「随分早いですねぇ、まだ開店前ですよ」
朝、店開きの支度をしていると見慣れた姿が目に入った。驚きと呆れが混ざった顔で迎えれば、彼にしては珍しく不機嫌さを隠さずにいつもの席に座った。まだ席に布を敷いてすらいないが構わないらしい。店の中に引っ込み、いつもより少しだけ温めに淹れた茶を差し出すと、彼は無言のままそれを受け取ってぐいと呷った。
「……熱くない」
「すぐに飲むだろうと思ったので。まだ開店してないのでお団子は待っててくださいね」
答えない彼を尻目に開店準備を進める。幟を付けて戸口に暖簾を引っ掛けて。外の席に敷く布を抱えて表に出ると、相変わらず不機嫌顔の彼が立ち上がって腕の中から布をひょいと取り上げた。勝手知ったるといった様子で布を敷いてくれる彼に「ありがとうございます」と礼を伝えて最終確認。問題はなさそうだ。店の中からは団子のいい匂いが漂ってくる。焼きたての団子に醤油を垂らした時の音だとか匂いが堪らない。
「お団子食べますか? それともまだやめておきますか?」
「……いや、もらう」
ややあって返ってきた声に「はい、待っててくださいね」と言葉を返して店内へ向かう。店主に一皿お願いしますと頼むと了承の返事がきた。
「また来たのか」
「今日はご機嫌斜めみたいです」
「神様ってのも面倒臭いな」
くつくつ笑う店主に「ですねぇ」と笑う。出来上がった団子を持って外に出ると、相変わらず顰め面の彼が飲み干した茶のおかわりをくれと言った。今度はうんと熱い茶を淹れて持って行くと、もきゅもきゅと団子を頬張っていた彼が真っ白な湯気を放つ茶をじっと見下ろして溜息を漏らした。
「すまない」
「はい?」
「こんなに早くから来て迷惑だっただろう」
「今更ですねぇ。いいですよ、昨日お手伝いしてくれましたし。また客引きでもしてもらいますから」
「今日も手伝っていいか?」
「そりゃ助かります。でも良いんですか? 今日もお暇なんですか?」
問いかけに彼は一度だけ頷いて新たな団子を頬張った。串に団子を一つ残した状態でぽつりと「いたくないんだ」と零す。これは重症だと苦笑を漏らして隣に腰を下ろした。
「開店してすぐはお客さん来ないので。お話聞きますよー」
「…………きみが嫌な思いするかもしれないぞ」
「私が? どうして?」
「昨日うちの奴らがここへ来ただろう? それを聞いた主たちがきみと俺が好い仲だと誤解したんだ」
「おやまぁ……神様たちも見る目がありませんねぇ」
つい笑ってしまうと彼は「笑い事じゃない」とぼやいた。不機嫌そうに見えていたが、そういうわけでもないそうだ。
「あぁ、それで不貞腐れてるんですね」
「不貞腐れてるわけじゃない。腹が立っただけだ」
誰に? とは聞かなかった。何も知らずに無神経なことを言ったであろう審神者にも、それに傷付いてしまう自分にも腹が立ったのだろうと容易に推察出来たからだ。
「そりゃ災難でしたねぇ」
何と声をかけてやるのが正解か分からなかったので、結局いつも通り思ったことをそのまま口にする。彼はそこで初めてくしゃりと笑って「きみはそう言うと思った」と言った。
「それで? 仲直りはしたんですか?」
「してたらこんなに早い時間にここに来てないさ」
「自信満々に何言ってるんでしょうねぇ、このお方は。ちゃんと外に出るって伝えてきましたか? 無断で出て良いんですか?」
「出陣も遠征も当番もなければ好きに過ごして構わないからな。特別言う必要はない」
「そうですか、まぁ怒られるのは貴方だけなので良いんですけどね」
他所の店もちらほらと開き始めたのを眺めながら、自分も茶を持ってこようと立ち上がると彼の声に呼び止められた。振り返れば情けない顔の彼が「何て言ったらいいか分からない」と弱り切った声で言う。
「泣かしてしまったんだ……」
「あーあ、泣ーかしたー」
「やめてくれ! 鬼かきみは!」
「すみません、つい。お茶持ってくるので待っててください」
店内へ戻り、団子を焼く店主に外にいると告げて自分の茶を淹れる。
