審神者と和解してから一ヶ月。その間も鶴丸は団子屋へ通うことを止めなかった。政府からの戦力拡充計画が通達され、現在は練度の低い者たちから順に専用の戦場で練度上げに勤しんでいる。鶴丸国永の属するこの本丸も例外ではなく、少し前にやって来た数珠丸恒次や信濃藤四郎らが日々懸命に出陣している。ある程度練度が上がれば今度は短刀や脇差の出番だ。夜戦に特化した彼らが意気揚々と出陣していくのを見送った鶴丸は、己の出番がまだ先であることを理解している。だからこそ空いている時間を団子屋で潰しているのだが、どうやら鶴丸の目の前に立つ山姥切国広という刀剣男士にはそれがお気に召さないらしい。
その日も鶴丸は万屋へ向かおうとしていた。団子一皿分の金を持ってはいたが、ここ最近ではこの金を使うこともない。金ではなく身体で支払っているからだ。彼女は「貴方も物好きですねぇ」と呆れたように笑っていたが、鶴丸としては余計なことを考えずに済む上に無料で団子が食べられるのだ。彼女の手が空くまでの退屈な時間も紛らわせられるとなれば、それに乗らない手はない。良いこと尽くしだ。
鼻唄混じりに万屋へ行こうとした鶴丸を呼び止めたのは件の山姥切国広で、彼は鶴丸を人気のない所へ連れて来るなり言った。
「あんた、いつまでそうしてるんだ」
ぱちりと目を瞬いた鶴丸はへラリと笑った。山姥切の眉間に皺が寄る。そうして再び口を開いた山姥切は「それで良いのか」と更に問いを重ねた。
「おいおい、いきなりこんなとこに連れて来て一体何の話だ?」
「あいつに惚れてるんだろう」
一瞬だった。ほんの僅か一瞬、鶴丸の呼吸が止まった。すぐに取り繕ってみせたが、その一瞬を見逃すような山姥切ではない。彼は主が唯一選んだ初期刀で、誰よりも先に練度が上限に達した刀剣男士なのだから。何もかもを見透かすような翡翠が、彼が被る白布の向こうから真っ直ぐこちらを見つめている。鶴丸は片眉を上げるとわざとらしく溜息を落とした。
「無粋な奴だな、きみは」
「鶴丸」
「そういうことに首を突っ込んだって碌な事にはならないぜ」
「鶴丸国永」
山姥切が鶴丸を呼ぶ。鶴丸は退屈だという気持ちを隠しもせずにで山姥切を見返した。
「俺にどうしろって?」
「あいつと向き合え」
「さすが初期刀様は言うことが違う。なぁ、山姥切の。きみが俺をどう評価してくれてるのかは分からないが、もう少し考えてものを言うべきだったな」
徐に刀に手をかけて鯉口を切る。その動作を見落とすことをしなかったはずの山姥切は、それでも身動き一つ取らなかった。鶴丸が腰を落としても、わざとらしい動作で抜刀しても、その鋭い切っ先を眼前に突き付けられても彼は瞬き一つせずにただただ真っ直ぐに鶴丸国永を見つめていた。
「――つまらないな、きみは。少しくらい驚いてみせた方が可愛げがあるってもんだ」
「そういう台詞は殺気を篭めてからにしたらどうだ」
「それもそうだ」
からりと笑いながら刀を納め、鶴丸は近くの木に背を預けた。退屈だとぼやきながら腰を下ろす鶴丸を山姥切はただ見つめている。木漏れ日に綺羅綺羅光る翡翠の美しさに鶴丸は苦く笑った。己を写しと卑下している彼はやはり美しいのだ。
「ままならないこともある。きみだってよーく知ってるはずだ」
「……そうだな」
「これでも俺は最良の選択をしてるつもりだぜ? 俺が余計な茶々を入れないおかげで、幸せそうに笑ってるじゃないか」
「確かに、あんたのおかげで主は笑ってる」
「それなら何の問題もないじゃないか」
「あんたが傷付いたままだ」
今度こそはっきりと鶴丸の呼吸が止まった。真っ直ぐにこちらを見つめる翡翠を見つめ返して気付く。この刀剣男士が、この付喪神が今ここに立っているのは主の為ではないのだと鶴丸は理解した。理解して、そうして鶴丸は大きな溜息を漏らす。仰いだ天に見えるはずの青は生い茂る木々に隠されていた。
「きみは面倒な奴だな」
「あんたにだけは言われたくない」
「ずっと俺の心配をしていたのか? きみが?」
「俺だけじゃない。――気付いている奴は気付いてる」
