鶴丸国永には秘密がある 肆


 朝、いつもの時間に目を覚ました鶴丸国永は、寝起きにまず溜息を零した。昨日の主たちとのやり取りがずっとしこりとなって残っているのだ。夕餉の席では目を合わせることもしなかったし、口を利くこともしなかった。主や加州、乱の視線を感じたけれど全て無視して食事を終えると、挨拶もそこそこにさっさと部屋に戻ってきてしまったのだ。
 風呂も入らずに眠ってしまった鶴丸が起きてすぐに向かったのは風呂場だ。この時間ならもう式神たちが掃除を終えているはずだと当たりをつけて行けば、やはり風呂には既に湯が張られていた。朝風呂を堪能しながらも鶴丸の頭は主の泣きそうな顔がこびり付いていて、気持ちいいはずなのにちっともそうは思えなかった。
 部屋へ戻った鶴丸は畳み重ねてあった布団に身体を預けた。さすがに身体を清めたばかりで落とし穴を掘る気にはなれなかった。散歩でもしようかと思ったがどうにも気分が乗らない。結局、朝餉の時間まで鶴丸は何をするでもなくただ部屋の中にいた。布団に身体を預けたままぼんやりと天井を見つめていると足音が聞こえてきて、それは鶴丸の部屋の前で消えた。襖戸の向こうから控えめな声が「鶴さん?」と呼びかけてくる。光忠だ。

「起きてる?」
「……あぁ、起きてる」
「良かった。朝餉の時間だから呼びに来たんだ」

 立ち上がり戸を開けると光忠の心配そうな顔がこちらをじっと見た。今日の朝餉は何かといつものように笑って問いかければ光忠も笑って答えてくれる。

「あのさ、主と何かあったの?」
「んー?」
「昨日、帰って来てすぐに乱くんに連れられて主のところに行っただろう? 夕餉の時、主の目が少しだけ腫れてたから……」

 光忠の言葉に鶴丸の胸が軋む音を立てた。あぁ、やはり泣かせてしまったのかとほんの僅かしかなかった食欲が完全に失せてしまう。それでも広間に向かうと鶴丸の胸の痛みの原因である人間が戸口の所に立っていた。

「あ、の……鶴丸、おはよう」
「あぁ、おはよう」

 挨拶をしながらも目を合わせようとしない鶴丸に彼女は何を思うだろうか。光忠が気遣わしげな声で鶴丸を呼んだが無視して広間に足を踏み入れる。加州か乱からの責めるような視線を無視して席に着くと、重い足取りで上座へ向かう主の足が視界の端に映った。こみ上げる溜息を飲み下して味の分からない朝食を口の中へと押し込む作業は中々にきつかった。

 朝餉を終えた鶴丸はすぐに席を立った。向けられるいくつかの視線から逃げるように部屋に戻り、身支度を整えてさっさと外に出る。向かう先はすっかり行きつけとなったあの団子屋だ。とにかく早くここから逃げ出したかった。彼女の泣きそうな顔なんて見たくなかったし、泣きそうな声も聞きたくなかった。責めるような視線も心配そうな視線も、何もかもが嫌だった。そうしてやって来た団子屋はまだ開店前で、彼女が開店の準備をしているところだった。鶴丸に気付いた彼女は明らかに驚いていたけれど、それでもすぐにいつもの声音で「おやまぁ」と微笑んだ。

「随分早いですねぇ、まだ開店前ですよ」

 鶴丸は答えずにいつもの席に座った。敷布すらないということは、本当に準備を始めたばかりなのだろう。少しだけ悪いなと思ったけれど、生憎と気遣ってやる余裕は鶴丸にはなかった。開店前だからといって「そうか、じゃあまた後で」なんて本丸に帰ることなんて出来なかったし、一度彼女の姿を見たらとにかく身体の内に溜まったこのモヤモヤを吐き出してしまいたかった。
 開店前だというのにやって来た上に彼女からの声かけを無視して席に着いた鶴丸に、彼女は怒ることもなく茶を淹れてくれた。昨日のように熱々の茶かと思ったけれど、いっそ大火傷でも負いたい気分だったので一気に口に含んだ。

「……熱くない」
「すぐに飲むだろうと思ったので。まだ準備が終わってないのでお団子は待っててくださいね」

 彼女はそう言って開店準備を再開した。手にした湯呑みの温もりを感じながら鶴丸は彼女の姿を目で追った。少しは怒れば良いのに、彼女はどうしてこんな身勝手な鶴丸に親切にしてくれるのだろうか。わざわざ飲みやすい温度で茶を淹れる気遣いなんて、必要ないのに。
 一通りの開店準備を終えると彼女はまた鶴丸のところへやって来た。

