05


部屋に戻って寝ろ。そう言われて医務室を出てきたものの、どうしても部屋に戻る気にはなれなかった。もし今このまま部屋に戻っちまえば、もう一生部屋から出ることが出来なくなっちまうような気がした。
行く宛もないまま重い足取りで船を歩いていれば、あちこちからERRORの安否を気遣う声が飛んでくる。

隊長! ERRORは!?
大丈夫だよな!?

情けねぇツラをする奴らを安心させる為に笑顔で頷いてみせるものの、きっと俺の顔も同じくらい情けねぇツラになっちまってるんだろう。頷いてるくせに酷ェツラの俺を見て更に不安を覚えたのか、出会った奴らは一様に医務室の方へ駆けていく。兄弟たちが消えた方向から「結局どっちだよ!?」「知るか! 早く行くぞ!」なんて声が聞こえてきて少しだけ笑えた。

宛もなくのろのろと歩き続けた結果、辿り着いたのはオヤジの部屋だった。
無意識にオヤジの助けを望んだのだろうか。自分のしでかしたことを思い出すことも出来ない卑怯者のくせに、すぐにオヤジに頼ろうとする臆病な自分に溜息が出た。

「オヤジ、入るよい」

軽くノックをして部屋の戸を開けると、珍しくオヤジは酒を飲んでいなかった。ジウからERRORが危ないという報告を受けたからだろうか。神妙な顔つきでこちらを見つめるオヤジを安心させたい一心で俺は笑みを作る。

「大丈夫だ、ERRORは助かるよい」
「――そうか」

安堵の息を漏らしたオヤジの顔は晴れない。変わらずこちらを見つめるその目に居心地の悪さを覚えて、俺は逃げるように視線を逸らしてしまった。
報告は済んだ。もう用はない、部屋に戻ろう。そう思い踵を返そうとしたのに、何故か足は動かなかった。

「話してみろ」

静かな声に大袈裟に肩が跳ね上がる。
話したじゃねぇか。ERRORは無事だという報告は済んだ、もう用はない。それなのに俺の足はそこに縫い付けられちまったかのようにぴったりくっついたまま離れてくれない。
一体何を言えってんだ。何て言えってんだ。言えるわけがない。

それなのに、この男は知っている。
拳を握りしめてその場に立ち尽くすことしか出来ない臆病な俺に口を開かせる魔法のような言葉を。

「息子よ」

たった一言だ。けど、俺は知ってる。
俺を、俺たちをそう呼ぶ時のこの人の目が酷く優しいものだということを。その声が慈愛に満ちたものであることを。
身体のど真ん中に響いたその声が、言葉が、じわじわと全身に広がっていくのが分かる。きつく握り過ぎて感覚のなくなっていた指先にまで染み渡った頃、俺は無意識に口を開いて声を発していた。

「オ、ヤジ」

すまねぇ。
すまねぇ、すまねぇ、すまねぇ。

開いた口から出てきたのはそんな謝罪の言葉だけだった。
ぼやけた視界に映る足元に、ぽたり、ぽたりと睫毛の先から滴る雫が床にシミを作っていく。

俺が、俺は。
上手く言葉にすることが出来ない俺に、それでもオヤジは何も言わない。じっとこちらを見つめる視線を痛いほどに感じるが、それは突き刺すような冷たいものなんかじゃなくて、むしろこんなどうしようもない俺を包み込むような優しくて温かいものだ。

「っ、俺、には……、資格がねぇ……!」

ERRORが心配をする資格も、リサを想う資格も、
ERRORの父親になりたいと想う資格も、――白ひげの息子である資格も。

何もない。何も持ってない。
違う、持っちゃいけねぇんだ。望む資格すら、俺には無い。

どれだけ辛かっただろう。
毎日俺と顔を合わせて、必死に隠し続けて。困ったように笑うリサの顔に胸が軋んだ。

どれだけ寂しかっただろう。
父親がいないということが、どれだけERRORを苦しめていた?

