ただただ強い衝撃がアタシを襲った。
痛いとか苦しいを通り越して、まるで熱された鉄の棒が貫通したみたいに、弾が貫いた場所を中心に一気に身体に熱が走る。それなのに手足はぞわりと総毛立った。
泣きそうなエースの顔。必死に名前を呼んでくれる声すら、もう遠くなる。
重たい瞼を微かに開けば、その先でどこかで見たことのある顔をしたリサが立っていた。
”ねぇ、お母さん、泣かないで――”
無意識に思ったそれは、声となることはなかった。
まだシャボンディ諸島にいた小さい頃、住んでいた家の二階の窓から過って落ちてしまったことがあった。その時はルゥ君がアタシを受け止めてくれて幸いにも無傷で済んだけれど、リサは今よりも喜怒哀楽の乏しい顔で、痛いくらいにアタシを抱きしめて、ただずっと泣いていた。
窓を落ちる瞬間、見えたのは全ての表情を削ぎ落としたリサの顔。人形のように感情の読み取れない、絶望すら滲ませた真っ白な顔。
アタシが最後に見たのは、その時のリサと同じ、そんな顔だった。
目を開けるとそこは見たこともない薄暗いトンネルのような所だった。身体はさっきまでの衝撃が嘘のように痛みを感じない。ただ酷く寒いと思った。
「ここ、どこだろ……」
腕を摩りつつ零した声は反響して返ってきた。一人の空間に嫌に響く声。でも怖さは無かった。
その時、突然暗かったその場所に白く浮き立つカーテンのようなものが現れた。 風も吹いていないのにその場所は緩やかに波立ち、まるで夕凪の海面のようだった。
ぼんやりとその光景を見ていると、そこに一人の人物の姿が映った。
「リサ……」
光の中に浮かぶリサはこちらを見て優しい顔をしている。手を伸ばして、そこにいる誰かの頭を撫でているようだった。縋るように伸ばすアタシの手のひらはそれに触れられない。
次に現れたマルコさんは、手に持った報告書だろう紙を見て顔を顰めていた。容赦なく破り捨てるその様にサッチさんが泣き縋って鬱陶しそうに蹴られている。アタシはその光景に思わず噴出して笑った。サッチさんは不意にこちらを指差して何かを喚く。向けられたマルコさんは表情を一瞬気まずそうに顰めると、またサッチさんを足蹴にした。
その次に現れたのはイゾウさんとその隣に立っているタミだった。タミはこっちを見て笑うと、手招くようにぴょんぴょん跳ねて手を上下に振った。それに面倒くさそうにポケットに手を突っ込みながら歩み寄るロナン君に、犬のように走って行くエース。振り返って白い歯を見せて笑うその腕は、画面のこちら側に伸びている。まるで誰かの腕を引いているようだった。
どうして。
どうしてアタシはそこに居ないんだろう。
ただ無性に寂しかった。
きっとアタシは死んでしまったのだ。あの人の撃った弾がアタシの身体を貫通して、そうして死んでしまったのだ。
残してしまったリサのことが気がかりだった。でも、きっと、大丈夫。 リサは、あたしがいなくても寂しくないだろう。 だってあんなに一杯、素敵な家族が出来たのだから。
初めて会ったあたしの祖父に当たる人は、とても酷い人だった。あの人がどうなったのかなんてわからないけれど、きっと大丈夫。マルコさんや、サッチさん、エースがきっとリサを救ってくれる。タミが、イゾウさんが、ロナン君が、親父さんが、きっと。
気が付くとアタシの頬には幾つも涙が零れ落ちていた。
寂しい。どうしてアタシはここに一人なんだろう。一人は嫌だ。
不意に思うのは、後悔ばかり。
もっと、沢山リサに甘えていたらよかった。
もっと、タミとくだらない話して笑っていたらよかった。
もっと、サッチさんに我侭言って好きな料理作って貰えばよかった。
もっと、マルコさんに海のことを一杯聞いて置けばよかった。
もっと、もっと、もっと……
エースに、きちんと自分の気持ちを伝えられたらよかった――!!
