鶴丸国永は目を逸らす 壱


 政府主導の戦力拡充計画が無事に終わりを迎えた。新たな戦力を手に入れることは出来なかったが、練度の低かった刀剣達にとっては検非違使の出ない仮想戦場で戦えたことは大きい。結果的に本丸全体の戦力の底上げが出来たことで、審神者も刀剣達も上機嫌だった。
 この本丸の初太刀として長らく戦い抜いてきた鶴丸国永も、この機会に久しぶりに思う存分戦うことが出来てご満悦だった。練度が上限に達してからはどうしても後方支援になってしまうのは仕方がないことだが、刀の付喪神である鶴丸が戦いを求めることも仕方のないことなのである。

「主、ちょっくら出かけてくるぜ!」

 鼻唄混じりにゲートに向かう途中で見つけた姿に声をかけると、振り向いた鶴丸の主は呆れたように笑いながら手を振り返してきた。

「夕餉までには帰るんだよー」
「あぁ、分かってる!」
「行ってらっしゃーい」
「主、主! 俺らも万屋に遊びに行こうよ!」

 加州が主にねだるのを背後に聞きながら、鶴丸は万屋へと繋ぐ為のコードを操作パネルに打ち込んでいく。すっかり見慣れたコードを見直して確認し、決定ボタンを押せばゲートの先は万屋だ。何とも見事な絡繰りが出来たものだと平安時代に打たれた刀の付喪神は思う。このような不思議な絡繰りを自分が使いこなす日が来るなど夢にも思わなかった。素敵な驚きに出会えることは嬉しいことだ。
 見慣れた万屋の道へ出ると鶴丸は目的地へ急いだ。足を進めるごとに速くなっていく足に思わず笑みが零れる。店を訪れるのは何日ぶりだろうか。手伝い札と共に手入れと刀装の資材まで心許なくなってしまった所為で、出陣と遠征をひたすら繰り返していたのだ。

「よっ、元気か?」
「おやまぁ、お久しぶりです。お団子お待たせしましたー」

 前半は鶴丸に、後半は客に。器用に声と顔を使い分けた団子屋の看板娘は、空になった盆を抱くようにして鶴丸の元へやって来た。

「さて、どちらが良いです?」
「ん?」
「”いらっしゃいませ”? それとも”よろしくお願いします”? ――おすすめは両方ですよ」

 鶴丸は笑った。数日ぶりに会ったというのに、彼女は全くと言っていいほど変わらない。少しくらい再会を喜んでくれたって良いだろうに――そんなことを考えた自分に呆れながら「団子をくれ」と言うと、彼女はにこりと笑って店に戻って行った。

「前掛けと襷も忘れないでくれよ」
「分かってますよ」

 店の中から返ってくる声にまた笑っていつもの席に腰を掛ける。この店で働くうちに顔なじみとなった審神者や刀剣たちが「久しぶりだな」なんて声をかけてきてくれた。

「どうだった?」
「戦力の底上げが出来たって主が喜んでたぞ。そっちはどうだ?」
「数珠丸が見つからなかった……」

 大きな溜息と共に項垂れる審神者に「そりゃご苦労さん」と苦笑を漏らす。こればかりは縁だから、気を落とさずにまた頑張って探してくれとしか言いようがないのである。

「まぁ頑張ってくれ」
「鶴丸うううぅぅぅ!! お前もいつになったらうちに来てくれるんだよおおおぉぉぉ!!」

 骨太の指にがしりと肩を掴まれ、視界が大きく揺れるほどがくがくと揺さぶられる。声を上げて笑う鶴丸に男審神者は「どこだ俺の鶴丸うううぅぅぅぅ!!」と野太い声で叫んだ。鬼気迫るほどのその様子から心底求められているということは分かったが、これも鶴丸自身がどうにかしてやれることではない。

