「すまなかった」
マルコさんに連れられてやって来たのは、もう何度も入ったことのあるマルコさんの部屋だった。
部屋に入るなり深く頭を下げたマルコさん。何となく想像していたからか、無意識に零れたのは苦笑だった。
「怒ってないです」
むしろ、マルコさんが怒るべきだ。
そう言うと顔を上げたマルコさんが即座に首を振る。自分に怒る資格はない、だなんて。
「俺は……どうしようもねぇ、最低のクズ野郎だ」
「………覚えてないんですよね?」
私の問いにマルコさんは答えない。けど、分かる。それが答えだ。
普通なら怒ることなのかもしれない。同意を得ないままに進められたあの行為は、きっと普通の人からしたら凄く傷つくことなんだろうってことは私にも分かる。
けど、それでも。
私はマルコさんを責めたいと思わなかったし、酷いとも思わなかった。
「嬉しいんです」
「、え……?」
「嬉しいんです、覚えていなくて」
困惑するマルコさんの顔を見つめて、大きく息を吸いこんだ。
おかしいだろうか、嬉しいだなんて。
マルコさんが覚えていないことが、凄く嬉しいだなんて。
「あの頃は……私は自分を人間だって思ってませんでした。母の命令を聞くだけの人形みたいに思ってて……だから、嬉しいんです。マルコさんが覚えてないってことは、それだけ私が変われたんだ、って……そう思えるから」
「………けど、俺は……」
「前にも言いましたけど、本当に感謝してるんです。あの時、母に捨てられてどうしたら良いか分からなかった私を助けてくれたのは、マルコさんだったから」
マルコさんがいなかったら今の私はいなかった。ERRORだっていなかった。
あの日からずっと、私はマルコさんのおかげで人間として生きている。それが凄く嬉しくて、毎日楽しくて、幸せで。
「だから……謝らないでください」
「――……それでも、俺は俺を赦せねぇ」
硬い声で、強ばった顔で、マルコさんはグッと拳を握りしめて耐えるように眉を寄せている。
そんな風に思わなくていいのに。私は、そんな風に思って欲しかったわけじゃない。
「マル――」
「俺は、俺を赦せねぇ。赦したいとも思えねぇ。ずっと……こんな近くにいて、全く気付かねぇで……っ、本当のことを知った今でも……っ、俺は……!」
「………そうやって、責めちゃうと思ってました……だから、」
「分かってる。……分かってる、よい……」
奥歯を噛んで痛みに耐えるマルコさんの顔を見るのが辛い。分かってた。こういう顔をさせてしまうんだって。言えば良かったのだろうか?最初から、全て包み隠さずに――けど、どうしても言えなかった。忘れたままでいて欲しかった。気付かないままでいて欲しかった。
「ERRORの」
俯いたマルコさんがぽつりと呟いた。
「ERRORの、為……だったんだろい……リサが、強くなったのは」
「………はい」
珍しい血液型だと言われたから。ERRORが大きな怪我をしないように、どんな時でも護れるように。強くなりたい、そう願った。悔しげな顔で視線を逸らすマルコさんが何を考えているのか手に取るように分かる。また苦笑が漏れた。
この人が自分を責める必要なんてないのに。
「私も……ずっと、内緒にしててごめんなさい」
出来ることなら――ううん、もうそんなことを言っても仕方ない。
言いたくなかった。そう思ってたけど、もう知られてしまったのだから。
「ERRORを、助けてくれてありがとうございます」
感謝してもし足りない。
ERRORのことも、私自身のことも。
私は、ただ今のままでいられれば良いと思ってた。知られないまま、皆で幸せに暮らしていければそれで良いと思ってた。そうすることが一番なんだと、そう思ってた。
けど、違ったのかもしれない。
「サッチさんに怒られちゃいました。バカだ、って」
「………あとで、殴っとくよい」
こんな時でも私に優しいマルコさんに思わず笑みが漏れる。ちゃんと、しないと。これからもずっと、笑って生きていきたいから。
