エース達に励まされたアタシは、その日のうちにリサに会うことにした。
伝言役を買って出てくれたサッチさんが、空になったお皿を持って医務室を出て行くと、それまでずっと医学書と睨み合っていたドクターが目頭を揉みながら立ち上がり、エースとタミを呼ぶ。
「おら、お前ら今日はもう面会禁止だ」
「分かった」
「ERROR、また明日来るね!」
リサと二人で話せるようにと席を外してくれる三人に「ありがとう」と手を振って見送る。
きっとリサはすぐに来てくれるだろう。私が知らなかったこと、知りたかったこと、知らなければいけないことを全部話してくれるはずだ。
全部聞いて、それで……それで、私はその時どう思うんだろう。
ノックの音に喉が引きつる。深呼吸をして返事をすると、静かに戸が開いてリサが入ってきた。
「体の具合はどう?」
「うん……うん、大丈夫」
「そっか、良かった……」
数日ぶりに見たリサは少しだけやつれたように見える。隈は化粧で隠しきれていないし、声も元気がない。
ベッドの傍までやって来たけど座ろうとしないリサに椅子を勧めると、何かを言いかけて口を噤んだリサが椅子に腰を下ろす。膝の上で握られた手は微かに震えていた。
「ごめんなさい」
深く下げられた頭。告げられた言葉に思わず口を開けて、でも何も言わずにすぐ閉じる。何て返したらいいか分からないアタシを見ないまま、リサは続けた。
「ちゃんと話しておくべきだった。この島に着いて、ERRORが上陸するって聞いた時に止めておけば……そうすればこんな怪我しなくて済んだのに」
「……そうしたら、マルコさんのこと隠しておけたのに?」
びくりとリサの肩が揺れる。顔を上げたリサは途方に暮れる子どものように頼りなく見えた。
「ずっと、知ってたの? マルコさんのこと」
「…………うん、知ってたよ」
「最初から?」
「うん……最初から知ってた」
「じゃあどうして――!」
思わず声を荒げかけて、痛みに息が詰まる。慌てて立ち上がったリサが伸ばしてきた手を叩き落としてアタシはリサを見上げた。
泣きそうな顔のリサ。こんな顔をさせたいわけじゃないのに。
「アタシがこの船に乗りたいって言ったから? だからなの?」
「ERROR……」
「だってリサ言ってたじゃん……! アタシのお父さんは自分で助けたくせに押し倒してきたって」
それって、リサはすっごく怖かったってことじゃないの? 辛くて悲しくてどうしようもない記憶だったんじゃないの?
お父さんのおかげでアタシに会えたって、それが嬉しいって、感謝してるって笑ってたけど、その時は怖くて仕方なかったんじゃないの?
あの島でマルコさんに再会して、マルコさんはちっとも覚えてなくて、アタシがモビーに乗りたいって言って――それでリサの気持ちはどうなったの?
「アタシがこの船に乗りたいってワガママ言ったから、リサは嫌だって言えなかったんじゃないの……!?」
マルコさんのこと、ほんの少しも怖いって思わなかった?
マルコさんが覚えてなくて、ほんの少しも悲しいって思わなかった? ふざけんなって思わなかったの? ただひたすらに感謝だけだった? 本当に?
「アタシがマルコさんと同じで珍しい血液型だったから、だからこの船に乗ったの? いざとなったらマルコさんから血を分けてもらう為に……っ」
「ERROR、落ち着いて。傷に障るから――」
「落ち着けるわけないよ……っ!!」
溢れた涙がぼろぼろ落ちて布団を濡らしていく。嗚咽を漏らす私の背をそっと労るように撫でるリサの手は冷たかった。いつも温かかったのに。
「…………私の、父に会ったでしょう?」
微かに震えた声が鼓膜を震わせた。
アタシの背を規則的に撫でる手が、摩擦で温もりを取り戻していく。
「あんな人だったから、母はいつも辛そうだった……私はずっと母の言う通りにしていなきゃならなくてね。考えて行動することも、自発的に話すことも禁じられてた」
「そんなの、ひどいよ」
「うん……うん、酷い人達だった。母は愛人で、本妻に子どもが出来たことで私も母も用済みになって……母は私を責めた。どうして男じゃなかったのって」
聞きたくなくて首を振る。アタシのおじいちゃんとおばあちゃんがそんな酷い人達だったなんて知りたくなかった。
「あの家を追い出されて……どこに行ったら良いのかも分からないまま船に乗ったの。身に付けていたアクセサリーを売ってね。でもどの島で下りたら良いのかも分からなかったし、そもそもどこに行ったら良いのかも分からなかった。……ずっと自分で考えることをしなかったから、私は何をどうすれば良いのか分からなかった。だから、人攫いに捕まった時もどうすれば良いのか分からなかった。行く宛もなかったし、どうせ私なんて何の価値もないんだから、どうなっても良いって思ってた」
でもね。そう続けたリサがほんの少しだけ笑っている。まるで昔を懐かしむように。大切な記憶に触れるかのように、愛おしそうに目を細めている。
「助けてくれたの。呆然としてる私に、どうして逃げないんだって。命令されなきゃ何もできないのかって怒ってた。泣くと怒られるって言った私に、ここには命令する奴なんかいないって……くだらないこと考えてないで好きに生きろって、そう言ってくれた」
諦めるなって言ってくれたってリサが笑う。地べた這い蹲ってでも生きろって言われたんだって。心底嬉しそうに笑うから、アタシはどんな顔をしたら良いのか分からなかった。
「ずっと人間じゃないって思ってた。私はただの人形で、母の命令がなきゃ何もしちゃいけないんだって……でも、でもね、マルコさんが言ってくれたの。私は人間だって。また会えますかって聞いたら、生きてみれば分かるって。だから生きようって思ったの。生きて、今度は人間として会いたいって」
覚えてなかったことを悲しいとは思わなかったってリサは続けた。それだけ自分が変われたんだって嬉しかったって。
「本当はね、ずっと言わないつもりだったの。みんなでこの船で幸せに暮らしていければそれで良いって思ってた。お父さんがいなくても、この船には沢山のお兄ちゃんがいるから。だからそれで良いんじゃないかって……そうやってERRORの気持ちを無視してた」
「アタシは……」
「ちゃんと聞いたことなかったよね。お父さんがいなくても良いって言ってくれてたから、ずっと甘えてたの。……寂しくないわけなかったのにね」
ごめんなさい。リサが言う。アタシの頭を抱え込むようにして、声を震わせて。
我慢させ続けたこと、隠したこと、隠し続けようとしたこと。
温もりに包まれながら、アタシは何て言ったら良いのか分からずに口を噤んだ。何を言っても嘘に聞こえてしまうかもしれないと思ったし、アタシ自身もどれが本当の気持ちなのか分からなくなっていたから。
ただ、一つだけ。
「…………リサは、この船にいるの、嫌じゃない?」
「嫌じゃないよ」
答えはすぐに返ってきて、それがリサの本心だって分かったから何だかホッとしてアタシはほんの少しだけ口端を上げながら「そっか」と呟いた。