「おやまぁ、賑やかですねぇ」
「審神者も大変だな」

 くすくす笑う彼女にそう返せば「貴方も大変ですねぇ」と更に返された。

「求められるというのも、良いことばかりじゃないでしょうに」
「まぁなぁ……墓を暴かれたり神社から盗まれたりと色々あったからな」
「おやまぁ……盗んだ人たちも、刀の付喪神が貴方だと知ってれば考えを改めたでしょうに」
「おいそれはどういう意味だ」
「冗談ですよ」

 楽しげに笑う彼女をじとりと見るが、答えは得られず鶴丸は眉を歪めて唇をひん曲げた。そうすると寄越されるのは「せっかくの綺麗なお顔が台無しですよ」だ。久しぶりに食べる団子に舌鼓を打って、彼女の淹れた美味しい茶を啜って。鶴丸は彼女に手渡された前掛けと襷を身に着けた。防具や刀装とはまた違った緊張感に頬が緩むのが分かる。

「驚くほどの売上げを期待してますよ」
「あぁ、大船に乗ったつもりで任せておけ」

 自信たっぷりに答えた鶴丸に彼女が「任せました」と笑う。空になった湯呑みと皿を盆に乗せて店内へと戻っていく彼女の後ろ姿を見送る鶴丸の視界の端に不意に飛び込んだのは風に揺られる幟だった。この団子屋の店名である『京』の文字。何度も見慣れているはずのそれは鶴丸の脳裏に一人の人間を思い起こさせた。人の好さそうな優しい顔立ちの男だった気がするが、あの時は彼女にばかり目がいってよく覚えていない。
 また来るのだろうか。どこの店の人間だろうか――鶴丸は新たな客の来店で考えることを止めた。考えてはいけないような気がしたし、考えない方が自分の為になるだろうことも何となく分かっていた。

「いらっしゃい! 何にする?」

 すっかり馴染んだ文句を口にしながら、今日は来ないでくれと心の内で願った。




 戦力拡充計画が終わりを迎えてから二週間。鶴丸は以前と同じように毎日万屋へ繰り出しては働いた。午前中に出陣することがあれば午後に、午後に遠征に出ることがあれば午前に働いた。「これがだぶるわーくというやつか」と笑った時の主の微妙そうな顔が忘れられない。
 ある日、その日の仕事を終えて本丸に帰って来た鶴丸は山姥切国広に連れられて主の執務室へとやって来た。執務室には主と近侍である大倶利伽羅、それから燭台切光忠がいた。

「何だ、どうしたんだ?」
「お帰り。ごめんね、疲れてるのに呼びつけちゃって」
「それは構わないが……何かあったのか?」

 主の対面に座して問いかければ、主はその視線を光忠へと向けた。つられるように光忠へ向けると、居心地悪そうに光忠が身を揺らしてぎこちなく笑う。

「あんたに出陣を頼みたい」

 話を切り出したのは山姥切だった。そうか、分かった。あっさり頷いてみせると山姥切が溜息と共に「そうじゃない」と首を振る。

「その……暫く、出陣に専念してもらいたいの」
「……つまり、万屋へは行くなと――そういうことか?」

 主は申し訳なさそうに小さく頷いた。顔を俯かせる主をじっと見つめて、大倶利伽羅を見て。山姥切、光忠と視線を巡らせた鶴丸は再び己の主へと視線を戻した。

「――分かった。それがきみの命令ならば従おう」
「……ごめんなさい」
「明日、もう一度だけ行っても構わないか? また明日と約束してしまったんだ」

 審神者は俯いたまま一度だけ頷いた。話は終わりのようだと立ち上がり執務室を出る。夕餉の前に風呂に入ってしまおうと部屋に向かう鶴丸を呼び止める声がかかった。光忠だ。

「ごめん、鶴さん。僕が主にお願いしたんだ。一緒に貞ちゃんを探しに行って欲しくて、だから――」
「謝ることはない。俺だって貞坊に会うのが楽しみだ。白金台は練度上限の俺たちが行ける数少ない戦場だからな。まぁ、楽しもうじゃないか」

