鶴丸国永は目を逸らす 弐


 光忠の要望で太鼓鐘貞宗を探しに白金台へと出陣する日が続いている。敵本陣で発見したという報告が上がったらしいと主から聞いているが、果たしてその情報は本当なのだろうかと思うほど見つからない。
 もう何度目かも分からない本陣撃破後、燭台切光忠が溜息を漏らした。

「貞ちゃんいないなぁ……」
「いないなぁ」

 肩を落とす光忠と並んで本丸へ帰還する。特上の重騎兵を三つ持って行ったが、気付かぬうちに疲労が溜まっていた所為だろうか鶴丸の手元には一つしか残らなかった。おまけに鶴丸自身も中傷だ。
 練度が上限に達した者たちにとっても難度の高い戦場から帰還した際には本丸は俄に騒ぎ立つ。中傷を負って帰還する者がいるのは当たり前だし、時には重傷者だって出て来るのだ。この時も傷の深い者たちに肩を貸すべく仲間たちがゲートで待っていてくれた。

「お疲れさま。歩けるかい?」
「あぁ、大丈夫だ」

 肩を貸してくれるにっかり青江に「汚れても知らないぞ」と苦笑を零しながらも、疲労を自覚していた鶴丸は厚意に甘えることにした。傷の深い者から手入れ部屋へ行くようにと命じられ、のろのろと手入れ部屋へと向かう。手入れ部屋に着くと既に手入れの準備を終えた彼らの主が迎えてくれた。

「お帰り、鶴丸」
「あぁ、ただいま」

 己の本体を差し出して主の正面へと腰を下ろす。自然と背が丸まり、意図せず漏れた溜息に主が「ごめんね、疲れたよね」と申し訳なさそうに謝罪を紡いだ。いつもなら「気にするな、これが俺の仕事だ」なんて返すのに、この時ばかりは頭が働くよりも先に口が開いて。

「疲れたな……」

 するりと出た返答にハッとするが遅い。主の気遣わしげな視線に「大丈夫だ」と笑みを繕うが主から憂いは消えない。鶴丸は頭を掻いて腕を組んだ。終わったら起こしてくれと告げて目を伏せると、暫しの沈黙の後に「ごめんね」と小さな小さな声が二人の間にぽとりと落ちる。鶴丸に聞かせる気があるのかないのか判断に困るところであるが、何のことかと聞き返す気にもなれなかったので寝たふりを決め込むことにした。その謝罪を受け取るわけにはいかなかった。
 手入れが終わり鶴丸は部屋へと戻って行った。何か言いたげな顔をする主に「どうした?」と問いかけたけれど、返ってきたのは「ううん何でもない」という台詞と曖昧な笑み。何だかなぁ。廊下を進みながら鶴丸は頭を掻いた。

「襲撃があったらしいよ」

 そんな声が聞こえてきたのはその夜の風呂場でのことだった。湯船に浸かり、気持ちよさにうとうとし始めていた頃に聞こえてきた不穏な台詞に目を開ければ、長い緑髪を纏め上げながら隣にやって来た青江がくすりと笑った。

「……襲撃?」

 含みのある笑みを浮かべる青江の思惑に乗るのは少しばかり癪であったが、興味を隠しきれずに鶴丸は聞き返した。笑みを深めた青江が「そう」と満足気に頷いている。やはり少しばかり悔しい。

「どこが」
「さぁ、どこかは分からないけど。この間の戦力拡充計画中にいくつもの本丸が遡行軍に襲撃されたんだって」
「そりゃ災難だったな。落とされたのか?」
「落とされた本丸はなかったようだけど、何振りか折られたところはあるみたいだね。どうやら向こうは戦力拡充計画のことを知っていたみたいだよ。練度の高い者たちがこぞって出陣している時を狙って襲ってきたらしい」

 怖いねぇ。続けた青江に「そうだな」と返して首を傾げる。一体どこから情報が漏れたのだろうか。

「きみはその情報をどこで手に入れたんだ?」
「万屋だよ。買い出しに行った時に噂しているのを聞いたんだ。どうやら審神者たちの間では、万屋で情報が漏れたんだろうって話が出てるみたいだね」
「万屋……」
「ああいう場所はついつい話が弾んじゃうからね。無意識の内に漏らしてしまった情報を、潜んでいた向こうの間者が聞いていたんじゃないかっていうのが審神者たちの見解らしいよ。怖いよねぇ」