鶴丸の脳裏に浮かんだのは主の最愛の夫だ。牽制するようにこちらを見るくせに、その目は鶴丸への気遣いを隠せていない。隠しているつもりがあるのかは分からないが。まったく面倒な奴らだと呟いて鶴丸は瞼を下ろした。瞼の裏に見えるのは鶴丸に逃げ場を与えてくれた彼女で、その彼女が「難儀な方ですねぇ」と困ったように笑っている。本当になと心の中で呟いて立ち上がると、山姥切の声が歩き出した鶴丸を呼び止めた。
「逃げてみるのも悪くないぜ、驚いたことにな」
ひらひらと手を振りながら立ち去る鶴丸に、山姥切はもう何も言わなかった。
団子屋にやって来た鶴丸はいつもの席に腰を下ろして彼女を呼んだ。店内から顔を出した彼女が「おやまぁ」と笑う。
「てっきり今日は来ないものかと」
「どうして?」
「何とかって計画の真っ最中なんでしょう? まだ仲間外れにされてるんですか?」
「その言い方止めような!?」
思わず叫んで咳払い。今はまだ練度の低い連中が出陣しているのだと説明してやると「へぇー」と何とも関心の薄い返事がきた。
「きみ、もう少し俺に興味持っても罰は当たらないぜ」
「持ってますよ。今日は来ないのかなぁ、と朝から考えてました」
「そ、そうか……」
予想外の返答に声が上ずった鶴丸だが、その後に「今日は客引きがいないのかと」なんて言われれば目を眇めてしまうのは致し方ないことだろう。
「きみ、俺を何だと思ってるんだ」
「商売繁盛の神様、いつもありがとうございます」
「利用する気満々だな!? 驚きだぜ!」
「持ちつ持たれつって言葉を知ってます?」
一切悪びれもせずにそう言った彼女が「はい、どうぞ」と何かを差し出してくる。鶴丸はひくりと頬を引きつらせた。手渡されたのは前掛けと襷――つまりは「働け」ということである。
「仕事の後のお団子は格別ですよ」
後押しまでされてしまっては仕方がない。鶴丸はこみ上げる笑いを満面にさらけ出して立ち上がった。
「驚きの結果をもたらそう!」
「驚きは良いので客をもたらしてください」
歴史修正主義者よりも現実主義者の方が恐ろしいと思った鶴丸だった。
それから一週間が過ぎ、鶴丸は久しぶりに戦場に赴いていた。練度が上限に達してからというもの、与えられる仕事は遠征や内番ばかりで退屈していたところだ。他の者の練度上げが大事であることは重々承知しているが、それでもやはりもっと出陣したいと思ってしまうのは自身の本体が刀であるからだろうか。久しぶりに思う存分戦って帰還した鶴丸は、出迎えてくれた主に刀装が一つ破壊されたことを伝えた。
「……今日の馬、誰に乗ってったっけ」
「今日は松風だったな」
「じゃあ次は花柑子で。刀装も変えようかなぁ……やっぱり盾兵も入れといた方が良かったかな」
「いやぁ、がりがり削られるから驚いたぜ」
笑いながら答えると大きな溜息と共に主が項垂れた。次は金重騎と金盾にしてやると呟く主が鶴丸の腕を掴んで歩き出す。向かう先は手入れ部屋だ。中傷の鶴丸が部隊の中では一番の重傷者である。重傷者から順に手入れをすることが決まっているこの本丸では何らおかしくない光景である。軽傷だからと手入れを拒む連中を主がこうして腕を引いて歩くのもよく見る姿である。
鶴丸は少し前を歩く主の後ろ姿を眺めた。そこから視線をずらすと鶴丸の腕を掴む主の細い手がある。鶴丸も刀剣男士の中では細い方だが、男と女では骨格が違う。細くて頼りない手は鶴丸が握り返したらぽっきり折れてしまうのではないかと思うほどだ。
「ほら、早く入って。手入れしちゃうから」
「手伝い札使ってくれるか?」
「昨日は同田貫、その前は大倶利伽羅……戦力拡充計画じゃなくて手伝い札浪費計画に変えた方がいいと思う」
「はっはっは」
「笑い事じゃないよ! もう!」
ぷりぷりと怒りながら手入れの支度をする主を眺めながら、鶴丸は口元が緩むのを止められなかった。こんなにも穏やかな気持ちになったのは久しぶりだった。もしかしたら初めてかもしれないとさえ思う。
鶴丸国永がこの本丸にやって来たのは、この主が審神者になって間もない頃だった。打刀は初期刀の山姥切国広しかおらず、残りは短刀と脇差のみ。驚きを求める間もなく出陣、また出陣。時折遠征に出て、内番をこなして、そしてまた出陣の日々に戻る――刀剣の数が少なかった頃はとにかく忙しかった。
