「あー……目が疲れる」
「まだ三十分くらいしか経ってねぇじゃねぇか」
「分かってるっつーの。ちゃんとやってんだろうが。私のコーヒー取ってくれ」
「テメェで取れ」
「親切ってモンを学べよ」
「お前が女らしさを学んだらな」
互いに視線を合わせないまま鼻を鳴らし合う。立ち上がってコーヒーを手にすると「そっちは俺んだ」という声が飛んできた。そうだっけか、ともう一つのコーヒーを手にして啜ると、すっかり冷えたコーヒーにリサは顔を顰めた。
「冷てぇ」
「とっとと飲んじまわねぇからだろい」
「お前だって飲んでねぇじゃねぇか。私が折角持ってきてやったってのに」
「毒入りコーヒーなんざ飲む気になれねぇよい」
「入ってねぇよバカ野郎!」
「お前が淹れたって事実が毒だ」
「頭に生えた雑草引っこ抜くぞクソ野郎」
「やってみろクソ女」
青筋を浮かべながら互いに睨み合っていると扉をノックする音が部屋に響いた。舌打ちを零してから壁に掛けられた時計を見ると、マルコの言う通りまだ三十分しか経っていなかった。
「何だ、サッチもう終わったのか?」
「レイアを四番隊に移動させてぇな。入れよい」
「おい、バカ野郎。レイアをあんな奴にやるかよ」
マルコに噛み付くように訴えている間に扉が開いた。入って来たのはリサとマルコの予想とは違う人物だった。
「………何してるの」
あからさまにリサを睨み付けながらライアが刺々しい声を出した。
「手伝い」
簡潔に答えながら丁度纏め終わった書類を左に置き、リサは新しい書類を手に取ったが、今までの書類よりもあきらかに大きなサイズのそれにすぐに顔を顰めてマルコを見た。
「あー……マルコ?」
「あ?」
「キングデューのこれは……」
一際大きな書類を指して尋ねると、マルコは「あぁ……」と何処か乾いた笑みを浮かべた。
「アイツサイズだよい」
「いや、でかくて読み辛ぇよ」
白ひげよりも巨体のキングデューがリサ達と同じ紙に文字を書くのは不可能に近い。その事は重々承知しているが、さすがにでかい。身体がでかければ文字もでかいのか、とリサも乾いた笑いを零した。
「他の奴に比べてマトモに書かれてんだ、見落とすんじゃねぇぞい」
「分かってら」
大きな文字で書かれた文章を読み、新しい紙に必要事項を書き足していく。単調な作業だが、これだけ個性的な文字を並べられるとさすがに辛い。マルコが疲れた顔をしてるのは、決して寝不足だけが原因という訳ではなさそうだとリサは思った。
「ライア、何か用かよい?」
「……用がなきゃ来ちゃいけないの?」
「用が無ェんなら後にしてくれよい。書類片付けねぇといけねぇんだ」
「それ、邪魔って事?」
不満げな顔をするライアにマルコが顔を顰めた。嫌な空気だ、とリサは内心溜息をつきながら作業を続けていく。
「何でその人は良くて私はダメなの?」
「コイツは書類整理やってるだろい」
「私には手伝わせてくれないくせに」
「書類書いた事がねェと手伝いにならないって言ったじゃねぇか。今日中には終わるから、」
「私とは一緒にいてくれないのにその人とはいるのね」
マルコが溜息をつく。苛々したようなそれにリサは心の中で「おいおい」と呟くが、当然ながら届かない。空気が悪い。
「最近のマルコ、優しくない」
「そういうのは明日聞くから、今日は出てってくれよい」
未だ不満げな顔で恨めしげにマルコを見ているライアだったが、マルコに鋭く見据えられると「分かったわよ」と了承の返事をした。
「浮気したら許さないから」
バタンと大きな音を立てて扉が閉まる。苛立たしげな足音が遠ざかっていく中、室内は微妙な空気が流れていた。
「……浮気? って、誰と誰が」
笑い飛ばそうとするが衝撃が大き過ぎて引き攣った笑みしか浮かばない。マルコを見るとマルコも苦々しい顔をしていた。
