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「学校生活はどうですか?」

目の前の少女にホットココアを差し出しながら、マダム・ポンフリーは問いかけた。
ふー、ふーとココアに息を吹きかける少女が顔を上げて、微笑む。一目で嘘だと分かるほど下手くそなそれに、少女自身は気付いているのだろうか。それとも、言葉に出来ないから顔を見て察しろということだろうか。もしそうだとするなら、とても明確な伝え方だ。一目で分かる。

「ごめんなさい、忙しいのに」
「構いませんよ。在庫を確認するだけだもの」

リストを手に、医務室にある薬品の在庫を確認していく。新学期が始まって三ヶ月半、薬品棚もそれなりに寂しくなっている。不摂生な生活を送っていた者が変化についていけずに体調を崩したり、授業で事故が起こったり。寮間のいざこざで妙な呪いをかけられた者もいた。おかげで医務室はいつだってそれなりに忙しいが、幸い今はクリスマス休暇だ。騒ぎを運んでくる生徒は今の所いない。
少女が新学期最初の患者だったことを思い出して振り返ると、顔を上げた少女がこてんと首を傾げる。

「その後、背中の傷は痛んだりしていないわね?」
「あぁ、うん。大丈夫です」
「それなら良かった」

微笑んでポンフリーは薬品棚へと向き直る。良かった、本当に。この少女が無事で。
不思議な少女。望まない力を持ってしまったが為に苦しんできた少女。本当であれば、少女とは呼べない年齢になっていたはずだった。魔法薬学を教える彼と同じように歳を重ねていたはずだった。

彼の――セブルス・スネイプの隣にいるはずだった。

目を伏せると小さな背中が瞼の裏に甦る。肩甲骨の間辺り、まるで蚯蚓腫れのように浮かぶ髑髏と蛇。闇の印。
小さな背中には不釣合いなそれに、彼は一体何を思っただろうか。いつも眉間に皺を刻む彼がどんな顔をしていたのか、少女の治療に集中していたポンフリーは知らない。
他の者の目に触れぬようにと少女をベッドに移動させたのは、彼の少女への気遣いなのだと思っていた。余計な面倒を起こさない為だと、そう理解していた。けれど、今こうして考えてみるとそれは違うのではないかと思えてくる。

ただ――そう、ただ、単純に。
他の誰の目にも触れさせたくなかったのではないか、なんて。

二人が愛し合っていた頃――まだ愛し合う事が許されていた頃の姿になった少女。あの時、医務室にはポンフリーとスネイプの他にも人間がいた。ハグリッドが、ハリーが、ロンが、ハーマイオニーが、ドラコが。彼らに、自分が愛した少女の肌を見せたくなかったのではないか、なんて。

「邪推ね」
「え?」

何か言った? と尋ねてくる少女に何でもないと返して。ポンフリーは苦笑した。あの時のスネイプにそんな事を考える余裕があったのかどうかは分からない。ただ、もしかしたら、そう。無意識に。
スネイプが聞けば「くだらない」と一蹴するのだろう。何を考えているのだと軽蔑の眼差しを向けられるかもしれない。ただ、それでも。そうであって欲しいとポンフリーは思う。

補充すべき薬を調べてリストに書き込み終えたポンフリーは、ポンフリーの為にコーヒーを淹れてくれる少女の向かいの席に着いた。お疲れ様ですとかけられる声と差し出されるコーヒーに「ありがとう」と返して。

「全然似てないでしょう」

微笑むポンフリーに少女はぽかんと呆けた顔で僅かに首を傾げ、けれどすぐに理解して笑う。

「うーん、そう、ですねぇ。見た目はそっくりなのに、中身が」
「どちらかと言うと彼女に似ているのでしょうけど……あぁ、でも、すぐに騒動に首を突っ込むのはやはり父親譲りね」

一年生の時は友人達と共にトロールを倒し、ハグリッドが内緒で孵したドラゴンの件にも関わっていた。その時に指を噛まれた彼の友人が医務室に泊まったこともある。賢者の石が隠されていることを突き止めて『例のあの人』の企みを挫いてしまった。

二年生の時も、彼は決して大人しくはしていなかった。
秘密の部屋の騒動に首を突っ込み、スリザリンの後継者などと噂されもした。友人のジニー・ウィーズリーを秘密の部屋から救い出したのも彼とその友人達だ。危険を顧みずに友を助けようとするのは、あぁ、確かに父親譲りなのだろう。

「今年もきっと大人しくはしてないんでしょうね」

それが本人の意思なのかどうかは分からないけれど。どんな形であれ、彼はきっと巻き込まれてしまうのだろう。
彼の少年を思い浮かべているのか、それとも遠い過去に想いを馳せているのか。頬を緩める少女の笑顔はどこかもの悲しい。そんな少女を見つめたポンフリーはそっと目を伏せて思う。

きっと、彼の少年はこれからも騒動に巻き込まれるのだろう。この少女の正体を知る日がいつか来るのかもしれない。そうしたら、きっと彼の少年は傷付くだろう。友達だと、信じていたのにと少女を罵るかもしれない。そしてこの少女は、それに傷つきながらも必死に隠して笑うのだろう。

今までが、そうだったように。
今が、そうであるように。
これから先も、ずっと。

「そう言えば、聞きましたか?」
「え?」
「ハグリッドのことよ。貴方とマルフォイに傷を負わせたヒッポグリフの処分が決まったらしいわ」

ついさっき会ったマクゴナガルが教えてくれたと教えてやれば、目の前の少女の顔が歪む。

「どうなるの?」
「ハグリッドはお咎めなしよ。ただ、ヒッポグリフは……危険生物委員会の尋問にかけられるとかで……」

ルシウス・マルフォイがそう働きかけた。その言葉に少女が眉間に皺を寄せる。ポンフリーも同じ表情になっているだろう。
自分の息子が怪我を負わされたことをいいことに、とんでもないことを。少女に比べればほんの些細な傷だったというのに、何日も入院して、いつまでも包帯を巻き付けて。先日のクィディッチの試合だってそうだ。何だって怪我の所為にして。

「尋問で何とか説得出来れば良いんですが……」

可能性は限りなく低いだろう。誰も彼もがルシウス・マルフォイの言いなりだ。狡猾な男。ポンフリーは溜息を落として目を伏せる。
どうか。どうか、奇跡が起きますようにと願う。徒に奪われていい生命など、ありはしないのだから。

怒りに顔を歪めた少女の、何かを決意したその目の輝きに気付くことはなかった。