俺は何をしていた?
何も覚えてないで、何も知らないで、ただここで、のうのうと生きていた。
全てを知った今ですら何も思い出せないで、オヤジに縋って。

どうしようもない。
救えない。

後悔ばかりが押し寄せて、それでも何も思い出せなくて。それが悔しくて、情けなくて、辛くて。
辛いと思う資格すらないのにそう感じてしまう自分がまたどうしようもなくて。

あぁ、何で。
こんな、どうしようもない。

耐え切れなくなって頭を抱えてみても、そうやって逃げようとする自分への嫌悪感ばかりが募っていく。

ダメだ。ここにいてはいけない。
こんなどうしようもない俺は、これ以上ここにいちゃいけない。
上手く働かない頭で弾き出した答えに従い、のろのろと立ち上がった。

「すまねぇ、部屋に戻るよい」

上手く言葉になってるかは分からないが、伝わっただろうか。覚束無い足取りで扉へ向かった。

「俺の自慢の息子が、何て情けねぇツラしてやがる」
「………!!」

背後からかけられる声に足が竦んだ。
同時に身体の芯がスッと冷えていくのを感じる。自慢の息子だなんて、そんな風に呼ばれる資格が俺にはない。

「ぉ、れは……」
「俺の息子になるのに資格がいるのか?」
「………、」
「俺ァ言った覚えがねぇな」

揺らぐことのないその声に全身が震える。
こみ上げる涙を飲み下しておそるおそる振り返った俺の目に映ったのは、いつもと何ら変わらない目でこちらを見つめる父の姿だった。

「………!!」

どうして。
俺はどうしようもねぇ卑怯者なのに。

どうして。
こんなに情けねぇ臆病者なのに。

どうして、どうして、どうして。
俺を見つめるその目には嫌悪感も失望も何も見えない。
愛する息子を見つめる、偉大な父の目だ。

「リサと話して来い」

こみ上げる涙を堪えることが出来ず、溢れる涙を拭うことも出来ないでいる俺にオヤジは言った。

「悪いと思ってねぇなら正々堂々としてろ。だが、少しでも悪いと思ってるのなら、謝れ。謝って、謝って、謝り倒せ」

それでも気が晴れねぇってんなら、殴ってもらえ。
そう言って目を細めたオヤジの、三日月型のひげの下から覗く口がニヤリと弧を描いた。

「お前が惚れたのは、俺の娘は、それを受け入れられねぇような女か?」

違う。そんなはずはない。
リサは、そんな女じゃない。

涙を拭い顔を上げた俺を見て、オヤジはいつものように笑う。

「行って来い、馬鹿息子」
「――あぁ、行ってくる」

大きく息を吸い込み、一歩を踏み出す。
部屋の外に出ると、さっきまでとは驚くほどに景色が違って見えた。

行かなければ。
リサと、話さなければ。

まだ医務室にいるだろうか。医務室へ戻る為に一度甲板へ出ると、先の戦いで傷を負った奴らがエリザたちの手当てを受けていた。

「、マルコ……」

俺に気付いたエリザが気遣わしげな視線を向けてくる。
目が赤くなっちまってるんだろうか、チラチラと兄弟たちからも向けられる視線に思わず苦笑が漏れた。

「ちゃんと話してくる。オヤジにも……喝入れられちまったからねい」

そう言えば、目の前で情けなく眉を下げていたエリザも少しだけ安心したように表情を和らげた。
もう大丈夫だと、そう感じたのだろう。大袈裟に溜息をついて見せたエリザの細い手が容赦なく俺の背中を叩いた。

「い゛っ、」
「いい年して、親を心配させるんじゃないわよ」
「あぁ……分かってるよい」

じんじんと背中に痛みを感じながら肯けば、エリザもいつものように笑う。

「さっさと行きなさい、馬鹿息子!」
「息子ってほど年離れてねぇじゃねぇか」
「こういう時は『はい、お母さん』って言うのよ」
「はいはい、ありがとよい」

お袋――とはさすがに口に出来なかったが、きっと気持ちは伝わってるだろう。
どれだけ強く叩いてくれやがったのか、未だに熱を持つ背中の痒みと戦いながら、先程よりも遥かに軽い足取りで医務室へと向かうのだった。