「客が入るまでまだあるだろ。ほら」
「あ、ありがとうございます」
団子の皿を受け取って足取り軽く彼の元へ戻れば「きみは随分機嫌がいいな」と恨めしげに見られた。
「お団子もらいました。貴方のおかげですね」
「全然喜べないぞ。――はぁ……」
一際大きな溜息を漏らす彼の隣でもきゅもきゅと団子を咀嚼する。こりゃ今までにないほど重症だと判断して、自分の皿から彼の好きなごま団子を差し出した。何の躊躇いもなく口を開けてぱくりと団子に齧り付いた彼に苦笑を漏らしながら串から手を放すと、彼の骨ばった手が串を摘んで残りの団子も口の中へ収めていった。
「それ、いつの話なんですか?」
「昨日の夕方だ。帰ってすぐに言われて、それで……」
「それで?」
「…………ついカッとなって、いい加減にしてくれって……」
「それだけ?」
何だ、と零せば縋るような声が「苛々すると言ってしまったんだ!」と叫んだ。誤解されて勝手にきゃあきゃあ騒がれれば誰だって苛々するものではないのだろうかと首を傾げると、考えを読んだのか彼は「俺たちは彼女に顕現されたから」と肩を落としながら呟く。
「だから、彼女の一挙一動に振り回されるのは仕方ないことだ。……泣かせたいわけじゃなかったんだ」
「神様なのに不自由なんですねぇ」
「そういう契約だと分かってて力を貸してるんだ、仕方ないさ」
「まぁ、ぶっちゃけて言えばですね」
「うん?」
「泣いても旦那さんが慰めるだろうから、そこまで気にしなくて良いんじゃないかと」
ぐ、と奥歯を噛みしめた彼が呻きながら椅子に倒れ込んだ。真っ赤な敷き布に寝転がる白は何ともめでたい組み合わせだが、白い男の顔は決してめでたくない。
「…………きみはいじわるだ」
「おやまぁ、すみません。あまり気にするなと言いたかっただけなんですけどねぇ」
「きみ、本当は俺のこと凄く嫌いだろう」
「まさか。お金を落としてくれるお客様ですよ? 大好きに決まってるじゃないですか」
「理由が!! 嬉しくない!!」
何だそれは! 驚きだ! 正直にも程があるだろう! ――ぎゃんぎゃんと喚く彼を無視して茶を啜り、ほっと一息。あぁ、今日もお茶が美味しい。二本目の団子に手を伸ばすと不満気に顔を顰めた彼の手が伸びてきて海苔団子を持って行かれた。
「ひどい神様がいたものですねぇ」
「きみには言われたくない」
「昨日の夕方から一度も話してないんですか?」
「…………目も合わせてない。昨日の夕餉も、今朝の朝餉も……ずっと彼女が俺を見てたことも分かってたが……」
「じゃあ今も泣いてるんでしょうねぇ。何も言わずに姿を消した貴方に、泣きながら謝ってるかもしれませんよ」
彼は何も言わずに湯呑みを口へ運んだ。熱々の茶にふーふーと息を吹きかけて少しずつ啜る彼に肩を竦めて残りの団子を腹に収める。空になった皿を手に立ち上がると、茶を飲み干した彼も立ち上がった。
「よし、やるか」
「帰らないんですか?」
「手伝うと言っただろう」
せがまれて襷と前掛けを渡せば、それを身に付けた彼は己の顔をぺちぺちと叩いた。己に喝を入れる彼を眺めながら思うのは「さっさと帰って仲直りすれば良いのに」だ。
「まぁ、良いですけどね」
「さ、今日も頑張るぞ!」
「はいはい、よろしくお願いしますね。じゃんじゃんお客さん集めてくださいな」
今日もきっと繁盛することだろう。数多く店舗があるとはいえ、刀剣男士が接客をする店なんてここにしかないのだから。
「お疲れ様です。少し休んでください」
八つ時のピークを迎える前に彼に声をかけると、振り返った彼が「分かった」と笑った。働いている内に気持ちも落ち着いたようで、途中からは作り笑顔ではなく本物の笑みを浮かべていたのを知っている。前掛けを外していつもの席に着いた彼に団子と茶を運んでやれば、ありがとうと笑った彼が茶を啜った。
「きみの淹れる茶は上手いな」
「それなりの茶葉を使ってますから」
何せ客の大半は本物の神様だ。粗末なものなど出せるはずがない。そう言えば彼はからりと笑って「きみは本当に正直だな」と言った。