ERRORも、マルコさんも、タミちゃんも、サッチさんも、エース君も、他の皆も一緒に――。
緊張で汗が滲んだ手を強く握りしめて、深呼吸をして私はマルコさんを見上げた。
「ERRORは、貴方の子です」
息を呑んだマルコさんは、けどすぐに静かに息を吐き出して小さく頷いた。
「あぁ」
「勝手に産んでしまったことは、謝ります。けど、」
「いや……違う、違うんだよい」
遮るように首を振るマルコさんを見上げれば、真剣な顔をしたマルコさんがじっと私を見下ろしている。さっきまでのような辛そうな顔じゃなくて、ただ、真っ直ぐに私を見つめていた。
「俺には、こんなこと……言う資格がねぇかも、しれねぇ」
一音一音はっきりと、自分に言い聞かせるようにマルコさんは言葉を紡いだ。
真っ直ぐに見つめてくるその青い目から目を逸らすことが出来ずに、私は聞き漏らすことのないように息を潜めてその言葉に耳を澄ませる。
「けど………けど、言わせて欲しい」
大きく息を吸い込んで、吐いて。
マルコさんがゆっくりと口を開いた。
「ありがとう」
贈られた言葉の意味が一瞬理解出来なくて、首を傾げて。
次の瞬間、その意味を理解して、息を呑んだ。
「ERRORを、産んでくれて、育ててくれて……今、こうしてここにいてくれる事が、俺は、嬉しくて仕方ねぇ」
「、ルコ、さ」
「勝手なことを言ってんのは、分かってる。けど、それでも……俺は――俺も、護りてぇんだ」
ERRORを。マルコさんは言った。
「それから……リサの、ことも………護らせて欲しい」
今度は、今度こそ。
「ERRORの、父親として」
こみ上げる涙を必死に飲み込もうとして、でも出来なくて。
どんどん滲んでいく視界に、マルコさんがぎこちなく笑うのが見えた。
「……もう、たくさん、まもって、もらってます」
「足りねぇ。全然、足りねぇ」
ふわりと温かい腕に包まれて、マルコさんの声がすぐ近くに聞こえる。
怒られると思った。傷つけてしまうことが怖い、そう思うのと同じくらい、黙ってたことを責められる事が怖かった。ずっと逃げてただけの自分を責められるのが、怖かった。
「、と」
「ん?」
聞き取れなかったらしいマルコさんが耳を寄せてくる。
言っても良いだろうか。再会したあの日から、ずっと言いたかったことを。
「ずっと、あいたかった、です」
マルコさんの言う通りだった。
生きてて良かった。こんなにも幸せになれた。
「責任、取らせてくれ」
耳元で聞こえた声にまた笑みが溢れる。
「マルコさんは、優しすぎですよ」
「本気で言ってんだ。俺は――、」
「駄目です」
遮って言えば、マルコさんは石化したように動かなくなった。
「駄目です、そんなこと……私は望んでません」
罪悪感を持って欲しいわけじゃない。そんな事、望んでない。
けど、もし。もし、許してくれるのなら。
「ERRORに……言っても良いですか?」
マルコさんが父親なんだということを。
小さい頃からずっと我慢してきた『お父さん』が、すぐ傍にいるということを。
「………勿論だ」
返ってきた声はどこか力がなかったけど、許してもらえた。
きっとERRORもタミちゃんのようにショックを受けてしまうだろうけど……それでも、もう隠し続けることはしない方が良いと思うから。
「あと、もう一つだけ」
「ん?」
「その……ここに、いても良いですか?」
この船に。家族として。
おそるおそる見上げると、マルコさんは「何だ、そんなことか」と眉を下げて笑った。
「当たり前だ」
「良かった……じゃあ、これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ……これからも、家族として護らせてくれるかい?」
「――はい、お願いします」
漸くいつものように笑ってくれたマルコさんに、私も心からの笑みを浮かべた。