「お団子食べますか? それともまだやめておきますか?」

 腹は減っていない。朝餉を食べたばかりなのだから当然だ。それなのに鶴丸は頷いていた。彼女が店内へ消えていくのを呼び止めようとしたが、どうしてだか声が出てこない。お腹なんて全く減っていないのに。それでも頼んでしまったのだから食べなければ。
 茶で流し込めば何とかなるだろうかと残り少ない茶を見ながら考えたその時、彼女が団子の皿を手に戻ってきた。

「茶のおかわりをくれ」
「あぁ、はい。ちょっと待っててくださいね」

 皿を置いた彼女は代わりに湯呑みを持ってまた店内へ戻って行った。手渡された団子を見下ろして手を伸ばす。驚いたことに、あれだけきついと思っていたのに案外あっさり食べられるものだと気付いた。朝餉の味が分からなかったからだろうか、団子は大層美味しく感じられた。
 彼女が再び戻ってくる頃にはいくらか気持ちも落ち着いていた。少なくとも開店前に訪れたことを謝罪するくらいには。迷惑だったに違いないのに、彼女は苦笑するだけで構わないと言ってくれた。

「昨日お手伝いしてくれましたし。また客引きでもしてもらいますから」

 そんな事を言って笑う彼女に、鶴丸は無意識のうちに今日も仕事を手伝って良いかと尋ねていた。彼女は助かりますと言って笑ったけれど、本当に良いのかと鶴丸に尋ねた。鶴丸の常とは違う様子に気付いているのだろう。鶴丸は一度だけ頷いて団子を頬張った。まだ仕事が残っているだろうに、彼女は鶴丸を待ってくれている。鶴丸が話したいと思ってることも気付いてくれているのだろうか。

「いたくないんだ」

 小さな小さな呟きに、彼女は苦笑を浮かべながら鶴丸の隣に腰を下ろした。話を聞いてくれるらしい。もしかしたらきみが嫌な思いをするかもしれないと最初に断ると、彼女は首を傾げて心底不思議そうに何故かと尋ねてくる。その表情を見ながら思うのは、何故光忠たちは昨日あのような誤解をしたのだろうかという疑問だ。

「昨日うちの奴らがここへ来ただろう? それを聞いた主たちがきみと俺が好い仲だと誤解したんだ」

 彼女は「おやまぁ」と呟いた。呆れたような、感心したような、そんな声だった。

「神様たちも見る目がありませんねぇ」

 そうして続いた声は少しだけ笑っていた。面白いのだろう。鶴丸は全然面白くないのだけれど。笑い事じゃないとぼやけば、じっとこちらを見た彼女が「あぁ」と目を細めた。

「それで不貞腐れてるんですね」
「不貞腐れてるわけじゃない。腹が立っただけだ」

 即座に訂正したが、鶴丸も分かっている。自分はきっと不貞腐れているのだろう。鶴丸の気持ちにこれっぽっちも気付いてくれない、気付こうとしてくれない主に対して。隠してきたのは自分のくせに、いざ誤解されると不貞腐れるだなんて厄介な奴だと自分に溜息が漏れそうになる。

「そりゃ災難でしたねぇ」

 労るような声も顔も、昨夜思い浮かべた彼女の姿と何ら変わりはない。言いようもない安堵が鶴丸の胸の内に広まっていくのが分かった。

「きみはそう言うと思った」

 彼女は驚いたような顔をして、それからくしゃりと笑った。

 客で混み合う八つ時、忙しなく動き回る鶴丸は落ち込んでいた気持ちがすっかり浮上したのを自覚していた。朝はあんなにも落ち込んでいたというのに、たった半日で立ち直ってしまうとは現金なことだと笑いがこみ上げてくる。

「すみませーん」
「はーい、いらっしゃい!」
「え、あれ? 鶴丸!?」

 外からの客の呼び声に返事をして表へ出れば、鶴丸国永の姿に他所の審神者が目を丸くする。付き添いらしき三日月宗近も「あなや」と零していた。

「珍しいこともあるものだ。主よ、万屋で働く刀剣男士もおるのか?」
「いや、俺も初めて見た……えと、鶴丸の主って……?」
「もちろん審神者だ。ここは俺の行きつけでね、手伝わせてもらってるんだ」

 審神者は納得がいったように頷いて「びっくりした」と笑った。三日月が「どこの鶴も驚かせてくれるものだな」と微笑む。席に案内して注文を聞き終えた鶴丸が店内に戻ると、彼女が「お客さん何名?」と声をかけてきた。

「二人だ。男審神者と三日月」
「はーい。じゃあお茶用意しちゃいますね」
「あぁ、頼む」

 店主から渡される団子の皿を受け取っていると、こちらをじっと見る彼女に気付く。どうしたのかと首を傾げれば、彼女は目を細めて「元気になりましたねぇ」と笑った。

「優しい上司のおかげでしょうかね」
「自分で言うか?」

 思わず笑ってしまったが、鶴丸は否定することはしなかった。