「神様に嘘をつくと罰が当たりそうですしねぇ」
「ははっ、確かにな。賢明な判断だ」
「まぁ、その神様は嘘つきなんですけどね。帰らなくて良いんですか? 気になってるでしょうに」
彼は困ったように笑って団子を頬張った。そうすることで返事を避けるなんて、随分と狡くて臆病な神様だ。
残った客を捌き終えると店主から休憩に入るように言われた。渡された団子と茶を手に彼の元へ行くと、くしゃりと笑った彼が隣を空けてくれる。
「慣れない仕事で疲れませんか?」
「いや、新鮮で楽しいものさ」
「変わり映えしないんですから、すぐに飽きちゃうでしょうに」
「きみは飽きたのか?」
問いかけに肩を竦めて茶を啜る。そうすると彼は何を誤解したのか「辞めないでくれ」と呟いた。
「きみが辞めると、困る」
「おやまぁ、そう言ってもらえると光栄です」
「……辞めないでくれ」
「辞めませんよー」
「……本当に?」
「嘘ついたら罰が当たっちゃいますからねぇ。まだ暫くはここで働いてますよ。――だから、そんな顔しないでください」
苦笑交じりに言うと己の顔に触れながら彼が首を傾げる。自分がどんな顔をしているのか分かっていないらしい。本当に難儀なお方ですねと心の中で呟いて茶を飲み干した。
「さて、おかわりを持ってきますけど貴方もいりますか?」
「あぁ、頼む」
「はーい」
二つの湯呑みに茶を淹れ直して戻ると、すまないなと笑った彼が受け取った湯呑みから立ち上る湯気に声を上げて笑い出した。
「何だこれ! 熱い!」
「喜んでもらえて良かったです」
「笑うしかないから笑ってるだけだからな!? きみ、日に日に俺の扱いが雑になっていってないか!?」
「まさかまさか。嫌われてると誤解しているようなので、大好きアピールというやつです」
「これが!?」
叫んで笑って。そうしておそるおそる湯呑みに口を付けた彼だったが、それでも茶を口に含む勇気まではなかったらしい。こみ上げる笑いにぷるぷる身体を震わせながらテーブルに戻してしまった。
「駄目だ、恐ろしくて飲めない」
「おやまぁ。驚きを求める神様のくせに情けないですねぇ」
「ぐぬ……っ」
「大丈夫ですって。ほら、手入れで治るんですよね? ささ、ぐいっと」
「よし! ――いや、無理だ。すまない本当に無理だ」
真顔で必死に首を振る彼に「それは残念です」と笑いながら立ち上がる。店内から持ってきた冷水を湯呑みに注ぎ足してやると、彼は呆れ返った様子で笑った。
「これで飲み頃です」
「神様が飲むから良い茶葉を使ってるんじゃなかったか?」
「ですです。だからちょっとくらい水道水混ぜたって分かりませんって。良い茶葉使ってるので誤魔化してくれますよ多分」
悪びれずに言えば彼はとうとうテーブルに突っ伏してしまった。小刻みに震える肩に「おやまぁ」と漏らして己の茶をずずっと啜る。あぁ美味しいと言えば身を起こした鶴丸が声を上げて笑い出した。突っ伏したり起き上がったり叫んだり黙ったり忙しいお方だ。
「はっはっは! いやぁ、本当きみといると退屈しないな!」
「そりゃどうも。さ、もうすぐお客さんが増えてくる頃ですよ。ほらほら、ささっと飲んで飲んで」
「水道水混ぜた茶を勧められる日が来るとは思わなかったぜ。いやはや驚きだ」
「冷ますのに使っただけですって。お茶を淹れるお湯だって沸騰させる前はただの水道水なんですからお気になさらず」
笑いながら茶をぐいっと飲み干した彼がまた笑う。
「味は変わらないでしょう?」
「そうだな、大して差はなかった。でもこれ温すぎだ」
「おかげで一気飲み出来ましたね。良かった良かった、仕事に戻りましょう」
「きみは上司に向いてないな!?」
「何を仰る。私ほど優しくて頼りになる上司はいませんよ」
胸を張って言うと「その自信はどこからくるんだ」と笑われた。そこまで笑われることを言ったつもりはなかったのにと思いながら食器を片付けようと店内へ戻る。「いらっしゃい!」という元気な声が外から聞こえてきた。さぁ、戦争の始まりだ。