慣れない審神者業にこっそり泣く主を見かけたその時から、鶴丸は彼女に淡い想いを抱いていた。刀が何を考えているのだと自嘲した。それでも想うことを止められなかった。いっそ手を伸ばしてみようかと思ったけれど、彼女に嫌われてしまったら、泣かせてしまったらと考えるとそれも躊躇われた。そうしている内にこの本丸に一振りの刀剣男士が顕現された。後に主の伴侶となった大倶利伽羅だ。
鶴丸の縁の刀でもある大倶利伽羅は慣れ合いを嫌う刀剣男士だった。主にさえ「慣れ合うつもりはない」と言い捨ててふらりと姿を消す彼に、主は大層困惑していた。彼に縁のある自分が何とか取り持ってやろうと大倶利伽羅と主が接触する機会を作ってやった。主に笑っていて欲しかったからというのもあったし、大倶利伽羅に主を気に入って欲しかったからという思いもあった。このことで主が自分のことを少しくらい見てくれたら良いなんて邪な考えもあった。
「なぁ、主」
「んー?」
鶴丸国永の刀身に優しい手付きで打ち粉を当てていく主に声をかけると、何とも投げやりな返事がきた。手入れに集中する彼女の精一杯の返事なのだろう。鶴丸はくすりと笑んだ。
「きみは幸せか?」
主が手を止めて顔を上げた。何を言ってるんだという顔でこちらを見つめる主に笑みを返しながら、鶴丸は己の心が穏やかに凪いでいるのを自覚する。
「戦争中なのに変な話だけどね。幸せだよ」
「そうか」
「どうしたの、いきなり」
「いいや? 聞いてみたくなっただけだ」
首を傾げながらも手入れを再開する主を見遣った鶴丸はそっと目を伏せた。
いつからか想い合うようになった大倶利伽羅と主。自分が立ちたいと思った場所に立っていた大倶利伽羅。鶴丸の主への気持ちに気付いて身を引こうとした大倶利伽羅を引き止めたのは他でもない鶴丸自身だ。刀剣男士として人の身を得た大倶利伽羅が見つけた大切なもの。それを奪う気にはどうしてもなれなかったし、自分よりも彼の方が主を幸せに出来るだろうと考えたからこそ彼らの背中を押したのだ。
それは酷く苦い気持ちと痛みを鶴丸にもたらした。苦しくて息の仕方すら忘れそうになったこともあった。そんな鶴丸に逃げ場を与えてくれたのは彼女で、強引に砕いて奥底に押し込めた鶴丸の心を掬い上げて直してくれたのも彼女だ。
「はい、終わり。今日はもう出陣させないからね」
「あぁ、ありがとう」
すっかり元通りになった刀を受け取って鶴丸は壁にかけられた時計を見上げた。時刻は午後四時。まだ間に合う。
鶴丸のそんな心の声が聞こえたのか、主が困ったように笑った。
「また行くの?」
「あぁ、行って来る」
どこにとは言わなかったが、鶴丸の行く場所は一つだ。主もそれを分かっているのだろう。「行ってらっしゃい」という声が背中にかけられたので挙げた手をひらひらと振った。
鶴丸がいつもの団子屋に行った時、店はちょうど客が捌けたところだった。外のテーブルを拭いて回る彼女に「よっ」と声をかけると、ぱちりと目を瞬せた彼女は「いらっしゃい」と目を細めて笑った。
「今日は出陣だったんじゃないんですか?」
「あぁ、さっき帰って来た」
「おやまぁ、お疲れでしょうに。よく来ますねぇ」
「迷惑だったか?」
問いかけに彼女は「今更何言ってるんですか」とまた笑った。頬が緩むのを感じながら席に着くと、店の中に引っ込んだ彼女が団子とお茶を持ってきてくれた。
「今日は随分とご機嫌ですねぇ」
「そうか?」
自分ではよく分からないと言うと彼女は「いつもよりマシな顔してますよ」とまた笑う。
「きみも今日は随分と機嫌がいいな」
「そうですか?」
小首を傾げる彼女を尻目に茶を啜る。すっかり舌に馴染んだ味にほっと息をつくと「そうしてると人にしか見えませんね」と彼女が呟いた。
「そうだな、俺もまさか人の身を得る日が来るとは思わなかった。長生きしてみるもんだな」
「ですねぇ」
微笑んだ彼女が「ごゆっくりどうぞ」と言い残して店内へ戻っていく。何だ、戻ってしまうのかと思いながら鶴丸は好物のごま団子に齧り付いた。疲れた身体には甘いものがよく沁みるものだ。布巾を手に再び外に出てきた彼女がテーブル拭きを再開するのを眺めていると、一人の男が店にやってきた。刀剣男士を一人も連れずにいるから万屋で働く人間だろうか。男は真っ直ぐに彼女の元へと歩み寄った。
