珍しいこともあるものだと鶴丸国永は思った。
「ありがとうございましたー、またどうぞよろしくー」
笑顔で客を見送る彼女を横目に団子を運ぶ。ありがとうございますと嬉しそうに笑う五虎退の頭を撫でてやると金の目がとろりと嬉しそうに細まった。何とも愛らしいが、戦場へ出ればとても頼りになる刀剣男士だということを鶴丸は知っている。つい先日修行から戻ってきた五虎退は以前ほど泣き虫ではなくなり、戦の前に不安げな顔をすることも少なくなった。きっとこの五虎退もそうなのだろう。
「何かあったのか?」
店の奥へ引っ込もうとする彼女に声をかけると、きょとりと目を丸くさせた彼女が首を傾げる。こうしてみると随分と幼いく見えるのだということに初めて気が付いた。
「何がです?」
「随分と機嫌が良いじゃないか。良いことでもあったのか?」
「そう見えますか?」
「違うのか?」
首を傾げる彼女につられて鶴丸も首を傾げる。いつもと違うように見えたのは気の所為だったのだろうか。じっと彼女を見つめていると視線の先でへらりと笑った彼女がお盆で顔を隠す。
「きゃー、そんなに見つめないでー」
「……」
「……何か反応してくださいよ」
「すまん」
どう返したら良いのか分からずに固まってしまった。慣れないことはするもんじゃないですねぇと笑った彼女は外からの呼び声に応えて行ってしまった。一人取り残された鶴丸は難しい顔で唸る。
「なぁ、店主。彼女、何かいつもと違わないか?」
黙々と団子を焼き続ける店主に問いかけると、店の入り口の方へちらりと視線を向けた店主が「さぁな」と返してくる。手元の団子へと戻る視線につられるようにそちらを見れば、何ともいい焼き色のついた団子が店主の手によってくるくると踊っている。焦がさないように均等に焼き色を付けるのが意外と難しいのだということを知ったのはこうして店を手伝うようになってからだ。
「どう見えるんだ?」
「機嫌が良さそうに見える」
「ならそうなんだろ」
素っ気ない返事にまた唸って。腕を組んで首を捻っていると戻ってきた彼女から「サボらないでください」と小言を頂戴した。
「なぁ、きみ何かあったのか?」
「おやまぁ、まだその話ですか? 何を難しく考えているのかと思えば……」
「ずばり! きみは何か良いことがあったんだろう?」
「うーん、そうですねぇ……特にこれと言って――あ、そう言えば今朝茶柱が立ちましたよ」
「それだけか?」
「他には特に……何です? その顔は……あぁ、はいはい。そうですね。見目麗しい神様がお手伝いに来てくれましたねぇ。いやぁ、こんなに良いことはないですよ」
うんうん、良いことがあったと笑う彼女をじとりと見た鶴丸は、詮索を断念して次の注文を取りに行こうと足を進める。やはり自分の気の所為だったのだろう。茶柱が立ったくらいで彼女が喜ぶとは思わなかったが、彼女自身に思い当たることがないのならば見目麗しい付喪神が手伝いに入ったという理由にしておいてやろうではないか。
「せめてもっと心を込めて言ってくれ」
ただし、ほんのちょっとの文句くらいは勘弁してもらいたい。
政府より連隊戦が始まるとのお達しがきたのは、本丸の景観が白に染まり始めた頃だった。新たな刀剣男士が見つかったと聞いた審神者達がこぞって出陣命令を出しているらしい。鶴丸の本丸も礼には漏れず、いつもなら三部隊に遠征の任務を言い渡している所をここ最近は二部隊に減らしている。連隊戦に二部隊を投入する審神者の元に、是非自分を出陣部隊に組み込んで欲しいと練度上限勢が直談判するのを何度か見かけた。かくいう鶴丸自身も同じように直談判した刀剣男士の一人だ。
ある朝、鶴丸が目を覚ますと木々は白を装っていた。夜分は道理で寒かったわけだと手をすり合わせて息を吹きかける。白い息はすぐに溶けて消えた。半纏を羽織って真っさらな銀世界へ足を踏み出すと、より一層世界が真っ白に見えて鶴丸は笑った。どこを見渡しても白。吐く息も白。鶴丸が着ている紺の半纏が白によく映える。
「それを着ていなければ、どこにいるか分からないね」
「あぁ、おはよう石切丸」
「おはよう。寒くないのかい?」
「寒いさ」