 審神者達の間で出たその話を主も聞いたのだろう。万屋に危険があるのなら行くことを止めさせた理由も納得できる。人も神も集まる団子屋に入り浸っていれば互いの本丸の話だってする。言われてみれば拡充計画の話も何度かした。あの時近くに遡行軍の間者なり式なりが潜んでいたとすれば、確かに情報は溢れていたことだろう。

「政府からも何らかのお触れが出てたみたいで、客足も殆どなかったよ」
「そうか」

 呟きながら考えるのは例の団子屋だ。繁盛していたあの店も閑古鳥が鳴いているのだろうか。暇そうに欠伸をする彼女の姿が浮かんで鶴丸は微かに笑った。

 三日後、今日こそ貞宗を見つけてやろうと意気込みゲートへ向かう鶴丸たちの元へ山姥切国広がやって来た。出陣の支度も全て終わり、あとは過去へ遡るだけだというのに一体何だというのか。部隊全員の視線が煩わしかったのか、布で顔に陰を作りながら山姥切は鶴丸に言った。

「あんたは部隊から外れろ」
「は、」
「そんないきなり……鶴さん何かしたの?」
「おいおい、勘弁してくれよ。ここ最近ずっと出陣しかしてないじゃないか」

 訝しげな視線を向けてくる光忠にそう答えたその時、大倶利伽羅と一期一振が現れた。二人とも何故か出陣の準備を整えている。第一部隊の隊長である膝丸に鶴丸と一期の交代を告げると、山姥切は事態を飲み込めていないままの鶴丸を振り返った。

「あんたは俺たちと万屋へ行く」
「その格好で? 万屋で戦でもするつもりか?」
「そうだと言ったら?」

 茶化すつもりで放った言葉に返ってきたのは肯定だった。しかも真顔だ。そんな馬鹿なと驚く間もなく山姥切がゲートを操作する。打ち込むコードは間違いなく万屋に続くそれで、山姥切の表情も至って真剣だ。これはただ事ではない。鶴丸は山姥切に尋ねた。

「万屋で何かあったのか?」
「遡行軍の襲撃だ」

 山姥切の代わりに答えたのは大倶利伽羅だった。審神者同士の交流を目的として設けられた掲示板で、つい先ほど遡行軍が万屋に現れたのだという情報が上がったらしい。偶然それを見つけた主が鶴丸を偵察部隊に加えるように言ったのだと教えてくれた。

「いいのか? 俺を連れて行って」

 問いかけに山姥切と大倶利伽羅が鶴丸を見た。鶴丸の言いたいことは正確に二人に伝わっているはずだというのに、二人は何も言わずにただ笑った。図らずも同時になってしまったことに顔を見合わせて難しい顔で黙り込む。鶴丸は苦笑を浮かべた。悪役に徹しきれない奴らばかりだ。主も、山姥切も、大倶利伽羅も。
 訪れた万屋は閑散としていた。避難命令が出たのだろうか、通りに並ぶ店に人の姿はない。三人は油断なく辺りを警戒しながら煙の上がる方へ進んだ。鶴丸は内心で安堵していた。あの方向に団子屋はない。彼女もきっと店主や他の者たちと一緒に避難していることだろう。さっさと遡行軍を追い払ってやらなければ、いつかまた店に行った時に彼女に文句を言われてしまうかもしれない。腰に手を当ててじとりとこちらを見やる彼女が容易に想像できて少しだけ笑った。
 通りを進んで、角を曲がって。煙の上がる現場へ辿り着いた鶴丸の目に映ったのは驚きの光景だった。

「道を空けろ!!」

 遡行軍はそこにはいなかった。先着していた刀剣たちが倒したのだろう。ならばこれは何だと視線の先で彼女を人質にして叫ぶ男を呆然と見る。大倶利伽羅がすぐそこにいた他所の光忠に状況を問いかけると、光忠はあの男こそが遡行軍に狙われていたのだと教えてくれた。

「彼、あちら側の間者だったようでね。情報が漏れる前に始末しようと思ったんじゃないかな。遡行軍は倒したんだけど、逮捕しようとしたら彼女を人質に取って……それからずっとあの調子だよ」
「ちょっと待て、何で彼女がここにいるんだ? 彼女の店はこことは反対じゃないか」
「あれ、もしかして団子屋で働いてた鶴さん?」