「みやこ」
顔を上げた彼女が驚きに目を見開く。掠れた声が「何してるの」と男に問いかけた。大凡彼女らしくないその反応につい見入っていると、男は人の好さそうな笑みを浮かべながら「会いに来た」と甘く囁く。ごま団子と一緒に鉛を飲み込んだような感覚が鶴丸を襲った。目は相変わらず男と彼女に釘付けで、残った団子を食べることも茶を啜ることも出来ずにいる。そんな鶴丸など視界に入っていない男は、僅かに眉根を寄せた彼女に顔を寄せると耳元で何かを囁いた。聞き取れない。あの男は一体何を言ったのだろうか。
「仕事は何時まで?」
「19時に、閉店だから……」
「じゃあ先に家で待ってるよ。邪魔をしたね」
突然やって来た男はあっさり帰っていった。人混みに紛れて消える男を見送ることはしなかった。鶴丸の目は何とも言えない顔でテーブル拭きを再開する彼女に釘付けになったままだった。
「お茶、おかわりしますか?」
テーブルを拭き終えてこちらにやって来た彼女がいつもの笑顔で言った。裏表のない笑顔だと思っていたけれど、先ほどの男に見せた彼女の表情を見た後では作り物のそれにしか見えなかった。
「あぁ、頼む」
「はい。お待ちくださいね」
半分ほど茶の残る湯呑みを持って店内に戻って行く彼女を見送った鶴丸は、そこで漸く息を吐きだした。見てはいけないものを見てしまったような気分だった。見たくないものを見てしまったような気分だった。何だ、好い人がいたのかと心の中で呟くと、また胃の辺りがぐっと痛む。
「きみに好い人がいたとは知らなかった」
新たな茶を持って戻ってきた彼女に開口一番そう言うと、目を丸くした彼女は困ったように笑った。鶴丸の初めて見る笑い方だった。
「私のことを聞いても楽しくないでしょうに」
「きみの話も聞きたい」
「特に話すことなんてありませんよ」
「言いたくないのか?」
問いかけは責めるような音を含んでいた。目を見開いた彼女が困惑を露にこちらを見つめている。その目を見ていられずに鶴丸は受け取った茶をぐいと飲んだ。
「うぁつっ!」
「あ、すみません、熱く淹れちゃいました……」
「やけろひは」
「おやまぁ……真っ赤ですね」
ヒリヒリと痛む舌を出しながら火傷を訴えれば、まじまじと舌を見た彼女が困ったように笑った。
「すみません、まさかすぐに飲むとは思わなくて」
「いや……」
「水を持ってきますね」
足早に店内へ戻っていく彼女の背を見送りながら、もしかしたら彼女は最初からこれを狙っていたのではないかと鶴丸は思った。鶴丸が尋ねることを知っていたのかもしれない。鶴丸の詰問から逃げる為に逃げ口を用意していたのでは――そんなことを考えて首を振る。そこまで必死に隠さなくたっていいはずだ。好い人がいるのは悪いことではないのだから。
悪いことではない。彼女の自由だ。聞かなかったのは鶴丸で、彼女の交友関係に興味を持たなかったのも鶴丸だ。自分の話を聞いてくれて、逃げる場所を与えてくれて、砕けて奥底に押し込めた心を掬い上げてくれた恩人――ただそれだけだ。
「お待たせしました。舌、大丈夫ですか?」
「きみ、みやこっていうのか」
差し出された水を受け取りながら尋ねると、彼女はぱちりと目を瞬いてから笑った。
「店の名前ですよ。団子屋『京』。それを私の呼び名に使わせてもらってるんです」
「さっきのは人間だろう? きみの真名を知っていたって問題ないじゃないか」
「外では呼ばないようにしてもらってるんです。ここは神様が多いですからね」
「きみは――」
「すみませーん、お団子くださーい」
口を開きかけた鶴丸を遮るように聞こえた声。彼女はすぐに返事をしてそちらへ行ってしまった。氷で冷えた水を口内に流し込みながら、鶴丸は自分の中に言葉に出来ない複雑な何かが渦巻いているのに気付いていた。
別に不思議なことではない。あの男は人間で、彼女も人間だ。恋仲ならば真名を知っていても何らおかしいことはない。あの男が彼女の真名を知っていることは当然で、神である鶴丸が彼女の真名を知らないことも当然だ。それなのに、何だろうかこれは。
「………………勘弁してくれ」
それは鶴丸の心の底からの想いだった。
鶴丸国永には秘密がある。