。揺れる金の瞳。悲しげな声。どれも見たことのない鶴丸国永だ。主への慕情を持て余し苦しんでいた頃でさえこんなにも打ち拉がれた様子見せなかったというのに、どうして今見せるのかと女は困ったように微笑んだ。

「心配しなくても、もう終わりですよ」
「何?」
「私の目的はもう果たされますから」

 懐中時計を取り出して盤面を鶴丸に向ける。日が変わるまであと数分。鶴丸達の表情に緊張が走った。

「何をする気だ?」
「おかしなことを聞くんですね。そんなの一つしかないでしょうに」
「みやこ!」

 伸びてきた手が女の肩を掴む。焦った顔も初めてだと女は笑った。

「駄目だ、考え直してくれ。頼む……きみを傷付けたくない」
「出来ません」

 鶴丸の顔が泣きそうに歪む。何を言っても無駄だと悟ったのだろう。それでも諦めきれないとでもいうように腕が背中に回る。白くて細くて、まるで女性のようだとさえ思っていたのに、実際に抱きしめられてみると間違いなく男の腕だった。
 女の肩に頭が乗せられる。雪のように白い髪が頬に当たってくすぐったい。こんなにも近くに鶴丸を感じたのは初めてだ。ふわりと鼻孔を擽るのは何の香りだろうか。気取られないように深呼吸をして女は遠くの空を見つめた。

「もう選んじゃったんです。あの時に」

 囁く声は自分でも驚くほど穏やかだった。

「だから……だから、ごめんなさい」

 鶴丸の腕に力が入る。苦しさに息を詰め、それでも女は笑った。

「楽しかったです、とても。…………本当ですよ」
「これからだっていくらでも楽しいことはあるはずだ。君が望んでくれるのならずっと傍にいる。俺がいくらだって笑わせてやる。いくらだって驚かせてやる」
「貴方が自分を犠牲にすることなんてありませんよ」
「好きだ。…………好きなんだ、きみのことが」

 その言葉が事実だとすぐに分かった。分かって、そうして女も理解する。あぁ、何だ。そうだったのかと納得し、それでもこの手を取ってやれないことを申し訳なく思う。

「貴方は……本当に、難儀な方ですねぇ」
「自分でもそう思う」

 耳元で鶴丸が笑うが、女の言葉がおかしかったのか自らを嘲ったのかは分からない。ただ分かったのは、鶴丸がまだ諦めていないということだ。

「なぁ、きみはどうして――いっ!!」

 皆まで言わせまいと思い切り脛を蹴り上げた。脛を抱えて呻く鶴丸が涙混じりに女を見上げる。恨めしげな眼差しに女は笑った。

「すみません、足しか出せなかったもので」
「驚くほど痛いぜ……!」
「おやまぁ、驚きを提供出来て良かったです」

 ふふ、と自然と笑みが溢れる。そんな女を見上げる鶴丸の金の瞳が切なく揺れている。そんな顔をさせたかったわけではない。笑わせてあげたかった。せめて店にいる間くらいは笑っていて欲しかった――自分といる時だけは、そうであって欲しかったのだ。

「お団子、また買いに行ってくださいね」
「っ、みやこ!」

 鶴丸の伸ばした手が体に触れる直前、女の視界は真っ白に塗り潰され、意識はぷつりと途切れた。




 伸ばした手が届くことはなかった。彼女は鶴丸の目の前で消えてしまった。呆然と彼女がいた場所を見つめる鶴丸に、「鶴丸さん」と乱藤四郎が気遣わしげに声をかける。

「歴史が修正されたんだ。今はここではないどこかへいるんだろう」
「行こう、鶴丸さん。歴史を正さないと」
「…………あぁ」

 彼女は一体『いつ』を修正したのだろう。『あの時』とは一体いつなのか、どうやって突き止めれば良いのだろうか。

「一度本丸に戻ろう。主達も心配だ」
「……そうだな」

 何の手がかりもない状態ではどうすることも出来ない。主に相談して、政府に指示を仰がなければ。
 本丸に戻ると戦闘は既に終わっていた。夥しい数の遡行軍が襲ってきたものの、実際の戦闘はそう長くなかったと光忠が教えてくれた。