 申し訳なさそうな顔をする光忠の肩を叩いて部屋に戻り、入浴の支度をして風呂場へと向かう。光忠は悪くない。彼はただ単純に旧知である太鼓鐘貞宗との再会を主に願っただけだ。だが、鶴丸の主たちの思惑は光忠とは別にあるのだとすぐに分かった。分からないはずがなかった。
 夕食の席で主や山姥切と目が合うことはなかった。

 翌朝、鶴丸はいつものように団子屋へと足を運んだ。いつものように笑顔で迎えてくれた彼女が「今日もお願いしますね」と襷と前掛けを差し出してくる。受け取ったそれらをじっと見つめながら鶴丸は「すまない」と笑った。自分でも驚くほどに明るい声だった。

「実は、これからまた暫く戦に出ることになってな。あ、今日は手伝うぞ!」
「おやまぁ、良かったですね」
「そうだな、良かった」

 彼女はいつものように笑っていた。鶴丸も笑った。

「ありがとうございました。おかげさまで売上げが上がりました」
「役に立てたなら良かった。きみはまだ暫くはここで働くんだろう?」
「えぇ、その予定です。万屋に来ることがありましたら、また足を運んでくださいね。これまでたくさん手伝ってくれたお礼にたっぷりサービスしますよ」
「ははっ、それはありがたい。――さ、今日が最後だ。一番の売上げにしてやろうじゃないか!」

 いつものように笑って、接客をして。彼女はいつもと何ら変わりはなかった。鶴丸は自分がいつもより笑っていることに気付いていた。殊更明るい声で客を呼んで、笑って。

「元気ですねぇ」

 笑う彼女は、やはりいつもと何も変わらなかった。

 最後の仕事を終えた鶴丸は店主から大量の団子をもらって本丸に帰って来た。別れ際、彼女は「また来てくださいね」と笑っていた。やはりいつもと同じだった。持ち帰った団子を皆で分け合って、夕餉を食べて、風呂に入って。灯りを消した布団の中で鶴丸はぼんやりと薄暗い天井を見つめていた。自分の中のどこかにぽっかりと小さな穴が空いてしまったような気分だった。

 目を閉じてこれまでを振り返る。そう言えば彼女は最初からあんな調子だったなと微かに笑った。他の客と同じように鶴丸を迎えて、他の客と変わらない接客をしていた。主とのことを話した時は驚いた顔をしていたが、それでも鶴丸の情けない話を最後まで聞いてくれた。何度だって聞いてくれて、そのたびに飾らない言葉を返してくれた。それは鶴丸の望む返事ではないことが多かったけれど、それが逆に鶴丸を救ってくれていたのだろうと思う。
 主が鶴丸の団子屋通いを止めさせたのには何か理由があるのだろう。主として刀剣男士の意識が戦以外に向いていることを危惧したのかもしれない。それとも団子屋で働くことで政府から何か叱りの言葉でももらったのだろうか――どれも有り得そうだなと鶴丸は笑った。確かめるつもりはないけれど。

「これで良かったのかもしれない」

 独りごちて鶴丸は目を伏せた。瞼の裏では主が笑っていた。「鶴丸」と呼びかけて手を振ってくれている。その隣に大倶利伽羅が現れて、光忠が、山姥切が、仲間たちが次々に現れてこちらに笑いかけている。一度目を開けて、もう一度目を伏せて。今度は彼女が現れた。いつものように笑う彼女の隣に例の男が現れて、彼女が驚いた顔で男を見ている。あの時と同じ、いつもとは違う彼女の表情だ。
 良かった。無意識に鶴丸は呟いた。このままあの団子屋へ通い続けたら、いつかまたあの男が来る日が来たかもしれない。彼女はまた鶴丸の知らない表情を浮かべたかもしれない。

「これで良かったんだ」

 己に言い聞かせるように呟いた鶴丸の声は、やはり自分でも驚くほど明るかった。