 驚く光忠にそんなことはどうでも良いからさっさと教えてくれと詰め寄る。返ってきたのは「あそこの店に買い物に来てたみたいだよ」という台詞だ。彼女の足元には袋が落ちていて、光忠が指した雑貨屋で買ったであろう団子のパックが袋の口から覗いていた。何て間の悪い奴だろうか。小刀の切っ先を向けられた彼女は困り果てた様子でなされるがままだ。

「取り押さえるのは簡単なんだけど、見ての通りあんな状態だから……彼女を無傷で助けられるかどうか……」

 困ったように光忠がぼやいたその時、彼女が不意にこちらを見た。目が合うと彼女が僅かに目を見開いて、それから困ったように笑う。

「助けてください」

 声に出さずに紡いだ救援を乞う言葉。鶴丸は頭を掻きながら前に進み出た。男はすぐに「来るな!」と怒鳴り声を上げた。

「なぁ、きみ。話は聞いてやるから彼女を話してやってくれないか」
「黙れ!! さっさと道を空けろ!!」
「空けても良いが、その後はどうするんだ? ゲートは政府が見張ってるだろうから、どこにも逃げ場はないぞ」
「煩い! 煩い……っ!! 畜生! 何でこんなことに……っ、何であいつら……!!」

 涙混じりに叫ぶ男にどうしたものかと溜息をついたその時。

「まぁまぁ、落ち着いてください」

 彼女がのんびりした声で男に話しかけた。

「とりあえず、この体勢つらいので座りませんか?」
「緊張感の欠片もないな、きみは!」
「そんなもの最初の十分くらいで切れちゃいましたよ」

 溜息混じりに答える彼女に周囲を囲む刀剣男士たちが難しい顔をする。背後で光忠が「あの子危機感なさすぎだよねぇ」とぼやいているのが聞こえた。

「お前は黙ってろ!!」
「でも疲れましたし……お団子食べながら話しませんか? お安くしときますよー」

 こんな時でも商売根性を忘れない彼女に思わず噴き出したその時、彼女が男の足を思い切り踏みつけた。草履の固い踵部分が雪駄を履く男の剥き出しの足指を踏み潰す。たまらず悲鳴を上げた男の腕から逃げ出した彼女を咄嗟に引き寄せて背後に庇うと、どこかの薬研藤四郎と前田藤四郎が誰よりも早く飛び出してきて男の手から小刀を奪い、男を取り押さえた。呆気なく男は捕まった。

「あぁ、やっと解放されました」

 背後から聞こえた声に振り返る。肩が凝ったと首を回す彼女を呆れを隠しもせずに見下ろせば、彼女は「お久しぶりですねぇ」といつものように笑った。

「きみなぁ……まぁいい、無事でよかった。怪我はないか?」
「ありますよ。ほら、首。先が刺さったんです」

 ほら、と顔を仰向けた彼女の露になった首筋には小さな小さな赤。針で刺された程度の血が出ていた。

「持ち帰り用の団子パックがなくなりそうだったので買いに来たんですが、襲撃に巻き込まれてしまいまして……気が付いたらあんな状態になってて驚きました」
「そうだな、俺もきみがちっとも動揺してなくて驚いたぜ」
「何を仰いますか、ちゃんと動揺してましたよ。助かって良かったです、ああ怖かった」

 ちっとも心の篭もらないそれに思わず笑って。乱れた彼女の髪が目に止まったのでちょいちょいと直してやると「おやまぁ」と呟いた彼女がまじまじと鶴丸を見上げてきた。

「な、何だ?」
「女たらしですねぇこの神様は。女性の髪なんてそう気安く触るものじゃありませんよ」
「崩れていたから直しただけじゃないか」

 何が悪いのだと問いかけると彼女は「困った神様ですねぇ」としみじみ呟いた。納得はいかなかったが、それよりも久しぶりに会う彼女がちっとも変わっていないことに満足して笑みが溢れた。あぁ、自分は彼女に会いたかったのだと知った。

「元気だったか?」
「見た通りですよ。貴方が来なくなった辺りから、審神者さんや刀剣男士さんたちの万屋の出入りが減ってしまって首を傾げていたんですが……もしかして今回のことと関係あるんですか?」
「あー……」
「あぁ、やっぱりいいです」

