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白。
白、白、白。

ただ、真っ白な空間にルーシーはいた。

右がどちらか分からなくて、左がどちらかも分からない。
上も、下も、方向感覚は全て狂ってしまったようだった。

立っている、はずだ。いや、浮いているのか?

全てが白いその空間の中で、何度も何度も辺りを見回す。
右がどちらかも分からずに。左がどちらかも分からずに。
自分が立っているのかも、浮いているのかも、何もかもが分からずに。

何もない。
何も存在しない。
ただ、ルーシー・カトレットという人間がそこにあるだけ。

「あ、あ……ゃ、やだ」

こわい。
こわいこわいこわい。
何も見えなくて。何もなくて。
自分の手のひらを必死に見つめて、抱きしめて、頭を抱えて。

たすけて。

そう思った瞬間、隣に感じる人の気配。
そっと目を開けて恐る恐る顔を上げた先に見えたのは、

「、セ」

助けを求めた愛しい恋人だった。

「ルーシー」

優しく名を呼ぶ声に、顔に、ホッと安堵の息を漏らして。

「セヴィ」

伸ばした手を包み込む温かい手に涙が滲む。

「セヴィ、セヴィ」
「ルーシー」

応えるように名を呼んで、手を引いて立ち上がらせてくれる。
感じる温もりに、縋るように身を寄せた。




ひゅんっ。




風を切る音。
何だろうか。思って辺りを見回した。
相変わらずの白には何もなくて、勘違いだとそう思った。

そう思って、恋人へ視線を戻して――え?声を上げた。

「セヴィ?」

こちらを見る目は相変わらず優しい。
優しくて、温かくて、
それなのに、光がない。

どうしたの?尋ねようと口を開きかけて、気付く。
口の端からつ、と垂れる赤に。

え?呟いて、慌てて手を伸ばした。

「怪我したの?」

赤を拭おうと頬に触れた瞬間、ぐらり。頭が揺れた。

ごとん。
ごろごろごろ。

『何か』が落ちて、転がって。
目の前にあったはずの彼が消えた。

ぱちぱちと目を瞬いて、呆然と視線を下げる。

赤。
赤、赤、赤。

赤がひたすらに溢れていた。
赤を溢れさせるそれは、一体何だろうか。
ここには彼がいたはずだ。
セブルス・スネイプが。ルーシーの恋人が。

恋人が立っていたそこには、赤がある。

ぴちょん。ぴちょん。

いつの間にか足元に出来ていた赤い池に、赤が滴る。
滴らせているそれへ視線を向けた。違う、そんなはずはない。必死に否定するのに、目に映るそれは確かに指先で。

否定しながら指先から上へと追えば、手のひら、腕と続いた視線が肩で止まった。
それより上がないからだ。存在しない。どこにもない。
本来あるべき場所にあるべきものがない。

あれ、これは何だっけ?

むせ返るような臭いにくらりと目眩がして、一歩退がった。

がつん。

足に何かが当たって、僅かに揺れたそれが再び足に当たる。
反射的にそれを見下ろして、再び目眩に襲われた。

「、ぁ、あ……」

違う。そんなはずはない。
だって、違う。そんなはずがないのだ。
でも、だって。

足の感覚を失ってその場に崩れ落ちた。
さっきよりも近くに見えるそれは、確かに『それ』で。
でも、認めたくなんてなくて。

そんなはずはない。これはただのボールだ。
そうだ、クァッフルだ。ジェームズかシリウスが出しっぱなしにしているんだろう。
全くもう、またキャプテンのウッドに怒られるぞ。

とうに学校を卒業した先輩の顔を思い出してへらりと笑い、手を伸ばした。

ぬるり。

手にべっとりとついた赤の気持ち悪さに顔を顰めて。

糸のように細い黒が絡みつく。

これはボールだ。クァッフルだ。
自分に言い聞かせながら、それをころりと転がした。



そんなはずはない。

そんなはずはない。

こんなこと、あっていいはずがない。



「、ぁ……あ、あああああ」



有り得ない。
絶対に有り得ない。



「あああああああああああ」



うそだ。