鶴丸国永は目を逸らす 肆


 鶴丸国永は隣をちらりと見た。

「いい天気ですねぇ」
「そうだなぁ」

 独り言のような声に同調して空を仰ぐ。真っ青な空に雲の白が映えていた。本当にいい天気だと思いながら眩しさに目を細めると、不意に彼女が「あ」と声を上げた。隣を見れば端末を取り出した彼女の顔に安堵の色が浮かぶ。

「良かった。助かったみたいですよ。明日は店を開けるそうです」
「そうか、良かった」

 鶴丸も安堵の息を漏らして笑った。
 今朝のことだ。いつものように開店時刻に団子屋を訪れた鶴丸を迎えたのは、閉ざされたままの店と苦笑を浮かべた彼女だった。そこで聞かされたのは店主の病気の娘が重い病気を抱えていること、危篤状態にあると病院から連絡がきたこと、そして、一日くらい休んだって罰は当たらないと説得して店主を強引に現世に返したということだった。
 店に『臨時休業』の貼り紙を残した二人は時間を持て余してしまい、万屋を回った後に河原へとやって来た。その手にはあちこちで買い溜めた食料がある。がさがさと袋を開けて取り出した饅頭に齧り付いた鶴丸は「それにしても」と話を切り出した。

「店主にそんな事情があるなんて知らなかったぜ」
「そりゃあそうでしょう。神様が万能じゃないことくらい、私たちだって分かってますよ」

 刀の付喪神でしかない自分たちが、祈りを捧げられたところで何も出来ないことを鶴丸は知っている。世間話にするには重すぎるし誰も好き好んで話したりはしない内容だろう。店主がこの万屋で無休で働くのはそれが理由なのかと問えば、給料が良いからだろうと返ってきた。鶴丸は団子を焼く店主の姿を思い浮かべた。寡黙だが人情味のある店主に好感を持っていたが、まさかそんな事情があったなんて。

「じゃあ、きみがここで働いているのも似たような理由からか?」

 それはただの好奇心だった。普通の人間なら話さないだろうことも、彼女なら気にせず話すだろうと思ったのもそうだし、ただ純粋に彼女のことを知りたいという気持ちもあった。
 彼女は笑った。

「まさか、まさか。私はただお給金が高いからですよ」
「現世から切り離された場所で生活するのは苦じゃないのか? 家族に会いたいと思わないのか?」
「家族はいないんです」

 彼女は笑っていた。死別だろうか、それとも――さすがにそこまで尋ねるのは気が引けたので、鶴丸は「そうか」と相槌を打つに留めた。無神経に問いかけたことを少しばかり反省した。

「それに今の生活も楽しいもんですよ。毎日賑やかですし、貴方も店に来てくれてますしね」
「そ、そう、か……」
「さすが神様たちですよねぇ。皆さん見目が良いので目の保養になります」

 眼福、眼福と笑う彼女に鶴丸はガリガリと頭を掻く。彼女の言葉に深い意味などないことは明白だと言うのに、動揺を露にしてしまった自分が情けなかった。残りの饅頭を口に押し込むと、まるで見計らったように彼女が茶を差し出してくる。

「はい、どうぞ」

 もごもごと口を動かしながら「ありがとう」と礼を紡いで茶を受け取る。隣に座る彼女をちらりと盗み見ると同じように饅頭を頬張りながら幸せそうに笑っていた。

「きみは美味そうに食べるな」
「美味しいですよ。お口に合いませんでしたか?」
「いや……あー、きみはこの後どうするんだ?」
「そうですねぇ……」

 饅頭を食べ終えた彼女が茶を飲んで一息をつく。うーん、と唸りながら悩む彼女の休日の過ごし方を想像してみたけれど、どうもピンとこなかった。彼女自身、休みなしで働いているから突然与えられた休みに戸惑っているのかもしれなかった。

「特にすることがないんですよね。必要なものもないですし……」
「暇なのか」
「暇ですねぇ」
「じゃあ、俺に付き合ってくれないか?」

 きょとんと目を丸くした彼女に「駄目か?」と重ねる。何を言っているのだろうと鶴丸は思った。こんなの、まるで逢引に誘っているようではないか。彼女には相手がいるのだから断られるに決まっている。早く何か別のことを言わなければ――

「良いですよ」

 返事はあまりにもあっさりしていた。呆然とする鶴丸に彼女は「主さんへの贈り物ですか? 頑張りますねぇ」と笑う。あぁ、何だ。落胆して鶴丸は息を呑んだ。何故こんなにも憂鬱な気持ちになっているのか自分でも分からなかった。

「また喧嘩でもしたんですか?」
「え?」
「変な顔してますよ。駄目ですよ、綺麗な顔なんですから」
「きみは」
「はい?」
「きみは――、」

 きみは。きみは、きみは、きみは――その続きは?
 首を傾げる彼女に「何でもない」と首を振って鶴丸は笑った。何を言おうとしたのか自分でも分からなかったし、分かりたくもなかった。立ち上がり手を差し伸べると、その手をじっと見た彼女がへらりと笑って鶴丸の手に小さな手を重ねる。

