うそだ。こんなの、うそだ。
夢だ。夢に決まってる。
身動きの取れぬまま、ルーシーは呆然とそんなことを考えた。
「力を持たない子どもなど、必要ない」
冷徹な声が耳の奥に木霊する。
白衣を着た男が慌ただしく動き回る。
その腕に抱かれているのは、つい先ほどまで元気よく産声を上げていた人間――だったもの。
うそだ。こんなの、うそだ。
夢だ。夢に決まってる。
いらない。常日頃ヴォルデモートはそう言っていた。
聞いていた。必要なのは力を持つ者なのだと。
聞いていた。必要なのは娘なのだと。
聞いていた。
けれど、理解していなかった。
呼吸が乱れる。
視界が揺れる。
あぁ、何で。どうして。
息が出来ない。
何も見えない。
ヴォルデモートが舌打ちを零したことも、袋を口元に宛てがわれたことも、ルーシーには認識出来ない。
ただ、苦しくて。
息が苦しくて。目の前が真っ暗で。
ただ、ただ、ただ、
緑色の閃光が網膜に焼き付いていた。
「本当に、良いのじゃな?」
問いかけるダンブルドアに、スネイプは静かに頭を垂れた。
言葉など必要ない。この老人は、何もかもを見抜いているのだから。
「スネイプ――お前が歩もうとしている道は、きっと君が思う以上に辛く苦しいものになるだろう」
本当に、良いのかね?
ダンブルドアの問いに顔を上げたスネイプは、ただ真っ直ぐにダンブルドアを見つめた。
言葉を交わさぬままに時が経つ。数秒、数分。数十分。実際にはどれほどの時間が経過したのだろうか。
やがて、ダンブルドアは静かに目を伏せ頷いた。
「よかろう。そこまで望むのならば」
再会してから十数分。ダンブルドアが初めて表情を和らげた。
「セブルス・スネイプ――君を歓迎しよう」
図らずも、ルシウスと重なったそれにスネイプは僅かに笑みを零した。
ダンブルドアとヴォルデモート。
どちらが正しいのかなど、スネイプには関係ない。
密かにダンブルドアを尾行している中で聞いてしまった予言をヴォルデモートに報告すると、闇の帝王はその予言に出てきた『ヴォルデモートに比肩する者』をジェームズとリリーの間に生まれた息子――ハリー・ポッターがそうであると断言した。
それはつまり、リリーとジェームズを狙うということだ。
ジェームズがどうなろうとどうだって良い。あんな奴、死んだってスネイプの心はほんの少しも痛むことはない。
けれど、リリーは。幼なじみでもあり、彼女の親友でもあったリリーだけは。
滑稽だと嗤われるだろう。
ヴォルデモートがハリーを狙うと聞いて、リリーが危険だと知って、
スネイプの脳裏に蘇ったのは、学生時代のルーシーの姿だった。
幸せだった。
永遠に続いて欲しいと、心から願っていた。
嗤われたって構わない。
ただ、思い出の中の彼女だけが、スネイプの生きる糧となっていた。
現実は辛く苦しい。
今の彼女を愛しているのかと問われたら、答えに詰まる。
それほどに彼女は変わってしまった。
気付いていなかっただけかもしれない。
それでも、スネイプには彼女しかいない。
どこまでも真っ直ぐで、バカで、妹を、友達を大切にする彼女はリリーを助けることを望んだだろう。
そう考えたら、いても立ってもいられなくて。
愚かだと自分でも思う。
あの頃から少しも進歩していない自分だから、彼女は変わってしまったのだろうか。
記憶の中にしか存在しない彼女の為に、全てを投げ打つ自分を、この老人はどんな目で見ているだろうか。
一度下げた顔を上げることは出来なかった。
きっと嗤われているのだろう。
呆れられているのだろう。
自嘲の笑みを浮かべたスネイプは、こちらを見下ろすダンブルドアの目が悲しみの色を湛えていたことを知らない。