「冗談じゃねぇよい」
「ホントに冗談じゃねぇよ。おい、アイツ頭大丈夫か?思考回路おかしくね?」
「お前に言われたらお終いだな」
「終わってんな、お前の女」
『お前の女』という言葉にカリカリとペンを走らせていたマルコの手がピタリと止まる。けれど、リサは気付かずに書類を読みながら続けた。
「けど、まぁ悪かった。私が手伝うって言わなかったらこんな風にならなかったろ」
「……お前が手伝うって言わなかったら今日中に終わらねぇから、結局同じような事になってただろうよい」
「ワガママだなアイツ」
「女なんてそんなモンだろ」
肩を竦めるマルコに首を傾げてからリサは首を振った。
「少なくともレイア達はそんなんじゃねぇよ。書類手伝ってくれって泣き付くサッチに、次の島で酒を奢れって言うくらいだ」
「そっちの方が最悪じゃねぇか。テメェら全員分奢ったらアイツ破産するぞい」
「そりゃ自業自得だろ。久々に美味い酒が飲めるってレイア喜んでたぜ」
「アイツもえげつねぇ奴だな」
「ハハッ、そりゃしょうがねぇよ。アイツの父親見たろ?」
マルコは手を止めてリサを見た。書類を見つめたままのリサは楽しげな笑みを浮かべていて、暗い雰囲気は何処にもない。吹っ切れた様子で笑うリサに僅かに表情を緩めたマルコは、書類に視線を戻して口を開いた。
「あんな父親じゃ家出したくもなるだろうよい」
「確かにな。つーかよ、良いのか?」
「あん?」
「噂されてんぞ。お前とライアが危ねぇってさ」
「ハッ、暇な奴らだよい」
「娯楽を求めるのは仕方ねぇよ、最近楽しい事ねぇからな」
「襲撃でも来ねぇかなぁ」とぼやくリサを呆れたように見遣り、マルコは読み終えた書類をデスクの上に置き、新たな書類を手にした。
「アイツら、漸くお前の目が覚めたって笑ってたぜ」
「………煩ェ」
「前はいつ刺し違えてもおかしくない状態だったんだと」
「家族殺しする程クソ野郎じゃねぇよい」
「どうだかなぁ。殺気プンプンだったし」
「テメェが腹立つ事ばっか言ってっからじゃねぇか」
「そもそも、ライアに問題があると思わねぇか?」
「………」
答えず苦い顔で親の敵を見るかのように書類を睨み付けるマルコにリサは喉を鳴らした。
「別にいいけどな、どんなクソ女でもクソ野郎でも家族である事に変わりはねぇし」
「お前の言い方はホンット腹立つな」
「わざとだ」
「ぶっ飛ばすぞい」
「ハッ、やれるもんならやってみろ」
挑戦的に口端を上げるリサにマルコが青筋を浮かべながら僅かに立ち上がったその時、ノックの音が飛び込んだ。舌打ちをしてマルコが時計を見ながら「入れ」と告げると、すっかり疲れきった顔のサッチとそんなサッチを呆れたように見遣るレイアが入って来た。二人はマルコの部屋にリサの姿を見つけると面白い程に目を丸くした。
「は? え、え?」
「リサ……?」
「あ? 何?」
「いや、何はこっちの台詞だよ」
「何してるの?」
「見りゃ分かんだろ、手伝ってんの」
首を左右に傾けて骨を鳴らしながら新しい書類を手にするリサにサッチとレイアが顔を見合わせる。
「……俺、疲れすぎて夢でも見てんのか?」
「私にも見えてるから夢じゃないわよ。珍しい事もあるものね」
「余計な事言ってねぇで、とっとと出せよい」
マルコの言葉にサッチは慌てて書類を差し出した。時計を見てマルコがニヤリと口端を上げる。
「三秒オーバーだな」
「は!?」
「ちゃんと間に合ったでしょう?」
「俺の手に渡ってなかった」
ヒラヒラと書類を遊ばせるマルコにサッチが奇声を上げる。リサが声を上げて笑うとレイアは呆れたように肩を竦めた。
「そりゃお前が悪ィよサッチ」
「いやいやいや!! この部屋来てたじゃんか! ねぇよ!? そういうのねぇよ!!?」