泣いて蹲っていたアタシは、自分がさっきまでのトンネルのようなところじゃなく、綺麗な草原の中に居ることに気付く。どこかの森の中のようで、青々と茂る草木に色取り取りの花が咲いていた。どこからか川のせせらぎが聞こえている。その優しい光景は、心細かったアタシの心を癒すようにすっと溶け込んだ。見た事もないはずの場所なのに酷く懐かしいと思った。
「こんな所にいたの」
不意に後ろから聞こえたのは、柔らかくて温かいそんな声。
振り返れば、そこに居たのはどこかで見たことのあるような眠たげな甘い青い瞳に、綺麗な金の長い髪を緩やかに背中に流した女性だ。誰なのか全く分からない。首を傾げるアタシに、その人はそっと優しく微笑む。その顔が自分を見つめるリサの表情と同じで、あぁ、これは、母親の顔だ――そんなことを思った。
「あの、………」
何かを言いたいのに、言葉を次げない。その人の顔が優しすぎて、まるで愛しい何かを見つめるようなそんな色をしていて。 何もかもを包み込むような温かさに胸が震えて言葉が出てこない。
美しい海の色と同じ青い瞳は、その人が微笑むと同時にとろりとした甘さを孕んで細くなった。
「迷ってしまったのね。それなら早く帰らなくちゃ」
その人はもたつくアタシの言葉を待ちつつも、優しく諭してくる。
ここはあなたのいる場所ではないのよ。
早く帰った方がいいわ。
待っている人たちがいるでしょう?
まるで小さい子に話しかけるように、蹲るアタシの前にそっと膝を付いたその人は白くほっそりとした柔らかい手のひらをアタシの頬にぴたりと当てた。その瞬間、頬を中心に冷たかった身体中に温かさが広がって、酷い安堵と、寂寞感が襲ってきた。
「っ、て……ア、アタシ、どうやったら帰れるのか……っ!」
分からない。だって、アタシはもう死んでしまったんだから。
いくらあの場所に帰りたくたって、どれほど望んだって、戻り方なんて、分からない。
帰りたい。あの場所に。みんなの居る場所に。リサのところに。
分からない
帰りたい
嫌だよ
助けて
リサ
リサ――お母さん
女の人が小さな子にするみたいに酷く優しくアタシをあやすから、だからアタシも小さい女の子にみたいになりふり構わず今の気持ちを吐き出し続けていた。
この人なら、どうにかしてくれるかも知れない。この人なら、アタシをみんなのところに返してくるんじゃないか。そんな、確信にも似た何かを感じていた。
「そうね、帰りましょうね」
少しだけ跳ねるようになった声が、嬉しそうにアタシに囁く。
涙も、出てきた鼻水もそのままに、みっともないまま顔を上げれば、その人は明るく笑ったまま、アタシの両頬をそっと手のひらで挟んでコツリと額を合わせた。
「あの子のところに、帰ってあげてね」
「え……」
強い風が吹く。思わず目を瞑れば、いつの間にかアタシはまた違う場所に立っていた。
海の上だ。凪いだ水面に立っていることに今更ながらに驚いてたたらを踏む。
「なっ……!」
「怖がらないで」
今までに見たことのない光景に怯えるアタシに、すぐそこからあの女の人の声が優しく話しかけてくる。顔を向けると、今度はその人は一人じゃなかった。寄り添うように誰かが立っている。
目尻に僅かに皺のある、穏やかそうな、でも威厳のある表情をした壮年の男性。やっぱり女の人の瞳のようにその髪型にどことなく見覚えがある気がした。でもそれが誰かは分からない。
「大丈夫」
女の人が言った。
語りかけるその声はとても優しくて、アタシを見つめるその目も優しくて、何だか気恥ずかしくなって顔を俯けてしまう。何でだろう、初めて会う人なのに。まるでリサに見つめられている時みたいに、温かくて、くすぐったくて、嬉しくて。
無意識に頬が緩んだのを見られたのだろうか、女の人はくすりと優しい笑みを零した。
「そっくりね」
「え?」
何が?思わず顔を上げると、その人たちはどこか嬉しそうにアタシを見つめていた。アタシを誰かと勘違いしているのだろうか。聞きたいと思ったけど、何故か声は喉にぴったり張り付いたまま出てこなかった。