 返答に詰まる鶴丸に、何かを察したらしい彼女がひらひらと手を振って笑う。

「助けてくださってありがとうございました。おかげで命拾いしちゃいました」
「いや……無事で良かった。本当に」

 もしこの襲撃を知らなかったら。もしここへ来なかったら。もし彼女が殺されていたら。主たちに感謝しなければならないなと思いながら振り返れば、少し離れたところで本丸に連絡をしていたらしい山姥切が鶴丸を呼んだ。用事はもう済んでしまった。帰らなければ。

「悪いな、もう行くようだ」
「あ、待ってください」

 仲間たちの元へ向かおうとした鶴丸を引き止める声と手。羽織りを引く手に驚いて振り返れば、慌てた様子でぱっと手を放した彼女が「お礼をしたいんです」といつもより早口で言った。

「お礼と言っても、お団子ですけど」
「たくさん買っていけって?」

 鶴丸は声が上擦りそうになるのを堪えなければならなかった。記憶違いでなければ、彼女から鶴丸に触れたのはこれが初めてのことだった。思い返してみれば、彼女はいつだって笑ってそこにいたが、鶴丸に触れたことは一度もなかったのだと気付いた。
 初めて気付いた事実は何となく苦々しいのに、今こうして彼女が鶴丸に触れたことに胃の辺りが妙な感覚を訴えている。よく分からない。主の時とは違う感覚だ。

「さすがにそんなこと言いませんよ。今回は私の奢りですから持って行ってください。時間ありませんか?」

 問いかけに鶴丸は再び後ろを振り返った。どうやら会話は聞こえていたらしい。山姥切が肩を竦め、大倶利伽羅がふいとそっぽを向いた。

「大丈夫だ」
「そうは見えませんでしたけど」
「駄目だったらそう言うだろ」

 落ちていた団子のパックが入った袋を拾い上げて歩き出す。彼女もすぐに後に続いた。久しぶりに会う彼女はいつも通りで、けれど状況はいつもと全然違う。こんな風に隣を並んで歩いたのは初めてだったし、この位置から彼女の横顔をこんなに眺めるのも初めてだった。

「私の顔に何かついてますか?」

 あまりにも見すぎていた所為か、彼女が困ったように自分の顔を触る。それが何だかおかしくて鶴丸は笑った。

「いいや、久しぶりだと思ってな」
「そうですねぇ。貴方と同じ姿の方は何度も見ましたけど、やっぱり違うものなんですね」
「そうか?」
「一目で貴方だと分かったので。見た目は同じなのに何が違うんでしょうね」

 うーむと唸りながら彼女が鶴丸を見る。上から下まで何度も見回す彼女に何だか落ち着かない気分になった鶴丸は、彼女の腕を引いて足早に歩き出した。

「うわっ、ちょっと、何です?」
「だ、団子が早く食べたいんだ」
「おやまぁ、食い意地の張った神様ですねぇ」

 くすくす笑う彼女を振り返ることは出来なかった。後ろをついてくる山姥切と大倶利伽羅を振り返ることも出来なかったし、掴んだままの彼女の腕を放すことも出来なかった。
 久しぶりに訪れた店はやはり何も変わっていなくて、店主もいつもと同じように軽く手を挙げて鶴丸を迎えてくれた。帰りが遅れたことを謝罪した彼女が襲撃に巻き込まれたこと、鶴丸に助けられたことを話すと、店主は「サービスだ」と言って団子を沢山持たせてくれた。

「ありがとうございました。また来てくださいね」

 変わらない彼女に見送られながら本丸に帰って来た鶴丸は、短刀たちと一緒に土産の団子を喜ぶ主を眺めながら考える。あれほど煩かったはずの鼓動はすっかり落ち着いたもので、ただただ穏やかで満たされた想いが体を包んでいる。
 何だかなぁ。夜、布団に寝転がりながら鶴丸は独りごつ。自分の変化に気付かないわけにはいかず、けれどこの感情を”それ”と断定するのも違うような気がする。彼女へ抱く感情は主に対して抱いていた感情とは異なるものだ。以前も、現在も。どこが違うのかは分からないけれど。とにかく胃の辺りが何だか奇妙な感じがした。

「何だかなぁ」

 ガリガリと頭を掻いて。寝るか。呟いた鶴丸は考えることを放棄した。とにかく彼女が無事で良かった。ただそれだけで良いじゃないか。暗示にも似たそれに満足気に頷いて。