「どう思う?」
主に尋ねられた山姥切国広は何とも言えない気持ちで唸った。是とも否とも取れる曖昧な返答に主が不満げな顔で「どっち?」と問いかけてくるが、明確な答えなど持っているはずもなかった。
万屋の襲撃事件からひと月。団子を手土産に帰還した鶴丸国永に、主は第一部隊からの脱退を言い渡した。今回の騒動が理由で万屋行きを禁じていたこと、解決したから禁止令を撤回すると告げた主に鶴丸はいつものように笑って「そうか、分かった」と答えた。敏い鶴丸のことだ、主の本心もおそらく見抜いているに違いない。それでも波風を立たせることなく主の言葉に従った彼は忠義者だ。
「良かったのか」
「え?」
「また万屋に行くようになっただろう」
今日も今日とて鶴丸は万屋に繰り出している。禁止令が撤回されてからほぼ毎日だ。相変わらずあの団子屋で働いているらしい彼は、売り上げが良かった日には満足げに、良くなかった日には悔しげに帰って来る。お前は何の付喪神だと思わず尋ねてしまった自分は悪くないと山姥切は思っている。
「確かにちょっと心配だったけどさ……でも、鶴丸はそれでも私の言うことを優先してくれるから。だから良いんだ」
そう言って笑う主に山姥切は曖昧に笑った。
鶴丸国永が主を想っていたことを知っている者は少ない。山姥切は数少ない者の一人だが、それでもその山姥切でさえ鶴丸のかの店員への執着ぶりは目に余るものだった。鶴丸が失恋の痛手を癒す為に本丸を空けていたことは仕方がないと思うが、傷を癒やしたのが人間の女という事実には不安を覚えるしかなかった。
あの鶴丸国永が主を蔑ろにするはずがないと分かっていても不安を覚えてしまうのだ、他の刀剣たちがどう思うかなど明白だった。特に忠誠心の強いへし切長谷部なんかは何度となく「鶴丸は危険だ」と主に進言していた。鶴丸の恋を応援していた主が不安を覚えるほどには、その言葉は的を射すぎていたのだ。だが鶴丸は己の本分を忘れてはいなかった。突然の主の横暴とも言える命に反発することもなく受け入れ、理由を尋ねることもしなかった。もしかしたら本人も自覚があったのかもしれない。
不平不満を口にすることもなく、主を疑うこともなく。これまでと何ら変わらないまま出陣し続ける鶴丸を見て、これなら大丈夫だと確信した。長谷部もそう思ったのだろう。杞憂だったかと呟いているのを聞いた。
だからこそ万屋が襲撃されたと聞いたあの時、鶴丸を連れて行ったのだ。鶴丸なら大丈夫だろうと確信して大倶利伽羅と共に万屋へ赴いた。大丈夫だった。何の問題もなかった。心配など初めからする必要がなかった。鶴丸国永は己の本分を忘れてなどいないし、己の使命が何であるかも理解している。己を律することが出来ている。それでも。
「まんば? どうしたの?」
「……いや、何でもない」
あの時、店員の細い腕を掴んで歩く鶴丸の後ろ姿が今も焼き付いている。山姥切は曖昧に微笑みながら首を振り、そっと目を伏せた。鶴丸国永を疑っているわけではない。それでも。
あの瞬間の鶴丸国永の背中は、上ずった声は、決して離すまいとばかりに掴んだ腕は――驚くほど人間臭かった。
「ね、万屋行かない?」
「何か買うものでもあるのか?」
「働いてる鶴丸が見たいなって思って」
無邪気に笑う主に苦笑を一つ。山姥切は「大倶利伽羅を呼んでくる」と言って執務室を後にした。
数十分後、山姥切国広は万屋へ来ていた。隣には主、背後には彼女の夫である大倶利伽羅と燭台切光忠が続いている。山姥切の気遣いなどこれっぽっちも気付かなかった彼女は、大倶利伽羅と一緒にいた光忠にまで「一緒に行こうと」声をかけた。自分には何の関係もないことではあるが、少しばかり大倶利伽羅を哀れんでしまったのは内緒である。二人で行け。山姥切と燭台切の心の内は間違いなく同じだったことだろう。
先日の遡行軍による万屋襲撃が尾を引くかと思いきや、出入り出来なかった時を取り戻すかのように万屋は賑わっていた。その賑わいは団子屋にまで及んでいて、一行が団子屋に着いた時、鶴丸は忙しなく動き回っていた。新たな客に茶を運んで、注文を取って、団子を運んで――「あいつは何の付喪神だ?」と大倶利伽羅が呟いたのも無理からぬ話だった。
「鶴丸!」
主が呼びかけると、ちょうど団子を運び終えた鶴丸がぱっとこちらを見た。ひらひらと手を振る主に笑いながらやって来る。
「珍しいな、買い物か?」
「うん、鶴丸が頑張ってるの見たいなと思って」
「ははっ! ちゃんと頑張ってるさ。寄ってくかい?」
満面の笑みで頷く主に山姥切は大倶利伽羅と光忠を振り返る。肩を竦めて、苦笑して。二振りが了承の意を示したのを確認すると、山姥切は鶴丸に「団子を四皿」と注文した。案内された席に座って、運ばれてきた茶を啜って。相変わらず忙しなく働き回る鶴丸を眺めていると「あの店員さんどうしたんだろうね」と主が囁いた。
「中にいるんじゃないかな。外がこれだけ混んでるんだもん、きっと中も混んでると思うよ」
光忠が答えた丁度その時、店の中から客が出てきた。次いで出てきた店員が「またどうぞー」と笑顔で見送る。ふう、と一息ついて、外の客を見回して――最後にこちらを見た店員は「あ」と声を上げた。どうやら前に一度会ったのを覚えていたらしい。こちらにやって来た店員が「こんにちはー」と人懐こい笑みを浮かべながら挨拶をした。
