その夜遅く、リサは甲板に一人立ち海を眺めていた。
「………何やってんだ、私は」
夕方からずっと声をかけてくれたというのに、レイアに会う事は出来なかった。合わせる顔が無かった。共に前に進むと言ったのではなかったか。レイアを一人にしないと決めたのではなかったか。約束を違える事は許されない。そんな事、あってはならない。
「――前に、進むんだ」
ドッドッと耳の奥に響く心臓の音を落ち着かせるように何度も深呼吸を繰り返す。けれど効果は得られず、結局僅かに息を吐いて落ち着かせる事を諦めた。腰に差したサーベルの柄を握り締めてそっと目を閉じる。
「私は、リサだ」
船を後にしたリサはゆっくりと街のある方向へと足を踏み出した。街の入口を避けて森の中を進み、街の北側まで移動すると、船から持ってきていたフック付きロープを使って壁を越える。整地された道に降り立つと、建ち並ぶ家々の間をすり抜けて目的の屋敷へと急いだ。
「チッ、やっぱ見張りがいやがる」
目的の屋敷に近づくにつれて海兵達の姿が増えている事にリサは舌打ちをして路地裏に隠れた。大々的に動く事は得策ではない。屋敷の裏側へと周り、見張りとして立っている海兵の数を確認してから深呼吸をした。一人ずつ静かに気絶させて屋敷の中に忍び込めば、時間が稼げるだろうと、海兵達の動きを観察し続けた。
「――行くか」
数分後、交代の時間だと言って一人を残して去っていく海兵達を見送ったリサは、一人になった途端に息を抜いて欠伸をしている海兵に一瞬で駆け寄って肘鉄を食らわせて意識を奪った。今しがた自分が隠れていた森の中に海兵を隠すと、裏口から屋敷の中へと侵入する。てっきり鍵が掛かっていると思っていたのだが、何故か裏口は施錠されていなかった。
「……罠、か?」
一瞬躊躇ったリサだったが、今更引き返す事も出来ない。意を決して屋敷の中へ侵入すると、身を隠しながら薄暗い廊下を通り、目的の部屋へと急いだ。
あっさりとその部屋の前に辿り着いたリサは小さくノックをすると返事を待たずに部屋の中に滑り込んだ。
「、どうして……!」
丁度眠りに就こうとしていたのか、ベッドの上で布団を足まで掛けていたレオンが驚きを隠せずに声を上げる。口元に人差し指を当てて静かにしてくれと告げると、レオンは未だ困惑した表情のまま小さく頷いた。レオンの元に歩み寄り、ベッドの脇に立つとレオンもゆっくりとベッドから降りてきた。
「何で戻って来たんだ? ログが貯まるまで船にいろと言っただろう……!」
声を落とし、それでも僅かに怒りを篭めながら睨んでくるレオンにリサは僅かに頬を緩めた。
「ごめん、レオン……でも、もう決めたんだよ」
「………」
「私が乗り越えなきゃならないんだ」
「……それが、何を意味するか分かって言ってるんだな?」
「………あぁ」
しっかりと目を見据えて頷いたリサに、レオンはほんの少しだけ表情を緩ませて目を伏せた。
「そうか……」
「すまないと思う。レオンには……助けてもらったのに、」
「俺の事は気にしなくて良い。何とかなるさ――アイツを、頼んだぞ」
「――必ず」
しっかりと頷いたリサの頭を優しく撫でたレオンはそのままリサを抱き寄せる。強く抱きしめながら、レオンはリサの耳元で何事かを囁くと、僅かに身体を放して額に口付けを落とした。
「俺からの最後の命令だ。――諦めろ」
「………」
「お前が……俺の命令に背く事を願ってるよ」
その言葉にリサは柔らかく微笑み、頷くとレオンに背を向けた。腰に差したサーベルに手を伸ばし、その存在を確認するとレオンの部屋を後にした。
その頃、モビー・ディック号ではレイアが白ひげの部屋を訪れていた。数名の隊長と隊員達が白ひげの部屋に集まり酒盛りをしていたが、それは突然部屋に飛び込んできたレイアによってぶち壊されてしまっていた。
「オヤジさん……! リサが、いないの……っ、何も言わないで……きっとあそこに――!」
「そうか」
焦りを露にするレイアとは対照的に、白ひげは落ち着いた様子で酒を呷るとその瓶を床に置いてレイアを見据えた。
「なら、待つしかねぇだろうが」
「そんな……っ、私も――!」
「駄目だ」
「っ、どうして!」
あくまでも落ち着いた様子を崩さない白ひげにレイアの焦燥は募るばかりだった。その場にいたクルー達はそんな二人を交互に見遣り、それぞれ首を傾げたり訝しげな視線を送ったりするが、欲しい答えはもらえないでいた。
「何をそんなに焦ってるんだ?」
代表して尋ねたのはビスタだった。だが、レイアは焦りと不満を隠せないままの表情でビスタを一度見遣ると、再び白ひげに視線を戻した。
「オヤジさん……!」
「アイツが一人で行ったって事は、一人で大丈夫だと判断したって事だろうが」
「分からないもの! レオンに会ってリサが今まで通りでいられるとは限らないわ!」
「レオン?」
「誰だ?」
ジョズとイゾウが首を傾げながら囁く。マルコは我関せずな様子で酒を呷っていたが、その耳はレイアと白ひげの会話に傾けられていたし、心の内では何か厄介事に首を突っ込んでいるであろうリサに舌打ちをしていた。マルコに寄り添うライアは他の隊員同様にレイアと白ひげを訝しげに見ていたが、その表情はお世辞にも心配しているとはいえないものだった。
「お前ェが行った所で何が変わる訳でもねぇ。大人しく待ってろ」
「でも……!」
「レイア」
鋭い目でレイアを見据える白ひげにレイアは息を詰めた。
「アイツが初めて自分の意思で動いてんだ、お前ェが最後まで見守ってやらねぇでどうする」
「………」
「俺らに出来る事は、アイツが帰って来た時に『お帰り』って迎えてやる事と『一人で無茶するな』と拳骨くれてやる事だけだ」
「………もし、帰って来なかったら……」
「その時ァ、帰りの遅いバカ娘を迎えに行くまでだ」
ふんぞり返って再び酒を呷る白ひげを見つめていたレイアは、やがて大きく息を吐いて頭を下げた。
「部屋に、戻ります……」
白ひげに背を向けて部屋を出て行こうとしたその時、扉が勢いよく開いてサッチが飛び込んできた。
「敵襲だ! 海軍の軍艦に囲まれてる!!」
その言葉にマルコ達はサッと立ち上がり白ひげの部屋を飛び出した。唇を噛み締めるレイアの頭をポンポンと叩き、サッチは白ひげを見上げた。
「リサは一人で行ったんだな」
「グラララ、長い間心配かけやがったが……漸くだ」
「サッチ……リサが、」
「大丈夫だ。アイツは強いだろ?」
いつもと変わらない笑顔を向けるサッチに、レイアはほんの少しだけ泣きたい気持ちになりながら小さく頷いた。
「取り敢えず今俺らがするべき事は、アイツが帰ってくる家を護る事だ。行くぞ、レイア」
「――えぇ!」
サッチの声に大きく頷き、レイアはサッチと共に白ひげの部屋を駆け出して行った。遠ざかる足音を聞きながら、白ひげはもう一度声を上げて笑うと瓶の中身を一気に飲み干すのだった。