「あちら側の男がいたんだ。多分だけど、あの子と一緒にいたっていう男じゃないかな」

 突如結界を破って現れた遡行軍と、軍を率いた男。男は鶴丸に会いに来たのだと光忠は言った。

「俺に?」
「いないって言ったら”入れ違いか”って笑ってたよ。それで”どうせ何も出来ずに戻ってくるだろうから、これを渡してやれ”って封筒を出してきたんだ。一応石切丸さんと太郎さんが確認して穢れがないことは確認したよ。行こう、主が広間で待ってるよ」

 広間に入ると、出て行った時と同じように誰も怪我なくそこにいた。主にも怪我がないことを確認して万屋でのことを報告すると、泣きそうな顔の主が鶴丸に封筒を差し出してくる。

「ごめん、先に開けちゃった。……きっとこの時代だと思うんだ」

 受け取った封筒を開けると一枚の写真が入っていた。家族写真のようだ。若い男女と女性の腕に抱かれた幼女、それから――彼女によく似た制服姿の少女。背後には学校名と”入学式”と書かれた看板が立てかけられている。

「写真の右下に日付が印字されてるでしょ? きっとこの日なんだと思う」
「だが敵が寄越した情報だろう? 信用出来るのか?」

 山姥切の言葉は尤もだった。何か罠が仕掛けてある可能性だって大いにある。だが主は首を振った。

「あの人が歴史を改変すると、あの男が不利益を被ることになるって言ってた。だから改変を止めてもらいたいんだって」
「だが、それが嘘だったら――」
「”どちらにしろ、彼女を止めるための手掛かりはこれしかないだろう?”だって。ほんと腹立つ……でも、悔しいけどその通りだから……でも鶴丸は行かなくても――」
「いや、行かせてくれ」
「でも……」
「知りたいんだ。彼女が何故あちら側に行ったのか……頼む」

 渋る主は最終的に鶴丸の願いを聞き入れてくれた。手の中の写真をもう一度見る。制服姿の彼女が照れ臭そうに笑っている。こんなにも幸せそうなのに、一体何があったというのだろうか。

「行くぞ」

 山姥切の号令に頷いて再びゲートへ向かう。もう何度このゲートを通って彼女の元へ行っただろう。逃げ道を与えてくれた彼女。安らぎを与えてくれた彼女。
 いつからか彼女に会う為にこのゲートを潜っている自分に気付いていた。気付いて、それでも気付くまいと蓋をして――その結果がこれだ。

”貴方は……本当に、難儀な方ですねぇ”

 本当にな。すっかり耳に慣れた台詞と声に苦笑を漏らして呟くと、少し前を歩いていた山姥切がちらりとこちらを見た。それでも何も言わずにゲートの操作を始める山姥切の優しさに少しだけ笑みが浮かぶ。
 どうか、どうか諦めないでくれ。心の中で強く願い、それと同時に、あぁ、何だと自覚もする。

「俺は、こんなにも彼女に惹かれてたんだな」
「……今更気付いたのか?」

 バレバレだったぞと呆れる山姥切に面食らい、声を上げて笑った鶴丸はぐっと背筋を伸ばしてゲートを見据えた。

「さぁて、気付いたからには遠慮はしないぞ。必ず取り戻してやる」
「まだ手に入れてすらいなかっただろう」
「そこは”あぁ、行くぞ”で良いんだ!」
「”あぁ、行くぞ”」

 調子が狂う。思えばこの初期刀様には狂わされっ放しだ。いつか絶対にあっと言わせるほどの驚きを提供してやると心に決めて。
 そうして鶴丸国永は歩き出した。