「こんにちは。その節はお世話になりました」
「いえいえ、困った時はお互い様ですから。怪我がなくて良かったですねぇ」
ほのぼのと笑い合う主と店員を交互に見ながら、山姥切は二人の似通った点を探した。人懐こい笑いを浮かべるという点は似ているだろうが、顔立ちも体格も特に似通った箇所はない。鶴丸はこの店員のどこに惹かれているのだろうか。
「お待ちどお――って、何してるんだ」
団子を運んできた鶴丸が店員を見つけてじとりと目を細める。「こんな所で油を売ってないで働いてくれ」なんて文句を言う鶴丸に店員はちっとも悪びれずに「おやまぁ、すみません」と笑った。
「貴方にいつもお世話になってるので、挨拶をしなきゃと思いまして。お茶を持ってきますね」
「まったく……ほら、団子」
店内に戻って行く店員を見送った鶴丸が溜息をつきながら団子をテーブルに置く。主だけでなく山姥切たちの好物まで把握しているのはさすがと言えるだろう。適当な振りをしていても周りをよく見ているのだと思い知らされる。礼を言って団子に手を伸ばしたその時、盆に茶を載せた店員が戻ってきた。
「貴方も少し休んでくださいな」
「まだ客がいるじゃないか。それに休憩はさっき取ったばかりだぞ」
「このくらいなら私一人で捌けますし、せっかく来てくれたんですから。ついでにもう少し売上げに貢献してくださいな」
「清々しいほど正直だな! 驚いたぜ!」
啜っていた茶を思わず噴き出しそうにるのを何とか回避することに成功した山姥切は、呆れたように笑う鶴丸と店員をじとりと見る。たった今、山姥切に大事故を引き起こさせようとした二人は、咎める視線などお構いなしに互いだけを見ていた。
「一皿? 二皿? 十皿くらいいっときますか?」
「……一皿で」
「まいどありー」
おい、あんたチョロすぎるだろう。口をついて出そうになった言葉は茶と共に喉の奥に流し込んだ。まさか毎日こんな風に金を毟り取られているのだろうか。先日の騒ぎの時といい店員の商売根性も大したものだが、鶴丸の押しの弱さにびっくりだ。何もこんな形で山姥切たちに驚きを提供しなくてもいいだろうに。
「なぁ、きみ。知ってるか? こういうのを”ぶらっく企業”って言うんだぞ」
運ばれてきた団子の皿を受け取りながら鶴丸が唇を尖らせる。主が噴き出すのと店員が笑うのは同時だった。
「おやまぁ、難しい言葉を知ってますねぇ」
「否定はしないのか」
鶴丸がじとりと店員を見る。鶴丸だけでなく山姥切と光忠、大倶利伽羅の視線を一身に受けた店員は、ちっとも悪びれることなく――それどころか、どこか楽しげに――人差し指をぴんと立てた。
「いいですか? この万屋エリアは年中無休です」
「うん……?」
突然の話に鶴丸はきょとんと目を丸くしながら首を傾げる。そんな鶴丸に構うことなく店員はつらつらと話を続けた。
「定休日がある店を見たことがありますか? 買い物に行ったら店が休みで無駄足を踏んだことは?」
「俺の知る限りは……ないな」
問いかけに鶴丸が答えてこちらを見る。記憶を探っていた山姥切も首を横に振った。主と光忠も揃え、最後に大倶利伽羅が肩を竦めると店員は満足げにうんうんと頷く。
「そうでしょう、そうでしょう。神様たちに快く買い物を楽しんで頂く為、私たち人間は年中無休で店開きしてるんです。三百六十五日、朝から晩まで神様たちの為に働き通しですよ」
何とも恩着せがましい物言いに山姥切はひくりと頬を引きつらせた。見れば鶴丸も光忠も同じように頬を引きつらせている。主が顔を俯かせて大倶利伽羅の腕をぎゅっと掴んだのが視界の端に映り込んだ。
神様たちの為と言いながらも神様のことなどお構いなしな店員は、この上なくいい笑顔でとどめを刺した。
「健気に奉仕する私たちの生活の為に、貴方がたは精一杯お金を落としてくださいね」
ぶはっ。山姥切は今度こそ茶を噴き出した。団子を喉に詰まらせた光忠が慌てて己の胸を叩いている。手のひらで顔を覆った大倶利伽羅が顔を背け、肩を震わせた主が大倶利伽羅の腕に顔を埋めた。もしかしなくても大惨事だ。
「………………うん」
こんなにも情けない鶴丸の顔は一生忘れないと思った。
どう足掻いても大惨事でしかないこの状況だというのに、この状況を作り上げた犯人である店員はそんなことお構いなしに山姥切たちに背を向けると清々しい笑顔で声を張り上げた。
「いらっしゃいませー! ご休憩にお団子いかがですかー」
道行く審神者や刀剣男士たちへの呼びかけに、なぜだか吸い寄せられるように客がやってくる。
「お団子三皿お願いしまーす」
「はーい、ありがとうございますー」
山姥切の勘違いでなければ先程の台詞の間に「私たちの生活の為にお金を落としてくれて」という声が入っていた。どうやら彼女の中で客は金づるでしかないらしい。微妙な空気がテーブルに漂った。
「お前、何でここで働いてるんだ」
大倶利伽羅の問いかけに鶴丸は「何でだろうな」と遠い目で答えて団子にかぶりついた。鶴丸の背中は哀愁が漂っていた。