今年最初のクィディッチの試合でハリーが箒から落ちたと聞かされたのは、月曜の朝の事だった。
つい先日が満月だった所為でまだ身体がだるいが、授業がある。ハリーを護る為にホグワーツに来たリーマスだが、教師という、人狼なら絶対に就けない職業に就かせてもらっているのだからおざなりにはしたくない。スネイプの反対を押し切ってまで職に就かせてくれたダンブルドアを裏切るような事は、もうしたくなかった。
防衛術の授業中、ハリーの表情はどこか晴れなかった。
無理もない。試合に乱入した吸魂鬼に箒から落とされ、試合に負け、相棒の箒まで粉々にされてしまったのだ。授業の終わりに呼び止めたのは半ば無意識の事で、落ち込んだ様子のハリーの姿に親友の姿を見出す事は出来なかった。当然だ、彼はいつだって自信満々で落ち込むなんて事を滅多にしない男だったのだから。
「どうして吸魂鬼は僕だけにあんな風に……?」
「吸魂鬼が他の誰よりも君に影響するのは、君の過去に誰も経験した事のない恐怖があるからだ」
目の前で両親を奪われ、ハリー自身も生命を狙われた。ヴォルデモートに狙われた多くの魔法使い、魔女の中で唯一生き残ったハリーだからこそ、誰も計り知ることの出来ない恐怖を経験しているという事になる。
「君のような目に遭えば、どんな人間だって箒から落ちても不思議はない。君は決して恥に思う必要はないんだ」
「あいつらが傍に来ると……ヴォルデモートが僕の母さんを殺した時の声が聞えるんです」
思わず伸ばした手は、けれどハリーに触れる事は出来なかった。
今、自分は何を言おうとした? 何を聞こうとした? こんなにも追い詰められているハリーに、一体何を――?
「ルーピン先生? あの……どうして、あいつらが試合に?」
「飢えてたんだ。吸魂鬼は人間の心から発せられる幸福、歓喜などの感情を感知し、それを吸い取って自らの糧とする。ここには多くの人間がいるが、ダンブルドアは吸魂鬼を構内には決して入れようとしない。餌はすぐそこにあるのにも拘らず飢えていた――そこにあのクィディッチの試合だ。競技場に集まった大観衆という魅力に抗えなかったんだろう。あの大興奮に感情の高まり――奴らにとってはこの上ないご馳走だからね」
リーマスが黙ると沈黙が漂った。
片付けをしながらそれとなく様子を窺っていれば、ハリーが何かを言いたそうにしている事に気付いた。口を開きかけて、閉じて。それを何度か繰り返したハリーは漸く腹を括ったようだ。意を決した様子でリーマスを見つめた。
「ルーピン先生はあいつらを追い払う方法をご存知ですよね?」
思いがけない質問に目を瞬かせている間も、ハリーは畳み掛けるように言葉を重ねてくる。それは一体どんな防衛術なのか、僕にも教えて欲しい、と。
「ハリー……私は決して吸魂鬼と戦う専門家ではない。だから……」
「でも、またあいつらが試合に現れたら……! 僕は奴らと戦うことが出来ないと……!」
切羽詰まった様子のハリーにリーマスは表情を曇らせた。
教えるべきではない。だってあれはまだハリーには難しすぎる。けれど、真っ直ぐにこちらを見つめてくるハリーの顔が今は亡き親友のそれと重なって。リーマスは噛みしめるように目を伏せた。
「分かった。じゃあ、何とかやってみよう」
「本当ですか!?」
「ただし、来学期からだ。休暇に入る前にやっておかなければならない事が山程あってね」
「はい……はい! ありがとうございます!」
その日初めてハリーの笑顔を見たリーマスは、知らない内に安堵の息を漏らしていた。生徒を贔屓することは良くないが、それでも大切な親友の息子だ。ほんの少しくらい構わないだろう。
教室にやって来た時とは違い、軽い足取りで教室を出て行こうとするハリーの背を微笑ましい気持ちで見守っていたリーマスは、戸を開けて教室を出たハリーの弾んだ声にハッと息を呑む事になる。
「あ、リサ! ありがとう、君のおかげだよ! 教えてもらえる事に――」
戸が閉まったことにより、ハリーの声はそこで途切れた。けれど確かに聞こえた。ハリーが呼んだ少女の名前、それは間違いなく彼女で。
「………君が……?」
ハリーに助言したというのか。
吸魂鬼を追い払えるようになりたいというハリーの願いを、叶えようとした――?
「…………どう、して」
どうして。どうして、どうして、そんなの。今更。
固く拳を握りしめたリーマスは、暫くその場から動くことが出来なかった。