へらりと笑った鶴丸に石切丸が苦笑を浮かべる。景色が変わろうと変わらず日課に励む石切丸から祈祷の誘いを受けたが、丁重にお断りをして鶴丸は真っ白な絨毯に寝転んだ。ばふん、という音と共に舞い上がる白が頬に落ちる。半纏のおかげで背は冷たくないが、腰から下とむき出しの手はすっかり冷えてしまった。それでもこうしていたいと思うのだから、不思議だと鶴丸は思った。
「あそこも雪が降れば良いのにな」
全ての審神者と刀剣男士の為、万屋の景観は常に同じ設定になっていると聞いたのはいつだったか。様々な装いの刀剣男士にとって適した気温、天候――変わり映えのしないそれに退屈を覚えるのに、そんな場所へ足繁く通っている自分がいる。
そう言えば。目を伏せた鶴丸は昨日のことを思い出した。本丸の景観が冬のものになりつつあると話してやった時、彼女は「おやまぁ、もう冬なんですか」と驚いていた。あの変わり映えのしない世界で生きる彼女は雪なんて久しく見ていないと言っていた。雪どころか雨すらご無沙汰だと彼女が瞼の裏で笑う。目を開ければ一面の銀世界。
「見せてやりたいなぁ」
呟きはぽとりと落ちて消えた。
出陣を明日に控えたこの日、また暫く万屋へ来れなくなると告げると「おやまぁ」と彼女はいつものように笑っていた。
「仲間はずれにされなくて良かったですね」
「きみなぁ……」
「冗談ですよ。頑張ってください」
「あぁ。帰ったらまた手伝いに来るから」
「貴方が来てくれると助かります。手が足りないので。それに、お客さ――」
「お客さんも呼び込めるしな。ははっ、本当に俺は商売繁盛の神にでもなっちまったかもなぁ」
からりと笑う鶴丸に彼女も笑っていた。
連隊戦が開催されている間、この本丸の出陣回数は通常の何倍にもなる。短時間の遠征と出陣に追われる日々が続き、鶴丸が万屋へ足を運ぶことはなくなった。政府で造られた仮想空間への出陣だからか、傷を負っても本丸へ戻ればたちまち癒える。演練の時と同じ原理らしいが、実際に体感するのはやはり妙な気分だと鶴丸は思った。
ある日、出陣を終えて本丸へ帰還した鶴丸達を迎えてくれた主が「無事で良かった」と泣きそうな顔で笑っていた。仮想空間への出陣だから破壊される心配などないのに、何故そんな顔をするのか分からなかったが、夕食の時に尋ねてみれば「事故」が起きているのだと話してくれた。
「事故?」
「仮想空間へ飛ぶはずなのに、全く別の戦場へ飛ばされて連絡が取れなくなっちゃった本丸もあるみたい……政府は極稀にそういう不具合が起きる可能性があるから、考慮して部隊を組むようにって言ってたけど……」
「随分と無責任な話だな」
顰め面の山姥切国広の言葉には誰もが同意した。主も違わずに顔を顰めていたが、傍らに置いていた書類を手に取ると困ったように眉を下げて政府からの連絡事項を述べていく。
「あと、また遡行軍に襲撃される事件も何件かあるみたい。連隊戦で警備が手薄になっちゃう本丸もあるから……今のところ落とされた本丸はないみたいだけど」
「やっぱり政府の中に奴らの間者がいるんだろうな」
「そうだろうな。特定出来るまでは続くと考えた方がいい。主、うちも本丸に置く数を増やした方が良いんじゃないか?」
「そうだね。暫くは内番の時でも近くに刀を置いておいた方が良いと思う。もちろん刀装もね。さすがに戦闘衣装で畑仕事なんてさせられないから、いざという時は刀装で踏ん張ってもらわないと」
「あとで刀装を確認するか」
山姥切と主のやり取りを眺めつつ味噌汁を啜った鶴丸は、ふと思いついた事を口にしてみた。
「なぁ、主。万屋は大丈夫なのか?」
広間中の視線が鶴丸に集中する。加州や乱など何振りかがニヤニヤと笑いながら見てくるのに居心地の悪さを覚えながら主を見れば、書類を確認していた主はホッとした顔で首を横に振った。
「今のところは大丈夫みたい」
「あそこは大丈夫だろ。前の時だって間者を始末する為に現れただけだったしな」
「だと良いんだけどな」
「あの子、巻き込まれてたもんね」
苦笑する光忠に肩を竦めて絶妙な味付けの煮物を口へと運ぶ。先日、遡行軍が万屋に現れた時に彼女が奇跡的な確率で巻き込まれたこと思い出して鶴丸は顔を顰めた。あの時の緊張感に欠けた彼女の様子を思い出したからだ。おまけに犯人の足を踏み付けて逃げようとまでしていたではないか。上手くいったから良かったものの、一歩間違えれば彼女の命が危なかった。彼女はそれを自覚しているのだろうか。鶴丸の知らないところで無謀なことを平気で仕出かしていそうだと思うと胃の辺りが苦しくなってきた。