「マルコオオオォォォォ!!」と叫びながらマルコの足にしがみ付くサッチにリサが声を上げて笑い、レイアも呆れたように笑う。しがみ付かれたマルコは「鬱陶しい!!」とサッチを蹴り飛ばして書類を読み始めた。
「マトモな字で書かねぇのが悪ィんだろうが」
「期限に間に合っただろ!」
「それは『当然』なのよ、サッチ」
レイアが言うとサッチは唇を尖らせて床に座り込んだまま『の』の字を書き始めた。
「だってよ、書類って楽しくないじゃん? 俺、忙しいし」
「ヘラヘラ笑って女のケツ追っかけてるじゃねぇか」
「皆のご飯作んなきゃなんないし? 皿洗いだってあるし? 仕込みだってあるし?」
「そもそもコックとして乗ったんじゃなかったの? それも『当然』でしょ」
「何故か隊長になんてなっちゃってるし……」
「お前が自分がやるって申し出たんだろうが」
「……お前ら酷い!! 俺に優しくない!!!」
両手に顔を埋めて泣き真似をするサッチを冷めた目で見たリサとマルコは、肩を竦めたり溜息を零したりしてサッチに構わず作業を続けた。レイアはリサの隣に腰を下ろし、既に目を通し終えた書類を手にする。
「他の隊長達はマトモに書けてるじゃない」
「な。サッチのしか見た事なかったから他の奴らもそんなモンかと思ってたけど違った。サッチだけだった」
「全員がサッチみてぇな書類だったら、俺ァとっくにアイツら全員隊長止めさせてるよい」
「酷い! マルコ酷い!!」
「一人だから隊長交代するの我慢してやってんだ。俺に感謝しろい」
「ありがとうございます!!」
ひれ伏して礼を述べるサッチにリサとレイアが苦笑混じりに笑った。
「分かっちゃいたけどお前の扱い酷いな」
「そういう事は言っちゃいけません!! 俺そろそろ泣いちゃうから!!」
「ヘイヘイ。――よし、こっち終わったぞ。あー、疲れた」
纏めたものをマルコに渡し、隊長達が書いた書類を膝の上でトントンと揃えて机に置くと、コーヒーを飲み干した。
「お前これ飲まねぇんだろ? 飲んじゃおうっと」
「アホンダラ、人のコーヒー奪うんじゃねぇよい」
「だってお前いらねぇって言ったじゃねぇか」
「いらねぇとは言ってねぇだろうが」
リサが手を伸ばしたままのコーヒーを奪い取り、すっかり冷たくなったコーヒーを一気に飲み干したマルコはカップをリサの方に置いて一言告げた。
「不味い」
「張っ倒すぞクソ野郎」
「もっとマシなの淹れて来い」
「テメェで行けよ!!」
「サッチ、コーヒー」
「了解しました!!」
「顎で使われてるわね」
マルコのカップを持ちさっさと部屋を出て行ったサッチにレイアが呆れたように呟く。
「私もリサの淹れたコーヒーが飲みたいな」
「んじゃ、食堂行くか」
頷いたレイアと共に部屋を出ていこうとすると、マルコに呼び止められた。
「ありがとよい、おかげで助かった」
「………え、幻聴?」
「珍しい事もあるのね」
「頼んだ覚えは全くねェがな」
「……一々ムカつく奴だな」
「テメェに言われたくねぇよい」
書類に視線を落とし作業を続けながら鼻を鳴らすマルコにリサも鼻を鳴らして部屋を出た。
「素直じゃないわね」
「可愛くねぇよアイツ」
「リサの淹れたコーヒー、一番美味しいのに」
「そりゃ、レイア達のを淹れる時は人一倍気を遣ってるからな」
「あら、そうなの?」
「いつも書類手伝ってもらってるし、迷惑かけっぱなしだから」
「直す気なんてないくせによく言うわ」
微笑むレイアにリサも笑った。
「さーて、では私めがお嬢様の為に美味しいコーヒーでも淹れましょう」
「止めてよ、そんな喋り方リサには合わないわ。私もお嬢様なんて柄じゃないもの」
「違いねェ」
声を上げて笑い、二人は食堂へと向かうのだった。