「ありがとうございます」

 初めて繋いだ手は鶴丸のそれよりずっと小さい。微かに震えているのはどちらだろうかと考えかけて止めた。これも考えてはいけないことだと鶴丸は知っていた。

「おやまぁ、大きな手ですねぇ」

 彼女がいつものように笑っている。それで良いと鶴丸は思った。

 翌日、短時間の遠征の後に万屋を訪れると団子屋はとても賑わっていた。臨時休業を取ってしまった詫びとして団子を一本サービスしているらしく、いつも以上の客の多さに店主も彼女も大忙しだ。

「みやこさーん! お茶のおかわりよろしくー」
「はーい、ただいま!」

 団子を持って出てきた彼女が別のテーブルへ向かいながら声を張り上げる。相変わらず繁盛しているなと笑みを零して鶴丸はそちらのテーブルへ足を向けた。

「茶のおかわりだな、すぐ持ってくるから待っててくれ」
「何だ、今日は随分と遅いじゃないか。久々に出陣でもしてきたか?」

 鶴丸に湯呑みを渡しながら馴染みの審神者が笑う。遠征に出ていたのだと言うと馴染みの審神者は「上限になっちまうとなぁ」と頭を掻いた。

「うちも遠征や演練ばっかでなぁ。この間とうとう文句言われちまった」
「練度上げも良いが、たまには上限組も使ってやってくれよ。俺みたいに万屋が出陣場所になるかもしれないぜ」
「はっはっは! そりゃ困る。分かった、もう少し考えてみるよ」
「そうしてやってくれ」

 空の湯呑みを持って店内へ入ると、こちらに気付いた店主が軽く手を挙げた。昨日はすまなかったと詫びる店主に気にするなと笑みを返していれば、慌ただしく店内へ戻ってきた彼女が店主に新たな注文を告げた。

「すみませんねぇ、来て早々手伝ってもらっちゃって」
「なぁに、気にするな。最初からこのつもりで来てるんだ」

 茶を注ぎ足した湯呑みと、ついでに先ほど彼女が取ってきた注文の品を持って外へと向かう。茶を渡してやってから団子をテーブルへ運んでやると短刀たちが満面の笑みで礼を紡いだ。

「鶴丸さんは店員のおねーさんと恋仲なの?」

 そう尋ねてきたのは乱藤四郎だ。色恋事に興味津々らしい彼は、向こうのテーブルに団子を運ぶ彼女をちらりと見てからニマニマと口元に隠しきれない興奮を乗せて鶴丸を上目に見遣る。

「まさか」
「まさか!」

 反復された台詞。けれど持つ意味合いは正反対だ。乱は全く信じてないという様子で鶴丸に肘打つ。鶴丸は苦笑を浮かべて頭を掻いた。新たな客から注文を取る彼女をちらりと見遣り、どうしたものかとそっと息を落とす。

「彼女には他に相手がいるんだ。だから俺とはそんなんじゃない」
「じゃあ、どうして鶴丸さんはここで働いてるの?」
「それは――」

 乱が笑みを深める。鶴丸が答えに詰まったからだ。ガリガリと頭を掻いて、深く息を吸って、吐いて――そうして鶴丸は納得がいかないという気持ちを前面に押し出して「勘弁してくれ」と呟く。

「ごめん鶴丸。今うちの本丸昼ドラに嵌ってるの」
「ひるどら?」
「どろっどろの愛憎劇を描いたテレビ番組」
「おぉ……何か凄そうだな」
「略奪愛も立派な恋愛だよ!」

 愛らしい笑みと共に片目を瞑ってみせる乱に鶴丸は苦笑を返すしかなかった。

 夜、薄暗い天井をぼんやり眺める鶴丸の脳裏に浮かぶのは昼間のことだ。

”どうして鶴丸さんはここで働いてるの?”

 何故すぐに答えることが出来なかったのだろうかと鶴丸は考える。本丸にいたくないなどと言いたくなかったから――そもそも自分はまだ本丸にいたくないと思っているのだろうか。
 言えば良かったのだ。この店が気に入っている、団子屋で働くのが楽しい――答えなどいくらでもあったはずだ。それなのに答えられなかった理由を鶴丸は知っている。

”どうして気に入ってるの? どうしてここで働くのが楽しいの?”

 その問いかけに答えることが出来ないと分かっていたからで、同時に答えられない理由を自覚しなければならないと分かっていたからだ。鶴丸は大きな溜息を漏らした。そんなことを考えた時点で答えが出てしまっているのだと知っている。もうこんなものは要らないと思っていたのに。

「………………勘弁してくれよ」

 違う、これは違う。そうじゃない。そんな理由じゃない。


 鶴丸国永は目を逸らす。