「鶴さん?」
「いや……」
何でもないと答えて茶を啜る。連隊戦が終わるまで、何も問題が起きなければ良いのだけれど。妙な胸騒ぎを覚えて鶴丸は縁側へと視線を向けた。雪見障子の向こうにはしんしんと雪が降っていた。
連隊戦の合間に行われたクリスマスイベントが終わると、新年はすぐそこだ。大晦日には出陣を取り止め本丸をあげて餅つきをした。外に用意されたテーブルにはきな粉や餡といったトッピングが用意され、誰もがつきたての餅を思い思いの味で楽しんでいた。
「鶴さん」
「ん? どうした光坊、きみは食べないのか?」
「さっき食べたよ。実はね、これから買い出しに行くんだけど良かったら手伝ってくれないかな?」
申し出に鶴丸は即座に頷いた。喉に詰まらせないように気を付けながら残りの餅を食べ終えると、急いで外出の準備をする。ゲートには既に光忠がいて、鶴丸がやって来たのを確認するとすぐに万屋へとゲートを繋げた。
「何を買うんだ?」
数日ぶりに訪れた万屋を歩きながら問いかけると、隣を歩く光忠は「みりんが切れたんだ」と言った。ちらりと隣を見れば、店先に正月飾りを置いた店達を眺めて微笑む光忠がいる。どうやら気を遣って誘ってくれたらしい。
「あっちの店で買ってくるから、十五分後にここで待ち合わせで良いかい?」
「あぁ、分かった」
「じゃあまた後で」
手を挙げ颯爽と歩いて行く光忠に苦笑が漏れる。自分はそんなに万屋を恋しがっているように見えたのだろうか。光忠が行った方と反対の方向へ歩きながら鶴丸は頭を掻いた。気候は一年中変わらないのに、店先を飾る正月飾りが季節感を出している。寒さを感じないのに正月だなんて変な感じだなと笑みが零れた。通い慣れた道を進む自分の足取りが軽いことには気付いていた。
「やぁ、調子はどうだ?」
店には店主が一人しかいなかった。声をかけると年末だから客が少ないと返ってくる。彼女はまた買い出しだろうか――そんな考えが顔に出ていたのだろうか。今日は休みなのだと店主が教えてくれた。
「休み? 彼女が?」
「客が少ない日くらいはな」
そうか、彼女はいないのか。平静を装って返事をしたが、自分が酷くがっかりしていることに気付かないわけにはいかなかった。早々に店を出た鶴丸にはもう用事がなくなってしまった。てっきり彼女に会えると思っていたのに――会ったからと言って話すこともそうないのだけれど、それでも彼女に会うことを目的としてここへやって来た鶴丸は途方に暮れて宛もなく歩き出した。
正月感たっぷりの道を抜けて川原へとやって来た鶴丸は、適当に腰を下ろしてぼんやりと川を眺めた。別に約束などしていなかったのだから彼女に非はない。それなのに会えると信じていた自分に溜息が漏れた。あの店へ行けば彼女が絶対にいると信じていたのだ。たまの休みだって彼女には必要だろう。家族はいないと言っていたが、彼女にはクリスマスや正月を共に過ごす相手がいるのだから――
「あ」
何となしに巡らせた視線の先、見つけた姿に鶴丸は無意識に声を漏らしていた。向こうから歩いてくるのは彼女だ。一人ではない。隣に立つのは以前にも見た男で、鉛を呑み込んだような気分で鶴丸は立ち上がった。何故だか彼女に気付かれたくなくて近くの木の陰へと身を隠す。太い木の幹は細身の鶴丸をすっぽりと隠してくれた。どうかこのまま通り過ぎていってくれるようにと願いながら目を伏せると、悪戯な風が二人の声を運んで来た。途切れ途切れに聞こえてくる男の声は苛立ちを含んでいて、刺々しいその声は恋人に向けるそれではない。そしてそれは彼女にも言えることだった。
「関係ない。勝手にすれば」
それは鶴丸が初めて聞く彼女の声だった。いつもののんびりした話し方でもなく、親しみやすい声音でもない。先に彼女の姿を見ていなければ別人だと思っただろうと思うほど冷たく鋭い声。無意識の内に呼吸を止めて固まる鶴丸に気づかずに二人は去っていった。どくどくと鼓動が煩い。手のひらがじっとりと汗ばんでいることに気付いたのは、彼らが立ち去って数分ほど経ってからだ。
「鶴さん? どうしたの?」
ゲートに戻ると光忠は既に戻ってきていて、驚いた様子で鶴丸に声をかけてきた。それにどう返事をしたのかは覚えていない。
ただ、彼女のあの冷たい声がずっと耳の奥にこびりついていた。